G 3~ Ending

文字数 4,300文字

「ライド1kHz(キロ)ちょい上げで、[B]はドラムバイテンでベーススリップしてポリリズムっぽく、[D]の3小節目ケツはパッシングのFdim挟んでつなごう」
 おれの放った言葉がおれを通り抜けていく。
「なんだこの言葉は。これはある範囲の人の間では明瞭な意味を持った言葉だ。なにを意味するかなんて考えるまでもない。ごく普通の話し言葉だ。しかしそのある範囲を一歩でも離れるともうまるで通じない言葉と化す。言葉が世界を作っているんだ。その言葉の通じる範囲がそのまま世界だ。そうは思わないか」
 おれはなんとかトマトジュースを一口飲んだ。
「カット12、55フレ目あたりのパク見直す、アヤメのモデル足首のスキン破綻してますよ、パーティクル多すぎてレンダリング重いんでコンポジット処理にできませんか、スカートのUVおかしくないですか、髪の毛IKいる?」
 おれがおれたちを見回す。
「どうだ。これはまた別の世界の言葉だろう。外国語とかそういう話じゃない。同じ日本語でも使われている範囲が異なればほとんど理解不能なものになる。専門用語やスラングみたいなある特定の範囲でしか通じない言葉というのは特定の範囲で使われるために生まれたわけではない。言葉の側が共通の因数となってそれが通じる範囲という世界を括り出すんだ。そして、その世界に所属するためにそこでだけ使われる言葉を使う。その世界固有の言葉を使えば世界の仲間入りができるとでも思っているかのように使うんだ。言葉は外の世界の人たちに自分がそこに属していることをアピールするためにも一役買う。そうやって自分がどこに帰属するかを内外にアピールするために言葉は濫用されるわけだ。言葉はひとたび使い始めてしまうとそのうちサブシステム化されてしまう。はじめは意識して使っていた言葉が自然に出るようになる。世界に入ったつもりがいつのまにか取り込まれてしまっているんだ。一歩でも外に出ればまるっきり通じないかもしれないということを忘れて、わけのわからない言葉を無自覚にばらまくようになる。何かを言っているようでいて実は何も言っていないという状態に陥るわけだ」
 おれにはもう目の前のおれが話していることがよくわからなかった。最初から一つもわからないという気もした。おれは手にしたトマトジュースをもう一口飲んだ。このトマトジュースはどこから来たんだ。そもそもおれは缶のトマトジュースなんて買ったことがあったのか。
「訁葊き丗畍ん佝れゔち〃」
「なんだって?」
「言葉が世壊を作るんだ。ごは訁葊ばかろは丗畍ぬぶざゐじぅ〃」
「そうかもしれない」
 キッチンから仕事部屋へ続くふすまが開いて中からおれが出てきた。あのふすまは開けっぱなしじゃなかっただろうか。いつから閉まっていたのだろうか。出てきたおれは両手に印画紙をつまんでいた。足でふすまを開けたようだ。おれが立ち止まって食卓のおれたちを見回した。
「だれだおまえは」
 おれが言った。
「おれはおまえらとおなじおれだ」
 おれが言った。
「おまえは写真家なのか」
 おれが言った。
「いまどき印画紙で自家現像するような仕事が末端のカメラマンにあるわけないだろ。これは趣味だ」
 そう言っておれは流しの上に張った紐に印画紙をつるし始めた。
「自家現像か」
「ああ」
「そうか。おれもやろうと思ったことはあった。機材を揃える手間とカネのことを考えて諦めたけどな」
「雨戸のある部屋は暗室にいいんだ」
 そう言われてみると現像液のすえた臭いが部屋中に染みついているような気がしてきた。そうだ。ここへ越してきたときからおれは自家現像をやっていたし一度もやったことはない。
「こいつにもメールしたのか」
「いや。おれがメールを出したのは二人だけだ。しかしこの家に住むおれの可能性たちが入り混じり始めたことで、おれが直接メールしたのとは違う道のおれにも影響を与えてここに呼び出されたということはあるかもしれない。共通点はこの部屋を借りていることだ」
「別の道を行ったおれもみんなこの部屋を借りているのか。そんなことがあるのか」
「みんなではなかろう。ここに住んでいるのは実家を出たタイミングが似通っていて、実家からそう遠くない場所で、中心部にアクセスしやすい郊外で、家賃が安くて、雨戸がついているという条件にこだわったおれだろう。雨戸にこだわると物件はほとんどない。ここぐらいしか見つからなかったことをここにいるおれたちは全員知っているはずだ」
 おれたちは互いの顔を見回した。
「そういうことか。じゃあどんな仕事をしているかによらずここに現れるおれはみんな雨戸が好きなのか。逆に雨戸にそれほどこだわらなかったおれは別の場所で暮らしているかもしれないわけだ」
「そう。そしてこの部屋に暮らすおれだけがここに現れる」

「ギターソロのディレイにコンプのきいた大判止めスライドをかましてベルビアのビビッドな発色がリポバッテリーをバランス充電するんだ」
 そんなことを言いながらトイレからおれが出てきた。
「いや、そこはもっと別トラックでダブリングした上でフェアリングをきかせてトリミングしたベアリングがいい」
 キッチンにいたオレが言う。
「そうか。それならもっとISOをゲインブーストしてパーティクルのエミッションがサスペンションとコミュニケーションして流体シミュレーションのキャッシュが定期的に削除されるようにしたいところだな」
 おれが言い出すと「でもGTRとWRXがSEXしてもNSXは生まれないと思うぜ」とおれが反論する。
「それはそうだ。NSXはモーターが三連符だからな。三連符の合間に休符(レスト)が入ってネストされたレストが独特の外連味を生むとあるいはミラクルがクルクルしてむしろJBLかもしれない。

