国家のない社会(4)

文字数 2,914文字

再び首長制社会の戦争話へ戻す。
そもそも首長制社会における戦争とはどんなものだったと思う? 戦争と聞いて現代人がイメージするようなものとは違うってことくらいは察しがつくだろう。
あるいは、そもそもどういう理由で戦争になったと思う?
富の奪い合い、とか?
そう思うだろうが、ピエール・クラストルはべつの本『暴力の考古学』(毬藻充訳、現代企画室、2003)の中で、こう言っている。

まず、①動物へ向けられた暴力ともいえる狩猟が反転し、それが人間へ向けられるようになった、という考え方は違う、と。
また、きみが言うように②貧しさから略奪という戦争が生まれた、とする考え方も違う、と。
そもそも技術的に遅れている社会だから貧しい、と思い込んでしまうのはとんだ先入観なんだ。実際には貧しいどころか豊かだったりする。
これも余談だが、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者で有名な水木しげるさん(1922-2015)の『ラバウル戦記』(ちくま文庫、1997)を読んだことあるか?

ないですね。
読んだほうがいいぞ。

水木さんは太平洋戦争のとき、招集されて南方戦線のラバウルへ行くことになった。

ラバウルって、どのへんにあるんですか?
パプアニューギニアの島嶼地方。

水木さんはそこで現地の人たちと交流してるんだが、そうこうするうち、どっちがよい暮らしなのかわからなくなり、「文明なんてなんなのだ」って思ったらしい。

なんというか、ゆるふわな生活が広がる世界の片隅で、近代兵器を駆使した殺戮が行われている。

そのドンパチが文明の進歩なのか? 

水木さんと仲良くしていた部族の人たちは時間をたっぷりもっており、一日に数時間の畑仕事をするだけで後はおしゃべりしたり踊ったりして遊んでいたという。

むしろそれが人間本来の生活じゃないかと思うようになった、と水木さんは書いている。

いやー、わかります。つーか、オレもう働きたくないっスね。豊かな自然に囲まれてたら、そんな生き方ができるようになるんですかね? 自給自足、みたいな。
一つには、足るを知る、ってことが必要なんだろう。

いくら自然が豊かでも、そこから利益を得ようと考えて、得たものを売り、得たものを売り、さらに自然を開拓していき、もっと得てもっと売り、さらに開拓して、なんてやってれば働きづめになる。

それって資本主義だ! 儲けに目がくらみ、もっともっと儲けを蓄積しようとする。エンドレス。
そうそう、蓄積動機ってのもポイントの一つだ。際限のない欲望と言ってもよい。

これについては資本主義というものについて考える際にな、つっこんで議論しようじゃないか。今夜のテーマは資本主義ではなく、国家だからな。

資本主義、う~ん、個人的にはそっちのほうが気になります。目下働く気力をロスしてるんで・・・・・・
話を戻そう。
あ、またスルー。
クラストルが言いたいことはだ、必ずしも貧しさから戦争が生まれたわけじゃない、ってこと。
じゃなんで争いが起きるんですか。もったいぶらずに教えてください。
クラストルの考えを簡単にして言うと、首長制社会の共同体というのは〈我々〉意識が強くてさ、戦争はその裏返しなんだとよ。


どういう意味です?
一体感というか、「我々」という連帯意識が強ければ強いほど、「我々」ではないものを排斥しがちになるってこと。「我々/よそ者」とかいう二分法が強烈に作用するんだ。「よそ者」が侵入してきたら拒絶し、敵とみなし、攻撃し、遠ざけることになる。


縄張り意識みたいなもんですね。
縄張りというのもあるだろうが、「我々」というアイデンティティを賭けた闘争、みたいな側面もあるんじゃなかろうか。
ちなみに宗教学の中沢新一さんは、アメリカ先住民において、戦争の原因はたいてい自分の部族、とりわけ女や子ども、老人に対して加えられた侮辱に対する報復だった、と語っている(7)
つまり戦争とは報復であり、傷つけられた「我々」の威信、その回復さ。
仕返しですね。なんか暴走族の抗争をイメージしちゃいました。


