第56話 裏切りの【チャンピオン】

文字数 4,727文字

「うふふ……そんな『お荷物』を抱えた状態で【チャンピオン】たるマティアスに勝てるかしら、神話の英雄様?」

「…………」

 ルアナの揶揄するような声。だがシグルドは答えない。流石の彼もその余裕はない状況だった。

 ここにいるのが自分だけであれば如何に相手がマティアスといえど、シグルドの勝ちは揺るがない。だがルアナが揶揄する通り、クリームヒルトの存在が足枷となっている。

 既に彼等の周りには、この建物内に残っていた暴徒達の何人かが遠巻きに取り囲んで隙を伺っていた。シグルドがマティアスに対処する為にクリームヒルトを手放せば、彼女は連中の手に落ちる事になる。故に手放せない。

「……マティアス。裏切った理由は聞かん。だが今の俺に勝ったとして、それで貴様は満足か?」

 マティアスの剣闘士としての誇りに揺さぶりを掛けてみる。だがマティアスの表情は凪のように動かず、ただシグルドの隙を伺うように剣を構えた直したのみであった。ショーテルと呼ばれる、ガンドリオ人が好んで扱う極めて反りの強い独特の形状の曲刀だ。

「……それが返事か」

「ふふ、無駄よ? 彼はガンドリオ王国に自分の子供達を人質に取られているのだから」

「……!」
 ルアナの言葉にシグルドの眉が若干上がる。マティアスは低く唸ると攻撃態勢に入った。

「御免っ!」

 床が踏み抜かれるかのような凄まじい踏み込みと共に、マティアスが斬撃を放つ。【グラディエーター】の闘士達ですら一刀で斬り伏せられそうな神速。しかしシグルドは何と大剣でそれに反応し受け止めた!

「かあぁぁぁっ!!!」

 マティアスはそのまま刃を止める事無く連撃を繰り出す。しかしシグルドもクリームヒルトを抱えながらの悪条件でありながら、その全ての斬撃を巨大な大剣を巧みに操って捌いた。

 『旋風』の力を使えば、一瞬で相手の意表を突く位置に瞬間移動して反撃が出来るのだが、クリームヒルトがいるのでそれも出来ない。

 結果マティアスの猛連撃の前に防戦を強いられる事になるシグルド。上位の剣闘士ですら一撃で斬り伏せるような死の連撃を片手だけで捌いている事実がシグルドの怪物ぶりを物語っているが、反撃の糸口を掴めないのもまた事実であった。

「ひっ……ぎっ……う、ぅう……!」

 自分の眼前や頭上で剣が打ち合わされる度に、クリームヒルトが引き攣ったような悲鳴を漏らす。彼女の精神は大分限界に近付いている。持久戦をしている余裕は無いとシグルドは見て取った。

 そこにやきもきしたようなルアナの声が掛かる。


「何をやっているの、マティアス! まともに戦っても勝ち目は無いわ! 小娘を狙うのよ!」
「……!」


 マティアスは一瞬表情を歪めたが、このままでは埒が明かないと悟ったのか、方針を変更(・・・・・)してきた。

「ち……」

 シグルドの表情もまた歪む。マティアスの凄まじい斬撃がクリームヒルトの首を狩る軌道で振るわれた。今から大剣を割り込ませても、下手をすると自分の剣がクリームヒルトに当たってしまう。

 シグルドは咄嗟に彼女を庇うように身体の位置を変え――


 ――鮮血が舞った。


「おおっ!!」

 ルアナの興奮したような歓喜の声。シグルドの右肩から背中に掛けてまでが、マティアスの剣でザックリと切り裂かれた!

 剣聖とまで言われた男の斬撃だ。如何にシグルドが超人的な耐久力を誇るとは言え、かなり大きなダメージである。

「……!!」
「ひっ!? シ、シグルド……!」

 流石のシグルドもその顔が苦痛に歪められる。クリームヒルトは絶対的な守護者が血を流す姿に青ざめる。

「今よ! 一気に畳み掛けなさい!」

 ルアナに言われたからでもないだろうが、マティアスが追撃してくる。シグルドが傷を負っているとは思えない素早さで方向転換して、大剣で追撃を受け止めると、再びその切っ先がクリームヒルトに向く。

