#38 覚悟
文字数 6,156文字
「改めて自己紹介させてもらう。あたしはメリアン。しがない傭兵だ」
そう言って差し出された右手の二の腕は、ルブルムのウエストよりも太い。
ドキドキしながら自分も右手を出す……と、思ったよりも優しく握ってくれた。
これ、絶対にぎゅっと握りしめられて痛いパターンだと思ってた。
「へぇ。自分の身は自分で守れるくらいには鍛えているようだね」
ニヤリと笑うメリアンさん当人は、絶対に逆らいたくないような筋肉をしているもんだから、お世辞感が半端ない。
牛種 はただでさえ獣種の中でも体格が大きい方だが、メリアンさんはそれに加えて筋肉を鍛え抜いているせいか、相当な威圧感がある。
身長だって半アブスに加えて半々アブスくらい……元の世界の単位で言うと余裕で二メートル以上ある。
ベースは革鎧だけど、あちこちを金属のプレートで補強しているだけ……機動性重視の戦い方なのかな。
なんにせよ味方が増えるのはありがたい。
「ルブルムもなかなかいい体している。マドハトはちょっと鍛え方が足りないね」
そうか。マドハトの体の方は、ちょっと前まで床に臥せっていたもんな。
いつもはしゃいでいるイメージでいたけれど、けっこう無理しているのかもしれない……それには気を配らなきゃだな。
「話は聞いている。緊急時にもどかしいのは嫌だから、普段からさん付けはなしだ。あたしもメリアンでいい」
メリアンさん……メリアン……の年齢はおそらく二十代だろうか。
学校の先生くらいの人を呼び捨てってのは抵抗あるけれど、こういうのは従った方がいいんだろうな。
「メリアン……よろしくお願いします。俺はリテルです」
「メリアン、よろしく。私はルブルムという」
「メリアン! よろしくです! 僕はマドハトです!」
「おう、よろしく」
改めて挨拶を交わす。
「それから私はケティ。皆さん、よろしくね」
「ケティ? 一緒に行くの?」
思わずこぼれてしまった。
この時間ならまだテニール兄貴たちもフォーリーに居るだろうし、てっきり紹介だけして帰ると思っていたから……というか、なんでフォーリーに居る?
俺たちはけっこうな強行軍で来たけれど、その出発時、ケティはカエルレウム師匠のとこへ行ってなかったっけ?
「なーに? リテル。私が一緒に居たら困ることでもあるの?」
「こ、困るとかじゃなくて……フォーリー以北は危険って聞いてるし、俺は自分の身を守るので精一杯っていうか、ケティの安全を考えたら……」
「大丈夫」
ケティは傍らに置いてあった長柄のハンマーを軽々と振り上げっ……おい、危ないって!
「あはは。リテルのそういう顔、久々に見たよ。ずっと森にこもってたリテルは知らないだろうけどさ、私、最近は父さんの仕事手伝ってんだ」
ケティのお父さん……プリクスさんは、鍛冶屋だ。
ストウ村でも一二を争う力自慢であるプリクスさんがよくやるように、ケティも力こぶを作る……確かに、リテル より腕力あるかもしれない……けど。
「ほら、防具だって」
ケティは馬車の中で立ち上がる。
どこで調達したのか、ベストのような厚手の革鎧を着て、厚手の肘までの革手袋と脛当てには、金属プレートが取り付けられている。
全体的な防具効果は、俺やルブルムよりも質がいい……けど。
ディナ先輩の忠告は脅しではなく、かなり現実に近いものだととらえている俺からしたら、どうしても不安の種になるんだよな。
ケティになにかあったら……リテルに申し訳が立たない。
だから、いざとなったら……俺がしっかりと守らなきゃいけない。
だけど……。
ルブルムとケティと、もしもどちらかしか守れないような状況になったとき、俺はどうするんだろう。
「……心配、してくれてんだよね。それは嬉しいよ……迷惑かけないから」
ケティが急に優しい顔になる。
利照 の胸が痛むような笑顔。
「大丈夫だ。あんたらを鍛えてくれって依頼も同時に受けているからさ」
そうだな。
不安を埋めるためにできることなんて、地道な修行しかないのだろうから。
「じゃあ、早速始めるか……自分の身を守るために必要なことはたくさんある。その中で一番大切なことってなんだと思う?」
講師モードのメリアンの問いかけに対し、俺は防具と答え、ルブルムは技術と答えた。
マドハトは逃げること、と答える……マドハトはマドハトなりにちゃんと考えているんだと、ちょっとホッとする。
「それらは確かに大切だ。だけど一番大事なのは覚悟だ」
覚悟……。
「いいかい。人を殴るときはね、殴る覚悟と殴られる覚悟とをするもんなんだ。殴るかもしれない殴られるかもしれない、じゃない。殴る! 殴られる! ……だ。明確に覚悟をしているかどうかがね、いざってときのとっさの判断に、判断したあと体を動かせるかどうかに響くんだ」
メリアンは殴るという表現したけれど、ようは殺す覚悟と殺される覚悟はしておけ、ってことだよね。
……人を殺すこと、への覚悟。
元の世界ではする必要がなかった覚悟。
そしてこの世界では……少なくとも、ルブルムやケティを守るためにはしておかなければならない覚悟。
……俺にそんなこと、できるんだろうか。
「少し練習してみようかね」
れ、練習?
