第3話

文字数 1,077文字

 涙は、流れるのか、こぼれるのか、知らないけど、ただ地面を濡らした。

 町から垂れる明かりが僕の髪の毛を通り抜けて道路を半分ばかり濡らした。遠くから響くサイレンは立ち並ぶビルに跳ね返って、通りを歩く人間たちのざわめきのひとつひとつを突き刺していった。

 涙は際限なく溢れだし、落下すると足元で弾けた。

「何で泣いてるの?」

 頭上から声が聞こえた。顔を上げて声のするほうを見た。女だった。あの、赤いコートを着た女だった。女は無表情で僕を見下ろしていた。

「何?」

「だから、何で泣いてるの?」

 女は無表情のままで言った。胸のあたりで揺れる動物のネックレスが光に反射した。

「何でもない。理由はない」

「何でもない、理由もない。そんなのでこんな人がいっぱいいる道端で座り込んで泣いてるわけ?」

「そうだよ。何でもなく、理由もなく泣いてるわけ」

「へぇ。変な人だね」

「そうだね。それで?」

 僕はまた顔を伏せて言った。

「それで?」

 女は不思議そうに聞き返した。

「だから、何か用でもあるの?」

「別にないけど。あの打ち上げがあまりにつまんないから出て来たの。そしたらあなたがこんなとこでメソメソ泣いてるもんだから話し掛けてみたわけ。」

 僕は顔を上げて女の顔を見た。

「あの打ち上げにいたの?」

「気付かなかった?あなたとは随分離れたところにいたからね」

「じゃあ、あんたも誰かの演奏を見に来てたの?」

「私は付き添い。友達がどうしても一緒に来て欲しいって言うから、しょうがなしに」

「そう。それで、どうだった?ライブは」

「最低だね。あんなもの聞かされて、何が楽しめるの?耳はキンキンするし。タバコ臭いし。トイレは落書きだらけで汚いし。ろくでもない場所ね、あそこ」

 女はうんざりしたように言った。

「あんた、ライブハウス初めてだったの?」

「そうよ。しかしあんなに下手くそな演奏ばかりなの?」

 僕は思わず笑った。

「酷いこと言うね。みんな一生懸命やってんだよ」

「下手くそって別に技術的な話しじゃないのよ。私そんなことちっとも知らないし」

「じゃあ、何が下手くそだって言うんだよ?」

「さぁ。わかんない。何となくよ。全然楽しめなかったもん。あの人たちの曲の数だけあくびしたもの」

「そっか」

「それで?ホントは何で泣いてたの?」

「さぁ。なんとなくだよ。僕も退屈だったからかな」

「ふぅん」

「ところでさ、あんたもしかして吐いたの?」

「あぁ、吐いたかも」

「よかったら、移動しない?あなたがここにいたいならいいけど」

「いいよ。」

「どこへいく?」

「どこへいこうか」

「とりあえずどこかへいく?」

「とりあえずどこかへいこうか」
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