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文字数 2,618文字

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 降りるつもりはなかった。ドアが閉まる寸前で体が動いてしまった。見城に影響されたとは思わなかった。あくまでも自分の意志だった。そろそろ五時になる。早ければ松永みどりが現れるかも知れない。
 〈福福珍〉は小さな店だった。アーケードがある商店街のなかほどにあった。念のために外からガラス戸を通してなかをのぞいた。若い男がひとりだけいた。幸い向かいにコンビニがある。私はひとまずコンビニに入り、店の入口がみえる位置にある雑誌売り場に立った。眼についた週刊誌を手に取り、立ち読みをよそおいながら視線は店の入口に向けた。
 五時四十分になった。店を見張るようになって男が三人入り、もとからいた客を入れて三人出た。なかにいる客は最後に入った男がひとりのはずだ。さすがに足が疲れてきた。コンビニの雑誌売り場には私以外に男がひとりいたがいまはもういない。そろそろ場所を変えたほうがいいのか。そんなことを考えながら時計をみると六時だった。そのとき、駅方面から歩いてくるみなれた女をみつけた。松永みどりだった。心臓が早鐘を打った。松永みどりは店に入った。
 きっかり五分後、私は週刊誌をもとの棚に戻し、コンビニを出て店に入った。明確な目的があったわけではない。無鉄砲と呼んでもいいし、現状打開と呼んでもよかった。
 松永みどりは入口から離れた隅のカウンター席に座っていた。私は入ったすぐのテーブル席に座った。私からは松永みどりの背中がみえる。松永みどりの前に大盛りのチャーハンが置かれた。おかみさんが水を持ってきて注文を聞いた。チャーハンを注文した。
 規則正しく動く右手がみえる。うまそうに食べているのか、それとも無表情で食べているのか、顔がみえないだけに好奇心がそそられる。私のほうは取り立てていうほどの味ではないチャーハンを持て余していた。
 食べ終わった松永みどりがカウンターの椅子から降りた。帰るのかと思ったが違った。奥に消えた。どうやらトイレのようだ。私もようやく食べ終わった。そのあとゆっくりと水を飲んだ。
 松永みどりはトイレから出てこない。遅い。嫌な予感がした。立ち上がった。そのときおかみさんが私のところにきた。手に持っていた小さな紙をよこした。受け取って紙を広げると文字が書いてあった。

《東京タワーの特別展望台にひとりでこられたし》

「これは?」
 おかみさんに聞いた。
「そこに座っていたお客さんからだよ」
 おかみさんはさきほど松永みどりが座っていた場所を指差した。
「あなたが帰るときに渡してほしいっていってよこしたんだよ」
「そのお客さんはどうした?」
「厨房の奥の裏口から出て行ったよ」
「トイレじゃないの」
「違うよ」
「彼女はほかになにかいっていた?」
「すぐに渡さないでほしいといわれたよ」
 ついてこられるのをウザいと思ったのか。
「大きなお世話かも知れないけど、あまりしつこくしないほうがいいわよ」
 どうやらストーカーと思われているようだ。
「忠告身にしみたよ。これからはせいぜい気をつけるよ」
「そうね」
 おかみさんがあたり前だという表情をした。
「あ、それから、勘定はお客さんからもらうようにいわれているからね」
「マジで」
 おかみさんはにっこりと笑い、うなずいた。
 ふたり分の勘定を払って店を出た。散財ついでに大井町駅まで戻ってタクシーに乗った。
 東京タワーの特別展望台は思ったよりも混んでいた。スカイツリーの登場があっても頑張っているようだ。私は夜景を楽しむ間もなく松永みどりをさがした。
 すぐにわかった。女子プロレスラーと見誤りそうな大柄な女は、モアイ像のように他を圧倒していた。私は夜景をみている松永みどりの横に並んだ。
「なぜ会う気になったんだ」
 小声で聞いた。
「これからも食事の邪魔をされたくなかったからよ」
 松永みどりは顔を動かさずに小声で答えた。声は私の頭頂部に届いた。その声は低く、こちらの腹にズシンと響いた。
「でも時間は五分よ」
「はじめての逢瀬にしては短いな」
「はじめてではないわ。中央林間で会ったでしょう」
「あれは会ったとはいえない。私の一目惚れだ」
「ずいぶん危険な一目惚れだったわね」
「ああ、もう少しで殺されるところだった」
「せいぜい気をつけることね」
「ああ、そうするよ。もっと世間話をしていたいが、時間もないので肝腎な質問をする。答えてくれるよな」
「質問にもよるわ」
「芹澤親子はどこにいる」
「永田正勝は親切なのよ。それにお金持ちよ。住まいがたくさんあるわ」
「だからどこなんだ」
「あと二分よ」
「親子は元気なんだろうな」
「明日も晴れるわ。雨は嫌いよ」
 これは禅問答か。どうやらまともに答える気はないようだ。
「乱暴なことはしていないよな」
「お客さんは大事にしなさい。これは祖母の口癖よ」
 子供の笑い声が横で聞こえた。家族連れがはしゃいでいる。
「なぜカイを裏切ったんだ」
 声のトーンを少し上げた。
「叔父が乱暴なのよ。私たちは悲しんでいるわ」
「カイに伝言はないか」
「中原中也の〈サーカス〉よ」
「……茶色い戦争か」
「あら、意外と物知りね」
「戦争があるということか」
「こうしてやってきたのは探偵としての矜持なのかしら」
「ああ、そうだ。これがなくなったらいますぐ廃業する」
「立派ね。でも危険だから逃げたほうがいいわよ。逃げるのは恥じゃないわ」
「ご忠告どうも」
「本気にしていないわね」
「ということは本当に戦争があるんだな」
「あと一分よ」
「ワッフルという冥府導使を知っているか」
「お節介は嫌いよ。でも子供好きだから許すわ」
「ではクレープという冥府導使は知っているか」
「もう時間だわ。私は門限を守るほうなの」
「最後になぜ東京タワーを選んだんだ」
「高いところは嫌い? 私は好きだわ。私たちの世界は高い建物がないのよ。だからこっちの世界にきたらここにくるの。でもここにはしばらくこないから待っていても会えないわよ。それから十五分は動かないで。約束よ」
「ちょっと待ってくれ。これが本当に最後だ。また会えるか」
「必然性があればね」
 そういうと松永みどりは急ぎ足で離れた。私はきっかり十五分後に動いた。約束は守る。世間が探偵をみるきびしい眼をなんとか払拭したいと常々思っているからだ。
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