26、氷雪蕾花
文字数 6,875文字
「水様っ! 金城家 の襲撃です!」
眠っていた私を、雫が起こした。ぼんやりとする頭をなんとか働かせて、ベットから飛び起きる。
「え、あ……分かった。直ぐに向かう」
「向かわなくて良いです、結界を張って下さい! 手伝うので」
急いで窓に駆け寄って開け放ち、イヤリングを持って来忘れた事に気がついた。髪の毛で良いやと、自分の髪を少量の束で引き抜いた。意外と痛かったが、急を要するので止まっては居られなかった。髪の毛の束を握って、蕾花能力 を使う。髪の毛の一本一本を蕾花の力で包み、それを雫に流す。
受け取った雫は、更に自分の水玉で包み、氷壁 に向かってそれを思いっきり投げた。直ぐさま胸から眼鏡を取り出してかけた雫は、水玉の行方 を眼鏡で追った。時々、指をクルクルと回して方向を変えている。
「着弾確認。青水河結界展開、今です」
「了解」
雫の合図で、私は抜いた髪の毛を溶かした。遠く離れていたので、感覚と手応えは薄かったが、空が薄い水に覆 われてぼやけたので、結界を張れたのだと、息を吐いた。
「お疲れ様です。起こしてしまって悪かったですね。まだ、しばらく時間があるので、寝直しても良いですよ」
「いや、いい。起きておく」
「分かりました。飲み物でも持って来ますね」
雫が部屋を出て行った後、私は窓枠からのりだして、ぼんやりと空を眺めた。水の結界に金属の爆弾が降り注ぎ、無数の波紋を作っているが、音は無い。青水河の結界が壊れる様子も無く、空に結界が在る以外は、普段と変わらない朝だ。
薄い青色に染まった静寂 の漂う部屋で、早朝の空気を感じながら再びベットに仰向けになった。バフッと柔らかい音がして、マットレスに反発された。体重で少し沈んだ後、全身の力を抜いて行くと、もう一度眠ってしまいそうになる。枕の下からナイフを引きずり出してカバーを外し、少し錆 びついた刀身を眺めた。
「あの時の僕とは違う……強くなるんだ、今度こそ、守れるように……」
物音がしたので、慌ててナイフを仕舞 った。
「水様、今日の予定なんですけど……寝てるんですか?」
「いや、寝てないが?」
うつ伏せになっていたので、よっこらしょと起き上がり、雫から水を受け取った。レモン汁を入れたのか、清涼感 のある香りがした。ベットに腰掛けたまま、雫の話を聞く。
「深雪さんの予定を聞いて来ました。朝食を済ませ次第、氷雪家 に来て欲しいとのことです。雪の特出能力、教えてくれるそうですよ。良かったですね、それと、気づいていると思いますが、水様の蕾花、成長してますよ」
「ああ、そうだな一回 り膨らんだ。治癒水と慈雨を使えるようになったからか? 最近は蕾花の力が増している。先程の青水河結界でも、四分の一くらいを使った体感だ。確実に力が付いている」
「そうですか……まぁ、無理はしないで下さいね。蕾花の成長に関しては不明な点ばかりですから、開花を目指すのはいいですが、体調不良などは直ぐに言ってください。昨日の私みたいになられると困るんで」
「ああ。分かってるよ、気をつける」
その後、朝食や着替えを済ませて、私は氷雪家に向かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
氷雪家の庭に足を踏み入れると、冬のような冷え切った空気が頬を切った。深雪を捜して雪の積もった庭を彷徨 い、玄関先に辿り着くと、深雪がローブのフードを被ろうとしていた。私に気がつき、手を止めた深雪に挨拶をする。
「おはよう深雪、お邪魔するね」
「おはよう流水、早かったね。今迎えに行こうと思ってたとこだよ」
「今日は早起きしたんだ」
「……早朝から襲撃があったもんね、お疲れ」
素早く着ていたローブを、私に着せてくれる深雪。温厚 な深雪のペースに呑まれて、目的を忘れてしまう。
「ありがと、そういえば私、何しに来たんだっけ」
「まあまあ、ゆっくりしていきなよ、それに寒いでしょ? そんな薄着で来るところじゃ無いよ、此処 は」
