E 2

文字数 2,325文字

 おれは表示された文章を何度も読み返した。気が狂っているのはおれだという気がした。これを書いてきたおれか読んでいるおれか。両方だ。両方とも気が狂っている。おれは背もたれに寄り掛かったり前に乗り出したりということを何度か繰り返した。返信をくれと書いてある。このメールに返信すれば届くと。しかしこの差出人のアドレスもおれのもので、これに返信してもおれに届くだけではないのか。差出人もおれだからそれでいいのか。いやよくない。おれはなにがなんだかわからなくなってきて考えるのをあきらめた。どうせちょっと考えたぐらいでわかるはずのないことが起きている。言われるままに返信をしてみよう。同じ方法でということはユニコードに1を足して送れということか。
 おれはまずメールの文面を考えた。


 もう一人のおれへ

 残念ながらおれにはこの込み入った細工はわからなかった。ただこういうことに強い友達がいてそいつに協力してもらってメールは読んだ。だいぶ頭がおかしいようだな。自分の背中を見たんなら普通はちょっと疲れてるかなとかそういう風に思うんじゃないのか。それを並行宇宙を生きている別の自分だとか考えるのはだいぶおかしいぞ。
 おまえの思考は飛躍しまくっていて書いてあることのどこにも説得力がない。なに一つ頷けることが書かれてない。
 だからおれはおまえがありえたかもしれないおれだということはほとんど間違いないだろうと思う。狂っているからだ。おまえはおれの狂った部分を圧縮抽出したエスプレッソみたいなものだろう。
 この狂ったメールに返信を書いている時点でおれもだいぶ狂っている。おれがおまえのありえたかもしれないおまえだということにもほとんど疑いはないだろう。おれはまるで信じてないが疑ってない。
 しかしおれがありえたかもしれないおまえだったとして、おまえはおれに自分の存在を知らせて、それでいったいなにを期待しているんだ? 
 おれにはそこがよくわからない。

  澤木健祐


 書いてみて読み直す。たった今自分が書いたこのメールを読んでいるうちにこの狂ったおれに対する興味が増していくのを感じた。おれはこのもう一人のおれっていうやつと話したいとさえ思うようになっていた。考えてみたら別の人生を歩いている自分自身なんて話し相手としては最高に決まっている。同じような感覚で別の道を行っている人。それは会ってみたい。
 おれは自分の書いた文面を何度も読み返し、これを送ったらまた返信が来ることをほとんど確信して変換スクリプトに通した。


 ゃぇ丁亻はかろべ

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 じがじかろきぃるぉだがゃじろにぅかみぉちつだどじで。かみぉばかろぬ臫切は孙圩ん矦りぜで。ぞろとぅつだぅにぬん朠徆じでぅれゔち@
 かろぬばぞごきらぐゐがりにぅ〃

 、澥朩偦祑


 できたものを見ておれはほとんど感動した。まさにこれはおれが受け取ったのと同じ世界の言葉だ。こうしてみると「。」が「〃」になるということや、「?」が「@」になるということが見えてきて面白い。「おれはおまえ」が「かろばかみぉ」となることがわかる。おの次がか、れの次がろというのは五十音と同じだ。はの次がばになるところは興味深いし、えがぉになるということからおの前にぉがあると想像できる。エスプレッソがォズヘロツゾになる。言われてみればそうかと思うけれどやはりこれを解読するのは困難だ。さらに漢字になると困難が極まる。なにしろ疑の次は疒だ。これはやまいだれだろう。やまいだれだけをコンピュータで出力できることもたった今まで知らなかった。そんなことをしたいと思うこと自体がなかったし、その妙な需要にこたえられる手段が用意されていることも驚きだった。おれにはこういうことを思いつくだけの知識がなかったけれど、おれが文字コードというものを知っていたら、きっとこういうことを発見して狂喜しただろう。言葉は文字になり、文字はコンピュータの世界ではビット列だ。ビット列は演算によって別のものになり、逆の演算をすれば元に戻る。言葉を算術のまな板に乗せて別の言葉を生み出すわけだ。別の言葉は別の世界を生み出す。
 ほとんど意味などない操作の結果として、かろゃちぅぷ狃つでぅれなどという不可思議なものが生まれる。この限りなくでたらめな文字の連なりはごくまともな文章からわずか一歩ずれただけで生まれるのだ。おれは自分の書いた言葉が別の文字列になったものを読むことで別の世界へ踏み込んでいることを感じた。
 おれはこの狂ったおれとの出会いを大いに歓迎する気分になっていた。できあがったテキストをメールの本文に貼り付け、受け取ったメールへの返信として送信した。送信ボタンを押すとき、自分の中の何かのスイッチを押した気がした。
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