コクサギのコースター

文字数 2,325文字

 私の家は共働き。いつも塾から帰ってくると、テーブルに千円札だけ置いてある。夕食は、このお金で食べなさいってこと。それでも私は寂しくない。だって、お気に入りのお店でご飯を食べることができるんだから!
 私の住んでいる町は、小さくて、山の近くにある。今時ファミレスもコンビニもない町なんて、結構珍しいんじゃないかな。
 そんな町の駅前にある喫茶「たぬき」というお店が、私のお気に入り。初めて入ったのは、七五三の写真を撮った後のこと。お父さんが珍しく「みんなで外食しよう」と言ってくれた日だから、よく覚えてる。私はその時、ビーフシチューを頼んだんだけど、お肉はとろけるくらい柔らかいし、きのこや山菜がたっぷり入っていて、すごくおいしかった。
 それ以来、私はちょくちょくお店の前を通った。
 ある日、お金も持ってないのに、お店の前をうろうろして、ロウでできたメニューのサンプルを見ていたとき、オーナーが声をかけてくれた。
「おや、この前のおじょうちゃんじゃないか」
「おじさん、覚えててくれたの?」
 オーナーは、食材をいっぱい詰めた紙袋を持って、私の横に立った。
「覚えているとも。うちのお店はもともとお客も少ないしね。料理はおいしかったかい?」
「うん! すっごくおいしかった! お母さんが作るのより、ずーっと、ずーっとおいしかったよ!」
 私がそう言うと、照れくさそうにオーナーは笑った。
「ははは、嬉しいね。そこまで褒めてくれると、何かお礼がしたいな。そうだ、うちのカフェオレも飲んでいくかい?これも結構自慢の味なんだ」
 オーナーは紙袋を反対の片手に持ちかえ、インターフォンを押すと、中からおかみさんがドアを開けた。
「おかえりなさい。おじょうさんも一緒なの?」
「ああ、どうやらうちのファンになってくれたようでね。お礼にうちの自慢のカフェオレをお出ししてくれないか?」
 マスターが持っていた紙袋をおかみさんが受け取って、私は開店前の店内に入れてもらった。
 恥ずかしいような気持ちでカウンターに座り、辺りをぐるっと見渡す。壁には山の写真や、木の実の絵などが飾られていて、何だか森の中に迷い込んだ気分。
 しばらくすると、カフェオレがカウンターに置かれた。
「はい、うちの特製カフェオレ。アイスでよかったかしら。本当はビーフシチューをごちそうしたかったけど、お母さんに怒られちゃうでしょ?」
 おかみさんはにっこり笑って言った。おかみさんに対抗してか、カウンターの奥にいるマスターは、声を大きくして、
「うちのカフェオレは、朝一番で牧場からミルクを仕入れてくるんだ。もちろん、コーヒーも俺が豆から選んだ一流品だ。気に入ってもらえるといいんだが」
 と、説明してくれた。
 ストローでゆっくり飲んでみると、ミルクの甘さとコーヒーの苦さが混ざって、子供でも飲める丁度いい味だった。
「あれ、この葉っぱは?」
 カフェオレのグラスの下に、一枚葉っぱが敷いてある。
 おかみさんはカウンターにほおづえをついて、葉っぱを見た。
「ああ、これはね。コースター代わりに使ってるのよ。うちの近くで取れる、コクサギって木の葉よ。ちょっとみかんのにおいがするの。わかる?」
 そう言われて、私は手にしていた葉っぱのにおいをかいでみた。
「う~ん……、ちょっとわかんない……」
 残念そうにつぶやくと、おかみさんもマスターもくすくすと面白そうに笑った。
「そうだね、普通の人間じゃ、わからないかもね」
 私は記念にこのコースター代わりの葉っぱを一枚もらうと、お礼を言ってお店を出た。
 それから数年経って、両親が共働きになると、私は一人でご飯を食べることになった。お母さんは忙しくて、晩ごはんの用意ができないみたいだし、かといって、私一人の時に火を使わせるのは危険だということで、私は外食することが多くなった。
 今では毎日のように、喫茶「たぬき」に通っている。もちろん注文するのは、ビーフシチューとカフェオレだ。オーナー夫婦は、いつも学校や塾での悩みを聞いてもらったりして、本当のお父さん、お母さんみたいな存在になっている。
「今日ね、リレーの選手になったんだよ!」
「みくちゃんは、足が速いからねぇ」
「優勝したら、ビーフシチューに旗を立ててやろうか?」
 なんて、最近では、家にいる時よりも、お店にいる時の方が断然楽しい。家に居ても、お母さんもお父さんも急がしそうで、声をかけられないんだもん。
 私がオーナー夫婦のことをお父さん、お母さんと重ねているように、オーナー夫婦も子供が居ないせいか、私のことを我が子のように可愛がってくれた。
 そんなある日。私が塾に行くため、駅に向っていると、人が大勢集まっていた。なんだろうと思って、人ごみの中に入ってみると、どうやらたぬきと車が衝突したらしい。
「あちゃー、運が悪いなぁ」
 ぶつかった車の運転手は、警察の人にそうグチっていた。
 たぬきの死体の周りには、なぜか野菜の入った紙袋と、数枚のコクサギの葉っぱが落ちていた。
 私は何だかすごく嫌な予感がして、塾が終わるとすぐに喫茶「たぬき」に向かった。
「あら、今日は早いのね」
 いつもと変わらず、おかみさんがカウンターの中から顔をのぞかせた。
 走ってきたので息が切れていたけど、構わずおかみさんに聞いた。
「あの……オーナーは?」
「ああ……みくちゃん、知ってるのね。」
 おかみさんは作り笑いをして、私にカフェオレを出してくれた。
「この葉っぱ、みかんのにおいどころか、車のゴムのにおいしかしないのよ」
 私は意を決して、おかみさんに尋ねた。
「あの、オーナーもおかみさんも、たぬきなんですか?」
 おかみさんは悲しい笑顔で、「シーッ」と指をくちびるに当てた。
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