そう言って深雪は、肩掛けを被せてくれた。
「ありがと。いつ来ても本当に寒いね氷雪家は、年がら年中雪景色のままだし……って! 特出能力を教えてもらいに来たんだよ……!」
「ふふふっ、そうだったね、先ずは蕾花を凍らせるとこから始めようか」
「うん、お願いします」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「家の中は、此処 よりもっと寒いと思うから、此処でいいかな?」
暫 く庭を歩いて、家の裏に来ると、深雪が言った。
「表だと、家の奴がちょっかい出して来るだろうし……」
「うん、わかった……深雪は薄着だけど寒くないの?」
「寒くないよ、蕾花が氷で出来てるから体温も低いし、普通の人と体の造りが違うから……暑いのは苦手かな」
深雪のことを、小さい時から色んな所に連れ回していたこと思い出し、私は反省した。つい最近も、春の朗 らか……というよりは、突き刺すような日差しの中を、何十分も飛んでもらっていたなと、申し訳なくなった。
「ごめん……今度から気をつけるよ。で、どうすればいい?」
「えっとね……これをあげます。食べちゃってね」
渡されたのは、手のひらサイズの雪の精霊だった。真っ白な雪で出来ているようなそれは、水色の光を放ちながらフヨフヨと浮いており、薄青色の瞳のような二つの窪みが、私を見上げている。
心なしか可愛い。細い手脚と、モコモコの頭巾、丸っとした体のワンピースが、フォルムを愛らしく仕上げている……非常に可愛らしい見た目だ。これを、食べるのか? と困惑して深雪を見返すと、頷かれた……食べなければいけないらしい。
「こんな可愛いのを食べるなんて出来ないよ」
「あー、いや、飲み込めば良いから。私の蕾花力を凝縮して出来たようなものだし、体内に取り込めば蕾花が凍って、特出能力を使えるようになるよ」
スーッと私の頬に寄って来た精霊ちゃんは、頬擦りをした。すると、精霊ちゃんの顔が、じわっと溶けた。私の体温で溶けてしまったのだ。
「良いから呑んでね、話はそこからだよ」
深雪は、そう言って精霊ちゃんを鷲掴 みにし、私の口に押し込んだ。ヒヤヒヤの雪を、口に入れたような食感がしたと思ったら、精霊ちゃんは一瞬で溶けて消えた。そんな精霊ちゃんを悼 みながら蕾花を確認すると、蕾花の花弁 二枚が氷になっていた。驚く私を他所に、深雪は解説した。
「氷雪家の特出能力は、精霊ちゃんの気分で操れるんだ。普通なら蕾花が凍ってしまうと死に至るけど、氷雪家は、雪精霊ちゃんに愛された人のみが集まって出来た家だから、蕾花が凍っていても死なない。代わりに体温は低くなって、少しの熱で体調を崩すし、目も髪も肌も雪みたいになっちゃうんだけどね」
「そうなんだ。じゃあ、精霊ちゃんの機嫌を取ればいいの?」
「うーん……それは、ちょっと違うかな。仲良くすれば良い……のかなぁ? 私は元から好かれているから難無く操れるけど……そうだ、水出してみて」
言われた通りに水玉を出してみる。何の変哲 も無い、いつも通りの水玉が手の上で踊っている。深雪は、その水玉をみて言った。
「そしたら、嫌いな奴のことを考えてみて」
深雪に言われた通りに、私は嫌いな奴のことを考えた。嫌いな奴は勿論 、緑糞爺 だ。緑糞爺が今迄に言ってきた言葉を、一言一句思い出して、わームカつくー滅多刺しにしたーい……と、怒りを再沸騰させた。すると、物理的な冷たさが胸に広がり、その冷気は水玉へと注がれた。目を開くと、私の手は氷で出来た杭 を握っていた。深雪が引き攣 った笑みを浮かべており、その視線は手の杭に注がれている。
「流水、その人のこと余程嫌いなんだね……嫌いな奴を思い浮かべて一番最初に杭を造る人は、初めて見たかも……」
「緑糞爺のことを思い浮かべたんだよ……引いた?」
「ああ、なるほど……良いと思うよ杭、センス有る。私は無意識だと包丁を造っちゃうから……そうだ、流水は何の為に氷雪家の特出能力を使いたい? 用途によっては、練習の内容に影響するからね。聴いておかないと」
