父さんのくれた腕時計

文字数 2,249文字

 六月九日。僕はうきうきしていた。だって今日は、僕の十歳の誕生日。
 僕は父さんに連れられて、デパートに来ていた。きっと欲しかったゲームを買ってくれるに違いない。エスカレーターで三階まで上がると、父さんはゲームコーナーに向かった。やっぱり僕の予想通りだ。コーナーに着くと、僕はたくさんのゲームの中から、欲しかったゲームを探していた。あった。『スーパーマリモクエスト』だ。僕はソフトを手に取ると、隣の時計コーナーのレジにいる父さんにかけよった。
「父さん、これ買って!」
 当然買ってもらえると思って、僕はゲームを父さんに差し出した。
 だけど、父さんの反応は意外だった。ゲームをちらっと見ると、「元の場所に返してきなさい」と一言。
 てっきり何でも好きなものを買ってもらえると思っていた僕は、不満たっぷりだ。
「今日は僕の誕生日なんだし、何か買ってくれたっていいじゃん」
 ぷうっとふくれて、お父さんの顔を見たとき、レジ奥から店員さんが出てきた。
「お客様、こちらのお品でよろしいですか?」
 店員さんが手に持ってきたのは、腕時計だった。僕が持っているビニールの時計じゃなくて、オトナがつけてるような、茶色の立派な皮のだ。
「ちょっと手首を出してごらん」
 父さんの言うとおり、左手首を差し出すと、父さんは、僕にその腕時計をつけた。
「ちょっと大きいかな。でも、すぐ太くなるか」
 父さんは僕の手首を見て、ぶつぶつつぶやいていたけど、納得したらしく店員さんにお金を払った。
「ほら、ヒロシ。これが誕生日プレゼントだ」
 僕は、自分の左手首に付けられている、高価そうな腕時計を見た。これが僕のって……。
 プレゼントしてくれると言っても、こんなものをもらって、いいのかな。
「父さん、これ高いんじゃない? 僕、もっと安いプレゼントでいいよ?」
 そう言うと、父さんは『そんなことは気にするな』というように、肩をポンッと軽く叩いた。
「これは元々父さんのだったんだよ。それをここで修理して、皮の部分を新しくしてもらった。まぁ、昔は高かったかもしれないけどな」
 帰りの車の中で、父さんが腕時計の話をしてくれた。この腕時計はムーンフェイスといって、月の満ち欠けが分かるようになっているものらしい。
 最初は高そうなものだから、緊張してあまりよく見てなかったけど、じっくりながめてみると結構かっこいい。腕時計がかっこいいものだと、自分までかっこよくなった気がする。
 僕が助手席で腕時計を見て、うっとりしていると、父さんも笑顔になった。
「その腕時計はな、父さんの父さん、死んだお前のおじいちゃんからもらったんだよ。ちょうどお前と同じ十歳の時だったかな」
「へぇ。何だかすごいね。先祖代々の宝物じゃん!」
 僕がそう言うと、父さんも嬉しそうに笑った。
 それから数日過ぎて、僕はこっそり学校に腕時計を持っていった。別に誰かに見せるつもりも、自慢するつもりもない。ただ、大切な時計だし、ずっと持っていたかったんだ。
 だけど、それがまずかった。いじめっこグループのタツヤに見つかってしまった。
「あーっ! ヒロシのやつ、腕時計なんか持ってきてる。いけないんだー!」
 そういいながらタツヤは、僕の隙をついて腕時計を奪った。
「返せよ!」
 僕はタツヤから腕時計を取り返そうと、必死になった。でも、タツヤとその仲間が、腕時計をバスケのパスをするように、投げまわす。
「くそぉっ!」
 僕はタツヤに腕時計が回ってきたところで、体当たりをくらわせた。タツヤが転んだその一瞬、ベルトの片方をつかんだ。
「返せよ! 僕の腕時計!」
「いやだね!」
 今度はひっぱりっこだ。周りはタツヤを応援している。僕は怒りに任せて、ベルトを引っ張った。
『ブチン!』
 すごい音がして、僕とタツヤは同時にしりもちをついた。
「お、俺しーらね!」
 タツヤはそういうと、仲間たちと校庭へと走っていった。
 僕はゆっくり、自分の手を見た。握っていたのは、切れた腕時計のベルトだった。
 その晩、僕は父さんに怒られるのを覚悟して、腕時計を見せにいった。
「ごめんなさい。大切にしたかったんだけど……」
 父さんは少し考えてから、腕時計を手に取った。
「ベルトだけだから、時計屋さんですぐ直せるよ。心配することはない」
 そしてゆっくりと、僕の頭をなでてくれた。
「お前がこれを大事にしてくれてるのはよくわかった。嬉しいよ」
 怒られるのを覚悟で話したけど、反対に優しい言葉をかけられたので、僕はつい泣いてしまった。
 それから僕は、学校のときとお風呂のとき以外、肌身離さず腕時計をつけた。中学に入学すると、腕時計をしてもいいことがわかり、学校でもするようになった。
 高校入試の時も、好きな女の子に告白したときも、進路を決めるときも、僕はこの腕時計と一緒だ。きっと、おじいちゃんや父さんも、この腕時計をして、色々な経験をしたんだろうな。そう思うと余計、腕時計がいとおしくなった。
 僕が大学に入学してすぐ、父さんが亡くなった。その後しばらくして、腕時計の針も動かなくなってしまった。多分、電池が切れただけだろうけど、何となく直す気にはなれなかった。それだけ、父さんを亡くした悲しみが大きかったんだと思う。
 それからニ十二年が過ぎた。僕も結婚し、子供も生まれた。男の子だ。
 そして、今日は息子の十歳の誕生日。父さんが亡くなってから、机の引き出しに
 大事にしまっておいた腕時計。これを今から直しに行こう。
 今度は、僕から息子に腕時計を渡す番だ。
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