第4話

文字数 3,727文字

 その牧畜組合の事務所を、初めてのお使いからそう日をあけないうちに、レンフォードと共に再び訪れた。
 ラーティスは、やはりぼさぼさの髪でふたりを迎えた。
「夏市の件だが、準備の方は順調か」
「なんとか進めています。ただ、どの家も人手不足で」
 ラーティスは、やれやれ、というふうに軽く首を振った。
「どうもこの何週間か、西の村の者が放牧地に時折出没するのですよ。それで、そちらの方にも自警のために人を割いているのです」
 レンフォードは少し首を傾げた。
「それは初耳だ。被害が出ているのか」
「いえ、今のところ特になにがあるって訳じゃありませんが」
 リトは顔を上げた。西の村ってなんだろうと思ったのだ。
「まあ何かあってからじゃ遅いので、っていうことですかね」
 夏市には、各地を巡る商人が遠くからやってくる。この地方の商人や職人も店を出し、商売をする。
 どうやらタウルーのあたりは、牧畜業が盛んらしい、というか、ほかに取り立てて言うほどの産業がないようだ。手工芸品もほそぼそとした感じで、これが特に有名、というものは聞かない。
 そのせいか、牧畜組合は、タウルーにいくつかある組合の中でも大きな組織らしかった。
 それにしても、西の村って何だったっけ、とリトは少し考えた。わりと最近、どこかで聞いたような気がする。
「地方官、なに言ってるんですか」
 不意の大声に、リトははっと我に返った。
「無理に決まっているでしょう」
 組合長があきれたように首を振った。
「どうしてだ」
 対するレンフォードの声は冷静だ。
「地方官は簡単に言いますがね、この間だって勝手にここで商売をして騒動になったじゃないですか」
「勝手にと言うが、他の地方からの行商人には許可証を出しているんだ。西の村の者だけ制限する方が、不自然ではないか」
「ですが」
 ラーティスは渋い顔をして腕を組んだ。
「もうずっと先から、西の村の者にはここでの商売は許可しないことになってるのは、地方官もご存じでしょう」
「それは知っている」
「だから、西の村の者はここでは商売できないんですよ」
「彼らも、牛や豚を飼っているのだろう」
「そうらしいですな。タウルーじゃなくて、どこか別の街に行けばいいんですよ」
 ラーティスは、とりつく島もない様子で言った。
 レンフォードは少しの間のあと、「それはまた別の機会にしよう」と言って話を変えた。
 リトはふたりのやりとりを呆然と聞いていたが、あわててまたペンを取った。
 庁舎に帰ってから、その打ち合わせの記録をレンフォードに見てもらうときに、リトは気になっていたことを聞いてみた。
「あの、西の村って何ですか?」
 書類に目を落としていたレンフォードが顔を上げた。
 その鋭い瞳に、うっとくるのだが、がんばって先を続ける。
「その、どこかで、聞いたことがあるなと思って」
 レンフォードは今見ていた書類を脇に押しやった。
「西の村というのは、街の南城門から西にしばらく行ったところにある村のことだ」
 だから西の村? なんてわかりやすい。
「今から、二十年以上も前に、よその土地から移ってきた者たちが住むようになって、それから少しずつ大きくなった」
 それだけなら、どうということもないように聞こえる。
「彼らは元々、ここからもっと西に行って、その先の海を渡ったさらに西の土地に住んでいた。そこでは小さな国同士の争いが何年も続いていて、彼らは戦乱を逃れてやってきた」
「へえ……」
 ここからずっとずっと西の土地のことなど、リトは聞いたこともなかった。ましてや、海を渡ったその向こうの国々のことなど、想像もつかない。
「そうやって逃げてきた者たちの中の何人かが、今の西の村のあたりに住み着いた」
「なにか変わった人たちなんですか? なんだかラーティスさんは嫌っているように見えましたけど」
 レンフォードは、小さくため息のような息を吐いた。
「ラーティスに限らない。タウルーのたいていの者は、西の村の者を嫌っている」
「え、どうして……」
「最初、逃げてきた者たちはこのタウルーにやってきた。当時はまだ、避難民に対する扱いは今よりずっと緩やかで、タウルーでも広場や空き家を提供してここで落ち着けるようにいろいろ手配したらしい。だが」
 レンフォードは少し体を起こした。
「この間の礼拝を覚えているか」
 急に話が変わったのでリトは面食らいながらも頷いた。
「はい」
 ラヘブ神官長の強引な誘いで、先週の日曜日にリトはレンフォードとともに神殿に赴いた。リトも礼拝に出るのは久しぶりだった。地方官のために一般とは別に設けられた席に座って、聖伝の言葉を唱和し、神官の話に耳を傾けた。実は途中から居眠りしてしまったのだが、リトはレンフォードにはそのことを黙っていた。