私は、迷いなく即答した。
「家族を護る為に、家族を傷付ける奴を殺す為に使いたい。豊土家 の攻撃から水園家を護る為には、水じゃ用が足りない。固体の氷や、雪を使えないと護れない。一人で全てをできるようになりたいんだ。誰かに護って貰うんじゃなくて、自分が誰かを護りたい。だから使えるようになりたい」
「なるほど……守りも攻撃も、両方できるようになりたいと……分かった。教えられる事は全て教える。さて、練習を始めようか」
「お願いします!」
「先ず流水は、凍らせる迄の時間が長い。杭が造り易 いみたいだから、生成時間を縮めよう。一秒の隙ができたら殺されると思って頑張ってね。始めは一秒に二本を目標にしよう。私が、攻撃を仕掛けるから、流水はそれを防ぎつつ、杭を生成して攻撃し返してね、分かった?」
「うん」
手のひらの上で、杭を出現させたり消したりしながら、深雪は練習内容を述べた。いきなりハードな練習をするのだな……と思ったが、素直に返事をした。
「じゃあ、始め!」
深雪の掛け声で始まったと思ったら……死にました。深雪が速すぎて、気がついた時には、私の首に深雪の氷包丁 が当たっている。杭を造っている暇が無かった。一秒の隙ができたら殺される……本当にその通りだ。目で追っている間に死んでる。
ピンチになると、無意識に蕾花力が発動して盾を造ったりしてくれるので、何度も模擬戦している内に、攻撃を逸 したり跳ね返したり、防御したり……などの回避方法が身についていった。しかし、逃げたり回避するばかりで、一向に深雪への反撃が出来ていない。
杭を手の上に造るのは宜しくないのか? 何処から杭を生成するのが効率的なのだろう? 何度も杭を造ることに挑戦するが、回避だけで手一杯だった。それでも数十分後には、深雪の攻撃を簡単に躱 せるように様になってきていた。休憩を挟んで、再び攻防戦を繰り広げようとした時、深雪がアドバイスをしてくれた。
「両手以外からでも水を出せるでしょ? 水玉を燃料タンクみたいにして、常に体外に出しておけば、後は凍らせるだけだよね。手順が少しでも減る方法を考えてみて。イメージと気持ちをハッキリともつといいよ」
水で形をイメージして出しておいて気持ちを込めて凍らせれば、手順も簡素 になるから、そこまで集中しなくても造れるのか。深雪のアドバイスに納得して、それを参考に試してみるが、別の動きをすると防御の反応速度が遅くなってしまい、死んだ。深雪は、あえてなのか、気を逸らす為の質問を投げてきた。
「遅いね。此処が戦場だったら、流水は何回死んじゃうのかな? 答えてね流水」
つい、聞かれた質問について考えてしまう。既に三十回以上は死んでますね……と、そんな余計なことを考えたら、イメージがブレてしまった。
盾が揺らいだその隙に、深雪は包丁のみねを私の首筋に当てた。冷たい氷包丁が、じんわりと首を冷やしていく。私が生成した杭は、飛ばせずに手のひらに戻って来ていた。それは、私の体温で少しずつ水に戻っている。しかし深雪の氷包丁は、私の首に触れていても、溶けるようなことはなかった。それは、深雪が氷雪蕾花 を使い慣れていて、極めているという証拠なのかもしれない。
「会話で気を逸らせて、集中力を欠 かせて来る敵にも負けないようにしないと駄目だよ、流水。はい、もう一回やるよ」
深雪は、そう言ってパッと私から距離を取った。模擬戦を続けるも、その全てで私は、ことごとく失敗した。杭を、素早く生成することが出来ないのだ。杭を生成できたとしても、深雪にそれを飛ばす前に深雪が私を仕留めている。深雪の野次な質問や、集中力を切らせるための突拍子もない言葉には慣れたものの、黙って戦っている私より、喋りながらでも私に勝ててしまう深雪との差に、私は内心げんなりとした。
深雪に休憩の時間をもらって体を休めている時、深雪が気を使ったのか、ある提案をしてきた。
「流水、疲れたでしょ? 今日はこのくらいにしておこうか?」
「……やめない。課題をクリアしてからじゃないと、気がすまない」
