第5話 どなたでもお越しください! は建前ですか?

文字数 4,924文字

あった、ここだよ〜松野くん。
なるほど、ここが宗教センター……聖歌隊や宗教総部の部室棟にもなっているんですね。
翌日、松野と茜は昼休みに、大学正門近くにある宗教センターを訪れていた。その名のとおり、創世大学の宗教関連施設はだいたいここに集まっている。神学部の事務室や学部長室も、なぜか学部の建物ではなく、この一階に入っている。二階にはキャンプリーダーや献血委員会など「宗教総部」と呼ばれるキリスト教関連団体の部室が並んでいた。ただ、チャペル委員会は自前の部室を持っているわけではなく、二階の空き教室を借りて週に一度、昼休みに集まっているらしい。三号教室のドアの前に、「求む、チャペル委員!」と書かれたあのチラシと、「どなたでもお越しください」という貼り紙がテープで留められていた。
「どなたでも」ってことは、全く教会に行ったことのないノンクリスチャンでもかまわないのかな?
教会の立て看板でもよく見かける言葉ですね。ここもミッションスクールの大学とはいえ、洗礼を受けた学生などほとんどいないはず……聖歌隊やゴスペルサークルと同じように、とりあえず興味を持った人に呼びかけているのでしょう。
実際に、大学の聖歌隊や地域に開かれたゴスペルサークルを通して、「教会に行くようになった」「洗礼を受けた」という人は一定数いる。ただし、「あなたも教会に行きなさい」「洗礼を受けなさい」とやたらめったら勧められた場合には、サークルそのものから離れてしまうことが多い。歌や音楽を通してキリスト教を信じるようになった学生は、三年から五年、または十年近く、ゆっくり時間をかけて徐々に興味を持っていった人たちが多いのだ。
とりあえず入ろっか。お邪魔しまーす。
茜がさっそくドアを開けると、ババーンッと効果音がつきそうな近さで、あのチラシに乗っていた写真の人物が立っていた。
よくぞ来た! ここは学生チャペル委員会……まずは、僕の特性クッキーとコーヒーでも飲んで落ち着きたまえ。
あっ、うちコーヒー飲めないです。
目の前に両手を広げて現れたマスカレードの仮面を被った男……そんな相手にも一切物怖じすることなく、茜はスタスタと部屋の中に入っていく。中には彼以外誰もおらず、白いテーブルクロスにきちっとセットされた茶器が数人分用意されている。
なに……コーヒーが飲めないだと!? それならこちらの特性ダージリンティーはいかがかな?
砂糖とミルクありますか?
私はせっかくなのでコーヒーをいただきましょう、ブラックで。
茜にならって、松野も遠慮しないスタイルでいくことにした。そう、これでも彼は十八歳。ノリと感覚で行動することだってときにはある。
ふむ、今年の新入生は全く取り繕わない態度で接してくるな……その性格、嫌いじゃない。僕の名前は成田成尾、学生チャペル委員会の委員長をしている神学部の二年生だ。砂糖とミルクはこのお皿のものを使いたまえ。コーヒーは僕自らが家で豆から挽いてきたものだ。心して味わうといい。

その言葉に偽りはないらしく、香り高く注がれたコーヒーは確かに素晴らしい味わいだ。酸味が少なく、ほどよい苦味があり、フルーティーな風味も加わってちょうどいいまろやかな感触……きっと、研究に研究を重ねて出来上がった至高の一杯なのだろう。一瞬、ここが宗教センターの一室であることを忘れてしまう。

