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 小山田健太に会うのは午後二時ということになった。私はアパートから長津田駅に戻り、駅構内の立ち食い蕎麦屋で天ぷらそばを食べ、本屋で時間をつぶした。
 長津田から田園都市線に乗った。半蔵門には四十分で着いた。約束の時間まで少し間があったので、コーヒーショップをみつけ入った。コーヒーを飲み終わって店を出たとき、ちょうどいい時間になっていた。
 社長室に入ると、小山田はすでに会議テーブルの椅子に座っていた。きのうと同じように疲れた顔をしていた。
「なにか進展がありましたか」
 期待のこもった口ぶりだったが、表情はそれほど弾んだ様子ではなかった。
「進展かどうかはまだわかりません。今日はお借りしていたアパートの鍵をお返しするついでに、社長にみていただきたいものをみつけたので持ってきました」
 私は鍵と写真をポケットから出して小山田の前に置いた。
「写真ですか……これはたしか社内旅行の写真じゃないかな。彼女の部屋にあったんですか」
「そうです。芹澤友子さんの部屋から持ってきました」
 小山田は写真を手に持ったまま私をみた。これがなにか? というような顔をしている。
「最初に社長に確認しますが、きのうお借りした芹澤友子さんの写真は、部屋の写真立てから抜いて持ってきたんですよね」
「ええ、そうです。居間の収納家具にあった写真立てから親子が写っている写真を一枚抜いて持ってきました」
「私がみたときは、写真が入っていない写真立てがふたつありました。ひとつは、たぶん社長が抜いたのだろうと思いました。いまそれを確認してそうだとわかりました。私はもうひとつの空のほうが気になりました。些細なことですが、写真をセットしないで空のまま置いておくとは考えづらかったのです。空があること、社長は気がつきませんでしたか」
「いや、気がつきませんでした。それでこの写真がそれなんですか」
「たぶんそうです。さがしたら壁かけ小物入れに入っていました。収納家具の横の壁にピンで留めてある小物入れです。これがなにを意味するのか非常に気になります」
 私の話が終わっても小山田の表情は変わらない。それがどうした、という表情だ。そういう表情をされると、私の意気込みもぐらついてきた。ひとりでから騒ぎをしている気持ちになってきた。しかし、私は萎える気持ちを奮い起こした。とりあえず手掛かりはこれしかなかった。
「そこで、その写真を社長にみていただき、なにか気になることがないのか、確認していただこうと持ってきました。もう一度よくみてください」
「はあ」
 小山田は空気が抜けたような返事をすると、手に持っている写真に再び眼を落とした。
「写真の日付をみると去年の十月十五日ですね……ああ、間違いないです。社員旅行の写真ですよ。箱根に行きました。そのなかの一枚ですね。彼女が右端に写っていますね。うしろは芦ノ湖です。たまたま近くにいた連中が集まって撮ったんでしょう。特に変わったところはないようですがね」
「ないですか……」
「死んだ人間が写っているわけでもないですし……いや、失礼。冗談です」
「全員社員ですか。関係ない人間が写っているということはないですか」
「ええ、全員社員ですよ。間違いないです。もっとも辞めた者が写っていますが」
「だれです?」
「彼女の横にいる女性がそうです」
 小山田が写真を返してよこした。みると、芹澤友子と同年代の女が写っている。芹澤友子よりも頭ひとつ抜きん出ている。大柄で背が大きい。ただ、顔の印象は特に際立ったものはなく、平凡で印象に残らないのが特徴といえば特徴になる。
「名前とか、詳しい情報を教えていただけますか」
「名前は、松永みどり。そのほかの情報は……ちょっと待ってください。念のために確認してきます」
 そういうと、小山田は社長室を出て行った。
「お待たせしました」
 十分ほどして戻ってきた。
「総務の者に聞いてきました。彼女の入社は去年の九月一日です。退職したのは今年の二月二十八日です。先月ですね」
 小山田は手に持ったメモをみながら私に説明した。
「住まいは?」
「社宅でした。芹澤友子さんと同じアパートです。もちろんいまはいませんが」
「ひとり住まいでしたか」
「そうです。彼女は独身でした」
「中途入社ですよね。履歴書はありますよね」
「それが……ちょっとわけありでして」
「まさか、この女も魔王の恋人だったとか」
「違います。実は、カイから頼まれたんです」
「すると、人間ではなく、魔人?」
「たぶんそうだと思います。でも、私には魔界の者かどうかの区別がつきませんので本当に魔人なのかどうかはわかりません。ただ、見た目は完全に人間でした」
「カイはなんのために頼んだのでしょうね」
「私も詳しい事情は聞きませんでしたが、私の受けた印象では、芹澤親子をガードするためだったんではないでしょうか」
「たしか魔界の騒動は一年前からでしたよね」
「そうです。小競り合いは一年前からと聞いています。それが激しくなったきたのが、松永みどりが入社するちょっと前だと思います」
「松永みどりが辞めた理由はなんです」
「それがね、突然なんです。それも電話でした。総務にかかってきました。理由は一身上の都合としかいわなかったそうです」
 私のほんのちょっとした引っかかりは、どうやら大きな引っかかりになりそうだ。プロの私の勘がそういっている。
「松永みどりが辞めたこと、カイは知っていますか」
「伝えました。カイは驚いていました」
「ほう、カイは知らなかったわけですか」
「ええ、相当驚いていました」
 それはなにを意味するのだろう。いろいろなケースが考えられそうだ。
「それとですね」
 小山田の言葉で考えを中断した。
「松永みどりが退職したあとに、アパートの部屋を点検に行った者に聞いたんですが、生活のにおいが感じられないぐらいきれいだったそうです。部屋もそうですが、キッチンが目立ってきれいだったそうです」
「つまり、料理はしていなかったと」
「そのようですね。辞めていくときに一応掃除をしていくのが普通ですが、それでもやはりいくらかは自炊をしていた痕跡が残っているものです。五か月いたわけですから。その痕跡がまったくなかったといっていました。もっとも、並外れたきれい好きで、何日もかけて掃除をしていったのであれば、話は変わってきますがね」
「松永みどりの部屋はどこでした」
「芹澤友子さんの隣の部屋です。いまは違う者が住んでいますよ」
 いずれアパートの住人に話を聞かなければいけないだろう。特に松永みどりのことを重点的に。
「お忙しいところありがとうございました」
 私は写真をポケットにしまった。
「そうそう、芹澤友子さんが休んでいることは、会社の社員のかたにはなんと説明されているんですか」
「実家で急用ができたと説明しています。ちょっと苦しいですが、それで押し通します」
 私はもう一度礼をいって立ち上がった。
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