ブレスオブファイアⅤ ドラゴンクォーター

文字数 4,036文字

 ブレスオブファイアシリーズ五作目にして、シリーズ異色作。略称、ドラクォ。王道的なファンタジー世界が基調であったはずのRPGシリーズなのに、世界観もシステムも一転、空気の汚染された地下世界が舞台のSF的な作品となった。
 ……というのは受け売りで、自分はこの作品以外のシリーズ作品には触れたことがない。なので、ドラクォがシリーズにおいてどれだけ逸脱しているのか、どれだけ浮いているのか、どれだけ異端なのかは、評判から想像するしかない。賛否両論の作品だが、「シリーズを終わらせた」と非難されることもしばしばなので、シリーズファンには「否」の方が多いのかもしれない。「賛」の方の熱量もものすごいものがあるけれど。
 昔、友達が「このゲームは旅の目的がいいよな」と言っていた。そらをみにいく、というのがこのゲームの、この物語の目的だ。地下深くに造られた下層都市に住む人々は、だれも空を見たことがない。空というものが、本当に存在するのかもわからない。半ば伝説となっている。主人公のリュウは、ふとしたきっかけで、人体改造された少女ニーナを助けることとなる。地下の汚れた空気では命が長く持たない彼女のために、ひたすら空を目指して上へと進む。たしかに友達のいうとおり、シンプルでありながら悲壮感もあって、印象的な旅の目的だ。『海を見たことがなかった少年』というタイトルの小説もあったが(読んだことはない)、内陸部に住んでいる人なら、海を見ずに生涯を終えることも珍しくはないのかもしれないが、空を見たことがない、というのはなかなか珍しそうである。この作品のような、地下都市にでも住んでいないかぎり。
 このゲーム、システムはとっつきにくいし、難易度は高いし、おまけに閉塞感がすごい。宿屋も回復魔法もないRPGなんて、なかなかない。回復はもっぱらアイテム頼り、つまり有限だ。セーブするにもアイテムが必要、しかもひとつきりしか作れない。道中の敵は工夫して戦わないと雑魚ですらなかなかの強さだし、ボスはどいつもこいつも鬼畜のような攻撃力と防御力だったりする。
 そして、いつも右上に表示されているDカウンターという数値。これは、竜に変身する能力を得た主人公の、余命ともいえるようなもので、溜まれば溜まるほど竜に侵食されているようなのである。この数値は、戦闘で竜の力を使えば一気に跳ね上がるが、歩いているだけでも少しずつ溜まっていく。100%になればゲームオーバー。そして、数値を下げる方法はない。クリアするか、死ぬかである。身体に抱えた爆弾を常に意識させられる、スリリングな数字である。
 プレイヤーをひたすら追い詰めるような過酷さだが、それが世界観やストーリー、主人公たちを取り巻く環境に絶妙にマッチしているので、システムをあるていど理解して慣れてくると、その緊張感が病みつきになる。
 さて、このゲーム、まごうことなき一本道ゲームである。街は散策するほど広くないし、ダンジョンの分岐も単純だ。この辺でちょっと寄り道しようか、なんて余地はない。共同体と呼ばれるサブクエストはあるが、基本的には、前へ前へ、上へ上へと、世界観からもシステムからも促されつづける。引き返すことは許されない。旅のメンバーは主人公であるリュウ、ヒロインのニーナ、協力者のリンの三人で固定。他に仲間はいない。息苦しく、不自由なゲームといってもいい。戦術や装備の選択にはもちろん幅があり、自由があるともいえるのだが、それでもこのゲームは圧倒的なまでに不自由に覆われている。
 一本道のゲームだ、と言われるとき、それは非難を含んでいる場合がある。だれがやっても同じじゃないか、遊びとしての深みや幅がないじゃないか、ということであろう。たしかにそう思わせるようなゲームもあるにはあるが、濃密すぎるくらいに濃密な一本道には、やはり独自の深みや幅があるのではないだろうか。自由度、というのはゲームを語る際、よく問題にされる部分である。なんでもできる、どこにでも行ける、と高い自由度を謳ったオープンワールドのゲームを実際にやってみると、膨大すぎるサブクエストを消化するのに忙しくて、なんだか作業感を感じさせるなあ、あんまり自由に感じられないなあ、と思ったりすることがある。もちろんそう感じさせないオープンワールドの傑作もあるが、ただ単に選択肢の量を増やせばいいというものではないらしい。難しいところである。
 サルトルという哲学者は、「人間は仮に不死であったとしても、やはり有限であるだろう。有限であることは、自己を選ぶことである。他の可能性を排除して、自分が何であるかを自分に告げ知らせることである。したがって、自由の行為とは、有限性を引き受けることであるとともに、有限性を創造することである」(『存在と無』)というようなことを書いていた。孫引きだし、省略したりもしているので、不正確な引用だけど。別にゲームを論じた文章ではないのだが、こういう文章を読むとついゲームに関連づけて考えてしまう。有限性を拒絶しようとするゲームは、果たして本当に自由で、本当に面白いのだろうか?
 吉本隆明さんの『最後の親鸞』という本には「不可避の一本道」という言葉が出てくる。一応いっておくが、これもゲームについての文章ではない。親鸞の思想について論じた文章である。長くなるが、以下に引用してみる。


