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文字数 3,314文字

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 愚かだと自分でもわかっていた。役に立てるほどの力もないのに強がっている。それもわかっていた。
 玄関らしき大きな入口があった。カイたちと会えるにはどうすればいいのか、わからないままそこから入った。
 吹き抜けがあり、広いエントランスがあった。天井からとてつもなく大きなシャンデリアが輝きを失ったままぶら下がっていた。
「探偵」
 大きな声がした。驚いて声がしたほうを向いた。すぐに戻ったことを後悔した。ギリが立っていた。松永みどりも一緒だった。
「ひとりのようだな」
 ギリがそういった。恐怖で声が出なかった。足もすくんでいた。
「お前はずいぶんと余計なことをしてくれた。覚悟しな」
 ギリが吠えた。私は気休めとわかっていたが、内ポケットからペーパーナイフを取り出した。
「そんなものが役に立つと思っているのか」
 ギリがせせら笑った。気味の悪い顔だった。
「ひとおもいにやりな」
 ギリが松永みどりにそういった。松永みどりが近づいてきた。とんでもなく大きくみえた。そして強そうにみえた。これは確実にやられる。そう思った。
「私の忠告は無駄だったのね」
 松永みどりが悲しそうな顔をした。
「私を殺すのか」
 声が震えた。
「しかたがないわね」
 いつのまにか松永みどりの手にはナイフが握られていた。
「ちょっと待て。私の話を聞いてくれ」
「命乞いかしら」
「違う。あんたはカイから話を聞いたか」
「なんのことかしら」
「監禁されていたあんたの家族はカイが奪還していまは安全だ」
 松永みどりの足が止まった。しかし表情は半信半疑だ。
「信じてくれ」
 迷っているのがわかった。
「なにをしている。早くやれ」
 会話が聞こえないギリはイライラして大声を出した。
「カイはそのことをあんたに伝えたがっていた」
「家族が無事なのは本当なのね」
「本当だ。私を信じてくれ」
 松永みどりの表情が和らいだ。
「探偵さん、あなたを信じるわ」
「ありがとう」
 松永みどりが私に背を向けた。
「もうあなたのいうことは聞かないわ」
 松永みどりがギリとの距離を縮めた。ギリがぎょっとした顔になった。
「裏切るのか」
「もともと信頼関係なんてないんだから裏切るといういいかたはおかしいだろう」
 私の声は震えていなかった。
「探偵は黙っていろ。お前はこの探偵になにをいわれた」
「あなたが監禁した私の家族は無事よ」
「探偵。お前はなにをいったんだ」
「カイが彼女の家族を奪還したんだよ」
 ギリがポケットからナイフを出した。
「こうなったらしかたがないな。探偵、この女を殺して次はお前だ」
「探偵さん、下がっていて」
 松永みどりの声は冷静だった。私はうしろに下がった。
 松永みどりがかまえると同時にギリがすべるように近づき、いきなりナイフを突き出した。松永みどりは身をかわし逆にナイフを横に払った。ギリは半歩うしろに下がってかわした。松永みどりは休むことなくナイフを突き出した。ギリは半身の体勢でかわした。今度はギリがナイフを出した。松永みどりが半身の体勢でかわした。ギリがナイフを突き出すとみせかけて上段の前蹴りを放った。松永みどりが腕で防いだ。バシッと大きな音がした。松永みどりも上段の前蹴りを返した。今度はギリが腕で防いだ。やはりバシッと大きな音がした。ふたりは円を描くようにまわった。ギリが体ごとぶつかるようにナイフを突き出した。松永みどりはかろうじてそのナイフを払った。次の瞬間、彼女はうしろに下がるとみせかけて逆に接近して頭突きをして体を離した。ギリが唸り声を上げた。ギリの額から血が流れた。ギリは眼をむき、また唸り声を上げながら小刻みにナイフを突き出した。ナイフとナイフがぶつかり火花が散った。ナイフを突き出しては払い、そのたびに火花が散った。それが繰り返された。息を切らすことなくふたりは動いた。突然突くとみせかけてギリはナイフを横に払った。私は思わず声が出た。ギリの切っ先が彼女の頬を薙いだ。彼女の頬が血に染まった。彼女の足が止まった。