26、氷雪蕾花

文字数 6,875文字

「水様っ! 金城家(かねしろけ)の襲撃です!」

 眠っていた私を、雫が起こした。ぼんやりとする頭をなんとか働かせて、ベットから飛び起きる。

「え、あ……分かった。直ぐに向かう」

「向かわなくて良いです、結界を張って下さい! 手伝うので」

 急いで窓に駆け寄って開け放ち、イヤリングを持って来忘れた事に気がついた。髪の毛で良いやと、自分の髪を少量の束で引き抜いた。意外と痛かったが、急を要するので止まっては居られなかった。髪の毛の束を握って、蕾花能力(らいかのうりょく)を使う。髪の毛の一本一本を蕾花の力で包み、それを雫に流す。
 受け取った雫は、更に自分の水玉で包み、氷壁(ひょうへき)に向かってそれを思いっきり投げた。直ぐさま胸から眼鏡を取り出してかけた雫は、水玉の行方(ゆくえ)を眼鏡で追った。時々、指をクルクルと回して方向を変えている。

「着弾確認。青水河結界展開、今です」

「了解」

 雫の合図で、私は抜いた髪の毛を溶かした。遠く離れていたので、感覚と手応えは薄かったが、空が薄い水に(おお)われてぼやけたので、結界を張れたのだと、息を吐いた。

「お疲れ様です。起こしてしまって悪かったですね。まだ、しばらく時間があるので、寝直しても良いですよ」

「いや、いい。起きておく」

「分かりました。飲み物でも持って来ますね」

 雫が部屋を出て行った後、私は窓枠からのりだして、ぼんやりと空を眺めた。水の結界に金属の爆弾が降り注ぎ、無数の波紋を作っているが、音は無い。青水河の結界が壊れる様子も無く、空に結界が在る以外は、普段と変わらない朝だ。

 薄い青色に染まった静寂(せいじゃく)の漂う部屋で、早朝の空気を感じながら再びベットに仰向けになった。バフッと柔らかい音がして、マットレスに反発された。体重で少し沈んだ後、全身の力を抜いて行くと、もう一度眠ってしまいそうになる。枕の下からナイフを引きずり出してカバーを外し、少し(さび)びついた刀身を眺めた。

「あの時の僕とは違う……強くなるんだ、今度こそ、守れるように……」

 物音がしたので、慌ててナイフを仕舞(しま)った。

「水様、今日の予定なんですけど……寝てるんですか?」

「いや、寝てないが?」

 うつ伏せになっていたので、よっこらしょと起き上がり、雫から水を受け取った。レモン汁を入れたのか、清涼感(せいりょうかん)のある香りがした。ベットに腰掛けたまま、雫の話を聞く。

「深雪さんの予定を聞いて来ました。朝食を済ませ次第、氷雪家(ひょうせつけ)に来て欲しいとのことです。雪の特出能力、教えてくれるそうですよ。良かったですね、それと、気づいていると思いますが、水様の蕾花、成長してますよ」

「ああ、そうだな一回(ひとまわ)り膨らんだ。治癒水と慈雨を使えるようになったからか? 最近は蕾花の力が増している。先程の青水河結界でも、四分の一くらいを使った体感だ。確実に力が付いている」

「そうですか……まぁ、無理はしないで下さいね。蕾花の成長に関しては不明な点ばかりですから、開花を目指すのはいいですが、体調不良などは直ぐに言ってください。昨日の私みたいになられると困るんで」

「ああ。分かってるよ、気をつける」

 その後、朝食や着替えを済ませて、私は氷雪家に向かった。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 氷雪家の庭に足を踏み入れると、冬のような冷え切った空気が頬を切った。深雪を捜して雪の積もった庭を彷徨(さまよ)い、玄関先に辿り着くと、深雪がローブのフードを被ろうとしていた。私に気がつき、手を止めた深雪に挨拶をする。

「おはよう深雪、お邪魔するね」

「おはよう流水、早かったね。今迎えに行こうと思ってたとこだよ」

「今日は早起きしたんだ」

「……早朝から襲撃があったもんね、お疲れ」

 素早く着ていたローブを、私に着せてくれる深雪。温厚(おんこう)な深雪のペースに呑まれて、目的を忘れてしまう。

「ありがと、そういえば私、何しに来たんだっけ」

「まあまあ、ゆっくりしていきなよ、それに寒いでしょ? そんな薄着で来るところじゃ無いよ、此処(ここ)は」

 そう言って深雪は、肩掛けを被せてくれた。

「ありがと。いつ来ても本当に寒いね氷雪家は、年がら年中雪景色のままだし……って! 特出能力を教えてもらいに来たんだよ……!」

「ふふふっ、そうだったね、先ずは蕾花を凍らせるとこから始めようか」

「うん、お願いします」

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「家の中は、此処(ここ)よりもっと寒いと思うから、此処でいいかな?」