そんなことできるの?
「いいね、君らのどうすんのさって顔。まぁそんなに難しいことじゃない……練習だよ。まずは手を見つめてみようか。右手でも左手でもいいから自分の手をね」
メリアンの言う通りに右手を見つめてみる。
「その手が、手首から外れて逃げ出したところを想像してみよう」
え?
手首から……外れる?
……なんだかよく分からないけれど、想像してみる……だけどこれ、人を殺す覚悟とどうつながってくるんだろう。
なんとかファミリーっていう映画で観たような気がするし……血生臭いってよりはコメディっぽいよね。
「逃げ出した手が君等の周囲をちょこちょこ逃げ回っているところを思い浮かべて……そしてふと自分の手を見る」
「手は逃げてないです!」
マドハトが元気よく答える。
「そうだね、マドハト。君らの手は戻った。でも……逃げ回っている手はまだそのへんをうろちょろしている」
「手の形をした虫……みたいな感じですかね」
「いいね、リテル。そんな感じだ。それを、手持ちの武器でしとめるところを想像してごらん。例えばケティ、その手の形の虫が、リテルの肩に居たら? ハンマーで殴ったらリテルも一緒に怪我をするだろうねぇ?」
「その場合は……ハンマーの頭で押し出すように突いて……うーん。ハンマーじゃない方がいいのかな」
「今はそうやって考えるだけでいい。いざとなってから考えるんじゃなく、普段からこうした方がいいか、ああした方がいいかってね。でね、ここまでは練習の練習。本当の練習は、手じゃなくて首だ。防具で覆われていない確率も、攻撃が成功したときの致命傷っぷりも、首が一番よいだろうな。首の形をした虫がうろちょろしていると想像して、それをうまく仕留めるんだ」
首の形の虫ってのがまた難しいな……バウムクーヘンでも想像してみるか。
俺のメイン武器は弓と手斧。
一応短剣も持っているけれど、それは倒した獲物を捌いたりするのに使うのがメインで、基本は距離を取って戦うことを考えていた。
斧は振りかぶった方が威力も出るし……でもこういう超近距離戦も想定した戦い方もちゃんと考えなきゃだな。
バウムクーヘン虫がケティの肩に止まったなら、短剣を抜いて刺す……短剣を握っているイメージで右手をケティの肩へ突き出そうとしたら、メリアンはケティの両肩をつかんでぐいっと動かした……俺の短剣の先がケティの喉元に来るように。
「虫は力が強い。人を動かすくらいの力があると思っておいた方がいい」
「はい!」
そうだよな。
今、完全に虫で考えていたけれど、実際には人の首の部分なんだから、その上下に頭や体が付いてくる。
「……虫って考えると確かに抵抗は減りましたけど……最終的にはちゃんと人に向き合わないと、動きについていけないものですね」
「最初はみんなそんなもんさ。ある一点に集中すれば、良くも悪くもその一点の周囲が見えづらくなる。人に対峙したとき、その相手の背景を考えずに済みやすくなる反面、意識の外側の範囲が広くなって……例えば奇襲に弱くなる」
ウェスさんが教えてくれたことを思い出す。
そうだな。
直線的な動きだけじゃ駄目なんだ……どこかで気を引いて、その隙に刺す……だとしたら、短剣を見せてから相手からは死角になるような……人質の陰から蹴り……頭の中でイメージしても、それが実際にできるかどうかは別問題だな。
それにさっきみたいに人質の首が手前に突き出されたら、その動きに俺は合わせられるのか?
人質自体が突き飛ばされたなら、それを支えられるのか?
