14、怒号に自責は傷のもと
文字数 4,125文字
僕と雫は、水園家 の家領を囲む氷壁の外側にある、大河まで戻って来た。河辺に着くなり雫は、抱えていた僕を乱暴に投げ落とした。立ち上がる気力も無く、仰向けに倒れ込んだまま、澄み切った青空を見上げた。
何処かで何かが爆発したような音が聞こえ、少し振動した地面なんかを気に掛けている余裕なんて、僕の中には無かった。僕の心の中は、空っぽだった。空は何処までも澄み切って居て、ずっと眺めて居たら、吸い込まれてしまいそうだった。雫が僕の襟首 に掴み掛かって来て、怒鳴った。
「貴方 はっ! 貴方様は馬鹿ですかっ! 貴方が……アンタが上様の言う事を素直に聴いていれば、上様は死ななかったはずだ! アンタが駄々をこねて、あの場に皆んなを留まらせたせいで、上様は致命傷を負った! あの状態では……もう助からないっ! アンタがついて来たから上様は……上様はっ……!」
「……凪津」
馬乗りになった雫を仰ぎ見て、彼の名を呟く。何が気に障ったのか、凪津と呼ばれた瞬間、雫は血相 を変え、何かを言いかけて口をつぐみ、僕を責め立てた。
「アンタに、そのっ! ──アンタの所為でっ……アンタのせいで上様は死んだんだよっ! アンタさえ居なければ……! アンタなんか居なきゃよかったんだよ、始めから! ……上様は、今日の奥方様救出が成功したら、正式に水園家の家長になる筈だったんだよ……それで上様は心底嬉しそうにしていらっしゃった……何でかわかるか?」
震える声で訊ねてくる雫に、答えの分からない僕は静かに首を左右へ振った。すると雫は顔を覆って笑い、再び僕の襟首を掴むと、叫んだ。
「はっ、全部アンタの為だよ! アンタが嫌々やっていた家長になるための勉強も、自分が家長になったら、やらなくて済むだろうからって……自分の代わりだと思ってあの勉強をするのは、きっと辛いと思う。だから、早く自分が家長になって、流水が楽しく過ごせるようにしてやりたいって。ずっと仰っていた……その! 上様の夢が、今日叶うはずだったんだよ! ……判るか? アンタの為の夢が、あと少しで叶うはずだったのに、アンタがその夢を壊したんだ……アンタは、上様の命だけで無く、上様の夢まで奪ったんだよ!」
鬼気迫る雫の勢いに当てられ、殴られると思った僕は、目を瞑 った。しかし、いつまで経っても衝撃は来なかった。恐る恐る目を開くと、雫は振りかぶったまま、震えていた。荒々しい呼吸を抑えつけるように、歯を食いしばって息を吐いている。ふと、自嘲気味 に笑ったかと思えば、彼はパタリと腕を降ろし、呟いた。
「……ははっ、殴っても、上様は帰って来ない……上様なら、怒るだろうなぁ……」
殴るのを辞めるのかと思った瞬間、右頬を拳で殴られた。勢い良く地面に叩きつけられ、追加で二、三回顔を殴られた。口の中が切れて血が垂れて来た時、雫がふらふらと僕から離れた。視界から雫が居なくなったのを確認して身体の力を抜き、大の字に伸ばす。
殴られた頬はズキズキと痛み、頭はくらくらする。瞼を閉じて昼間の日光を浴びて居たら、急に影が落ちて来た。うっすら目を開くと、雨水家の人が僕を見下ろして居た。
血と泥まみれで、立っているのも辛そうな足の怪我は、骨が折れているようで、足首はズレており、肉が抉れていた。蘞 い傷から目を逸らし、顔を確認する。
顔が見えない程の長い前髪という、見覚えのある髪型に僕が驚くと同時に、その人は話し始めた。
「な、流水様……帰って来たのが私なんかで、申し訳……ありません。私一人なら、自力で帰れる……だろうと言われ……逃げて、来ました……」
喋りながら、僕を起き上がらせてくれる雨水家家長 の優しい手つきは震えていて、力を加えると痛むようだ。血と泥で分かりにくいが、腕も負傷しているのだろう。
「全く……お、役に立てず、申し訳、有りません……水様と、上様の蕾花能力で、水爆が起こり、全部、巻き込まれ……ました。最後に、コレを……渡され……」
