第4章 第9話

文字数 1,484文字

 小田原厚木道路から東名高速に入る頃。

「腹減ったーー、なんか食わせろー、出ないとオメーのバナナ食いちぎるぞぉー」

 空腹に耐えかねたクイーンが魔暴走し始める。孫は見事にスルーしながら、
「そっかー、お婆ちゃん達、夕ご飯食べ損ねたんだよね」
 食べ損ねた所でなく、夕方暗くなるまで全裸で外にいたのだから今思うと笑えてしまう。
「そう。お前らも蕎麦だけじゃ腹減ったろ、海老名のサービスエリアでなんか食べないか?」

 不意に鼻を啜る音がした。バックミラーを見ると葵が肩を震わせている。
「え… 葵ちゃん… どうかしたの…」
「ん。ちょっと…」

 突然の娘の涙に驚く。葵の泣いている姿は妻の葬式以来見たことがない。
 クイーンはヘラヘラ笑いながら、
「もー別れ話かお前ら、そんなに翔はヘタクソだっt」
「お婆ちゃん黙って!」
「黙れババア!」

 孫に真剣に叱られシュンとなるクイーン。結構かわいい。ん? あれ? ババアだと? それは全くの事実であるが、今俺は何も言ってませんよ、本当に…
「ごめんね… 違うの… 何か、こーゆーのって、前からいいなって… 家族みんなで食事とかって… わ――――――ん」
「えっと… そっかー… うん、うん」
 オロオロする翔。まるで自分が泣かせたかのようにあたふたしている。

 知らなかったと言うよりも気づこうとしてこなかった。葵が家庭の温もりを求めてきたことに。その成長をほぼ全て妻に丸投げし、妻亡き後は母に任せ、自らは目を瞑ってきた。
 そんな俺の態度を葵は薄々感じ取り、がそれに抗することはなかった。寧ろ受け入れようとしてきたのかも知れない。
 
 門仲に越してきて三年経ち。俺と葵の関係はこの一年間で以前よりは遥にマシな状態となっていると自負していた。それは事実である。
だが。
 やはり幼少期からの俺の父親としての接し方が、取り返しのつかない酷いものであったことが今証明されてしまった。葵はずっと我慢して来たのだ、だが今彼女の箍(たが)は外れ、失われた少女期の家族愛の薄さを嘆いているのである。

 ふと、不思議に思う。翔は母親と離れ祖母と暮らしていると言うのに、葵に感じるような家族愛の欲望を全く感じさせない。実の母親と離れているのに、まるで大きな愛にすっぽりと包まれているが如く振る舞っている様にしか見えない。
 何なのだろう? 俺にはサッパリ分からない。

 いや、ちょっと待て。
 そうではない、離れた母親、死別した?父親から以上の家族愛を翔は受けているのだ、だからこうして自信を持って生活し行動できるのだ。
 助手席のクイーンを横目で見る。間違いない、この祖母の孫への愛が全てをオーバーライドしているのだ!
 左の腹部に軽い打撃を受ける。クイーンが俺を睨みつけている。俺はその真っ直ぐな瞳を見つめ返す事が出来ず(運転中だし)、前方のトラックのテールランプをぼんやりと見つめる。

 わかってる。わかってるよクイーン。もう泣かせないよ。大事な娘を泣かせないよ。俺の全身全霊の愛を葵にぶつけていくよ。お前が翔を包んでいるのに負けないぐらいの、とびきりデカい愛で葵を包み込んでやるさ。そしてこれからは一緒に楽しんで行くよ。一杯笑わせるよ。悲しかった事辛かったこと、それを我慢してきたことを忘れさせるよ。だから… 少し、時間をくれ。

 そして、少しでいい、たまにでいいから、これからさ、こんな風に…一緒に…

「葵ちゃん、ほらもうすぐ着くから、なんか食べようよ、ね、って… 金光さーーん、海老名サービスエリアが左後方に去っていきますがーーーー」

 仕方ないだろ。入口の案内板が、涙で見えなかったんだから。
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登場人物紹介

島田光子 

1966年12月1日 東京都江東区深川に生まれる

中学の頃は地域イチの不良娘であり、『深川のクイーン』を知らぬものはいなかったと言われている。

現在、門前仲町で『居酒屋 しまだ』を経営。

弁護士の長女、獣医の長男、ミュージシャンの次男、それに中学生の孫がいる。

中学時代の同級生だった金光軍司に昔から惚れており、、、

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