3、優しい母上

文字数 2,277文字

 (れい)露草家(つゆくさけ)から帰ると、一番最初に母上に会った。

 母上は側仕えの青帆(はるほ)と一緒に、花壇の水遣りをしている。そういえば母上は、明日から三日間、取引の交渉をする為に、階級が水園家(うち)より二つ上の、火陽家(ひようけ)赴く(おもむく)くらしい。
 火陽家(ひようけ)へ行くには、片道で一日かかる。三日間の内、二日間は馬車の中なのだ。馬車でとはいえ、水園家(みずぞのけ)領の外は危険なのではないだろうか。一応、当主同士で話をつけているらしいが、先程の話を聴いた後では、母上のことが心配になる。

「母上、ただいま戻りました」

 声もかけずに、母上の側を通って家に入るのは、失礼だと思い、取り敢えず帰宅報告をした。僕の声に反応して、灰青(はいあお)色の癖っ毛をふわりと揺らし、此方を振り向く母上。夕陽に照らされた、ほんのりと赤みの差した白い肌に浮かぶ、翡翠(ひすい)の瞳が、僕を捉えて優しく細められた。

「あら、お帰りなさい流水(ながみ)(れい)君は元気そうだった?」

「……どうでしょう? 久しぶりに会ったからなのか、少し元気がなかったように思います。雰囲気が変わったというか、オーラが足りていなかったというか……しかしですね、自分の子供たちが可愛いすぎると、騒ぐ元気はあるようだったので……」

 何故、(れい)に会ったことを前提に会話を始めたのか不思議に思うが、素直に見てきた通りを伝えた。すると母上は、柔らかな笑顔のまま、慈愛に満ちた瞳で僕を見て笑った。

「ふふっ……深雪(みゆき)君にも、会えたのでしょう?」

「……はいっ! 何故それを?」

 何でもお見通しな母上に驚きつつ、偶然ではないだろう? と、疑問をぶつけた。母上は、ゆったりとした動作で、水遣りを再開しながら質問に答える。

「だって、(わたくし)青帆(はるほ)にお願いしたんですもの。二人に会えるようなスケジュールを組んでやって欲しいって……間に合ったようで良かったわ。氷雪家(ひょうせつけ)は、仕事が早いんだもの。予定より早く作業が終わってしまいそうで、ハラハラしたわ。だから青帆(はるほ)に、ちょっと急いでって言ったら、数分後には流水(ながみ)が家を出て行ったから、三人揃いますようにって、願っていたの。ふふっ、流水(なかみ)ったら、嬉しそうな顔で帰って来るんですもの」

「そんなに、顔に出ていますかね?」

 僕は、自分の気持ちが顔に出易いなんて思っていないし、家の外に出る理由が、幼馴染に会うためだけではないと否定したい。しかし母上は、水遣りを止めて僕の顔をジッと見つめた。

「ふふっ、出てるわよ。何か、心配事でもあるのかしら?」

 やはり何でもお見通しなんだな……と、半ば諦めて心の内を明かす。

「……母上が、火陽家(ひようけ)に行くのが気掛かりなのです……澪や深雪が、花家間の争いについて、少し教えてくれたのですが、もしかしたら花家が火種になって、五大家同士で戦争になってしまうかも知れないと……そうなる可能性がある時に、母上は火陽家(ひようけ)に行くと仰る……心配になって当然です……」

 如雨露(じょうろ)の水が途切れた。

「そうね……でも大丈夫よ。(わたくし)は、そのお話をしに火陽家(ひようけ)へ行くんですもの。上手く行けば同盟を結んで、協力体制を築くことだって出来るもの。それに、青帆(はるほ)も一緒よ……」

 水の出なくなった、如雨露(じょうろ)を傾け続ける母上の表情は、長い前髪の影に隠れて、見えなかった。きっと、母上も不安なんだろう。青帆(はるほ)が一緒だからなんだというのか。青帆(はるほ)一人で、水園家(うち)の御者と母上を守り切れるのかすら、分からないというのに。
 そんな事を思っている僕を見透かしたかのように、無言を貫いていた青帆(はるほ)が、不安を打ち消すような明るい声を発する。

「だーい丈夫です! 御者は連れて行きませんから! (わたくし)が、全て一人で成し遂げてみせますよ!」

 その言葉に顔を上げた母上は、声をあげて笑った。

「ふっ、あははっ! ふふっ……ありがとう。でも青帆(はるほ)? それはちょっと、貴女(あなた)への負担が大きいんじゃないかしら?」

「そんなことないです! 全然行けますって」

「でも……!」

 母上と青帆(はるほ)の意見が対立し、白熱した言い合いが始まりそうな予感がした僕は、慌てて(たず)ねる。

「あの、ちょっといいですか? 青帆(はるほ)水園家(うち)に居ないとなると……僕は、その間誰に勉強を見て貰えば良いのでしょうか?」

 すると、先程まで青帆(はるほ)と睨み合っていた母上が笑顔に変わり、僕を見て答えた。

「それは、今夜一水(いっすい)様から、話があるわ。あまり気にしなくても大丈夫よ」

 母上の表情の変わり様に怖気(おじけ)つつ、会話を続ける。

「父上から……そうですか。そういえば夕飯のとき、話があると父上に言われています。その話でしょうか?」

「……きっとそうね。そんなに身構えなくてもいいんじゃないかしら」

 僕が、若干(じゃっかん)母上から距離をとったことに母上が気付き、若干距離を詰め直した母上が、アドバイスをくれた。

「えっと……そうですね?! ……ありがとうございます母上……と青帆(はるほ)、気持ちが軽くなりました。では、また夕飯の時に……」

「えぇ。また」

 そそくさと会話を切り上げた僕に別れを告げ、手を振る母上と青帆(はるほ)に手を振り返し、いそいそと母上から逃げるように家の中へ入った。

 母上と別れた僕は、自室に戻ることにした。普段も滅多に自室から出ない僕は、特にやることが無い。一日の課題が終われば、基本的に自由なのだ。今日は母上のおかげで課題の量が少なかったので、夕飯までは、かなり時間がある。不安要素を取り除くためにも、火陽家(ひようけ)について、ちょっと調べてみることにする。
 自分の部屋には、本が沢山ある。(ほとんど)ど読んだことはないが……多分、五大家について記された本があるはずだ。ついでに、花家のことも調べよう。

 勉強は大嫌いな自分だが、このような時は、学習へ自主的に取り組むのだった。
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