次の瞬間、ギリが高く飛んだ。考えられないほどの跳躍力だった。松永みどりのすぐうしろに着地したギリは、彼女の首を左腕で締めて右の脇腹にナイフを突き立てた。低い唸り声が聞こえた。松永みどりの声なのか、ギリの声なのか、わからなかった。私は口を大きく開け、肩で息をしていた。さらにギリが突き立てたナイフをえぐった。また唸り声が聞こえた。無意識だった。気がつくとギリのすぐうしろまで近づいていた。右手に持っていたペーパーナイフをギリの背中に思い切り突き立てた。だが、鋼のようなギリの肉体はペーパーナイフを簡単に弾いてしまった。歯ぎしりの音が聞こえた。ギリが振り返った。ものすごい形相で睨んだ。足がすくんだ。動けなかった。ギリの左手が私の首に伸びた。首にかかった。ものすごい力だった。意識を失いそうになった。突然ギリの手の力が抜けた。また歯ぎしりの音が聞こえた。ギリの手が離れた。ギリの口から血が噴き出た。なにが起きたのかわからなかった。ギリがストンと両膝をついた。ギリの背中に松永みどりのナイフが深く突き刺さっていた。ギリの口からまた血が噴き出た。そして頭から前に倒れた。ギリの死を確信した松永みどりがゆっくりと倒れた。私は松永みどりの顔の横で跪いた。彼女は眼を閉じ、苦しそうに息をしていた。彼女の名前を呼んだ。彼女がうっすらと眼を開けた。
「いまカイをさがしてくる。それまで死ぬな」
 耳元で大声を出した。
「いいのよ。それよりもカイに伝えて。家族を人質に取られてカイを裏切ってしまった」
 声はか細かった。
「カイもわかっている。気にするな」
「ごめんなさい……これもカイに伝えて」
「わかった」
「親子はどうなったの」
「無事に脱出した」
「それはよかったわ。親子のことをギリに教えたのは私よ」
「それも気にするな。あんたは心まで裏切ってはいなかった」
「探偵さんは優しいのね」
「あんたは芹澤友子のアパートの壁かけ小物入れに、社内旅行の写真をいれただろう。それと雲海荘の冷蔵庫内に蒲田駅前の中華料理屋のレシートを残しただろう。それもみんな気がついてほしいという願いだったとわかっている」
「さすがね探偵さん……」
 松永みどりが眼を閉じた。耳元で彼女の名前を呼んだ。
「ギリのポケットに鏡があるわ。カイに渡して」
 眼を閉じたままそういった。それが最後の言葉だった。苦痛の表情は消え、穏やかな表情になっていた。
 足音が聞こえた。振り返るとカイとララがみえた。彼らは走ってこちらに向かってきた。私は立ち上がり片手を上げた。
「これは……」
 カイが松永みどりを認めて言葉を失った。ララが松永みどりの脈を調べて首を横に振った。私は言葉を失っているカイに彼女の言葉を伝えた。
「彼女がそんなことを……」
 カイは悲痛な声を出した。
「ギリも死んでいるわ」
 ララがギリの脈も調べてそういった。
「ふたりは戦ったのね」
 私はうなずき、ふたりの壮絶な戦いを話した。
「すると彼女は家族が無事だったことを知ったんですね」
「そうだ。それで私を助けてくれた」
「彼女は英雄よ。そうよねカイ」
 カイが深くうなずいた。
「そうだ。ギリのポケットに鏡があるそうだ。彼女が教えてくれた」
 ララがすぐに動いた。
「あったわ」
 ララがギリのポケットから鏡を取り出しカイに渡した。カイはそれを内ポケットにしまった。
「ところで影浦さん、なんでここにいるの?」
「気になったので戻ってきた」
 ララが呆れた顔をした。
「しかし、私が戻ってきたせいで彼女が死んだと思うと複雑だ」
「……いずれにしてもふたりは戦う運命にあったんです」
 カイが慰めてくれた。
「それでここは鎮圧したのか」
「しました。僕らはすぐに魔界川に行かなくてはいけないんです」
「まさか影浦さんはこないわよね」
「遠慮するよ」
 ララは迷彩服の上着を脱いで松永みどりの体にかけた。タンクトップの上半身は海兵隊のように鍛え上げられた肉体だった。
「じゃあ影浦さん、気をつけて帰って」
「ああ、わかった」
「本当に帰るのよ」
「ああ、カイもララも死ぬなよ」
「大丈夫よ。簡単には死なないわ」
 私はカイとララに別れを告げた。
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