そんなに至近距離ってことは、町の中での状況を考えるべきだし、となると選択肢に安易に魔法を加えるわけにはいかない。
技術、経験、俺にはまだまだ足りないものが多すぎる。
覚悟や思考による下準備があったとしても、体がそれについていけるように……実戦組手みたいなこともしてもらいたいな。
「その実際に動きたくて落ち着かない感じ、いいねぇ」
メリアンの笑いに周囲を見回すと、ケティもルブルムもマドハトも見えない武器を構えたり振り回したりしていた。
俺もつられて笑うと、皆も一緒になって笑う……その中で、ルブルムが小さくあくびを噛み殺したのに気付く。
「マドハト、ルブルム、ちょっと仮眠を取ったらどうだろう?」
「私は、大丈夫だ」
「うん。大丈夫なうちに交代で休憩を取ろう」
「……そうか……わかった」
藁袋クッションをルブルムとマドハトへ多めに渡すと、二人はおとなしく横になる。
「へぇ……信頼関係できてるんだねー?」
ケティがからんでくる……でもそれは……ストウ村を出る前の俺がケティへとった態度を考えたら、おかしなことじゃない。
だってケティは多分、リテルともう恋人同士だと思っている。
リテルじゃない利照 が……欲望に流されて告白したりしたから……そしてそのことが、この先の危険な旅へケティを参加させてしまった。
利照 のせいだ。
いつかケティにもちゃんと言わないといけない。
利照 のことを。
リテルのフリをして騙したことを。
「ケティ……理由は後でちゃんと説明する……けれどこの任務が終わるまで、俺が村を出る前にケティに言ったこと、いったん全部忘れてくれないか」
ケティの表情が険しくなる。
「……それって……そこで寝ている子に関係あったりする?」
「ないよ」
「どうだか」
ケティの機嫌があからさまに悪くなる。
「私も、ちょっと仮眠取るから」
俺に背を向けて横たわるケティへ、メリアンは藁袋クッションをいくつか渡す。
ごめんな、ケティ。
ケティは悪くない。
怒る権利がある。
悪いのは……俺がリテルじゃなく利照 であることが……。
リテルの古くからの知り合いと一緒に居ると、自分がこの世界に紛れ込んだ異物であることを何度でも思い知らされる。
でも、今の俺は覚悟を、もうしたんだ。
ケティもルブルムも、守り抜く覚悟を。
いつかリテルへこの体を返すことを。
紳士として、この覚悟を守り抜く……そのためには、もっと強くならないと。
馬車の揺れる音だけが響く中で一人、様々なシチュエーションを思い浮かべては脳内模擬戦を繰り返す。
メリアンは馬車の外へと注意を向けている。
街を出てどのくらい経っただろう……さすがに集中力も途切れかけてきた。
三人の誰かが起きたら、今度は俺が仮眠を……そんなことを考えていた矢先、馬車が急にスピードを落とした。
● 主な登場者
・利照 /リテル
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種 。
フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めている。
異世界から来たことをとうとう打ち明け、そして新たな呪詛をその身に宿した。
ゴーレムを作ることができる紅魔石 をディナよりもらった。
ルブルムのことが気になりはじめているし、ケティの合流に動揺もしている。
・ルブルム
寄らずの森の魔女カエルレウムの弟子。赤髪の美少女。リテルと同い年くらい。猿種 のホムンクルス。
かつて好奇心がゆえにアルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。
質問好きで、知的好奇心旺盛。驚くほど無防備。
ディナの屋敷でトシテルとの距離がぐっと近づいた。
・ウェス
ディナ先輩の部下。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。
兎よりもちょっと短い耳をしている蝙蝠種 の半返り。
何につけてもプロフェッショナル。
・マドハト
赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種 の先祖返り。
今は本来の体を取り戻しているが、その体はあんまり丈夫ではない。
ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。
リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。
フォーリーの街中で魔法を使ってしまい、三年分の魔法代償徴収刑を受けた。
・ケティ
リテルの幼馴染。一歳年上の女子。猿種 。
旅の傭兵に唇を奪われ呪詛に伝染。
リテルがずっと抱えていた想いを伝えた際に、呪詛をリテルへ伝染させた。
カエルレウムが呪詛解除のために村人へ協力要請した際、志願した。
リテルとの関係はちょっとギクシャクしていたのだが、再会したときにはなんかふっきれていた。
・メリアン