「でも、疲れてると思ったような動きができなくなるし……今日はもう──」
「やめない。先延ばしには出来ない。明日襲撃があるかもしれない、今日の夜攻め込まれるかもしれない……そんな状況で、強くならないままでいるなんて出来ない。チャンスを無下には出来ないから。とことんやる、自在に力を操れるようになるまで。だからお願い……付き合ってよ、深雪」
意固地 になって頼む私を、深雪は、仕方ないなあ、といったように笑って宥 めた。
「ふっ……わかった。じゃあ、もうちょっとやろうか、流水。でも、その前にお昼ご飯を──」
深雪が言いかけた瞬間、家の角から雫が飛び出してきた。
「すみません深雪さん、おまたせ致しました」
「いえいえ雫さん、グットタイミングですよ」
そう言って二人は、笑顔で挨拶を交 わしたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雫が持って来てくれたバケットには、彩り豊かなサンドイッチが詰められていた。私が、帰ろうとした雫を引き止めて一緒に食事をしようと誘うと、雫は深雪の顔色を伺ってから、了承した。そして仲良く、昼飯のサンドイッチを食べた。空になったバケットを持った雫を見送った私達は、再び模擬戦をした。
失敗に失敗を重ねてゆく戦いは、三時間続いた。私は、疲労が溜まってゆくのを体感しながら、深雪の氷包丁を下がって避けた。下がるほんの僅 かな瞬間で、背中に出現させておいた水玉を、凍らせると同時に変形させた。逃げる隙きを与えまいと、深雪が地面を蹴って、私に詰め寄ってきた。
チャンスだと、私は背中から氷の杭を前に飛ばし、蕾花能力で体を少し浮かせて後ろに下がった。引きずられて舞った粉雪に視界は覆われて、白く薄い雪のカーテンが、私と深雪を隔 てた。舞っていた雪が落ち着いた頃、深雪の姿を捉 えた。
深雪は、私の放った氷の杭を眼前 で止めていた。よくよく見ると、口から雪を吐いている。その雪で、目の前に迫る杭を寸で止めたようだ。下向きに放った杭も深雪の顎 の下ギリギリで雪によって止められている。深雪が口を開き、杭のついた雪を吐き外した。そして、彼は微笑んで言った。
「随分 と早い成功だね。双方 からの同時攻撃……速度も完璧。あえて下がり、敵を間合いにおびき寄せてからの雪煙幕……素人とは思えないレベルだ……課題クリアだよ、流水。本っ当にビビったよ、危なかったし……顎元 を狙って、軌道 がずれても首に当たるようにするとか、顔を狙って、あわよくば目に当たるように敵の態勢を操って引き寄せるなんて、恐ろしいことを考えるんだね、流水は……」
と、褒めてくれた。
「え? クリア? や、やった……!」
喜びで後退 り、つまずいて尻もちをついた私は、戸惑いながらも喜びを噛み締めた。そんな私に深雪が近寄って来て、手を差し伸べてくる。その手に引き上げられて立ち上がった私は、気持ちを切り替えて、深雪が言う次の課題内容に耳を傾けた。
「次は雪だね。雪の出し方は割と簡単だよ。氷が怒りなら雪は愛かな? 流水なら護りたい気持ちを全面に出せばいいと思う……説明してて思ったんだけど、練習の順番間違えたかも──」
「いや、別に平気だと思う。まあ、とりあえずやってみるね」
護りたい気持ち……優しさってことか。淡雪 が使っていた、かまくらシールドを思い浮かべて、蕾花の凍った花弁に意識を集中させた。花弁から漂う雪の粉を外へと流す──イメージを終えて目を開くと、手のひらに小さなかまくらが出来ていた。呆気 に取られた表情で、深雪は数秒間フリーズした。
「……あ、うん、大成功だね。後は、ひたすら反復練習かな。杭以外にも槍とか矢とかを造れるようになれば、攻撃のレパートリーが増えて良いと思うよ。淡雪みたいに雪達磨を造るのも良いと思うけど、あれは難しいから……自分の戦い易い物を造れるようになれば、万々歳 だね。雪と氷は、イメージと気持ち次第で色々なものが造れるから、いっぱい練習して強くなって──」
