第8話 同性愛の聖職者はありですか?

文字数 6,357文字

私もそれ気になってたーーカトリックだと、同性愛の人が結婚したり、神父になったりするのはできないけれど、プロテスタントはどうなのかな? って。
そうそう、キリスト教では同性愛を「罪」って考えて死刑にしたり、弾圧してきた歴史がありますよね? 今だと普通に差別ですけど、最近も教会の姿勢って変わってないんすか?
松野と成田が若干緊張する中、茜と京子は平然と話を進めていく。初対面のクリスチャン同士だと簡単には話題に出せないことも、二人には関係ないようだ。成田はフッと頰を緩ませながら、三人に新しい紅茶とコーヒーを注ぎ始める。
正直、この話に関しては僕自身、自分の教会と意見が合わなくてね……ちなみに、京子くんと茜くんはそのことについてどう思っているんだい?
ぶっちゃけ、時代遅れだと思ってますねーー同性愛だからっていう理由で人のことを排除したり否定したりするのって、奴隷制度やハンセン病差別をしていた頃と、何も変わってないじゃないですか? 
うーん……私はまだよく分かんないです。好きな人同士が結婚するのは認められたらいいなって思ってるけれど、聖書には同性愛禁止って書いてあるし。
ふむ……と頷きながら、成田は流れるように新しく注いだコーヒーと紅茶を手渡していく。いつの間にか、椅子とテーブルは綺麗に並べ直され、気がつくと三人ともその上に座らされていた。見た目は目立っているくせに、こちらがそうと気づかないうちにもてなしている……恐るべきスキルの持ち主である。
そういえば、松野くんの教団は同性愛や性同一性障害の人間も牧師として認められているところだったね。会長からそう聞いたけれど合っているかな?
ええ……ただし、教団の中にも反対派の人たちや「自分の教会には呼びたくない」という人たちもいるので、牧師の資格は持ってるものの、教会には赴任できないという人たちが多い状況ですが……
そう、教団として「性的マイノリティーの人たちも受け入れる」「牧師として承認する」というスタンスを持っていても、実際には個々の教会で受け入れられず、どこにも行き場がない……という人は一定数いる。松野の教団にも同性愛や性同一性障害で牧師の資格を持っている人は何人かいるが、教会の牧師として呼ばれる人は少なく、地区や教区の職員、学校の先生などをしていることが多いのだ。ゆえに、同性愛に肯定的と言われる教団・教派においても、カミングアウトをしないまま過ごしている人はけっこういる。
そうなんだ! 最近プロテスタントの教会でも、「同性婚反対」のデモやってたり、「LGBTの牧師を辞めさせろ」って声明出したりするニュースが多かったから、全部ダメになったのかと思ってた。

うちも同性愛に肯定的な教会ってほとんど聞いたことがないですね。何年か前にカトリックで「自分は同性愛者だ」って告白した神父がいましたけど、バチカンから猛反発くらいましたし。

さすが、宗教問題に切り込むジャーナリストを目指す新入生である。数年前に起きたポーランドの出来事もよく知っているようだ。そう、正教会やカトリックでは、公式に同性愛者が聖職者になることはできないことになっている。ここ最近、次々と明るみに出てきた司祭による児童の性的虐待とも結び付けられ、同性愛者への風当たりはどんどん強くなっているのだ。

確かに、「キリスト教は同性愛に否定的」というイメージが世間一般では強いだろう。事実、教会はそういった振る舞いをしてきたからね。ただ、同性愛に肯定的な教会も実はけっこう存在する。アメリカのメトロポリタン・コミュニティ教会は、ペンテコステ派の教会から独立してできたところだが、信徒も牧師もほとんどがレズビアンかゲイの人間だ。

