第4話
文字数 1,229文字
薄汚い店でコーヒーを飲んだ。タバコの空き箱がカタカタ鳴いている。僕は時々それを人差し指で弄りながら、まずいコーヒーに浮かぶ自分の顔を覗き込んでいた。そいつはユラユラユラユラ揺れ、不確かな表情をしている。赤いコートもまたユラユラユラユラ揺れ、不確かな空間を行ったり来たりしている。
女はあまり喋らなかった。長い髪の毛だけが妙に存在を主張しているように見えた。
店の、手垢だらけのガラス窓からは朝の光が差し込んでいて、それは僕と女のちょうど中間に線を引いていた。僕たちは互いにそこから先へはみ出さないようにしていた。それはまるで互いを試しているように思えた。午前七時五分。
女は高校を卒業してから一人暮らしをしていて、他のだいたいの人間がそうであるようにいくつかの職を転々とし、今は短期のアルバイトのみで生活しているらしい。それはそれで気が楽なのよ、と女は言った。
「あなたは何をしているの?」
女は特に興味もなさそうに言った。
「僕もたいして変わらない。アルバイトをしながら生活してる。その日暮らしってやつ?」
「そう。バンドをしてるの?」
「昔ね。もう辞めた」
「なぜ?」
「なんとなく。面倒くさくなって」
「ふぅん。あなたはなんとなく泣いたり、なんとなく辞めたり、なんとなくが好きね」
「そうだね」
僕は少しだけ笑った。
「もうしないの?」
「しないよ」
「なぜ?」
「くだらないから」
「何が?」
「全部だよ。君も今日見ただろ?あんなの楽しそうに見えるか?」
「全然」
僕はタバコに火をつけた。煙を吸って、吐いた。
「もう懲り懲りなんだ。ああいうの」
「ふぅん」
女はコーヒーを一口飲んだきり口をつけなかった。
「ねぇ」
「なに?」
「音楽って、私ほとんど聞かないんだけど、何がいいの?何でみんなあんなふうに熱狂しちゃうんだろう?」
「何でだろうね。僕にもよく分からない。だけどだいたいの奴らは何にも分からないまま、分かってないことも分からないままヘラヘラしてるように僕には思えるし、それにたいして無性に腹が立つことがあるんだ」
「へぇ。あなたも忙しい人ね。でも音楽って頭で考えるものじゃないんでしょ?」
「確かにそうだよ。だけどそのことを言い訳の材料に使ってる奴らが多すぎるんだよ」
「ふぅん。なんだか面倒ね、音楽って」
「音楽はシンプルだよ。面倒なのは僕らのほうだ」
「眠くなってきた。もう朝の八時前よ」
「本当だ。どうりでサラリーマン連中が増えてきたと思った」
「そうよ。彼らは今日も身を粉にして働くってのに私たちは酒を飲んで音楽の話よ」
「まったくだ。くだらないね。僕らは的外れなことばかりだ」
「そうよ。さっさと帰りましょう」
僕らは店を出て、駅まで無言で歩いた。改札で連絡先を交換して別れた。女はササキという名前だそうだ。なぜだか苗字しか名乗らなかったが、僕もわざわざ聞かなかった。それからササキは満員電車に飲み込まれていった。僕はしばらく朝の町を歩き、太陽が作るたくさん黒い影を踏み付けてまわった。
女はあまり喋らなかった。長い髪の毛だけが妙に存在を主張しているように見えた。
店の、手垢だらけのガラス窓からは朝の光が差し込んでいて、それは僕と女のちょうど中間に線を引いていた。僕たちは互いにそこから先へはみ出さないようにしていた。それはまるで互いを試しているように思えた。午前七時五分。
女は高校を卒業してから一人暮らしをしていて、他のだいたいの人間がそうであるようにいくつかの職を転々とし、今は短期のアルバイトのみで生活しているらしい。それはそれで気が楽なのよ、と女は言った。
「あなたは何をしているの?」
女は特に興味もなさそうに言った。
「僕もたいして変わらない。アルバイトをしながら生活してる。その日暮らしってやつ?」
「そう。バンドをしてるの?」
「昔ね。もう辞めた」
「なぜ?」
「なんとなく。面倒くさくなって」
「ふぅん。あなたはなんとなく泣いたり、なんとなく辞めたり、なんとなくが好きね」
「そうだね」
僕は少しだけ笑った。
「もうしないの?」
「しないよ」
「なぜ?」
「くだらないから」
「何が?」
「全部だよ。君も今日見ただろ?あんなの楽しそうに見えるか?」
「全然」
僕はタバコに火をつけた。煙を吸って、吐いた。
「もう懲り懲りなんだ。ああいうの」
「ふぅん」
女はコーヒーを一口飲んだきり口をつけなかった。
「ねぇ」
「なに?」
「音楽って、私ほとんど聞かないんだけど、何がいいの?何でみんなあんなふうに熱狂しちゃうんだろう?」
「何でだろうね。僕にもよく分からない。だけどだいたいの奴らは何にも分からないまま、分かってないことも分からないままヘラヘラしてるように僕には思えるし、それにたいして無性に腹が立つことがあるんだ」
「へぇ。あなたも忙しい人ね。でも音楽って頭で考えるものじゃないんでしょ?」
「確かにそうだよ。だけどそのことを言い訳の材料に使ってる奴らが多すぎるんだよ」
「ふぅん。なんだか面倒ね、音楽って」
「音楽はシンプルだよ。面倒なのは僕らのほうだ」
「眠くなってきた。もう朝の八時前よ」
「本当だ。どうりでサラリーマン連中が増えてきたと思った」
「そうよ。彼らは今日も身を粉にして働くってのに私たちは酒を飲んで音楽の話よ」
「まったくだ。くだらないね。僕らは的外れなことばかりだ」
「そうよ。さっさと帰りましょう」
僕らは店を出て、駅まで無言で歩いた。改札で連絡先を交換して別れた。女はササキという名前だそうだ。なぜだか苗字しか名乗らなかったが、僕もわざわざ聞かなかった。それからササキは満員電車に飲み込まれていった。僕はしばらく朝の町を歩き、太陽が作るたくさん黒い影を踏み付けてまわった。