「すみません雪様!」
深雪の言葉を遮った台詞と共に、突然開放された家壁 の窓から淡雪が現れて、深雪に書類を差し出した。
とても迷惑そうな表情をした深雪は、淡雪の只事 ではない表情に気圧 され、渋々とその書類を受け取った。書類に目を通した深雪は、表情ひとつ変えずに、ため息を吐いた。
「……ごめんね流水。氷雪家にスカウトできそうな子が見つかったらしいの。ちょっとピンチらしくて、今から向かわないといけないみたいだから、惜しいけど今日はこれで……」
「うん、わかった。今日は本当にありがと、深雪。また今度来るね」
私は、深雪にローブと肩掛けを返して家に帰ることにした。不穏な気配に、首を突っ込みそうになったが、深雪がああ言うのだから、詮索 することも、深雪の言ったことを疑うこともせずに、私は家に帰ったのだった。
しかし、この時帰ったことを、私は後悔することになる。
眠っていた私を、雫が起こした。ぼんやりとする頭をなんとか働かせて、ベットから飛び起きる。
「え、あ……分かった。直ぐに向かう」
「向かわなくて良いです、結界を張って下さい! 手伝うので」
急いで窓に駆け寄って開け放ち、イヤリングを持って来忘れた事に気がついた。髪の毛で良いやと、自分の髪を少量の束で引き抜いた。意外と痛かったが、急を要するので止まっては居られなかった。髪の毛の束を握って、
受け取った雫は、更に自分の水玉で包み、
「着弾確認。青水河結界展開、今です」
「了解」
雫の合図で、私は抜いた髪の毛を溶かした。遠く離れていたので、感覚と手応えは薄かったが、空が薄い水に
「お疲れ様です。起こしてしまって悪かったですね。まだ、しばらく時間があるので、寝直しても良いですよ」
「いや、いい。起きておく」
「分かりました。飲み物でも持って来ますね」
雫が部屋を出て行った後、私は窓枠からのりだして、ぼんやりと空を眺めた。水の結界に金属の爆弾が降り注ぎ、無数の波紋を作っているが、音は無い。青水河の結界が壊れる様子も無く、空に結界が在る以外は、普段と変わらない朝だ。
薄い青色に染まった
「あの時の僕とは違う……強くなるんだ、今度こそ、守れるように……」
物音がしたので、慌ててナイフを
「水様、今日の予定なんですけど……寝てるんですか?」
「いや、寝てないが?」
うつ伏せになっていたので、よっこらしょと起き上がり、雫から水を受け取った。レモン汁を入れたのか、
「深雪さんの予定を聞いて来ました。朝食を済ませ次第、
「ああ、そうだな
「そうですか……まぁ、無理はしないで下さいね。蕾花の成長に関しては不明な点ばかりですから、開花を目指すのはいいですが、体調不良などは直ぐに言ってください。昨日の私みたいになられると困るんで」
「ああ。分かってるよ、気をつける」
その後、朝食や着替えを済ませて、私は氷雪家に向かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
氷雪家の庭に足を踏み入れると、冬のような冷え切った空気が頬を切った。深雪を捜して雪の積もった庭を
「おはよう深雪、お邪魔するね」
「おはよう流水、早かったね。今迎えに行こうと思ってたとこだよ」
「今日は早起きしたんだ」
「……早朝から襲撃があったもんね、お疲れ」
素早く着ていたローブを、私に着せてくれる深雪。
「ありがと、そういえば私、何しに来たんだっけ」
「まあまあ、ゆっくりしていきなよ、それに寒いでしょ? そんな薄着で来るところじゃ無いよ、
そう言って深雪は、肩掛けを被せてくれた。
「ありがと。いつ来ても本当に寒いね氷雪家は、年がら年中雪景色のままだし……って! 特出能力を教えてもらいに来たんだよ……!」
「ふふふっ、そうだったね、先ずは蕾花を凍らせるとこから始めようか」
「うん、お願いします」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「家の中は、
「表だと、家の奴がちょっかい出して来るだろうし……」