 これが並みの相手だったら、例えクリームヒルトを狙う卑怯な戦法を取ってきたとしても、いくらでも対処の仕様はあっただろう。だが腐っても【チャンピオン】たるマティアス。巧みにシグルドの死角からクリームヒルトを狙う鋭い攻撃に、それを庇う度にシグルドの傷が増えていく。


 そう間を置かずホールにはシグルドの血が飛び散り、その身体は満身創痍となっていた。普通の人間なら致命傷でもおかしくない傷もいくつかある。だが驚異的な耐久力と自制心で、クリームヒルトだけは無傷で守り抜いていた。

「うふふ、無様ねぇ? 1人で一軍を相手に出来るような馬鹿げた強さを持ちながら、そんな下らない小娘を守って何も出来ずに死んでいく……。そこまでして守る価値がその小娘にあるのかしら?」

「シ、シグルド……」

 自分が足枷となってる事実は十二分に自覚しながらも、さりとて命惜しさに自分を犠牲にするような言動は間違っても取れない。逆に今にもシグルドが邪魔な自分を突き放すのではないかと、恐怖と哀願に震える瞳で見上げる。

 ルアナはそんなクリームヒルトの様子を心底馬鹿にし切ったように問い掛ける。
  
「…………」

 だがその挑発にシグルドは乗らなかった。それどころかニィ……と口の端を吊り上げたのだ。

「……そろそろだな」

「……!? 何をする気!? マティアス! 早く止めを刺しなさい!」

 シグルドの態度に不審を抱いたルアナは、即座にマティアスに止めを指示する。だが……その指示は些か遅きに失した(・・・・・・)

「う……お……おぉ……」
「? マティアス?」

 マティアスがシグルドに攻撃するどころか、急に脂汗を流して苦しみ出したのだ。剣を取り落とし、床に這いつくばって嘔吐する。

「な……い、一体何が……!?」

「……ルアナよ。お前は過去に一度だけ俺とマティアスの試合を組んだ事があったな?」

「……!?」
 予想外の事態に動揺するルアナに、シグルドがむしろ静かな声で話す。

「あの時俺はマティアスに、とある【龍叫(シャウト)】を当てていたのだ。当時はただの保険のつもりだったが」

「と、とあるシャウト……?」

「『生命力低下』という力だ。相手の生命力を徐々に奪う力……。俺の任意で止めておいたこの力を、先程解放(・・)した。こやつがクリームヒルトを狙う戦法にシフトした瞬間にな。名誉ある勝ち方とは言えんが、それはお互い様だろう?」

「……ッ!」
 事情を理解したルアナの顔が青ざめる。

「お前の選んだ駒は最初から不良品だったという訳だ。尤も【チャンピオン】のままでいれば、この力を解放する事は無かっただろうがな。……残念だ、マティアスよ」

「……シグ、ルド、様……」

 這いつくばっていたマティアスが顔を上げる。そこには諦念と無念の感情が浮かんでいた。その無念は間違いなく、シグルドに敗北した事ではなく、不本意で卑怯な戦いを強いられた事にあるのだろう。

「さらばだ、マティアス」

 シグルドは一刀の元にマティアスの頭蓋を叩き割って、その苦しみを終わらせた。そしてゆっくりとルアナの方に向き直った。

「ひっ!? お、お前達、何をしているの! 掛かれ! 掛かりなさい! 今の手負いのシグルドなら殺せるはずよ!」

 周りを取り囲んでいた暴徒に扮した連合軍の兵士達が、一斉に襲い掛かってくる。

「ふん……退けぃ、雑魚共が!」

 凄まじい剛剣であっという間に群がる兵士を斬り倒したシグルドは、その間に出口から外に逃げようと走るルアナの背中に向けて大きく息を吸い込んだ。


『རྱུ༌ཨུ༌ནོ༌ས༌ཁེ༌རྦི༌ རེ༌ཨི༌ཁི༌』


 その口から全てを凍てつかせる龍の吐息が吹き荒ぶ。

 その音を背中に聞いたルアナが恐怖の表情で振り返る。そして、その表情のまま一瞬で凍結した。凍り付いたルアナの身体が、走っている不自然な姿勢のままゆっくりと倒れ……床に接触するや否や粉々に砕け散った!