 (しばら)く庭を歩いて、家の裏に来ると、深雪が言った。

「表だと、家の奴がちょっかい出して来るだろうし……」

「うん、わかった……深雪は薄着だけど寒くないの?」

「寒くないよ、蕾花が氷で出来てるから体温も低いし、普通の人と体の造りが違うから……暑いのは苦手かな」

 深雪のことを、小さい時から色んな所に連れ回していたこと思い出し、私は反省した。つい最近も、春の(ほが)らか……というよりは、突き刺すような日差しの中を、何十分も飛んでもらっていたなと、申し訳なくなった。

「ごめん……今度から気をつけるよ。で、どうすればいい?」

「えっとね……これをあげます。食べちゃってね」

 渡されたのは、手のひらサイズの雪の精霊だった。真っ白な雪で出来ているようなそれは、水色の光を放ちながらフヨフヨと浮いており、薄青色の瞳のような二つの窪みが、私を見上げている。
 心なしか可愛い。細い手脚と、モコモコの頭巾、丸っとした体のワンピースが、フォルムを愛らしく仕上げている……非常に可愛らしい見た目だ。これを、食べるのか? と困惑して深雪を見返すと、頷かれた……食べなければいけないらしい。

「こんな可愛いのを食べるなんて出来ないよ」

「あー、いや、飲み込めば良いから。私の蕾花力を凝縮して出来たようなものだし、体内に取り込めば蕾花が凍って、特出能力を使えるようになるよ」

 スーッと私の頬に寄って来た精霊ちゃんは、頬擦りをした。すると、精霊ちゃんの顔が、じわっと溶けた。私の体温で溶けてしまったのだ。

「良いから呑んでね、話はそこからだよ」

 深雪は、そう言って精霊ちゃんを鷲掴(わしずか)みにし、私の口に押し込んだ。ヒヤヒヤの雪を、口に入れたような食感がしたと思ったら、精霊ちゃんは一瞬で溶けて消えた。そんな精霊ちゃんを(いた)みながら蕾花を確認すると、蕾花の花弁(かべん)二枚が氷になっていた。驚く私を他所に、深雪は解説した。

「氷雪家の特出能力は、精霊ちゃんの気分で操れるんだ。普通なら蕾花が凍ってしまうと死に至るけど、氷雪家は、雪精霊ちゃんに愛された人のみが集まって出来た家だから、蕾花が凍っていても死なない。代わりに体温は低くなって、少しの熱で体調を崩すし、目も髪も肌も雪みたいになっちゃうんだけどね」

「そうなんだ。じゃあ、精霊ちゃんの機嫌を取ればいいの?」

「うーん……それは、ちょっと違うかな。仲良くすれば良い……のかなぁ? 私は元から好かれているから難無く操れるけど……そうだ、水出してみて」

 言われた通りに水玉を出してみる。何の変哲(へんてつ)も無い、いつも通りの水玉が手の上で踊っている。深雪は、その水玉をみて言った。

「そしたら、嫌いな奴のことを考えてみて」

 深雪に言われた通りに、私は嫌いな奴のことを考えた。嫌いな奴は勿論(もちろん)緑糞爺(りょくそじじい)だ。緑糞爺が今迄に言ってきた言葉を、一言一句思い出して、わームカつくー滅多刺しにしたーい……と、怒りを再沸騰させた。すると、物理的な冷たさが胸に広がり、その冷気は水玉へと注がれた。目を開くと、私の手は氷で出来た(くい)を握っていた。深雪が引き()った笑みを浮かべており、その視線は手の杭に注がれている。

「流水、その人のこと余程嫌いなんだね……嫌いな奴を思い浮かべて一番最初に杭を造る人は、初めて見たかも……」

「緑糞爺のことを思い浮かべたんだよ……引いた?」

「ああ、なるほど……良いと思うよ杭、センス有る。私は無意識だと包丁を造っちゃうから……そうだ、流水は何の為に氷雪家の特出能力を使いたい? 用途によっては、練習の内容に影響するからね。聴いておかないと」

 私は、迷いなく即答した。

「家族を護る為に、家族を傷付ける奴を殺す為に使いたい。豊土家(とよつちけ)の攻撃から水園家を護る為には、水じゃ用が足りない。固体の氷や、雪を使えないと護れない。一人で全てをできるようになりたいんだ。誰かに護って貰うんじゃなくて、自分が誰かを護りたい。だから使えるようになりたい」

