トラベリング・ママ

文字数 1,649文字

 夏休みが終わって少し経ったある日。僕が学校から帰ってくると、一枚の書置きを見つけた。
『お母さんは世界一周旅行に行ってきます。十二月には帰ってくる予定です。皆で仲良く待っててね』
 僕はこの書置きの意味が分からなかった。夕方、お姉ちゃんが帰ってきて、この紙を見せたら、青ざめていた。
「どういうこと? お母さん、勝手に旅行いっちゃったの?しかも世界一周?」
 お姉ちゃんは大パニック。急いでお父さんの携帯に電話をした。お父さんはいつもより相当早く帰宅した。
「そういえば、お母さん、荷造りしてたな……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 家事とかどうするの!」
 お姉ちゃんは帰ってからずっと怒鳴りっぱなしだ。僕も突然、お母さんがいなくなって、不安でしょうがない。できれば悪いジョークならいいんだけど……。
 そんな僕の願いを、一本の電話がうちくだいた。お父さんの携帯に、お母さんから着信があったのだ。お父さんは急いで通話ボタンを押した。僕とお姉ちゃんは、その横で聞き耳を立てた。
「お前、ちょっと突然すぎだぞ……。ああ、うん。そうだけど……。まぁ、うまくやるよ。仕方ない。あ! もしもしっ!」
「どうしたの?」
「電池が切れたらしい。」
 僕もお姉ちゃんも、お母さんに言いたいことがあったのに…。それでもお父さんは冷静だった。
「これから十二月まで、お母さんは船で世界一周するらしい。それで、家事は分担してやろうと思う」
「えぇっ!」
 嫌そうな声を上げたのは、お姉ちゃんだった。
「私、勉強とか部活あるんだよ!」
「それなら俺だって、会社で働いてるんだ。みんな同じだろう。」
 お姉ちゃんは、お父さんのそのひと言でった。
 みんなで話し合った結果、料理と買い出しはお姉ちゃんとお父さんが交代でやること、ゴミ出しと洗濯は僕がやることに決まった。掃除は、土日に全員でやる。
 この当番を決めてからすぐは大変だった。
「えーっ、また目玉焼き?」
「何よ、文句あるの?私が作れるの、このくらいなのよ。」
 お姉ちゃんが夕食当番の日は、大体が目玉焼き。…『作れない』じゃなくて、『面倒くさい』だけだと僕は思った。お父さんが当番の日は、うどんかラーメン。これもさすがに飽きてしまったけど、僕は文句が言えなかった。お父さんも仕事で疲れてるのに、僕たちのために、ご飯作ってくれてるんだからね。
 僕はゴミ出しとか、洗濯とか、そんなに難しくない仕事だけど、ご近所のおばさんに「偉いわねぇ」って、褒められた。普通なら嬉しい言葉だと思うけど、僕らの家は現在サバイバル中。誰かがやらないと、ほったらかしなってしまう。お母さんが留守ってだけで、こんなに大変だとは思わなかった。
 お母さんが旅行に出かけて一ヶ月。それぞれの仕事に慣れてきた頃、一通のエアメールが届いた。ゾウのきれいなイラストが描かれていて、外国の切手が貼ってある。何かかっこいい。
「お母さんからじゃん!」
 後ろから、お姉ちゃんがそれを取った。
「ちょっと、僕まだ読んでない!」
「これはお父さんが帰ったら、みんなで読もう」
 僕は渋々お姉ちゃんの言葉に従った。
 お父さんが帰ってきてから、いつも食事をするテーブルに集まった。
「読むぞ」
 お父さんが声を出して、お母さんからのエアメールを読む。
『みんな元気ですか?お母さんは今、タイにいます。おいしいものいっぱいで、みんなに食べさせてあげたいくらい。まだしばらく船の旅は続きますが、みんな仲良くね!』
 お父さんが読み終わっても、誰も何も話さなかった。でも、お互い目配せしている。
お姉ちゃんが、その沈黙を破った。「ははははっ!」って、大笑いしている。お父さんもニヤニヤが止まらないみたいだ。僕もつられて大笑い。
「何か、お母さん、どこでも生きていけそうだよね。元気そう!」
「ねぇねぇ、タイ料理って、どんなの?」
「おお、今度三人で行ってみるか? 駅の近くにタイ料理屋、あるぞ。」
 お母さん、旅行は順調ですか? 僕らは仲良くやってます。帰ってくるの、待ってるよ。
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