「うん、わかった……深雪は薄着だけど寒くないの?」
「寒くないよ、蕾花が氷で出来てるから体温も低いし、普通の人と体の造りが違うから……暑いのは苦手かな」
深雪のことを、小さい時から色んな所に連れ回していたこと思い出し、私は反省した。つい最近も、春の
「ごめん……今度から気をつけるよ。で、どうすればいい?」
「えっとね……これをあげます。食べちゃってね」
渡されたのは、手のひらサイズの雪の精霊だった。真っ白な雪で出来ているようなそれは、水色の光を放ちながらフヨフヨと浮いており、薄青色の瞳のような二つの窪みが、私を見上げている。
心なしか可愛い。細い手脚と、モコモコの頭巾、丸っとした体のワンピースが、フォルムを愛らしく仕上げている……非常に可愛らしい見た目だ。これを、食べるのか? と困惑して深雪を見返すと、頷かれた……食べなければいけないらしい。
「こんな可愛いのを食べるなんて出来ないよ」
「あー、いや、飲み込めば良いから。私の蕾花力を凝縮して出来たようなものだし、体内に取り込めば蕾花が凍って、特出能力を使えるようになるよ」
スーッと私の頬に寄って来た精霊ちゃんは、頬擦りをした。すると、精霊ちゃんの顔が、じわっと溶けた。私の体温で溶けてしまったのだ。
「良いから呑んでね、話はそこからだよ」
深雪は、そう言って精霊ちゃんを
「氷雪家の特出能力は、精霊ちゃんの気分で操れるんだ。普通なら蕾花が凍ってしまうと死に至るけど、氷雪家は、雪精霊ちゃんに愛された人のみが集まって出来た家だから、蕾花が凍っていても死なない。代わりに体温は低くなって、少しの熱で体調を崩すし、目も髪も肌も雪みたいになっちゃうんだけどね」
「そうなんだ。じゃあ、精霊ちゃんの機嫌を取ればいいの?」
「うーん……それは、ちょっと違うかな。仲良くすれば良い……のかなぁ? 私は元から好かれているから難無く操れるけど……そうだ、水出してみて」
言われた通りに水玉を出してみる。何の
「そしたら、嫌いな奴のことを考えてみて」
深雪に言われた通りに、私は嫌いな奴のことを考えた。嫌いな奴は
「流水、その人のこと余程嫌いなんだね……嫌いな奴を思い浮かべて一番最初に杭を造る人は、初めて見たかも……」
「緑糞爺のことを思い浮かべたんだよ……引いた?」
「ああ、なるほど……良いと思うよ杭、センス有る。私は無意識だと包丁を造っちゃうから……そうだ、流水は何の為に氷雪家の特出能力を使いたい? 用途によっては、練習の内容に影響するからね。聴いておかないと」
私は、迷いなく即答した。
「家族を護る為に、家族を傷付ける奴を殺す為に使いたい。
「なるほど……守りも攻撃も、両方できるようになりたいと……分かった。教えられる事は全て教える。さて、練習を始めようか」
「お願いします!」
「先ず流水は、凍らせる迄の時間が長い。杭が造り
「うん」
手のひらの上で、杭を出現させたり消したりしながら、深雪は練習内容を述べた。いきなりハードな練習をするのだな……と思ったが、素直に返事をした。
「じゃあ、始め!」
深雪の掛け声で始まったと思ったら……死にました。深雪が速すぎて、気がついた時には、私の首に深雪の
ピンチになると、無意識に蕾花力が発動して盾を造ったりしてくれるので、何度も模擬戦している内に、攻撃を
杭を手の上に造るのは宜しくないのか? 何処から杭を生成するのが効率的なのだろう? 何度も杭を造ることに挑戦するが、回避だけで手一杯だった。それでも数十分後には、深雪の攻撃を簡単に
「両手以外からでも水を出せるでしょ? 水玉を燃料タンクみたいにして、常に体外に出しておけば、後は凍らせるだけだよね。手順が少しでも減る方法を考えてみて。イメージと気持ちをハッキリともつといいよ」
水で形をイメージして出しておいて気持ちを込めて凍らせれば、手順も
「遅いね。此処が戦場だったら、流水は何回死んじゃうのかな? 答えてね流水」
つい、聞かれた質問について考えてしまう。既に三十回以上は死んでますね……と、そんな余計なことを考えたら、イメージがブレてしまった。