暴走族に入っていたのか?
いえ、入ってませんよ。
じゃなんで暴走族の気持ちがわかるんだ?
・・・・・・すみません、テキトーなこと言いました。
でな、これを逆から言うとだ、敵に報復を果たし、威信を回復したら、それで戦争は終わりってことになる。敵の殲滅までは目的としていない。
その結果、戦争がいわば遠心分離機のような作用をしてしまい、それぞれの「我々」たちが適度な距離をおいてバランスよく離れて暮らし、分散し、棲み分けていくようになる。
でも、負けた側は負けた側で報復を考えるんじゃないですか? 

憎しみの連鎖、みたいな感じで終わりがない?

勝てる見込みがなければ貢物をし、面従腹背することもあるだろう。
クラストルは言う。普段は首長同士がお互いに贈り物などをし、平和裏に交流して暮らしているが、そういった関係性が壊れたときにこそ戦争が勃発する、というわけではない、と。あらかじめ平和な交際があり、その破綻が争いを生むのではなく、逆に争いの中から交際が芽生えてくる、と言う。敗者からの貢物がそうだろうし、あるいは目の前の敵と戦うとき、後ろから襲われるのヤだからさ、第三者的な立ち位置にいる部族と同盟関係をつくりたいとか思うだろう。そういうときにこそ、贈り物が必要になる。
ちなみに贈り物というのはモノだけじゃないぞ。女たちも贈られる。これまた余談だが、16世紀、スペイン人は新大陸を侵略していったんだが、友好を求めているのか、あるいは欲しいものをやるからとっとと帰ってくれと厄介払いしたいのか、現地の首長たちは贈り物をたくさん渡している。その中になんと、たくさんの女たちがいた(8)


うわ、なんかヒドイ話。
首長と首長の間で女たちを贈ることや、女たちを互いに交換することは、いわゆる政略結婚としての機能も果たしていたらしいね。
戦国時代みたいな話だ。
ちなみに首長だけは一夫多妻になっているぞ。それが首長の特徴五つ目でもある。
一夫多妻ですか・・・・・・オレは一人でいいですね、相手は一人で、最愛の一人で・・・・・・
・・・・・・おい、また鬱ってるぞ。
大丈夫です・・・・・・
我は一妻多夫がいいなぁ。まぁ実際のところ多夫だがなぁ。
え?
話を戻すが・・・
戻さないでください。そこ、ちょっと気になりますから。
ゴホン。

話を戻すが、戦争というのはなによりまずは報復であり、一過性のものであり、それが片付いたら戦士の仕事はいったん終了。前面にでていた〈軍事的権力〉は再び後景に退き、首長の〈政治的権力〉が回帰する。
あるいはこう喩えてもいい。〈軍事的権力〉と〈政治的権力〉は、いわばコインの裏表、通常状態すなわちコインが表を向いてるとき、首長はその中心にいるが、例外状態すなわちコインが裏返ってダークな戦争状態へ至ると、戦士が顔を出す、ってわけ。


〈軍事的権力〉と〈政治的権力〉は一つに統合されることなく、くるくる反転してるって感じ?


まぁそんなイメージでいいだろう。
(註)


7 中沢新一『熊から王へ』講談社、2002:181-182頁 


8 増田義郎『アステカとインカ』講談社学術文庫、2020


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登場人物紹介

岬美佐紀(38)

 某国立大の大学院で哲学を研究していたが(専門はニーチェ)、遊びすぎて研究者レースからドロップOUT!

 現在、岐阜柳ケ瀬の一角で、潰れたラウンジを譲り受け、哲学バー「ツァラトゥストラ」を開店している。

 未だ独身。彼氏イナイ歴?年。特技はバドミントンで、奥原希望選手の大ファン。

我聞太一(23)

 岐阜大学で留年中。

 キョーレツに結婚を意識していたカノジョにフラれてしまい、自暴自棄中。

 のちに在野の哲学徒として覚醒?していくのだった・・・

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