 唯一原型を留めていた首から上だけが、未だに恐怖の表情を張り付かせたまま虚空を見上げていた……




 ……しかしその頭はすぐに蹴り壊された。

「この! このぉ……! 下賎の端女の分際でよくもこの私をこんな目に遭わせたわね!? クズが! 虫けら以下のクズ女が! お前など塵一つ残すものか! この! このっ!!」

 クリームヒルトである。とりあえずの危機を脱した安心感から、生来の傲慢さを取り戻し、自分に屈辱と恐怖を与えたルアナに対して今更強気になって、狂ったようにその残骸(・・)を踏み砕いていた。

 自分を守る為に傷だらけになったシグルドを労わる事さえ忘れている。いや、彼女にとって自分を守る為に他者が傷付くのは当然(・・)の事なので、労わるという発想がそもそも無いのだ。

 シグルドはそんなクリームヒルトの見苦しい姿に嘆息する。

「……もういい、クリームヒルト。さっさとここを出てガレノスに戻るぞ」

「……ッ! そ、そうね。もうこんな所に1秒だって居たくないわ。早く行きましょう、シグルド」

 我に返ったクリームヒルトが、見るのも汚らわしいとばかりに周囲に散乱する死体を一瞥すると、再びシグルドの側に戻ってきて傲慢に促した。

 屋外では衛兵や駐留軍と侵攻してきた連合軍との戦闘が継続しており、彼女にとっては決してまだ安全とは言えない状況なのだが、すっかりもう無事に脱出した気になっているクリームヒルトであった。

 シグルドは再び溜息を吐きつつ、皇女を連れて出口に向かう。後はどこかで馬を確保し一路帝都を目指すだけだ。馬は敵兵を殺して奪うのが一番手っ取り早いか。

 といっても強行軍ではクリームヒルトの身体が保たない。このフォラビアさえ脱出して隣街に入ってしまえば、とりあえずクリームヒルトの安全は確保されるので、その後は多少ペースを落としても問題ないだろう。

(待っていろ、塵芥共……。この俺の楽しみを台無しにし、俺の『箱庭』を滅茶苦茶にした報いは必ず受けさせてやる……。貴様らにあるのは破滅の運命だけだ)

 苛烈なる報復を決意し、闘技場を後にしようとするシグルド。その時……奥の回廊から駆けてくる足音が耳に入った。そして――



「――待ちなさい、シグルドッ!!」



 高く澄んだ、それでいて鋭い女の叫び声(・・・・・)

「……ッ!?」
 シグルドは一瞬自分の耳を疑った。だが、

「め、め、雌豚……! お前、生きていたの……!?」

 驚愕に震えるクリームヒルトの言葉に、それが自分の空耳ではない事を確信した。シグルドはゆっくりと振り返る。そしてその目を見開いた。

 流れるような綺麗な金髪に碧い瞳。健康的に程よく鍛えられた白い肉体を剣闘用の露出度の高い『鎧』に包み、剣と盾を構えるその姿は見惚れる程に蠱惑的で美しかった。


 そこにいたのは紛れもなくエレシエルの元王女、【隷姫】カサンドラ・エレシエルに他ならなかった!


 それを認めた時、シグルドの中に沸き上がったのは猛烈な歓喜(・・)であった。我知らず口元が笑みに吊り上がる。

「ク、ククク……そうか、お前か。やはり、お前だったのだな?」

 ハイドラに襲われたはずの彼女が何故生きてここにいるのか。そんな事はどうでも良かった。

 これは……運命(・・)だ。彼女とこうして決着(・・)を付ける事は運命だったのだ。恐らくハイランズで彼女と最初に出会った時からそれは決定付けられていたのだ。シグルドはそれを確信した。

「……決着を付けましょう、シグルド」

 その静かとさえいえる声を聞いて、カサンドラもまた同じ思いを抱いている事を悟った。

「ふ……いいだろう。俺は俺の運命を乗り越えてみせよう」

 一度は仕舞った大剣を再び抜き放つ。そしてクリームヒルトを下がらせる。現在周囲に他の敵兵は居なかったし、彼女との決着に於いては邪魔(・・)でしかない。

「さあ、いつでも来るがいい」

 シグルドは大剣を構えて宣言する。


 今ここに、2人にとっての運命の戦いの火蓋が切って落とされた―― 
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