盾が揺らいだその隙に、深雪は包丁のみねを私の首筋に当てた。冷たい氷包丁が、じんわりと首を冷やしていく。私が生成した杭は、飛ばせずに手のひらに戻って来ていた。それは、私の体温で少しずつ水に戻っている。しかし深雪の氷包丁は、私の首に触れていても、溶けるようなことはなかった。それは、深雪が
「会話で気を逸らせて、集中力を
深雪は、そう言ってパッと私から距離を取った。模擬戦を続けるも、その全てで私は、ことごとく失敗した。杭を、素早く生成することが出来ないのだ。杭を生成できたとしても、深雪にそれを飛ばす前に深雪が私を仕留めている。深雪の野次な質問や、集中力を切らせるための突拍子もない言葉には慣れたものの、黙って戦っている私より、喋りながらでも私に勝ててしまう深雪との差に、私は内心げんなりとした。
深雪に休憩の時間をもらって体を休めている時、深雪が気を使ったのか、ある提案をしてきた。
「流水、疲れたでしょ? 今日はこのくらいにしておこうか?」
「……やめない。課題をクリアしてからじゃないと、気がすまない」
「でも、疲れてると思ったような動きができなくなるし……今日はもう──」
「やめない。先延ばしには出来ない。明日襲撃があるかもしれない、今日の夜攻め込まれるかもしれない……そんな状況で、強くならないままでいるなんて出来ない。チャンスを無下には出来ないから。とことんやる、自在に力を操れるようになるまで。だからお願い……付き合ってよ、深雪」
「ふっ……わかった。じゃあ、もうちょっとやろうか、流水。でも、その前にお昼ご飯を──」
深雪が言いかけた瞬間、家の角から雫が飛び出してきた。
「すみません深雪さん、おまたせ致しました」
「いえいえ雫さん、グットタイミングですよ」
そう言って二人は、笑顔で挨拶を
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雫が持って来てくれたバケットには、彩り豊かなサンドイッチが詰められていた。私が、帰ろうとした雫を引き止めて一緒に食事をしようと誘うと、雫は深雪の顔色を伺ってから、了承した。そして仲良く、昼飯のサンドイッチを食べた。空になったバケットを持った雫を見送った私達は、再び模擬戦をした。
失敗に失敗を重ねてゆく戦いは、三時間続いた。私は、疲労が溜まってゆくのを体感しながら、深雪の氷包丁を下がって避けた。下がるほんの
チャンスだと、私は背中から氷の杭を前に飛ばし、蕾花能力で体を少し浮かせて後ろに下がった。引きずられて舞った粉雪に視界は覆われて、白く薄い雪のカーテンが、私と深雪を
深雪は、私の放った氷の杭を
「
と、褒めてくれた。
「え? クリア? や、やった……!」
喜びで
「次は雪だね。雪の出し方は割と簡単だよ。氷が怒りなら雪は愛かな? 流水なら護りたい気持ちを全面に出せばいいと思う……説明してて思ったんだけど、練習の順番間違えたかも──」
「いや、別に平気だと思う。まあ、とりあえずやってみるね」
護りたい気持ち……優しさってことか。
「……あ、うん、大成功だね。後は、ひたすら反復練習かな。杭以外にも槍とか矢とかを造れるようになれば、攻撃のレパートリーが増えて良いと思うよ。淡雪みたいに雪達磨を造るのも良いと思うけど、あれは難しいから……自分の戦い易い物を造れるようになれば、
「すみません雪様!」
深雪の言葉を遮った台詞と共に、突然開放された
とても迷惑そうな表情をした深雪は、淡雪の
「……ごめんね流水。氷雪家にスカウトできそうな子が見つかったらしいの。ちょっとピンチらしくて、今から向かわないといけないみたいだから、惜しいけど今日はこれで……」
「うん、わかった。今日は本当にありがと、深雪。また今度来るね」
私は、深雪にローブと肩掛けを返して家に帰ることにした。不穏な気配に、首を突っ込みそうになったが、深雪がああ言うのだから、
しかし、この時帰ったことを、私は後悔することになる。