 それならば親鸞のいう〈契機〉(「業縁」)とは、どんな構造をもつものなのか。ひとくちに云ってしまえば、人間はただ、〈不可避〉にうながされて生きるものだ、と云っていることになる。もちろん個々人の生涯は、偶然の出来事と必然の出来事と、意志して撰択した出来事にぶつかりながら決定されてゆく。しかし、偶然の出来事と、意志によって撰択できた出来事とは、いずれも大したものではない。なぜならば、偶発した出来事とは、客観的なものから押しつけられた恣意の別名にすぎないし、意志して撰択した出来事は、主観的なものによって押しつけた恣意の別名にすぎないからだ。真に弁証法的な〈契機〉は、このいずれからもやってくるはずはなく、ただそうするよりほかすべがなかったという〈不可避〉的なものからしかやってこない。一見するとこの考え方は、受身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に撰択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ〈不可避〉の一本道しか、わたしたちにあかしはしない。そして、その道を辛うじてたどるのである。このことを洞察しえたところに、親鸞の〈契機〉(「業縁」)は成立しているようにみえる。
 ここまできて、この現世的な世界は、たんに中心のない漂った世界ではなく、〈契機〉(「業縁」)を中心に展開される〈不可避〉の世界に転化する。理由もなく飢え、理由もなく死に、理由もなく殺人し、偶発する事件にぶつかりながら流れてゆく相対的な世界ではなく、〈不可避〉の一筋道だけしか、生の前にひらけていない必然の構造をもつ世界がみえてくる。一切の客観的なあるいは主観的な恣意性が、〈契機〉を媒介として消滅することは、〈自由〉が消滅することを意味しているのではない。現世的な歴史的な制約、物的関係の約束にうちひしがれながら、〈不可避〉の細い一本道ではあるが〈自由〉へとひらかれた世界が開示される。


 ずいぶん長い引用になってしまったけど、この文章は途中で切れないし、切りたくない。すぐれた一本道ゲームと同じくらいに、自分はこの文章が好きなのだけれど、意味を正確に捉えられているわけではない。不可避の一本道とは、いったいなんなのか?
 この文章の前段には、飢餓や厄災に対して親鸞の思想はどう向き合ったのか、という註釈として、こんな文章が出てくる。


 「老少男女」の多くが、飢えのために眼の前で死んでゆくとき、ただ「生死無常」を説くことは、現実の世界を諦めによって不動なものと定めてしまい、そこからの絶対的な跳び超しを与えるにすぎないのではないか。飢えて死ぬ者たちにとって、必要で充分なことは飢えない現実を出現させることである。親鸞の思想は、ほとんど絶対的にといっていいほど、その具体的な処方をつくっていない。だが浄土真宗は、全力をあげてこの課題に応えなければならない。親鸞の思想は、その精髄を挙げて飢え死ぬものをどうかんがえるのか、どうやって救済するのか、この現実の世界をなんと心得るのか応えなければならなかった。


 「現実世界を諦めによって不動なものと定め」ることと、不可避の一本道に自由を見出だすことは、どう違うのか? 結局これらも、よくある運命論のひとつであり、単なる言葉遊びにすぎないのだろうか? 自分にはよくわからないが、何度となく励まされ、慰められてきた言葉なので、たびたび思い出し、たびたび考え込んでしまう。だから、何度となく励まされ、慰められてきたゲームについても、たびたび思い出し、たびたび考え込んで、あらゆる言葉をゲームに関連づけてみたくもなる。
 そらをみにいく、というのは、自由を探すということでもある。このゲームのエンディングは感動的だ。でもその達成感は、プレイ中のあらゆる不自由をくぐり抜けた後でないと、味わうことはできないだろう。いまの時代、ネットで検索すれば、エンディングだけを見ることは簡単にできる。ただ、そこに見出だす風景は、ゲームを遊んだ人間と遊んでいない人間とでは、まったく別のものだ。このゲームの旅の目的が好きだ、といっていた友達が、エンディングにたどり着けたのかどうかは知らない。いまでは疎遠になってしまったから、訊くこともできない。疎遠になったのは、単なる偶然か、不可避の一本道か。なんにせよ、愛すべきゲームと出会う〈契機〉を与えてくれたことに、いまさらながら感謝している。
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