第28話 【ウォリアー】兄弟闘士

文字数 4,262文字

 再びサイラスの自宅を訪れると、待っていた奴隷によって以前にも利用した脱衣所に案内された。ここで持ってきた装備に着替えるようにとの事だ。

 闘技場以外の場所であの格好になる事に抵抗はあったが、これも訓練……曳いては生き残る為だと割り切る。いつもの露出鎧姿になった私は、同じ奴隷に案内されてこの屋敷の中庭へと出た。

 屋敷の内壁に囲まれたかなりの広さの中庭で、少なくとも数人の人間が大立ち回りしても全く問題ない程度には広い。


 この中庭はサイラスの個人用の訓練所にもなっているようだ。【グラディエーター】ランク以上の剣闘士ともなると自宅にこうした個人用の訓練所を備えている者が殆どで、共同の訓練場のように余人に自分の技を盗み見られる心配もなく訓練に勤しめる訳だ。


「やあ、カサンドラ。待っていたよ」


 自身も鎧姿のサイラスが近付いてきた。

「サイラス、今日はありがとうございます。あ……そちらの方は?」

 少し警戒した声音になってしまう。中庭に居たのはサイラスだけでは無かった。その人物はどう見てもこの屋敷の奴隷には見えない。というのも、その人物もまた武装していたからだ。

「ああ、紹介するよ。彼は――」

「――ほうほう、あんたが今をときめく噂の【隷姫】ちゃんか。いや、間近で見るのは初めてだが、噂に違わん美しさだぜ。これでそこいらの男よりも強いってんだから、ホント信じられねぇよなぁ?」

「あ、あの……?」

 サイラスを押しのけるようにして身を乗り出して、私をまじまじと見つめてくる男。その勢いに押されて私は一歩後退ってしまう。

「おい、ラウロ! レディに対して不躾だぞ!」

 サイラスが彼にしては語気荒く制すると、男――ラウロはおっと、という感じで両手を上げて身を引いた。

「はは! いや、悪い悪い。噂以上の美人さんだったんでつい興奮しちまった。あー……ラウロ・メンドゥーサだ。宜しくな、嬢ちゃん」

「じょ、嬢ちゃん……!?」

 未だかつて呼ばれた事のないような呼称をされた私は驚きで一瞬固まってしまう。改めて目の前の男を見上げる。

 まず第一印象はその浅黒い肌だ。ガンドリオ人のような黒に近い焦げ茶ではなく、褐色とでも言うのか。これはベレト人の特徴だ。その黒い髪も短く刈り込まれ、全体的に野性味溢れる印象だ。どことなく典雅な雰囲気のサイラスとは対極的だ。

 体格もサイラスより大きく、確実に2メートルはあるだろう。シグルドに比肩する程だ。鎧の上からでもその鍛え抜かれた分厚い筋肉が見て取れる。

 私では抱える事さえ出来ないような太く長い柄の十字槍を持っていた。これがラウロの得物なのだろう。

 年の頃は20代の半ば程か。サイラスと同年代のようだ。やや粗暴な印象だが、顔の造作そのものはかなり整っている。


「おほん! 驚かせて済まなかったね、カサンドラ。こう見えてラウロは私と同じ【ヒーロー】ランクの剣闘士でね。今日は助っ人として来てもらったんだ」


「……! 【ヒーロー】……!」


 【ヒーロー】ランクの剣闘士は現在たった3名のみであり、【チャンピオン】のマティアスを含めて【フォラビア四天王】などと呼称されているらしい。


 その内の2名までもが、今私の目の前にいるという事になる。【四天王】はその実力は勿論だが、普段剣闘とは縁薄い女性方の人気も非常に高く、興行収入と剣闘の地位向上に一役買っているそうだ。目の前の光景を見ればさもありなんという感じである。

「で、でも……宜しかったのですか? 私などの為に……」

 【ヒーロー】ランク2人を相手に訓練など豪華に過ぎるだろう。まあ、かつて【チャンピオン】のマティアスの特訓を受けていた身であるので、今更な話ではあるが。

「ああ、いいっていいって! どうせ試合の時以外は殆ど訓練ばっかだし、それだったら嬢ちゃんのお相手をさせてもらった方が、却って気分転換になるってモンだ!」

「は、はあ……」

 まあ本人がいいと言っているのだから、ここは遠慮なく好意に甘えさせてもらおうか。【ヒーロー】ランク2人に訓練をしてもらえる機会などそうそう無いだろう。

 絶対に負ける訳には行かないのだから、利用できるものは何でも利用するべきだ。

「よし、顔合わせも済んだ事だし早速始めようか。敵は2人同時だと聞いた。なのでこれから5日間、私とラウロの2人を同時に相手にした訓練を行う」

 【ヒーロー】ランク2人を相手に訓練を積めば、【ウォリアー】ランク相手なら例え2人掛かりでも余裕を持って勝てるのではないだろうか、などと一瞬考えたが、

「ただしこれはあくまで訓練だ。当然ながら殺気を込めて全力で攻撃という訳にも行かない。対して本番の試合では、相手は本気で君を殺しに掛かってくる。この差は君が思っているよりも大きい。それを努々(ゆめゆめ)念頭に置いて、気を引き締めて臨むように」

 まるで私の心を読んだかのように、サイラスに釘を差されてしまった。ともあれこうして私の多対1用の特訓が開始されるのだった……



****



 それから5日後。遂に私の【グラディエーター】昇格試合の日がやってきた。コンディションを整えた上で万全の態勢で臨む。やれる事は全部やった。後は全力で戦うだけだ。


『さあさあ、紳士淑女の皆様方、大変長らくお待たせいたしました! これより恒例の『特別試合』を開催致します! 果たして彼女(・・)は過酷な多対一の戦いを乗り切る事が出来るのか!? 青の門から入場致しますのは新進気鋭、可憐にして苛烈なる剣の乙女【隷姫】カサンドラ・エレシエルだぁァァァァッ!!!』


 ――ワアァァァァァァァァァァァッ!!!!!


