第7話

文字数 2,151文字

 月の光が雲に隠れたのか、先程からあたりはまた暗闇に閉ざされていた。
 誰かが、歩いて来る。
 近づいてきた灯りが急にあたりを照らしだし、リトは目を細めた。
「お前ら、こんなところでなにやってんだ」
「キリアン!」
 片手にランプ、片手で馬の手綱を引いて、キリアンは不思議そうな声を上げた。
「キリアン、聞こえたのか」
 レンフォードの声におどろきの色がにじんでいるのが、リトは意外だった。
「聞こえるさ、あんなにぴーひゃら吹かれたら」
「そうか、ほんとに聞こえるんだな」
「お前、おれの言うこと、信じてなかったわけ?」
 リトはこんな状況なのに思わず笑いそうになった。レンフォードは自分でも聞こえるとは思っていなかったのだ。
 そのままキリアンはいっとき、奇妙な目つきで地面のふたりを見下ろしていた。
「キリアン、リトの縄を切ってやってくれ」
 レンフォードがかすれた声で言うと、我に返ったように瞬きをした。
 キリアンは近くの地面にランプを置いて馬の手綱を木の枝に巻き付けてから、腰の短剣を抜きながらふたりの方に歩いてきた。
「リト、後ろを向け」
 リトがよろめきながら立ち上がって背を向けると、すぐにふっと体を戒めていたものがはずれて軽くなった。とたんに痛みに襲われる。
「急に動かすな。そう、ゆっくり」
 キリアンの声にあわせて、リトはそろりそろりと背中にあった腕を体の前に持ってきた。骨が痛い。関節が痛い。じんじんとしてきた。
「どうだ」
「痛いです。でも、大丈夫です」
「よし」
 キリアンは、地面のレンフォードを見下ろして、また、奇妙な目つきをした。が、それは一瞬で、短剣を手にレンフォードの背中側に回り、縄を切った。
「大丈夫か」
「全然大丈夫じゃない」
「動けるか」
「動けない」
 キリアンの手を借りて、レンフォードはなんとか上半身を起こした。が、自分の体を自分では支えられずに体が傾いていく。リトはそばに行って反対側からレンフォードの体を支えた。レンフォードの体は、熱でもあるように熱かった。額は汗ばんでいる。
「もしかしてトーレムにやられたのか」
「まあ、そういうことだ」
 リトに体を預けたまま、レンフォードは苦笑した。
「変な薬を飲まされたらしい」
「その様子じゃ、当分動けないな」
 キリアンは、リトにレンフォードの体を任せて立ち上がった。そして、妙に低い声で言った。
「本当は、お前が万全の時の方がよかったんだが」
 キリアンは馬のところまで歩いていき、鞍を整えてから振り向いた。
「リト、レンフォードがそんな状態じゃ、おれひとりでお前らふたりを連れて帰るのは無理だ。屋敷から人手を連れて来てくれ。この馬に乗っていけば、そんなに時間はかからない」
「わかりました」
 リトは、レンフォードの体を近くの立ち木にそっと預けた。傾かないように向きを調整して、倒れないのを確認してから、ゆっくり立ち上がる。
 自分の体がまっすぐにならず、なんとなく傾いている気がした。両腕をさすりながら足を踏み出すと、あちこちに痛みが走る。よろめきながら、途中で振り返った。
「レンフォード様、大丈夫ですか」
「ああ」
 木にもたれてやや斜めの姿勢で、レンフォードはリトに小さくうなずいて見せた。
「すぐにヘルドさんたちを呼んできます」
 キリアンがまだ今ひとつ力の入らないリトの体を、ひょいと持ち上げて鞍に乗せた。
「乗り方を覚えてるな」
「はい、たぶん」
「よし。この道をずっと降りていけ。そのうち右側に街道の古い立札が見えるはずだ。これを持って行け」
 鞍に結び付けてあった袋から、キリアンはたいまつを取り出した。地面に置いてあったランプから火を移し、ランプの方をリトに渡してくれた。リトはそれを受け取り、おぼつかない手つきで手綱を握った。
「立札に書いてある方に行けば、タウルーの裏城門に出る」
「わかりました」
 キリアンが馬の鼻面を回す。リトは馬の首筋をそっとなでてから、腹をひとけりした。馬がゆっくりと歩き出す。
「急いで行ってきますから、待っててください」
「ああ、頼んだぞ」
 馬の上でなんとか姿勢を保ちながら、リトは馬を促した。何度も振り向いたが、レンフォードとキリアンの姿は、すぐに暗い夜の中に見えなくなった。ただ、たいまつの炎の明かりだけが、ちらちらと揺れていた。
 急に、心細くなってきた。
 馬を急がせようと思ったが、ランプの明かりだけでは足元がおぼつかない。急いでも今のリトの乗馬の腕では、落馬するにちがいないと、なんとかはやる気持ちを落ち着ける。
 馬が土を踏む音が、しんとした山道に響く。焦る気持ちとは裏腹に、馬の足取りは穏やかだった。その規則的な足音を聞きながら、リトはぼんやりとその背でゆられていた。
 しばらく進んだところで、リトはゆっくりと手綱を引いて馬を止めた。
 お前が万全の時だったらよかった。
 そう言わなかっただろうか、キリアンは。
 お前というのは、レンフォードのことだ、たぶん。
 それで?
 万全だったらよかったって、どういう意味だろう。
 それに。
 どうしてキリアンは、リトに助けを呼びに行かせたのだろう。キリアンが自分で馬を走らせた方が、リトが行くよりよっぽど早いし確実なのではないだろうか。
 リトは、危なっかしい格好でそっと馬から降りると、ランプを吹き消した。
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