「なるほど……守りも攻撃も、両方できるようになりたいと……分かった。教えられる事は全て教える。さて、練習を始めようか」

「お願いします!」

「先ず流水は、凍らせる迄の時間が長い。杭が造り(やす)いみたいだから、生成時間を縮めよう。一秒の隙ができたら殺されると思って頑張ってね。始めは一秒に二本を目標にしよう。私が、攻撃を仕掛けるから、流水はそれを防ぎつつ、杭を生成して攻撃し返してね、分かった?」

「うん」

 手のひらの上で、杭を出現させたり消したりしながら、深雪は練習内容を述べた。いきなりハードな練習をするのだな……と思ったが、素直に返事をした。

「じゃあ、始め!」

 深雪の掛け声で始まったと思ったら……死にました。深雪が速すぎて、気がついた時には、私の首に深雪の氷包丁(こおりほうちょう)が当たっている。杭を造っている暇が無かった。一秒の隙ができたら殺される……本当にその通りだ。目で追っている間に死んでる。
 ピンチになると、無意識に蕾花力が発動して盾を造ったりしてくれるので、何度も模擬戦している内に、攻撃を()したり跳ね返したり、防御したり……などの回避方法が身についていった。しかし、逃げたり回避するばかりで、一向に深雪への反撃が出来ていない。
 杭を手の上に造るのは宜しくないのか? 何処から杭を生成するのが効率的なのだろう? 何度も杭を造ることに挑戦するが、回避だけで手一杯だった。それでも数十分後には、深雪の攻撃を簡単に()せるように様になってきていた。休憩を挟んで、再び攻防戦を繰り広げようとした時、深雪がアドバイスをしてくれた。

「両手以外からでも水を出せるでしょ? 水玉を燃料タンクみたいにして、常に体外に出しておけば、後は凍らせるだけだよね。手順が少しでも減る方法を考えてみて。イメージと気持ちをハッキリともつといいよ」

 水で形をイメージして出しておいて気持ちを込めて凍らせれば、手順も簡素(かんそ)になるから、そこまで集中しなくても造れるのか。深雪のアドバイスに納得して、それを参考に試してみるが、別の動きをすると防御の反応速度が遅くなってしまい、死んだ。深雪は、あえてなのか、気を逸らす為の質問を投げてきた。

「遅いね。此処が戦場だったら、流水は何回死んじゃうのかな? 答えてね流水」

 つい、聞かれた質問について考えてしまう。既に三十回以上は死んでますね……と、そんな余計なことを考えたら、イメージがブレてしまった。
 盾が揺らいだその隙に、深雪は包丁のみねを私の首筋に当てた。冷たい氷包丁が、じんわりと首を冷やしていく。私が生成した杭は、飛ばせずに手のひらに戻って来ていた。それは、私の体温で少しずつ水に戻っている。しかし深雪の氷包丁は、私の首に触れていても、溶けるようなことはなかった。それは、深雪が氷雪蕾花(ひょうせつらいか)を使い慣れていて、極めているという証拠なのかもしれない。

「会話で気を逸らせて、集中力を()かせて来る敵にも負けないようにしないと駄目だよ、流水。はい、もう一回やるよ」

 深雪は、そう言ってパッと私から距離を取った。模擬戦を続けるも、その全てで私は、ことごとく失敗した。杭を、素早く生成することが出来ないのだ。杭を生成できたとしても、深雪にそれを飛ばす前に深雪が私を仕留めている。深雪の野次な質問や、集中力を切らせるための突拍子もない言葉には慣れたものの、黙って戦っている私より、喋りながらでも私に勝ててしまう深雪との差に、私は内心げんなりとした。

 深雪に休憩の時間をもらって体を休めている時、深雪が気を使ったのか、ある提案をしてきた。

「流水、疲れたでしょ? 今日はこのくらいにしておこうか?」

「……やめない。課題をクリアしてからじゃないと、気がすまない」

「でも、疲れてると思ったような動きができなくなるし……今日はもう──」

「やめない。先延ばしには出来ない。明日襲撃があるかもしれない、今日の夜攻め込まれるかもしれない……そんな状況で、強くならないままでいるなんて出来ない。チャンスを無下には出来ないから。とことんやる、自在に力を操れるようになるまで。だからお願い……付き合ってよ、深雪」

