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文字数 1,919文字

 今作っているのはカルナ・ルナというアイドルの女の子が歌う曲だ。アイドルと言ったってもちろんテレビに出ているようなトップアイドルじゃない。ローカルアイドルというような、ネットで歌を発信して日曜日のショッピングモールなんかでビニル袋みたいな衣装を着て歌っているようなアイドルだ。予算なんかあるはずがないから楽曲にしろ衣装にしろ一流に依頼することはできないし、こだわりも全然ない。おれみたいなのの出番というわけだ。ほんとはこんなに手間をかけて作ったんじゃ割に合わないし演奏者にまともなギャラを払っていたら食っていけない。だから普通はギターかピアノを弾けるやつがそれ以外のパートを全部コンピュータで作る。それが一番低コストだからだ。こういう仕事はギャラが底辺な分求められているものも低いからギャラに見合うレベルで適当にお茶を濁してもだれも文句は言わないしこだわったところでどうせわかるようなやつは聴いていない。それでもやるのは性分というやつだ。おれはやるからにはいいものを作りたい。偽善でもカッコつけでもなく単に趣味みたいなものだ。おれがこんなギャラでこんなにこだわったものを出すと同業の他の奴が困るという話も聞くけれどそんなことはおれの知ったことではない。おれはどうせだれも聴いていないスネアドラムにあほみたいに時間をかけて調整する。時給換算して四十円ぐらいであってもそんなことはいい。末端のコンテンツなんてものは多かれ少なかれおれみたいなコスト感覚ってものが死滅したやつらのこだわりに支えられている。

 ほとんどだれも知らないようなアイドルをダシに売れてないミュージシャンが自分たちの表現を詰め込んで自己満足に浸る。おれたちがやっているこのカルナ・ルナはおたく受けしそうな漫画的美少女で、どこから出ているかわからないアニメみたいな声で歌う。おれたちの作る80年代のプログレみたいなマニアックなアレンジの楽曲にこの素っ頓狂な歌声が乗るとなにやら異様な世界が生まれる。それはそれで斬新な音楽になっているとおれは自負している。最初はそのたいしてうまくもない歌には何の期待もしていなかったのに、今ではその歌ありきで曲作りをしている。おれたちの作ったものに金を払っている客の大部分はそのアイドルが歌ってさえいれば曲なんてなんでもいいという人たちだろう。それでも、今度の曲は不思議だとか歌詞がイカレてるとかなんかヤバいとかいう感想を目にするとちゃんと届いているな、と思える。

 おれはミュージシャンになりたかった。そして今こうやって音楽を作って暮らしている。この職業はたぶんミュージシャンだ。ではおれの夢はかなったのかと言えばおそらくそうは言えない。もっとこう、大きなステージでたわしの毛のようにあたりを埋め尽くした観客を前に演奏するようなメジャーアーティスト。そういうものになりたかったはずだ。だいたいミュージシャンになりたいと思うやつはそういうところを目指して始めるんだろう。でもだれもが知っているように、そんなところへたどり着くのはごくわずかな人だけだ。じゃあそこへ行けなかったやつはどうなるのかというと、多くは途中であきらめてまったく違う道を進む。一部のとても純粋に音楽をやっていたやつはメジャーな演奏家になったり作曲家になったりプロデューサーになったりする。おれのように中途半端なやつがこういうところに引っかかって、夢がかなったわけじゃないのに一定のなにかは満たされるという状態に落ち着く。そういうやつから搾取してクソみたいなギャラでコンテンツを作るやつというのがいて、要するにおれたちは足下を見られているわけだ。でもことさらそれに文句を言うこともない。足下を見られているしクソったれな状況ではあるけれど、それによって満たされている部分も間違いなくあるからだ。ギブアンドテイク。それがひどく低次元なところで釣り合っているわけだ。

 しばらく作業に没頭してヘッドホンを外す。雨は弱まったみたいで全体的に音量が下がり、雨戸のスキャットも何かの合いの手のようにときどきたぱらた、ぱた、たぱらぱ、らぱた、ばたら、らぱたらぱ、た、ぱらぱたなどというアクセントになっている。時計に目をやると着、着、着、とテンポ60のビートが表層に出てきて、次第に着つくつく着つくつく着つくつくの六連符が浮かび上がってくる。目をやった瞬間に時計の針は見えているはずなのにこの六連符がよみがえってくるまで何時だかわからない。目に入ってきた像が時計のグルーヴに乗っかるまで意味をなさないようだ。どうやらもうすぐ夜明けだ。もうすぐ夜明けだと思ったらでかいあくびが出た。そろそろ寝るか。
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