 レンフォードは続けた。
「この国では、預言者の中でも特に預言者アジスに人気があり、神殿でもアジスを重要視している」
「はい」
 預言者アジスは、神の言葉を聞くことのできた数人の預言者のうちのひとりだ。今残る聖伝は、この預言者アジスや他の預言者が伝えた神の言葉を集めたものだ。
「西の国からきた西の村の者たちは、別の信仰を持っていた」
「別の?」
「彼らは、アジスではなく、預言者ミスンを信仰している」
 預言者アジスを信仰するのと、預言者ミスンを信仰するのと、どうちがうのだろうか。
「タウルーの神殿は、彼らの信仰を快くは受け入れなかった。やがて、タウルーに逃げてきた者たちは次第にまた街を出ていくようになった。そして、タウルーとは別の土地に住むようになったんだ」
「どうしてだめなんですか。アジスでもミスンでも、同じことじゃないんですか」
「さあな。細かいことは神官長に聞くといい。神殿も、だめだと言っているわけではない」
 それで、彼らが住むようになった土地を、タウルーのあたりでは西の村と呼ぶようになったのだという。神殿と相入れないということで、タウルーの人々も次第に西の村の人たちを、快く思わないようになった。さらに、牛や豚を飼い始めた彼らとは、やがて主にタウルー近辺の牧畜農家が何かと衝突するようになった。
 レンフォードは立ち上がって書棚に向かい、うすい冊子のようなものを手に戻ってきた。
 机の上にそれを広げる。それは、このタウルー一帯の地図だった。
「これがタウルー地方のほぼ全域だ。タウルーの街はここ。西の村はここ」
 レンフォードが順に指さしていくところを目で追った。
「タウルーの街の外でも、村や集落はいくつもあって、牧畜農家は主にこのあたりの村に多い」
 レンフォードは、タウルーの街の南西の一帯を指でぐるりと囲った。
「牛や豚を放す牧草地がこのあたりにある」
 その近くにまた指で円を書く。
「このあたりは岩場が多くて牧草地に適した土地が少ない。それで、西の村の者としばしばいさかいになった。街に入って商売するのも、タウルーの者と競合するのでいやがられた。なにより神殿が、西の村の者と何度かもめた」
「もめたって、預言者のことでですか」
「もちろん、信仰する預言者がちがうというだけで、街に入るのを禁止することはできない。預言者がちがっても信じる神は同じだし、聖伝も同じものだ。今でも、西の村の者がタウルーにやってくること自体は別に問題はない、表面上はな。だが、最初は神殿の礼拝に出ていた西の村の者たちは、だんだん礼拝には来なくなった。さらに、神殿の方が当時の地方官にいろいろと働きかけた。それで、街の治安維持のためという名目で、西の村の者がタウルーで商売をするのは禁止された」
「禁止って、地方官が決めたんですか?」
「当時のな。今から十数年ほど前のことらしい」
「じゃあ、レンフォード様がそれをなしにすることもできるんですか」
「理屈の上ではできなくはない。だが」
 レンフォードは少し間をおいた。
「神殿と組合の同意が不可欠だ。今のままでは無理だろう」
 リトは、机の上に広げられた地図に視線を落とした。
 遠くからはるばるやってきて、こんなところに住んでいる、ということがすごく不思議な気がした。
「それに、遠方からやってきた彼らには、彼ら独特の習慣や生活の仕方がある。それがこの地の者にはめずらしいだろうし、ことによってはうす気味悪いということもあるだろう。人はだいたい、よく知らないものに対しては恐怖心を抱くものだ」
「レンフォード様は、西の村の人たちがタウルーで商いができるようにしようと考えているのですか」
 何の気もなく聞いたのだが、レンフォードは少し背を伸ばした。
「そうだな。それだけじゃないが。ちょっとやってみたいことはあるな」
 その口調に普段にはない力がこもっている気がして、リトはいっときレンフォードの顔を見つめた。
「あの、それは……」
「まあいい。では、この記録は見直しておくので、また清書を頼む」
「あ、はい」
 もう少し話を聞いてみたかったが、リトは仕方なく書斎を後にした。
 西の村、というのは、確かひとり飛び出して街をさまよったときに街角で聞いたのだ。
 そのことを思い出し、同時に、壁に真っ赤な字で書かれていたレンフォードへの中傷の文句を思い出した。リトは何となくいやな感じがして、ぶる、と身を震わせた。
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