 意固地(いこじ)になって頼む私を、深雪は、仕方ないなあ、といったように笑って(なだ)めた。

「ふっ……わかった。じゃあ、もうちょっとやろうか、流水。でも、その前にお昼ご飯を──」

 深雪が言いかけた瞬間、家の角から雫が飛び出してきた。

「すみません深雪さん、おまたせ致しました」

「いえいえ雫さん、グットタイミングですよ」

 そう言って二人は、笑顔で挨拶を()わしたのだった。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 雫が持って来てくれたバケットには、彩り豊かなサンドイッチが詰められていた。私が、帰ろうとした雫を引き止めて一緒に食事をしようと誘うと、雫は深雪の顔色を伺ってから、了承した。そして仲良く、昼飯のサンドイッチを食べた。空になったバケットを持った雫を見送った私達は、再び模擬戦をした。

 失敗に失敗を重ねてゆく戦いは、三時間続いた。私は、疲労が溜まってゆくのを体感しながら、深雪の氷包丁を下がって避けた。下がるほんの(わず)かな瞬間で、背中に出現させておいた水玉を、凍らせると同時に変形させた。逃げる隙きを与えまいと、深雪が地面を蹴って、私に詰め寄ってきた。
 チャンスだと、私は背中から氷の杭を前に飛ばし、蕾花能力で体を少し浮かせて後ろに下がった。引きずられて舞った粉雪に視界は覆われて、白く薄い雪のカーテンが、私と深雪を(へだ)てた。舞っていた雪が落ち着いた頃、深雪の姿を(とら)えた。

 深雪は、私の放った氷の杭を眼前(がんぜん)で止めていた。よくよく見ると、口から雪を吐いている。その雪で、目の前に迫る杭を寸で止めたようだ。下向きに放った杭も深雪の(あご)の下ギリギリで雪によって止められている。深雪が口を開き、杭のついた雪を吐き外した。そして、彼は微笑んで言った。

随分(ずいぶん)と早い成功だね。双方(そうほう)からの同時攻撃……速度も完璧。あえて下がり、敵を間合いにおびき寄せてからの雪煙幕……素人とは思えないレベルだ……課題クリアだよ、流水。本っ当にビビったよ、危なかったし……顎元(あごもと)を狙って、軌道(きどう)がずれても首に当たるようにするとか、顔を狙って、あわよくば目に当たるように敵の態勢を操って引き寄せるなんて、恐ろしいことを考えるんだね、流水は……」

 と、褒めてくれた。

「え? クリア? や、やった……!」

 喜びで後退(あとずさ)り、つまずいて尻もちをついた私は、戸惑いながらも喜びを噛み締めた。そんな私に深雪が近寄って来て、手を差し伸べてくる。その手に引き上げられて立ち上がった私は、気持ちを切り替えて、深雪が言う次の課題内容に耳を傾けた。

「次は雪だね。雪の出し方は割と簡単だよ。氷が怒りなら雪は愛かな? 流水なら護りたい気持ちを全面に出せばいいと思う……説明してて思ったんだけど、練習の順番間違えたかも──」

「いや、別に平気だと思う。まあ、とりあえずやってみるね」

 護りたい気持ち……優しさってことか。淡雪(あわゆき)が使っていた、かまくらシールドを思い浮かべて、蕾花の凍った花弁に意識を集中させた。花弁から漂う雪の粉を外へと流す──イメージを終えて目を開くと、手のひらに小さなかまくらが出来ていた。呆気(あっけ)に取られた表情で、深雪は数秒間フリーズした。

「……あ、うん、大成功だね。後は、ひたすら反復練習かな。杭以外にも槍とか矢とかを造れるようになれば、攻撃のレパートリーが増えて良いと思うよ。淡雪みたいに雪達磨を造るのも良いと思うけど、あれは難しいから……自分の戦い易い物を造れるようになれば、万々歳(ばんばんざい)だね。雪と氷は、イメージと気持ち次第で色々なものが造れるから、いっぱい練習して強くなって──」

「すみません雪様!」

 深雪の言葉を遮った台詞と共に、突然開放された家壁(いえかべ)の窓から淡雪が現れて、深雪に書類を差し出した。
 とても迷惑そうな表情をした深雪は、淡雪の只事(ただごと)ではない表情に気圧(けお)され、渋々とその書類を受け取った。書類に目を通した深雪は、表情ひとつ変えずに、ため息を吐いた。

「……ごめんね流水。氷雪家にスカウトできそうな子が見つかったらしいの。ちょっとピンチらしくて、今から向かわないといけないみたいだから、惜しいけど今日はこれで……」

「うん、わかった。今日は本当にありがと、深雪。また今度来るね」

 私は、深雪にローブと肩掛けを返して家に帰ることにした。不穏な気配に、首を突っ込みそうになったが、深雪がああ言うのだから、詮索(せんさく)することも、深雪の言ったことを疑うこともせずに、私は家に帰ったのだった。

 しかし、この時帰ったことを、私は後悔することになる。
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