血と泥に塗 れても、輝きを失っていないガラスの雫……差し出されたのは、父上の耳飾りだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目が覚めると僕は寝室に居て、自室のベッドで横になっていた。ゆっくりと起き上がり辺りを見回すと、深雪 と澪 が、ベッドの右側で椅子に座っていた。起き上がった僕に飛びついて、首と額に手を当ててくる深雪と、人手不足で僕の怪我の手当てをしてくれていた様子の澪が、同時に言った。
「流水 、もう大丈夫?」「まだ横になっていた方がいいと思うよ」「無事に帰って来てくれて良かった……」
同じ台詞を同じタイミングで言ってきた二人は、とても心配してくれているようだったので、一応全てにやんわりと答えた。
「あ、うん。大丈夫だよ、心配かけてごめん……」
「……大変だったね、その……」
口籠 もりながら、僕を励 まそうとする深雪の言葉を遮 る。
「深雪達が、気にすることじゃないよ。僕が、悪いんだ……最後まで我儘 ばかり言って、父上や兄上を困らせた……そのせいで、間に合わなくなって……全部僕のせいなんだ……」
「……そんなことないよ、私が一緒に行っていれば、全員助かっ……助けられた筈だよ、だから、流水だけの責任じゃない」
深雪が俯き、申し訳なさそうに話すと、同調したように澪が自責する。
「そうだよ。元はと言えば、僕が向日葵家 と契約なんて結ばなければ……こんなことには、ならなかったんだし? ……僕が一番責められるべきだよ……」
こうして三人で会話が出来るのも、今が最後になったりするのかもしれないと思い、唐突に不安になった。二人が……大切な人が生きているという安心感と、大切な人が死んでしまったという寂寥感 が、同時に押し寄せてくる。複雑で言い表せない感情をどうすることも出来ずに、布団を握り締めた。段々と暗くなって行く雰囲気に耐えられず、無理矢理に笑う。
「ふっ、あははっ……二人共、そんなに辛気臭 い顔しないでよ! ……なんか、ありがとね……おかげで元気出たかも。あとは大丈夫。ゆっくり休むから! 二人は忙しいでしょ? 仕事に戻りなよ。あ、忘れてたけど、雨水家 の家長はどうなった? 僕と一緒に居たと思うんだけど……」
「ああ、雨優 さんなら、自分で傷の応急処置だけして、仕事に戻って行ったよ。酷い怪我だったから、ちゃんと手当てした方が良いって言ったんだけどね、大丈夫しか言わなくてさぁ……水園家のトップが倒れているから、左腕である私が纏めなければ……とか言ってさ、詳しいことを知っている雨優さんは、自分以外に適任は居ないって、張り切っていたよ……休めばいいのにね」
「そうなんだ、教えてくれてありがとう澪……あ、雫は?」
雨水家の家長は、雨優という名前だという事を初めて知った僕は、思い出したように雫のことを訊 く。
「雫さんは、私に流水の居場所を知らせに来てくれたんだけど、その後どこに行ったのかは知らないかな」
「そっか……教えてくれてありがと、深雪。じゃ、二人共お仕事頑張ってね! 僕は此処で寝てるけど」
「……うん。じゃあ、また後で」
無駄に明るく振舞 い過ぎたからだろうか、心配そうに何度も振り返りながら出口に向かって行く深雪と澪に、笑顔で手を振り続ける。二人を部屋から送り出した後、僕は布団を被り、声を殺して泣いた。
誰を想って、何に対しての涙なのか分からなかった。ただ、なんか悲しくて、胸が締め付けられて、怒りが渦巻いて、どうしようもなくて、泣いた。
私にとって家族は、空気みたいなものだったんだ。
普段は気にしていなくて……でも、無くなってしまったら苦しくて、生きていけなくなってしまう。そんな存在だったんだ。失うまで、気がつかなかった。
何も見ず、何にも気づかず、呑気にサボってばかりで、都合の悪いことからは目を逸らし、逃げ続けた自分が許せない。
父上と母上と兄上に会いたい。
自分が許せない、殺したいくらい憎い、許せない許せない許せない──!