君たち二人のことは昨日、弥生くんから聞いている。入学早々、神学部から希望者が来てくれて嬉しい限りだ。
確か、成田先輩も会長と同じ学年でしたね。コースの違う彼女ともよくお話しするのですか?
神学部は伝道者コースと文化コースに分かれているとはいえ、一学年三十名前後しかいない。コースは違っても受ける授業が被っていることはだいぶ多い。それに僕は、学生会の副会長……彼女と同じ執行部の人間だ。
またも意外な事実が判明してしまった。常時、仮面をつけているこのナルシストな男子学生が、宗教関連団体の幹部を複数務めている創世大学……この学校、大丈夫だろうか?
えっ、先輩も神学部の偉い人なんですか? すごい、二日で二人も会っちゃった。ところで、今日は他の先輩はいないんですか? チャペル委員には神学部の人が先輩ともう一人入ってるって聞いてたんですけど。
ああ、残念ながらもう一人の神学生は、今日は用事で来られない。ただ、他の委員なら後からここへ来る予定だ。最初の二十分間は、この部屋に君たちと僕だけにしてもらいたかったからね。
へっ、何でですか?
その瞬間までコーヒーを優雅にすすっていた松野は、ハッとして思わずカップを覗き込む。飲み干したカップの底に、奇怪な似顔絵と共に "Let's show time!" と記されていたのだ。さっきまではなかった緊張感が漂い始める……この空気、弥生が戦闘を開始したときの雰囲気とよく似ている。
気づいたかい、松野くん。実は去年、年齢を詐称して神学部を受験した学生がいるという噂を聞いてね……まさかと思っていたが、入学式を遠目で見ていて誰のことかを確信したよ。どうやって大学の手続きをすり抜けたのかは分からないが、ここまであからさまな嘘をついている人間が、学生たちの礼拝を運営するチャペル委員会に入ろうなんておこがましい。しかも、会長の弥生くんはたった一日で君に懐柔されているときた。これは、神学部ナンバー・ツーの僕の出番というわけだ。
おや? ドアの貼り紙には「どなたでもお越しください」と書かれていましたが、私はお呼びではありませんでしたか……あの看板は、ただの建前だったのでしょうか?
そう、日本の多くの教会でも「どなたでもお越しください」という看板が玄関に掲げられているが、いざ入ってみると、「派手な金髪の人が来たわよ!」「なぜ鼻にピアスをつけた人が?」「あんなに肌の出す服を着て……」と、あまりお呼びでない反応をされることは珍しくない。もちろん、看板に偽りなしの教会もあるが、そういう教会はホームページなどに服装や格好などのQ &Aを書いてくれていることが多い。見極めは大事である。
もちろん失礼なことは承知の上だ。今から君がここの委員にふさわしいかどうか試させてもらおうと思う。僕に勝ったら、その志が本物だと認めて謝罪しよう。あるいは、今すぐここから逃げて出ていくというのなら止めはしない。
ほう……では、もしここに残って私が負けたら?
チャペル委員に入ることは認めないさ。そしてもう一つ、会長の弥生くんとも縁を切ってもらう。友人として、彼女に嘘をつき続けている関係をほっとくのは我慢できないからね。
ふむ、その方向性が正しいかはともかく、なかなか友人思いなようですね……
カタンっと椅子から立ち上がる松野、サッと仮面に手を当てポーズを決める成田、バリンっと茶菓子を頬張る茜……戦いの火蓋が今落とされる!
先手必勝で行かせてもらう。イコノクラスム!
成田が叫んだ瞬間、さっきまで松野の使っていたカップとソーサーがひとりでに宙に舞い、こちらへ引きつけられるように飛んできた。松野は、弥生の攻撃を躱したときのように紙一重でそれを避ける。ところがその直後、カップとソーサーが彼の至近距離で爆発したのだ。
こっ、これは!?
