6、最低な自分

文字数 3,208文字

「うるさいっ……!」

 気がついたら、叫んでいた。父上が、言おうとしている続きを聞きたくなかった。
 きっと、凪沙(なぎさ)の──代わりでいてくれ。そう言うんだ。僕は、代わり……兄上の代用品!

 ブチリと、切れる音がした。僕を繋ぎとめていた、細くて、太くて、弱くて、強い、大切なものが。次の瞬間には、取り返しのつかない所まで出ていた。言っては、いけない言いたくない、言いたくなかった……黒くて、いたい、あの言葉が……口から出ていた。

「僕はっ……! 僕は、いつまで兄上の代用品として、存在していれば良いんだよ!? 縛られて、縛られてっ……! いつになったら、自由に空を飛べるんだ?! もう、嫌なんだよっ……いくら学んだって、結局は兄上と比べられてっ……兄上が正規品なら、代用品の自分は、何の為に生きてるんだ?」

「流っ……!」

 僕を止めようとした母上の言葉を遮る。

「黙れ! 何で、なんで? なんでっ、皆んな、は、どうして? どうして僕だけこんな思いをしているんだ? ……僕が次男だから? 五大家の一家に生まれたから? 僕は、勉強も、誰かの為にとかも、責任も、負えないから……ほっといてよ……僕は、誰かの代わりになんてっ……! なりたくな……誰かの代わりになんてなれない!」

 言っている内に、哀しいのか怒っているのか、解らなくなり、色んな感情が入り混じった表情で、涙を流していた。

流水(ながみ)! いいから、落ち着い──」

「うるさいよっ! うるさいうるさいうるさい! 兄上の代わりになれるようにっ? 誰かの代わりだと判っていて努力する人の気も知らないで! 自由になりたい……兄上なんてどうでもいい……家族なんて、消えちゃえ……僕を縛るもの全て! ……そうだ、ははっ! そうだよ……水園家(みずぞのけ)なんて、滅んでしまえばいいいんだ……!」

 またも母上の言葉を遮り、自分以外を貶す暴言を吐き続ける僕を、父上が叱咤する。

流水(ながみ)! お前は、本気でそんな事を思っているのか? その言葉は、心の底から出てきたものか? 違うのならば取り消せ。どうなのかよく考えろ」

 父上からの制止を受けても尚、僕の口は止まらなかった。

「……そうだよ。ずっと思ってたんだ……あははっ、は、は……! 大嫌いなんだよ。皆んなっ……兄上は、僕のことなんて、何も考えていなくてっ! 僕のことなんかどうでも良いと思ってるんだ! ……母上は、僕のことを気に掛けている様で、本当は兄上の方が、大事なんだ! 兄上に、自分の一文字をあげたのが、証拠だよね? 父上だって、父上は……僕を認めてくれないじゃないか……頑張ってもっ……最後は、兄上と比べて……! 兄上は、出来がいいんだっ……僕なんか、兄上の代わりになんて成れないよ……僕なんかっ……僕なんか必要ないんだよっ! はっ……」

 (たか)ぶった感情の波が引いたのか、涙を流したまま、僕は笑っていた。段々と冷静になって来て、羞恥心か、自分への憐れみか、はたまた悲哀か、自分の感情が解らなくなった。何がしたかったのかも、これからどうすれば良いかも、判らない……自分が何をしたのかすらも、分からない。
 途方に暮れている自分を惨めに思い、自分に向けられた視線から逃れようとする。

「ごめんなさい……気分が悪いので……自室に戻って、休むことにします……し、失礼しました……」

 食堂から逃げ去ろうとした僕へ、兄上が声をかけた。

流水(ながみ)っ!」

「止せ、凪沙(なぎさ)……放っておけ」

 僕は、振り向く事はせずに、食堂から走り去った。
 父上は、兄上を止めた。父上の声には、諦めと悲しみが、兄上の声には、悔しさが滲んでいた。兄上は、何を悔しく思って、僕を止めようとしたんだろう……いや、どうでもいいだろ……そんなことっ……兄上なんて……兄上なんてっ……大嫌いなんだから。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 部屋に戻って来て、直ぐ、机の上の本を投げた。マントを脱ぎ捨て、本を机から落とす。投げて、落として、投げて……投げてー息が上がってきた頃、机の上の本は無くなっていた。
 それでもまだ興奮が収まらず、自分の頬を力一杯殴った。口に広がった渋い味を感じて、ようやく気分が落ち着いた。しかし、次の瞬間には胸が苦しくなり、嗚咽(おえつ)を漏らして泣き崩れた。