 司会を合図として開かれた門を潜ってアリーナへと進み出る。あの暴行未遂以来、久方ぶりのアリーナの空気に身体が震える。しかしそれは恐怖による震え、だけではなく、いわゆる武者震い的な物も含まれているように自分でも感じた。

 私は……この闘技場の雰囲気や空気に魅せられているのだろうか。いや、そんなはずはない。馬鹿な事を考えていないで、目の前の試合に集中しなくては。


『続きましては赤の門より、本日の処刑人(・・・)の登場です! 【(あか)の】エグバート、そして【(あお)の】ギャビンのデービス兄弟だぁァァァァッ!!』


「……!」

 例によって対戦相手の情報は伏せられていたので、敵が兄弟闘士である事を今初めて知った。兄弟ならば連携も通常の闘士より上と考えていいだろう。

 対面の門より姿を現した2人の闘士。どちらも中肉中背の似たような体格の若い男だ。だが1人は逆立てた髪を赤色の染料で染め上げ、また鎧も赤い塗装が施されていた。先程の異名からしてこっちがエグバートだろう。

 短槍と投網という下級剣闘士によくいるスタイルだったが、【ウォリアー】ランクともなればその練度は比較にならないだろう。

 もう1人はエグバートに比べてやや線の細い体形で、こちらは逆に流すように解かした髪を青く染め上げている。鎧も同様の青で塗装されていた。こちらがギャビンで間違いない。曲がった形状の独特の剣をそれぞれ両手に持った二刀流のようだ。


「……ちっ。女相手に、しかも2人掛かりの役に選ばれるとは俺達も焼きが回ったな」

 エグバートが忌々し気に舌打ちする。

「全くだね、兄さん。この試合は僕達に掛かるリスクが大き過ぎる」

 ギャビンが同意する。どうやらギャビンの方が弟のようだ。だが彼等にリスクが大きいとはどういう事だろう。この試合は私に対してだけ圧倒的に不利な条件なのに。

 私の視線に気づいたのか、ギャビンが嘆息する。

「2対1という勝って当たり前の条件。それも圧勝が前提。負ける事は論外としても、僅かに手こずるだけでも僕達の剣闘士としての名声は地に墜ちるのさ。そして今までの君の試合内容から判断しても、残念ながら圧勝は不可能だ」

 エグバートが頷く。

「……あんたは強い。それは確かだ。だが観客にとってはそんな事どうでもいいのさ。ただ『2人掛かりで女相手に苦戦した』って事実だけが残る訳だ」

「そ、そんな……それは、でも……」

 私は何と言っていいものか、言葉を濁さざるを得なかった。彼等の立場は理解できたが、さりとて『処刑試合』である以上負ければ確実に殺される身としては、彼等に花を持たせてやる訳にも行かない。

 私の様子を見たエグバートが苦笑した。

「おっと、つい愚痴っぽくなっちまったな。まあ気にするな。この試合であんたを殺せばロム金貨3000枚が報酬として支払われる事になってる。その金で剣闘士は引退するさ」

「そう。僕達はあくまで報酬目当てに君を殺そうとしている悪辣な剣闘士なのさ。だから君も遠慮なく殺されない為に全力を尽くすといい」

「…………」

 勿論全力は尽くす。だが私は断じて殺人狂ではない。どうやらこの試合は、ただ2対1で勝利するというよりも更に難易度の高い物になりそうだった。



『さあ、双方準備は万端か!? それでは『特別試合』、始めぇぇぇぇぇっ!!!』


「むんっ!」

 エグバートが開始の合図と同時に短槍を突き出してきた。速く正確無比な一撃だ。やはり下級ランクの剣闘士とは比較にならない。

 咄嗟に後方にスウェーして躱すが、その回避動作の僅かな隙を狙ってギャビンが側面から迫る。

「ふっ!」

 二刀を挟み込むようにして薙ぎ払ってくるのを、地面に身を投げ出すようにして横転しながら回避。

 しかし転がる私に対してエグバートが左手の投網を叩きつけてくる。網に捕まったら一巻の終わりだ。私は一時も止まる事なく転がり続けて回避する。

 何とか投網の範囲外に逃れて身を起こした時には、既にギャビンが危険な距離まで迫っていた。

「……!」

 ギャビンが右手の剣を振り下ろしてくるのに合わせて、剣先を小盾で殴りつけ……ようとするが、ギャビンは素早く右手の剣を引き上げる。

 盾が空振りした隙を狙って、反対側の左手の剣が私の胴を薙ぐ軌道で迫る。

「……っ」

 再び後方に飛び退って躱すが、むき出しの腹部をギャビンの剣先が僅かに(かす)る。脇腹に浅い切り傷が刻まれ出血する。

 息を吐かせぬ連携攻撃に浅いとは言え早速の負傷。観客席が沸き立つのとは正反対に暗澹たる心持ちになる。


 強い。

 恐らく彼等は単身でも【ウォリアー】ランクの中では最上位の剣闘士だ。ましてやそれが2人同時なら、兄弟ならではの連携も含めれば、総合的な戦力はこの上の【グラディエーター】ランクの剣闘士単体を上回るかも知れない。

 だが結局これを乗り越えられないようであれば、この先に進む事は出来ないのだろう。改めて覚悟を決める。
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