第2話

文字数 1,614文字

 女がどんな表情をしているか、僕のいる場所から確認することはできなかった。女は誰かを待っているというふうでもなく、ただ立ち尽くしていた。それは、歩道から生える今にも折れてしまいそうな木に見えた。冬の風に裸にされた木だ。季節の残酷さと、春の予感を身に纏っている。

 しばらく女を見ていた。それから時間がやってきたので建物の中へ入った。入る間際もう一度女を見てみたが、もうそこにはいなかった。


 演奏は、ひどいものだった。聞いたことのある音が聞いたことのある言葉とともに並べられ、もっともらしく歌われた。 僕は何を感じるわけでもなく、まるで美術館で絵の外された壁を見ている気分になった。人でごった返した絵が一枚もない美術館だ。僕はそこに一人で立っていて、外された絵の残像を必死に思い浮かべている。しかし、結局黒ずんだ、四角形の枠の跡だけが目に付いただけだった。

 五曲ほど演奏してバンドは消えた。客電がつき、ようやく明るくなったフロアを見渡してみると、数十人の客がボソボソ会話をしていて、先ほどまで叫び散らしていたバンドマンたちがアンケート用紙を配っていた。何枚かを受け取り、そのままポケットにつっこんだ。何人かが話しかけてきたが、だいたいみんな同じことを言って、僕もだいたい同じことを答えた。
 最後に演奏したバンドのギターが僕のもとにやってきて、何やらヘラヘラと喋った。僕は象でも見るように彼を見た。彼はぜひ打ち上げに参加して欲しいと言った。僕は断ったが、今日だけはどうしても来て欲しいと彼は言った。彼らはいつもそういうことを言う。しょうがなしに僕は了承した。タバコを吸いすぎたせいか、喉がひどくヒリヒリしていた。

 近所の居酒屋に入り、その日演奏したバンドの人間と、客とが一緒になって酒を飲んだ。みんな楽しそうに笑い、幸せそうに喋った。時々話しかけられたが、適当に答えているうちに誰も話しかけてこなくなった。随分気が楽になった。
 正面の変な髪形をしたやつが隣の変な髪形をした奴に向かって、あのエフェクターは誰々も使っていたとか、キミのギターの音は誰々の影響を受けているだとか、話していた。僕はそれを聞くともなく聞いていると、その正面のほうの変な髪形のやつが僕に向かって、キミもバンドをしているのか、と聞いてきた。僕は、以前していた、と答えた。どうして辞めたのか、と聞かれたので、特に理由はない、と言うとそれ以上は何も言わなかった。

 僕はビールを飲み、タバコを吸った。目の前で行われている騒ぎが、まるで不鮮明で、現実のものなのかどうか分からなかった。誰もみんな音楽という共通項のもとに会話をしているという事実が僕にはどうにも気味悪かった。しかし、そんな僕の思いなど何も関係なかったし、彼らは大いに盛り上がった。酔いがまわってくると、合図でもだしたかのようにみんな真面目な顔をして、それぞれに話し合っていた。音楽、映画、政治、世界情勢、そんななんやかんやをみんな妙に真面目な顔をして喋っている。そして不思議なことに、一人ひとりのバンドマンにはきちんと一人ひとりの女が横に座っていて、バカな女たちは、腹話術のように喋るバンドマンを見てその汚い目を鈍く光らせていた。

 僕は思わず笑ってしまった。おかしくてしょうがなかった。何度も見てきた光景であったけれど、この日ほど滑稽に見えたことはなかった。バンドなんて辞めて正解だったと思った。こいつらは騙したいし、騙されたい。音楽は都合のいい道具でしかないんだ。そこには何もない、あるのは欺瞞と虚栄と嘘だ。


 店を出た。頭痛はひどくなる一方だったし、耐え切れるわけもなかった。僕と彼らとは何か感じるものが違ったんだ。それは同じに見えただけで、全然違った。それはしょうがないことだった。初めから、そういうものだったのだ。

 細く、尖った風が頬を刺した。

 僕は店の近くの道端に吐いて、そのまま座り込み、泣いた。

 
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