第55話 英雄の泣き所

文字数 3,314文字

「……!! いたぞ! 【邪龍殺し】のシグルドだっ!!」

 闘技場内の広い回廊をクリームヒルトを連れて進むシグルドは、その掛け声に足を止めた。前方から10人近い、剣を持った男達が走ってくる。

「ふん……雑魚共が。貴様ら如きが俺を殺れると思うな」

 怯えるクリームヒルトを後ろに下がらせ大剣を構えるシグルド。この程度の連中、1分いや20秒もあれば事足りる。大剣を振りかぶり一気に突進しようとして――

「――あの女がロマリオンの皇女だ! 捕えろっ!!」
「ひっ!?」

 回廊の後方からも声が響き、数人のやはり武器を持った男達が駆けてくる。狙いはクリームヒルトのようだ。皇女は恐怖に目を見開いて硬直している。

「ちっ……」

 シグルドは舌打ちした。自分1人であれば雑魚が何十人、何百人いようと物の数ではないが、この連中はクリームヒルトの事も狙っている。そうなると彼女と離れて戦う訳には行かなくなる。

 壊れやすい大きなガラス細工を抱えて戦うような物だ。挙動は大きく制限される。

(……よもやそれが連中の狙いか?)

 このタイミングで奇襲を仕掛けてきた事からもその可能性が高い。

「俺から離れるな」

 シグルドはその大きな腕で皇女を抱えると、まず前方から駆けてくる10人程の集団に口を開けた(・・・・・)


『རྱུ༌ཨུ༌ནོ༌ས༌ཁེ༌རྦི༌ ཤོ༌ཨུ༌རྒེ༌ཁི༌』 


 そこから『衝撃』の力が迸る。男達はまるで強風で飛ばされる洗濯物のように弾け飛び吹き飛んだ。前列の至近距離にいた者達は内臓が破裂して即死。後列にいた者達も凄まじい勢いで壁や天井に激突し戦闘不能となった。

 後方から駆けてきたクリームヒルトを狙っている集団はその常識外れの超常の力を見て明らかに怯んだが、今更逃げる事も出来ない為覚悟を決めて挑んでくる。

 シグルドは大剣で迎え撃つが、執拗にクリームヒルトを狙う連中の動きに彼女を庇わざるを得ず、たかだか数人の雑魚を殺すのに思いの外苦労させられた。


「シ、シグルド……私、怖いわ! こんな所早く逃げましょう! 帝都に帰るのよ!」

 戦闘が終わった事を察して恐る恐る目を開いたクリームヒルトは、青ざめた顔で震えている。既にカサンドラへの復讐など頭から吹き飛んでいるようだ。

 そのカサンドラも、ハイドラを(けしか)けておいたので恐らく今頃は魔物の腹の中だろう。シグルドは割れんばかりに歯軋りした。

 この無粋な連中のせいで何もかもが台無しだ。カサンドラの最後はもっと劇的であるべきだった。ラウロに敗北し凌辱され、屈辱の内に死んでいくのでも構わなかった。

 サイラスがカサンドラと(ねんご)ろになっている事は知っていたが、またいつもの放蕩だろうとそれ程気にも留めていなかった。あの軟派な遊び人が、まさか築き上げてきた全てを捨てる程にカサンドラに傾倒しているとは想定外であった。

 だがそれならそれで面白いとは思った。

 何事も無ければ(・・・・・・・)、あそこで満を持してハイドラを投入し、シグルド達や満場の観客達が見守る中でカサンドラは愛しい恋人と共に強大な魔物に立ち向かい、そして力及ばず殺される……。そういう劇的(・・)な筋書きを演出できたはずなのだ。

 少なくともアリーナを汚した有象無象共が混乱している中で、誰も見届ける者もおらずに十把一絡げにハイドラに食われて終わりなどという、全く想定すらしていない極めて不本意な結末よりは何百倍もマシであった。

 消化不良となったやり場のない怒りがシグルドの中で渦巻いていた。この連中は恐らくエレシエルの残党軍か追い詰められた小国家の連合軍といった所だろう。この馬鹿共を1人残らず殲滅してやらねば気が済まなかった。

 そしてシグルドにとって、それは決して不可能な事(・・・・・)ではなかった(・・・・・・)。……彼が自分1人であれば。

「…………」

 シグルドは自分の腰にしがみ付いて震える女を見下ろした。

 残念ながら今はこのクリームヒルトがいる。彼女がひっ付いている状態では、たかだか10人程度の敵にも苦労する有様だ。敵がクリームヒルトもターゲットにしている以上、どこかに隠れさせたり単身で逃げさせるのもリスクが大きい。

