第3章 第7話

文字数 1,703文字

 外の風呂に行く前にもう一缶飲みたいと言うので、ちょっとだけ付き合うことにする。グラスにビールを注ぎながら、
「だけど、お前の息子… 孫、ホント良くできた子だよな」
 としみじみと呟く。
「まあな」
「…その、なんだ、翔の父親って…?」
「ああ。真琴の旦那な」

 あそっか。翔の母親がマコトさんと言うのか。
「あ、いや、…マコトさん? の父親って…?」
「はあ? ああ、あの人のことね…」

 突然、夢見がちな顔に豹変する。懐かしさと嬉しさと、そして寂しさがクイーンの表情を彩るのを俺はやや落ち着きを無くしながら窺う。

「あの人はね… ワタシが家裁に送られた時の検事さんなの」

 突如、クイーンの口調がガラッと変わった。何じゃコレ? 余りの激変ぶりに俺は激しく動揺してしまう。
「え…?」
「ほら、十六の時に… ちょっと無茶してね… 私、逮捕されたのよ」
「ど、どうしたクイーン… その話し方… いや待て、でも検事って… 何したんだ?」
「んー、族同士の喧嘩よ」

 ああ、翔が話していたアレか。そう言えば当時、俺も聞いたことがあったな。全国紙ネタになったほどの大闘争だった筈だ。
「まさか、相手殺しちゃったとか…」
 俺は唾をゴクリと飲み込む。まさか、な?
「殺しとけばよかったかも、あの人達」

 いやいやいや。一体何人がその日地獄を見たのだろうか。それにしてもクイーンのこの態度…  日頃の毒舌べらんめえ口調からは全く想像が出来ないこの人格変化。これでは単なる品の良い美しい美魔女ではないか!
 見事にハマっている美しい浴衣姿とこの淑やかな態度に、俺の心の奥底に何かが灯った気がする…

「いや、傷害くらいなら検察官送致まで行かないだろ…」
「んーー、止めに来た警官も何人か、あとパトカーもちょっと、ね」
「ハア? 何で… 逆ギレか?」
「んんん。仲間を逃がすためかなー」
「傷害、職務執行妨害、暴行、器物破損… これはダメかも知れないね」
「共同正犯もね」

「…お、おう。で?」
「で、送検されてそこで黙秘してたのよ。だけどその検事さんが…」
「け、検事さんが?」
「ブッサイクで、小太りなんだけど」
「だけど?」
「チョーーーーいい人だったの。私の家庭の事情、仲間の事情、事件の原因、相手の非道さとかを全部受け止めてくれて。あんな人、男では初めてだったの」
「男、では?」
「女の人なら貴方の… いえ、それでね、少年院出た後も、色々相談に乗ってくれて」
「乗ってくれて?」
「それで… この人なら信用できると…」
「できると…」
「だから、この人に捧げたいと…」
「ゴクリ。そ、それはその…」
「私の処女を」

 もう温泉や仕事どころでは無い。地元で知らぬ者はいないダークレジェンドの秘部、もとい秘話である。健太や忍は知っているのだろうか。

「それで、その人と結婚を?」
「ううん。だってその人、奥さんいたもの」

 全力でずっこけた、さながらドリフの如く。この女が不倫、ちょっと想定外であった。
「…それな」
「初めてを貰ってもらう。それだけで良かったの。」
「は? じゃあ…」
「うん、その一度きりよ、その人とは」
「ちょっと待てーーー、よし、その人とは一度きりな、で、その一度で…」

 クイーンは顔を赤らめ、恥ずかしそうな表情でそっと呟く。
「そう。真琴が出来たの」
 上野動物園のマウンテンゴリラに思い切り殴られた様な衝撃を受ける。
「マジ…か?」

 俺が呻く様に言うとクイーンはそっと頷き、苦笑う。
 
 彼女は翔に言っていた、これまでに三回しかセックスをしたことが無いと。当然俺は笑い飛ばしていた。そんなことはありえないし、そんな女はこの世にいる筈もない、と。だが彼女のこの独白を聞いて、俺は自分の価値観を疑い始める。彼女はこの様な事で嘘をつく事はあるまい。短い付き合いだがそれは分かる。
 そして、その彼女の価値観に驚愕すると共に惹かれ始める。この容姿だ、中身は別として、これまでの人生で大勢の男共に、相当言い寄られてきたであろう。

 相手の金、権力、容姿に惑わされる事なく、自分の価値観のみを拠り所とし彼女は男を選んできた。相手の想いでは無く、自分の想い。

 彼女に想われた男達に会ってみたい、何故かそう思った。
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登場人物紹介

島田光子 

1966年12月1日 東京都江東区深川に生まれる

中学の頃は地域イチの不良娘であり、『深川のクイーン』を知らぬものはいなかったと言われている。

現在、門前仲町で『居酒屋 しまだ』を経営。

弁護士の長女、獣医の長男、ミュージシャンの次男、それに中学生の孫がいる。

中学時代の同級生だった金光軍司に昔から惚れており、、、

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