「聖像破壊運動」というのを聞いたことがあるかな? 第二ニカイア公会議まで熱狂的な信徒によって行われていた聖人像やイコンに対する破壊活動のことだ。
それ知ってる! キリスト教は偶像礼拝をしちゃ駄目なのに、教会に像とか絵が飾ってあるのはおかしいから、みんなで壊しちゃえ! ってなったやつでしょう?
茜が答えたように、聖像破壊運動(イコノクラスム)とは、イコン(聖画像)を偶像と同一視した信徒たちによって引き起こされた暴動である。これに反対するため、七八七年にコンスタンティノス六世の摂政イリニによって召集されたのが、第二ニカイア公会議だ。
そのとおり! 僕が作った絵や像は、僕自身が何らかの偽物だと判断した対象に引き寄せられ、その近くで破裂するようになっている。そして、この部屋には至るところに僕の描いた絵や像が貼ってあるのさ。
くっ……ようするに私は、あなたから「偽物の十八歳」と判断され、自分に仕掛けられた爆弾のある部屋に入っているというわけですね。
どうりで部屋にいたのは先輩一人なのに、やたら茶器が多いはずである。次々と自分に引き寄せられるカップやソーサーから、松野は必死に距離を取る。
茜さん、危ないですからどうぞ隠れていてください!
平気だよーー私丈夫だから!
事実、彼女の方へ飛んでいった破片は、何者かが阻むように全て叩き落とされている。砕け散る破片の中で、うっすらと光る聖人のような輪郭がチラチラと見え隠れしていた。
あれは……レティアの聖バレンタイン像! なるほど、茜くんはカトリック出身の教会史の使い手というわけか。その様子なら、戦いに巻き込む心配はしなくてかまわないようだね。
バレンタインと言えば、二月十四日のバレンタインデーで有名な、恋人たちの守護聖人ヴァレンティヌスを思い浮かべる人が多いだろう。しかし実はもう一人、同じバレンタインという名の聖人が存在する。それがレティアの聖バレンタイン、ラテン語で「健康」や「丈夫」を意味する聖職者である。彼はマザーテレサのよりも早く、ハンセン病や癲癇など、当時隔離され阻害されていた病人たちのため献身的に働いた人物である。どうやら茜は、複数の聖人にまつわるイメージを、ほぼ無意識に使えているようだ。
何という才能……さすが、会長を翻弄する天然の女性です。
人のことより自分の方がやばいんじゃないか、松野くん? 残念ながら、イコノクラスムは一度発動すると、暴徒と化した信徒のごとく、対象を破壊するまでどこまでも追いかけ続ける。止めるためには、イコンへのふさわしい姿勢を唱えて、この技を無効化しなければならない。君には分かるかな?
まるでヒントを出すかのような物言いは、弥生が挑戦的に微笑んだときの様子とそっくりだ。なんだかんだ執行部同士、彼らは似ているのかもしれない。
知っていますとも……組織神学の使い手は、個々の技を相殺させる「反駁技」というセットがあるのでしょう?  戦いの決め手となるのは、教義・教理を構成してきた歴代の論争に関する知識。昨日の今日で私が警戒もせずに神学部へ登校してきたとでも?
ほのかに笑みを浮かべながら、松野は第二ニカイア公会議で承認された、イコンに対する尊敬表現を大声で唱える。
プロスキュネシス!
その瞬間、松野に引き寄せられていたカップやソーサーがガチャガチャと音を立てて床に落ちていった。古代の論争にヤマを張っていて正解だった。予習はバッチリである。成田も感心したようにパチパチパチと拍手を送る。
さすが「年の功」というやつかい? 正解だよ松野くん。第二ニカイア公会議では、神とキリストに対する礼拝(ラトレイア)と、敬うべき存在に対する尊敬表現とを区別し、イコンに対する崇敬(プロスキュネシス)を承認した。組織神学の使い手を相手にする場合、こんなふうに「反駁技」さえ正しく唱えられれば、誰であってもその技を相殺できる……そこが僕らの痛いところだよ。