 無念だがここは一旦脱出を優先して、彼女をガレノスまで送り届けねばならないだろう。しかる後にその足で取って返し、この不遜で身の程知らずな馬鹿共を完膚なきまでに叩き潰してやる。

 そう方針を決めたシグルドはクリームヒルトを促す。

「行くぞ。お前を帝都まで送り届ける」
「ああ、シグルド! あなただけが頼りだわ! 私を守ってっ!!」

 クリームヒルトは涙で潤んだ瞳でシグルドを見上げ、感極まって増々強く抱き着いてくる。シグルドは苦虫を嚙み潰したような顔で、クリームヒルトをひっ付けたまま出口へと足を向けるのだった。




 その後も散発的に襲ってくる暴徒達を斬り伏せながら、闘技場の出口前のホールがあるフロアに入った時だった。

「……!」
 出口の前に陣取るようにして立つ1人の女性(・・・・・)がいた。


「うふふ……そのお荷物(・・・)を帝都まで届けなければいけないんだから大変ねぇ、英雄様?」


「……ルアナ? お前、こんな所で何をしている?」

 それはこの闘技場のマッチメーカーでもあるルアナ・クロズリーに相違なかった。

「この……! 退きなさい、下郎! お前如きが私達の進路を阻んでいいと思ってるの!?」

 クリームヒルトが目を吊り上げて怒鳴り付ける。同性で武器も持っていない相手には強気だ。ルアナはそんな皇女を鼻で嗤う。

「自分でおしめも替えられない小娘は黙ってなさい」
「……ッ! な、何ですって……!?」

 下賎の存在からの暴言に皇女が食って掛かろうとするのをシグルドが手で制した。

「ルアナ……何のつもりだ? この騒ぎに慌てている様子が無いな? この奇襲の事を知っていたのか?」

 ルアナは肩を竦めた。

「知っているも何も……。奇襲に最適のタイミングを教えて、彼等を手引きしたのは私よ。私は彼等と密かに内通していたのよ」

「……!」

「あなたも衛兵も……皆があの王女様の試合に夢中になって極端に周囲への警戒が疎かになるこの日こそが……。そして無敵の英雄にとっての『泣き所』がすぐ近くにいるこの時こそが最適だとね……!」

 ルアナがクリームヒルトを指差す。皇女はビクッと肩を震わせる。

「何故裏切った……? 何が不満だった」

 この闘技場のマッチメーカーとして絶大な権勢と権限を誇っていた彼女だ。敵と内通するメリットが一切ない。だがルアナはかぶりを振った。

「メリットやデメリットの問題ではないのよ。私の父は、そして将来を誓い合った愛しい恋人は、どちらもコリピサ共和国の兵士だった。そしてあなたに虫けらのように殺された。あなたは勿論憶えてすらいないでしょうけどね」

「…………」

「でも私自身の力であなたを殺す事は到底不可能だった。だから……内側(・・)に入り込んだのよ。自分の心がどす黒く穢れていくのを自覚しながら、必死であなたに取り入ってきた。全ては今日、この時の為にね!」

 シグルドは物も言わずに、クリームヒルトを抱えて出口に向かって進む。

「なるほど、動機は解った。それで? お前に俺は止められん。あの有象無象共にもな。俺はこのままここを出て帝都に向かうだけだ。そして必ず戻ってきてお前達を潰す。お前のやった事は完全に無駄な労力に過ぎん」

 だがルアナは少しも慌てなかった。

「ふふ、当然そう来るでしょうね。そして私がそれを予期していないとでも?」
「……!」

 その瞬間、凄まじいまでの殺気がシグルドに叩きつけられ、その足を止めていた。シグルドの足を止める程の殺気と闘気。それは当然、目の前のルアナの物ではなく……

「ぬっ……!?」

 気付いた時には、至近距離(・・・・)から致死の刃が叩きつけられていた。シグルドは咄嗟に大剣を掲げてそれを防ぐ。剣同士が撃ち合わさって激しい金属音が鳴り響く。クリームヒルトが青ざめて縮こまる。

 シグルドが反撃に大剣を薙ぎ払うと、大きな黒い影が飛び退る。


「貴様……マティアス! 貴様もか……」
「……お命頂戴する」


 大柄で一片の無駄なく鍛えられ引き絞られた黒い肌の肉体……。この闘技場の【チャンピオン】、【金剛守地】のマティアス・ノルダールその人であった!
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