殺したい、死んでしまいたい、僕が、生きてたって……何も……
感情が昂 ぶり、盲目的 に頭を枕に何度も何度も打ち付けた。バブっとなるだけで、大したダメージにならないが、出血していた頭は、ぐわんぐわんと痛み、吐きそうになった。しばらくして、激しい頭痛がしたと思ったら、傷が開いたのか出血していた。
枕を染めた血を眺め、思い立ったように立ち上がり、覚束 ない足取りで衣装クローゼットの中を漁 った。見つけたナイフを片手に風呂場へ向かい、昨日の湯が残る浴槽 に脚を沈める。腰までしか浸からず、父上が刺して下さった左腿 の傷に、水が滲 みた。
傷ついた脚とは、逆の足にナイフを突き立てる。ジワっと広がった痛みと温もりに切なさを覚え、何度もナイフを突き立てた。
自分の周りが赤くなった頃、感覚の無くなった右腿からナイフを抜いて、自分の左腕に刺した。腕を貫通するまで、深くナイフで突く。力が入らなくなった左腕を浴槽に沈 ると、水が滲み、消えかけていた痛覚が戻ったかのように、激痛が腕を巡った。
痛みに唸り声を上げるが、これじゃあ足りないとナイフを持ち替え、右手のひらに突き立て、手首を切った。肩や前腕 を、ひたすら切りつけ、終いには腹へとナイフを埋 めた。
ナイフを抜くと、物凄い勢いで血が吹き出た。自分から血やナイフが抜けていく感覚は、物凄く気持ち悪くて、物凄く苦しかった。けれど、何処か安心したような気持ちになった僕は、笑みを漏らした。
生きている感覚とは、こういうものなのだろうか……吐き気に嗚咽 を漏らす。苦しい、苦しい、こんな地獄は、もう嫌だ。辞めてしまおうか……この先、生きて行くなら、今の数十倍は苦しい思いをするだろう。
なら、今、終わらせてしまいたい。痛い、苦しい、終わりにしたい。それ以外に、何も思わなかった。
腹を押さえて蹲 った自分の首に、ナイフを当てた。あとは、勢いよく手を引くだけ…… なのに……邪魔が入った。
いくらナイフを首に刺そうとしても、刃が柔らかくなったかのように滑るのだ。腕が疲れて動かなくなり、ナイフを手放した。力尽きて浴槽 に倒れ込みそうになった時、誰かが僕を引き上げた。
何処かで何かが爆発したような音が聞こえ、少し振動した地面なんかを気に掛けている余裕なんて、僕の中には無かった。僕の心の中は、空っぽだった。空は何処までも澄み切って居て、ずっと眺めて居たら、吸い込まれてしまいそうだった。雫が僕の
「
「……凪津」
馬乗りになった雫を仰ぎ見て、彼の名を呟く。何が気に障ったのか、凪津と呼ばれた瞬間、雫は
「アンタに、そのっ! ──アンタの所為でっ……アンタのせいで上様は死んだんだよっ! アンタさえ居なければ……! アンタなんか居なきゃよかったんだよ、始めから! ……上様は、今日の奥方様救出が成功したら、正式に水園家の家長になる筈だったんだよ……それで上様は心底嬉しそうにしていらっしゃった……何でかわかるか?」
震える声で訊ねてくる雫に、答えの分からない僕は静かに首を左右へ振った。すると雫は顔を覆って笑い、再び僕の襟首を掴むと、叫んだ。
「はっ、全部アンタの為だよ! アンタが嫌々やっていた家長になるための勉強も、自分が家長になったら、やらなくて済むだろうからって……自分の代わりだと思ってあの勉強をするのは、きっと辛いと思う。だから、早く自分が家長になって、流水が楽しく過ごせるようにしてやりたいって。ずっと仰っていた……その! 上様の夢が、今日叶うはずだったんだよ! ……判るか? アンタの為の夢が、あと少しで叶うはずだったのに、アンタがその夢を壊したんだ……アンタは、上様の命だけで無く、上様の夢まで奪ったんだよ!」
鬼気迫る雫の勢いに当てられ、殴られると思った僕は、目を
「……ははっ、殴っても、上様は帰って来ない……上様なら、怒るだろうなぁ……」
殴るのを辞めるのかと思った瞬間、右頬を拳で殴られた。勢い良く地面に叩きつけられ、追加で二、三回顔を殴られた。口の中が切れて血が垂れて来た時、雫がふらふらと僕から離れた。視界から雫が居なくなったのを確認して身体の力を抜き、大の字に伸ばす。