成田が解説している間にも、松野の唱えた反駁技によって、破裂したカップやソーサーが見る見るうちに元へ戻っていく。まるで動画の巻き戻し再生でも見ているかのようだ。

とはいえ、相対的な価値観が広まるにつれ、教義・教理学に対する関心は年々薄まってきている。組織神学を専攻する学生はぐんと減り、以前は神学生なら誰もが唱えられた反駁技のレパートリーも減ってきた。最近では初歩的な論争の話さえ「忘れている」「知らない」という牧師が後を絶たない……さて、松野くんはどの程度予習をしてきているのかな?
不敵に笑う成田に対し、松野は額から汗を垂らす。相手は組織神学の専門……どうやら今のは、かなり手を抜いた攻撃だったらしい。「年の功」も何も、松野は昨晩購入した神学書をパラっと途中まで読んだだけだ。付け焼き刃の反駁技がいつまでも通用するとは思えない。
松野くん、何か来るよ!
茜の警告と共に、先に成田が動き出した。
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登場人物紹介

【松野馳夫】MATUNO, Hashseo

神学部の新入生。伝道者コース。年齢詐称の疑いがかけられている自称十八歳。聖書学の使い手。牧師を目指している。

「いいでしょう。真正十八歳の持久力、見せて差し上げましょう!」

【縄文弥生】JYOMON, Yayoi

神学部二年生。伝道者コース。しっかりものの学生会長で、松野と同じ聖書学の使い手。ミッションスクールの聖書科教師を目指している。

「ダビデとヨナタンは絶対デキてたと思うな。松野さんはどう思う?」

【牧原茜】MAKIHARA, Akane

神学部の新入生。キリスト教文化コース。明るく天真爛漫でとてつもない力持ち。教会史の使い手。キリスト教福祉施設への就職を目指している。

「見て見て、『キリスト教綱要』片手で全巻掴めるよ!」

【成田成尾】NARITA,Nario

神学部二年生。キリスト教文化コース。学生会副会長。極度のナルシストで組織神学の使い手。神学の博士号を取って大学教員になることを目指している。

「聞きたまえ。僕の華麗なるペリコーペの朗読を!」

【加賀京子】KAGA, Kyoko

神学部の新入生。キリスト教文化コース。好奇心旺盛で調べるのが大好き。宗教哲学の使い手。宗教問題に切り込むジャーナリストを目指している。

『うちはイエス・キリストのロリコン説を推しますよーー』

【上野メグミ】KAMINO, Megumi

神学部三年生。伝道者コース。佐渡と度々ぶつかる聖書研究会所属のツンデレ、実戦神学の使い手。海外の貧困地域で働く宣教師を目指している。

「あの異端者……今日こそギャフンと言わせてやるわ!」

【佐渡一夜】SHADO, Ichiya

神学部専任講師。若くして学部長を務める聖書学の使い手。聖書の記述を批判的に読むため反感を買いやすいが、ドSっぽい発言は一部の人から人気を集めている。

「語学は筋トレと言いましたよね? そんなに私のヒブル語攻めが聞きたいですか?」

【紐田カカシ】HIMOTA, Kakashi

神学部五年生のベテラン留年生。伝道者コース。おっかない先生はだいたい彼に聞けば分かる。教会史の使い手。売れっ子vtuberを目指している。

「なっ、俺とお前の仲だろ? 頼むから今度配信一緒に出てくれよ。」

【粟井てる子】AWAI, Teruko

神学部非常勤講師。組織神学の使い手。キレやすいのにどこか憎めない姉貴っぽい先生。ズボラで適当そうなのにカリキュラムはしっかりこなす。

「私を舐めてると塩の柱にするぞ〜」

【月乃塚子】TUKINO, Tukako

神学部専任講師。学生主任を務める教会史の使い手。メイド服やゴスロリ系の服が好きで、チャペルの司会もそれで務めたことがある。自分を貫く先生。

「カルトのレポートはもう見飽きました。次そのテーマで出したら落とします。」

【松野林檎】MATUNO, Ringo

松野馳夫の姉。とある牧師のパートナー。漫画やアニメが大好きでコスプレを趣味にしている。大らかで優しい表情を崩さないが、理不尽な慣例や発言には容赦ない言葉でバッサリ斬る。

【モブの人①】

神学部周辺で活躍するモブの一人。シンプルエディタの仕様上、登場人物欄に登場させている。名前はまだない。これからもたぶんない。

【モブの人②】

モブが一人だけなのはよくない……ということで登場してくれたもう一人のモブ。モブの人①と共に色々やる。

【通行人A】

モブの人たちでフォローし切れない何かをカバーする。たぶん、通行人以外のこともする。

【通行人B】

通行人が一人でいるのはよくない……ということで現れたもう一人の通行人。彼女も通行人以外のことを色々やってくれるだろう。

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