ブシドーブレード弐

文字数 1,475文字

 刀剣を使うキャラクターたちの剣戟格闘アクションゲーム。なぜ二作目を取り上げるのかといえば、単に一作目をプレイしたことがないから。
 うろ覚えだけど、北野武さんがたしかどこかで「映画やドラマの長ったらしい喧嘩シーンは嘘臭い。だいたいの喧嘩は一発で勝負が決まる」というようなことを言っていた。ブシドーブレードを作った人たちも、世にある格闘ゲームを見て嘘臭いと思った――かどうかは知らないが、ブシドーブレードは一発で勝負が決まる。刀が上手く相手の急所をとらえれば、「ぐえあああ~」というような断末魔と共に血しぶきが舞い、敵はその場にくずおれる。体力ゲージなどない。死ぬときは一撃で死ぬ。
 これぞ真剣勝負の緊迫感――というのを表現したかったと思うのだが。いや、それはたしかに表現されてはいると思うのだが。しかし、これがなぜかすごく笑えるのだ。なぜだろう。まあ、キャラクターにもアフロヘアの怪しげな侍なんかが混じっているし、笑いを狙っているところもあるのだろう。しかしこの一撃死の笑いは、意図を越えた破壊力があった気がする。友達とプレイしながらたびたび爆笑してしまった。
 なかでも笑えたのは「居合い」である。刀を鞘に納めたまま構え、素早く抜刀し、一撃のもとに斬り伏せる――決まればとても格好いい戦法だ。だがブシドーブレードでこれをやると、目も当てられない事態になることが多い。なぜなら居合いで斬撃を繰り出すと、相手に当たろうが外そうが、くるくる刀を回転させて、格好つけながら納刀するからである。鞘に納めるまでがワンセットなのだ。さっきも言ったが、もちろん当たれば格好いい。相手が血しぶきをあげて倒れるのをよそに、優雅に納刀している様は「武士道(ブシドー)」の美学を感じさせる。問題は外したときである。くるくる刀を回転させて納刀しているあいだは、隙だらけなのだ。「あ、ヤバい」と思った瞬間、案の定殺される。さっきまであんなに格好つけていたキャラクターが「ぐえあああ~」と断末魔をあげて死ぬ様子は、敗北したプレイヤーさえも爆笑してしまう珍妙な光景だった。しかし「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」と『葉隠』にも書いてあるそうなので、一時の格好つけのために惨めに死ぬのも、武士道(ブシドー)らしいといえばらしいのかもしれない。
 もうひとつ記憶に鮮烈なのは、ストーリーモードに中ボスとして出てくる銃を持ったキャラクターである。刀を使って戦うゲームなのに、銃を持ったやつが急に出てくるのである。もちろん、銃による攻撃も一撃死。反則である。開幕直後に近づく間もなく撃ち殺される不条理に見舞われると、「武士道ってなんなんだろう」という疑念にさらされる。しかも条件を満たせば、この銃を持ったキャラクター、対戦でも使うことができる。山田風太郎さんの『海鳴り忍法帖』という作品に、忍術を極めた忍者たちが近代兵器にあっさりと敗れてしまう場面がたしかあって、それまでの忍法帖シリーズを読みつづけてきた読者ほど悲哀を感じるようになっていたと思うが、ブシドーブレードで銃を使っていると、似たような感慨に襲われる。飛び道具には敵わないよ……。まあ、こちらは悲哀というより、笑ってしまうのだけど。身も蓋もなさすぎる。
 ところでこのゲーム、侍や忍者のように見えるキャラクターたちが出てくるし、刀剣を使って戦っているから、なんとなく昔の時代だと勘違いしそうになるが、舞台は現代である。廃線とかビルの屋上で剣戟をやっているわけである。もしかしたらそこがいちばん笑えるポイントかもしれない。
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