ペンテコステ派の教会って、同性愛を排除する傾向が超強いところじゃありませんでしたっけ? そこから独立した教会の信徒や牧師がほぼ同性愛者……意外っすね。

まあ、ペンテコステ派の教会から除名された人間が設立したところであるため、ある意味自然な話なのだ。

ああ、クェーカー派の流れを組むフレンド教会も同性愛に肯定的だし、カトリックとプロテスタントの中間と言われる聖公会も、比較的、同性愛者が聖職者になるための按手を授けることに積極的だ。個々の単立教会でセクシュアリティに悩む人たちを受け入れているところもある。まあ、キリスト教界で多数派とは言えないのが現状だが……
日本だとさらに少ないでしょうね。私も自分の教団以外では、バプテスト教会のグループくらいしか聞いたことがありません。
そう、アメリカ南部のバプテスト教会が、女性の牧師や教授を追い出し、同性愛も排除する方向へ右なりに傾いていく中、日本のバプテスト教会の一部は、公に抗議声明を出したり、性差別に関するセミナーや勉強会を積極的に開いたりしている。教会内におけるセクハラの相談も、男女間・同性間にかかわらず窓口を設けているなど、国内のキリスト教でも珍しいところである。
先輩の教会はどうなんですか? 自分と意見が合わないって言ってましたけど。
僕が所属しているのは長老派・改革派の流れを組む教会だ。同性愛者を教会員として受け入れることはあっても、聖職者になるための按手を授けるのには消極的だし、どちらかというと、LGBTには否定的な態度が多い。
ちなみに、松野が所属している複数の教派が合同してできた教団も、もともとは改革派だった教会が多数を占めている。ヨーロッパ諸国で信徒数が激減する中、メガチャーチなどで信徒数を増やしてきた韓国のプロテスタント教会も、長老派が圧倒的に多数なのだ。
ひょっとして、成田先輩が組織神学を専攻しているのも、それが関係しているのでしょうか?
おっ、なかなか勘が良いじゃないか、松野くん。そのとおり、同性愛の排除を唱えるキリスト教会の論理は、何を隠そう改革派の神学者カール・バルトの影響が特に強い。ただし、その神学には色々と問題があってね。
カール・バルト……キリスト教関係者なら一度は聞いたことのあるスイス出身の神学者だ。二十世紀のキリスト教会に大きな影響を与え、ナチス・ドイツの政策に従うドイツ福音主義教会に対抗し、「告白教会」の指導者となったことでも有名だ。一時期、プロテスタント教会で「神学をする」と言えば、「バルトを勉強する」ことだと考えられていたほど、影響力の強かった人間である。
バルトって、同性愛について何か言ってましたっけ? 新正統主義とかバルメン宣言とかで名前を聞くことは多いですけど、正直そっちの方ではあまり印象ないっす。
教会史ではあまり取り上げないかもしれないが、カール・バルトは『教会教義学』という本の中で、「創造の秩序論」というものを展開している。これが、同性愛を否定するとき多くの教会で採用されるようになったんだ。今も知らず知らずのうちにこの論理の上に乗っかっている人が多い。
カトリック神学の集大成がトマス・アクィナスの記した『神学大全』だとすれば、プロテスタント神学の集大成はカール・バルトの『教会教義学』である……と言われるほど、彼の神学は重要視されている。改革派の原点であるジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』と並んで、プロテスタントの組織神学の体系を作った著作なのだ。
彼によれば、男も女も、異性との人格的関係においてのみ、完全な人間性に到達することができる。生殖のための性こそ神の定められた規範であり、同性愛は自己愛であり偶像崇拝……ようするに、同性愛的行動は、神に創られた被造物性を拒否することになる、というのがバルトの論理展開だ。
まあ、「産めよ、増えよ、地に満ちよ……」っていうのが創世記に書かれている神様の命令っすもんね。
カトリック教会の基本路線もこれに乗っかった形だ。結婚は性と生殖力が不可欠であり、異性の相手とのみ許される。したがって、人工避妊の実施や同性愛的行動は認められない……今もそういう認識だったと思う。
なるほど、「生殖に繋がらない」という点がネックになっているわけですか。
すると、しばらく黙っていた茜がポツリと呟く。
それじゃ、不妊の人とか障害を持ってる人も子どもを作れないからダメってこと……?

「生殖に繋がらないから」「子どもを作ることができないから」という理由で、二人の行為を「人格的でない」と言うなら、そういうことになるだろう。バルトの「創造の秩序論」に立てば、不妊の人、障害者、高齢者の結婚も認められないことになるし、彼らの人間性も完全ではないということになる。