殴られた頬はズキズキと痛み、頭はくらくらする。瞼を閉じて昼間の日光を浴びて居たら、急に影が落ちて来た。うっすら目を開くと、雨水家の人が僕を見下ろして居た。
血と泥まみれで、立っているのも辛そうな足の怪我は、骨が折れているようで、足首はズレており、肉が抉れていた。
顔が見えない程の長い前髪という、見覚えのある髪型に僕が驚くと同時に、その人は話し始めた。
「な、流水様……帰って来たのが私なんかで、申し訳……ありません。私一人なら、自力で帰れる……だろうと言われ……逃げて、来ました……」
喋りながら、僕を起き上がらせてくれる
「全く……お、役に立てず、申し訳、有りません……水様と、上様の蕾花能力で、水爆が起こり、全部、巻き込まれ……ました。最後に、コレを……渡され……」
血と泥に
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目が覚めると僕は寝室に居て、自室のベッドで横になっていた。ゆっくりと起き上がり辺りを見回すと、
「
同じ台詞を同じタイミングで言ってきた二人は、とても心配してくれているようだったので、一応全てにやんわりと答えた。
「あ、うん。大丈夫だよ、心配かけてごめん……」
「……大変だったね、その……」
「深雪達が、気にすることじゃないよ。僕が、悪いんだ……最後まで
「……そんなことないよ、私が一緒に行っていれば、全員助かっ……助けられた筈だよ、だから、流水だけの責任じゃない」
深雪が俯き、申し訳なさそうに話すと、同調したように澪が自責する。
「そうだよ。元はと言えば、僕が
こうして三人で会話が出来るのも、今が最後になったりするのかもしれないと思い、唐突に不安になった。二人が……大切な人が生きているという安心感と、大切な人が死んでしまったという
「ふっ、あははっ……二人共、そんなに
「ああ、
「そうなんだ、教えてくれてありがとう澪……あ、雫は?」
雨水家の家長は、雨優という名前だという事を初めて知った僕は、思い出したように雫のことを
「雫さんは、私に流水の居場所を知らせに来てくれたんだけど、その後どこに行ったのかは知らないかな」
「そっか……教えてくれてありがと、深雪。じゃ、二人共お仕事頑張ってね! 僕は此処で寝てるけど」
「……うん。じゃあ、また後で」
無駄に明るく
誰を想って、何に対しての涙なのか分からなかった。ただ、なんか悲しくて、胸が締め付けられて、怒りが渦巻いて、どうしようもなくて、泣いた。
私にとって家族は、空気みたいなものだったんだ。
普段は気にしていなくて……でも、無くなってしまったら苦しくて、生きていけなくなってしまう。そんな存在だったんだ。失うまで、気がつかなかった。
何も見ず、何にも気づかず、呑気にサボってばかりで、都合の悪いことからは目を逸らし、逃げ続けた自分が許せない。
父上と母上と兄上に会いたい。
自分が許せない、殺したいくらい憎い、許せない許せない許せない──!
殺したい、死んでしまいたい、僕が、生きてたって……何も……
感情が
枕を染めた血を眺め、思い立ったように立ち上がり、
傷ついた脚とは、逆の足にナイフを突き立てる。ジワっと広がった痛みと温もりに切なさを覚え、何度もナイフを突き立てた。
自分の周りが赤くなった頃、感覚の無くなった右腿からナイフを抜いて、自分の左腕に刺した。腕を貫通するまで、深くナイフで突く。力が入らなくなった左腕を浴槽に
痛みに唸り声を上げるが、これじゃあ足りないとナイフを持ち替え、右手のひらに突き立て、手首を切った。肩や
ナイフを抜くと、物凄い勢いで血が吹き出た。自分から血やナイフが抜けていく感覚は、物凄く気持ち悪くて、物凄く苦しかった。けれど、何処か安心したような気持ちになった僕は、笑みを漏らした。
生きている感覚とは、こういうものなのだろうか……吐き気に
なら、今、終わらせてしまいたい。痛い、苦しい、終わりにしたい。それ以外に、何も思わなかった。
腹を押さえて
いくらナイフを首に刺そうとしても、刃が柔らかくなったかのように滑るのだ。腕が疲れて動かなくなり、ナイフを手放した。力尽きて