 だから
 それにしたってスピコンがいくら良くても冒頭でデファインされたマクロがプリプロの段階でスケジュールの破たんを招いてギャラがチャラになったりするんだからやりきれないんだ。
 冗談じゃない。おれがどれだけのエフェクトをエレクトしてインサートしたと思ってるんだ。まったくだ。ブラックどころじゃない。こちとらShineですらないんだからな。合成セルのシートがカオスでも差し戻せないんだぞ。あたりまえだ。いつだって予算とスケジュールが無くて誤算とボンジュールするんだ。クォンタイズしたメロンパンがスイッチングハブとSSLで五月雨式に淫らてぃぶだからな。
 おれはコーヒーにブランデーをどぼどぼ注いで一気にあおった。
 
 食卓に座りきれないおれが薄暗い仕事部屋の椅子やベッドの上にも座っている。おまえらも飲むか。ブランデーだと? おれはマーテルしか飲まないぞ。当然だ。おれもおれなんだからそんなことわかってる。おれはキッチンにあったデュラレックスのタンブラーを全部出してかたっぱしからブランデーを注いだ。おれにもよこせ。まて。ちゃんとくれてやる。わりこむな。みんなおれなんだから。ぞろぞろと出てくるおれたちがどんどん飲む。みんなおれだから全員酒は弱い。ブランデー一杯でどんどん上機嫌になる。まだリテイクあったっけ? あるある。むしろリテイクばっかりだ。そう言っておれはげらげら笑いだした。カルナとブタの論理積がギターソロをリミックスだ。そのあとヌルポインタをケツの穴に突っ込んでスパークプラグをゼロ除算したらリークしたカウパーを片付けなきゃならない。そうだったそうだったとおれたちが口々に言った。

 こんなことを続けてたらペニスボールのドライバーショットが4312ヤードぐらいぶっ飛んで䌒だし、まかり間違うと一発で膣にホールインワンするかもしれない。あほんだら。そんなJBLが許されると思ってるのか。BBCとCCBがCIAを盾にしてNHKにBCGを打つようなもんだぞ。そのぐらい気づけ。IDEのHDDしかないなんて狂気のSATAだろ。だからWi-Fi経由でオープンソースのアナルが開発されたりして過充電のリポが破裂しちまうんだよ。おれが知るか。最初からメンテナンスフリーのブラシレスをシームレスなテクスチャにしてホームレスがかっぱらってきたシーラカンスの刺し身に貼っておけばいいものをマヌケなハゲが偉そうなことを言いやがるからひどいことになる。ぐだぐだ言ってないで早くリテイクを片付けろ。なんでおまえが指示すんだ。おまえじゃないおれだ。プロポの設定はしたのか。なに? 広角レンズのステアリングサーボがトルク不足だ? そんなもんUSA、USBと来たんだから次はUSCに決まってるだろ。ばかかおまえ。それじゃなかなかUSJに着かないだろうが。遠すぎんだよ。いつまでそこに座ってるんだ。荷物はどうなったんだ。まだだ? なにやってんだいったい。黒猫ならラジウムと一緒に箱の中だぞ。もう死んでるんじゃないのか。おい酒がないぞ。あっ。ばかやめろ。それはとっておきのコルドンブルーだぞ。このやろうおれ同士なのに渋ってVSOPを出しやがったけどこんなのあるじゃないか。こっちのほうが圧倒的にうまい。おまえ味わかるのか。あたりまえだおれなんだぞ。値段は三倍味は十倍だ。そのコピーいいな。こちとら値段は半分クオリティは十倍だぜ。なんのサービスなんだマゾか。だって若者のイノベーションこそが重要なファクターだってどっかのバカが言ってたぜ。馬鹿者のマスターベーションが重要なファックだ? そりゃおまえ頭の悪いやつの言いそうなことだ。イノベーションだか立ちショーベンだか知らないがそんなことだから正規表現のインスタントラーメンがもったいぶった不完全性定理のネイピア数で鼻をかむんだ。
 
 おれとおれとおれとおれとおれとおれとおれとおれが口々に言った。

 おもむろにベッドに座っていたおれが立ち上がって窓を開けて雨戸に手をかけた。てんでに勝手なことをわめき散らしていたおれたちが一斉に黙って雨戸に注目した。
「ちょっと空気を換えたほうがいいだろ」
 おれがおれたちの方を振り返って言った。ぐがらがごらがらごがらごがらとものすごい音がして雨戸が開いた。強い日の光が暗がりを一瞬で焼き尽くした。垣根の向こうにいた登校中の男の子と目が合った。そのとたん、部屋の中に充満していたおれたちが雨戸をあけたおれに収束した。おれはおれを収束させた男の子に微笑みかけて言った。
「Yoか〃U+3044ぅ天氘U+3060 U+306a」
 男の子は丁寧に足の先から頭の上まで身震いして一目散という言葉の説明みたいに校舎へ向かって走り出した。
「はHaばハ歯U+306f」
 気持ちのいい朝だ。

《了》
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