皮肉っすね……ナチスがユダヤ人と一緒に「生産性がない」障害者を大量に虐殺したとき、必死に抵抗したはずのバルトが似たような論理展開をしているってわけですか。

そう、多くの教会で「性の乱れ」という言葉が叫ばれるとき、その背後には、「生殖に繋がる男と女という関係が当たり前であり、それ以外の性自認や性的指向はただの混乱、性的欲求の暴走」という意識が根強くある。しかし、これらの考え方は、精神障害者やハンセン病患者に対して、強制的に子どもを産めないよう手術したり、弱者の自然淘汰を妨げる福祉の発展に反対した優生思想とたいして変わらないものなのだ。
ちなみに、バルトの論理では聖書の引用がほぼありませんが、同性愛の否定や排除の根拠とされる聖書箇所について、成田先輩はどう思われるのです?
うちもお母さんが「人は男と女に創造された」って聖書に書いてあるから、同性愛とかバイセクシュアルは自然な性じゃないって言ってたけど、どうなんですか?
すると、成田はニヤッと頬笑みながら、逆に二人へ質問する。
答える前に僕からも質問だ。二人ともペンギンはお好きかな?
へっ……ペンギン? 好きですよ。めちゃくちゃかわいいし、キュートだし。
私もペンギンは好きですが、それが何か?
それじゃあ、君たちが好きなペンギンは鳥として不自然な存在だと思うかい? 
一瞬、煙に巻かれたような表情をした後、松野は創世記にある天地創造の記述を思い出してハッとする。
なるほど……そういうわけですか。
んっ、どういうことっすか?
聖書には、人が男と女に造られたという記述の前に、他の生き物が創造される様子も描かれています。その中で、鳥に関しては神がこう命じています。「鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
ところが、ペンギンはこの言葉どおりに従っている鳥じゃない。大空を飛ぶことはないし、地の上どころか南極の氷の上に住んでいる。しかも、水の中を泳ぐんだ。彼らは聖書に書かれていない在り方をとる、不自然な、神の言うことをきかない存在だろう?……それなのに、ペンギンを排除すべきだという人間はほぼいない。水の中を泳がせるなと主張されることもない。創世記の記述には、いくらでもこれに該当する箇所が出てくるはずだ。
そう、聖書に書かれている在り方だけを自然な存在と主張するなら、こういうおかしな話も出てくるのだ。
ほんとだ……「聖書に書かれてないからダメ」って言うと変な話になっちゃう。でも、逆に「同性愛はやっちゃダメ」ってはっきり禁じている箇所も出てきますよね? そっちはどう考えるんですか?
茜の言うとおり、レビ記十八章二二節には、「女と寝るように男と寝てはならない」という命令がはっきり残されている。また、テモテへの手紙やコリントの信徒への手紙でも、偶像を礼拝する者や姦通する者に並んで、「男娼」や「男色」をする者も「神の国を受け継ぐことができない」と厳しく記されているのである。
ふむ、ちなみに松野くんだったらどう考えるかな?
私ですか? 正直まだどう考えたらいいか分からない部分ですが、「男娼」や「男色」という言葉は、男性の同性愛者を指す言葉ではなく、「女装をする男性」や「なよなよした好色な男性」、あるいは「少年の受け身のパートナー」を意味する言葉だという話を聞いたことがあります。それなら、聖書が同性愛を否定していると一概に受けとめなくてもいいのではないかと思っていますが……
ただ、それだと異性装ですっけ? クロスドレッサーとかいう人たちの否定や、「あるべき男性像に当てはまらない人」への否定につながりますよね。
そのとおり、松野くんの耳にした翻訳の問題を指摘する論法には、ちょっと苦しいものがある。言語学的に本当にそう言い切れるか微妙なところだし、京子くんの言うとおり、他の存在への否定につながってしまう危険がある。僕はむしろ、聖書には女性差別的な記述が残っているのと同じように、同性愛に否定的な記述も残されていると、まず認めてしまうことから始めるのがいいと思っている。その上で、「聖書に書かれているから」という理由だけで本当に判断していいのか、慎重に見極める必要があるだろう。
残っていたコーヒーを一気に飲み干し、コホンッと咳払いして成田は続ける。
たとえば、申命記22章には、婚約者のいる女性が町の中でレイプされた場合、レイプした男性と共に、被害者の女性も死刑にしなければならないという掟がある。
えっ、それってイスラム教の国でレイプされた少女が死刑にされちゃった話じゃ……
ああ、ユダヤ教、キリスト教、イスラームは、もともと「アブラハム的一神教」と呼ばれる根っこを同じくする宗教だ。旧約聖書の教えは随分重なっている部分がある。あの事件はあたかもイスラームだけの問題かと思われているが、キリスト教の聖典も同じ問題を孕んでいるんだよ。

ひどい話ですよね。レイプされた女性は男に襲われても助けを呼んで逃げなかったから、姦通したのと同じっていう理屈っしょ……男でも「叫べば殺す」って脅されたら助け呼べないくせに。

残念ながら、聖書の中にはこのような女性に不利で抑圧的な記述が多々見られることは確かだ。もちろん、それらの箇所は現代の倫理的視点から見直され、そのまま適用するべきではないと言われている。
同感だ。日本の教会でもほとんどの人は、この言葉どおり、助けを呼べずにレイプされた女性を死刑にするべきだとは思わないだろう。今持っている倫理観・道徳的感覚では許容できない話だからだ。ただし、「聖書に書いてあるから」同性愛を排除するのが正しいと言うなら、「聖書に書いてあるから」レイプされた女性を死刑にするのも正しいことになる……「聖書に書いてある」という理由は、信仰者にとって正しいようで、実は恐ろしい理由なんだよ。
なるほど……確かに、人間が「聖書のみを根拠にして」行動することはあり得ないですね。必ず自分自身の倫理観や道徳感、偏見や嫌悪感が介入します。それを忘れて「聖書に書いてあるから」という理由を振りかざすことは、同じ根拠でユダヤ人や障害者を虐殺したナチスと変わらない姿勢になるということですか。
イエス様を誘惑した悪魔だって、聖書を引用してきたもんね……ああ〜〜聖書から何を信じて、何を受け取ればいいのか分からなくなってきちゃった。
だから僕は組織神学を専攻したのさ。聖書を「神の言葉」として受けとめつつ、暴力や抑圧の道具にならないよう「信じる」にはどうするべきなのか……これまでの教義・教理の問題を見つめながら、今探しているところだよ。
そう言いながら、成田は松野に目配せする。自分との戦闘で決め技として使ったトラドゥットーレ……あれは、ドナティスト論争に絡んだ松野へのメッセージでもあったのだ。おそらく今後も、牧師に「ふさわしくない」「なるべきではない」と言われ続けるであろう自分への挑戦、あたかも「正しく」見える主張に対して抵抗する力、それを養ってくれというメッセージ……
いいでしょう。確かに受け取りました。
小さく呟いた彼の声は、誰にも聞かれることなく、ただ、胸の中だけに響いていた。
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登場人物紹介