 自分がした事の重みが、後から伸し掛かってきたのだ。泣きじゃくる僕の胸を、後悔と自責の念が、締め付けていく。

 僕は馬鹿だ。馬鹿でクズで、最低なクソ野郎だ!
 ずっと良くしてくれていた母上に、酷いことを言ってしまった。兄上だって、きっと、あんなこと思っていていないだろうに。父上にも、八つ当たりした。父上は、僕のことを案じて、言ってくれた筈なのに、僕は……僕は、それを受け取らなかった! その上、家族を侮辱して……!

 本当に、自分は馬鹿だ。

 努力していないのは自分で、ただ事実を言われただけなのに、逆上して家族を、家族の善意を、優しさを踏み(にじ)った。堕落(だらく)しているのは自分で、サボって逃げていたのも自分なのに、それを誰かのせいにして、指摘されたら怒って八つ当たりして……子供じゃん……いや、この歳だとただの馬鹿か。

「反省しろ! この、堕落者(だらくもの)っ!」

 頭の中で堕落者というプレートを提げた自分を、(むち)打ちの刑に(しょ)す。堕落者こと僕は、脳内の自分達のおかげもあって、深く反省した。

 駄目だなぁ僕。こんなんだから、いつまで経っても兄上には追いつけないのに……こんな幼稚だから、父上には認めてもらえないのに。
 なにもしないで、努力しないで認めてもらえるわけないだろ。兄上は物凄く努力していて、父上も認める結果を出しているから立派なんだ。なのに僕は、そんな兄上の努力を無視して……兄上の努力の結晶を否定した。父上だって、努力すれば認めて下さると、仰っていたじゃないか。僕は、それも無視して、父上の愛情を拒んだ。

 当然の結果じゃないか……努力して認められた兄上と、努力すらしていない、手を抜いてばかりの僕……そうだよ。僕は、まだ兄上の比較対象にすらなれていないんだ。父上は、それを分かっていたから、兄上に手本をやらせたんだ。なのに、そんな事も理解しないで、兄上と比べられているなんて思い込んだ自分は、相当な恥知らずだ。懸命に努力している兄上と、堕落している、手を抜いてばかりの自分を較べるなんて、失礼にも程がある。

 僕は、なんでも難なくこなして、誰もが認める結果を出して、裏では血の滲むような努力をしていたに違いないのに、自分より出来ない人のことを見下す、なんてことはしないで、いつだって寄り添ってくれていた……兄上のようになりたかった。

 そうだ……いつも兄上を避けていたのは自分だっだじゃないか……できる奴と、できない奴なんて言う、くだらない一線を引いていたのは僕自身だった。
 自分は努力もせずに、ただ待ってばかりだったんだ。誰かが来て、自分を認めてくれるのを、なにもせずに待っていたんだ。

 努力しなきゃいけない。僕を認めろっ! って、全身で叫ぶような沢山の努力をしなければならない。頑張ろう、明日から。次、家族みんなで食事をする時には、皆んなに認めてもらえるように……一生懸命努力しよう。継続できるか分からないけど、やれるだけやるんだ。
 そしたらきっと、父上は認めて下さる。母上は、沢山褒めて下さる。兄上は、此れからはライバルだねって、言ってくれるだろう。

 その為には……まず、家族に謝んなきゃ。謝罪しても、簡単に許せることではないだろうけど、謝って、本当は、あんな事思っていないと伝えなければ……今すぐにでも。
 母上には、いつも感謝していると、父上の事は尊敬していると、兄上には、ずっと、ずっと前から、憧れていると……そう、伝えなければ。

 激しく泣いたのが原因なのか、疲れた僕は、机に背を預けた。ゆっくりと意識が薄れていくのを感じ、(まぶた)を閉じて闇に身を任せることにした。
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