【松野馳夫】MATUNO, Hashseo

神学部の新入生。伝道者コース。年齢詐称の疑いがかけられている自称十八歳。聖書学の使い手。牧師を目指している。

「いいでしょう。真正十八歳の持久力、見せて差し上げましょう!」

【縄文弥生】JYOMON, Yayoi

神学部二年生。伝道者コース。しっかりものの学生会長で、松野と同じ聖書学の使い手。ミッションスクールの聖書科教師を目指している。

「ダビデとヨナタンは絶対デキてたと思うな。松野さんはどう思う?」

【牧原茜】MAKIHARA, Akane

神学部の新入生。キリスト教文化コース。明るく天真爛漫でとてつもない力持ち。教会史の使い手。キリスト教福祉施設への就職を目指している。

「見て見て、『キリスト教綱要』片手で全巻掴めるよ!」

【成田成尾】NARITA,Nario

神学部二年生。キリスト教文化コース。学生会副会長。極度のナルシストで組織神学の使い手。神学の博士号を取って大学教員になることを目指している。

「聞きたまえ。僕の華麗なるペリコーペの朗読を!」

【加賀京子】KAGA, Kyoko

神学部の新入生。キリスト教文化コース。好奇心旺盛で調べるのが大好き。宗教哲学の使い手。宗教問題に切り込むジャーナリストを目指している。

『うちはイエス・キリストのロリコン説を推しますよーー』

【上野メグミ】KAMINO, Megumi

神学部三年生。伝道者コース。佐渡と度々ぶつかる聖書研究会所属のツンデレ、実戦神学の使い手。海外の貧困地域で働く宣教師を目指している。

「あの異端者……今日こそギャフンと言わせてやるわ!」

【佐渡一夜】SHADO, Ichiya

神学部専任講師。若くして学部長を務める聖書学の使い手。聖書の記述を批判的に読むため反感を買いやすいが、ドSっぽい発言は一部の人から人気を集めている。

「語学は筋トレと言いましたよね? そんなに私のヒブル語攻めが聞きたいですか?」

【紐田カカシ】HIMOTA, Kakashi

神学部五年生のベテラン留年生。伝道者コース。おっかない先生はだいたい彼に聞けば分かる。教会史の使い手。売れっ子vtuberを目指している。

「なっ、俺とお前の仲だろ? 頼むから今度配信一緒に出てくれよ。」

【粟井てる子】AWAI, Teruko

神学部非常勤講師。組織神学の使い手。キレやすいのにどこか憎めない姉貴っぽい先生。ズボラで適当そうなのにカリキュラムはしっかりこなす。

「私を舐めてると塩の柱にするぞ〜」

【月乃塚子】TUKINO, Tukako

神学部専任講師。学生主任を務める教会史の使い手。メイド服やゴスロリ系の服が好きで、チャペルの司会もそれで務めたことがある。自分を貫く先生。

「カルトのレポートはもう見飽きました。次そのテーマで出したら落とします。」

【松野林檎】MATUNO, Ringo

松野馳夫の姉。とある牧師のパートナー。漫画やアニメが大好きでコスプレを趣味にしている。大らかで優しい表情を崩さないが、理不尽な慣例や発言には容赦ない言葉でバッサリ斬る。

【モブの人①】

神学部周辺で活躍するモブの一人。シンプルエディタの仕様上、登場人物欄に登場させている。名前はまだない。これからもたぶんない。

【モブの人②】

モブが一人だけなのはよくない……ということで登場してくれたもう一人のモブ。モブの人①と共に色々やる。

【通行人A】

モブの人たちでフォローし切れない何かをカバーする。たぶん、通行人以外のこともする。

【通行人B】

通行人が一人でいるのはよくない……ということで現れたもう一人の通行人。彼女も通行人以外のことを色々やってくれるだろう。

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