ディナ先輩が手配したっぽい護衛。
リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。
ものすごい筋肉と、角と副乳を持つ牛種 の半返りの傭兵。
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一時間 の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
・通貨
銅貨 、銀貨 。
十銅貨 (十二進数なので十二枚)=一銀貨
そう言って差し出された右手の二の腕は、ルブルムのウエストよりも太い。
ドキドキしながら自分も右手を出す……と、思ったよりも優しく握ってくれた。
これ、絶対にぎゅっと握りしめられて痛いパターンだと思ってた。
「へぇ。自分の身は自分で守れるくらいには鍛えているようだね」
ニヤリと笑うメリアンさん当人は、絶対に逆らいたくないような筋肉をしているもんだから、お世辞感が半端ない。
身長だって半アブスに加えて半々アブスくらい……元の世界の単位で言うと余裕で二メートル以上ある。
ベースは革鎧だけど、あちこちを金属のプレートで補強しているだけ……機動性重視の戦い方なのかな。
なんにせよ味方が増えるのはありがたい。
「ルブルムもなかなかいい体している。マドハトはちょっと鍛え方が足りないね」
そうか。マドハトの体の方は、ちょっと前まで床に臥せっていたもんな。
いつもはしゃいでいるイメージでいたけれど、けっこう無理しているのかもしれない……それには気を配らなきゃだな。
「話は聞いている。緊急時にもどかしいのは嫌だから、普段からさん付けはなしだ。あたしもメリアンでいい」
メリアンさん……メリアン……の年齢はおそらく二十代だろうか。
学校の先生くらいの人を呼び捨てってのは抵抗あるけれど、こういうのは従った方がいいんだろうな。
「メリアン……よろしくお願いします。俺はリテルです」
「メリアン、よろしく。私はルブルムという」
「メリアン! よろしくです! 僕はマドハトです!」
「おう、よろしく」
改めて挨拶を交わす。
「それから私はケティ。皆さん、よろしくね」
「ケティ? 一緒に行くの?」
思わずこぼれてしまった。
この時間ならまだテニール兄貴たちもフォーリーに居るだろうし、てっきり紹介だけして帰ると思っていたから……というか、なんでフォーリーに居る?
俺たちはけっこうな強行軍で来たけれど、その出発時、ケティはカエルレウム師匠のとこへ行ってなかったっけ?
「なーに? リテル。私が一緒に居たら困ることでもあるの?」
「こ、困るとかじゃなくて……フォーリー以北は危険って聞いてるし、俺は自分の身を守るので精一杯っていうか、ケティの安全を考えたら……」
「大丈夫」
ケティは傍らに置いてあった長柄のハンマーを軽々と振り上げっ……おい、危ないって!
「あはは。リテルのそういう顔、久々に見たよ。ずっと森にこもってたリテルは知らないだろうけどさ、私、最近は父さんの仕事手伝ってんだ」
ケティのお父さん……プリクスさんは、鍛冶屋だ。
ストウ村でも一二を争う力自慢であるプリクスさんがよくやるように、ケティも力こぶを作る……確かに、
「ほら、防具だって」
ケティは馬車の中で立ち上がる。
どこで調達したのか、ベストのような厚手の革鎧を着て、厚手の肘までの革手袋と脛当てには、金属プレートが取り付けられている。
全体的な防具効果は、俺やルブルムよりも質がいい……けど。
ディナ先輩の忠告は脅しではなく、かなり現実に近いものだととらえている俺からしたら、どうしても不安の種になるんだよな。
ケティになにかあったら……リテルに申し訳が立たない。
だから、いざとなったら……俺がしっかりと守らなきゃいけない。
だけど……。
ルブルムとケティと、もしもどちらかしか守れないような状況になったとき、俺はどうするんだろう。
「……心配、してくれてんだよね。それは嬉しいよ……迷惑かけないから」
ケティが急に優しい顔になる。
「大丈夫だ。あんたらを鍛えてくれって依頼も同時に受けているからさ」
そうだな。
不安を埋めるためにできることなんて、地道な修行しかないのだろうから。
「じゃあ、早速始めるか……自分の身を守るために必要なことはたくさんある。その中で一番大切なことってなんだと思う?」
講師モードのメリアンの問いかけに対し、俺は防具と答え、ルブルムは技術と答えた。
マドハトは逃げること、と答える……マドハトはマドハトなりにちゃんと考えているんだと、ちょっとホッとする。
「それらは確かに大切だ。だけど一番大事なのは覚悟だ」
覚悟……。
「いいかい。人を殴るときはね、殴る覚悟と殴られる覚悟とをするもんなんだ。殴るかもしれない殴られるかもしれない、じゃない。殴る! 殴られる! ……だ。明確に覚悟をしているかどうかがね、いざってときのとっさの判断に、判断したあと体を動かせるかどうかに響くんだ」
メリアンは殴るという表現したけれど、ようは殺す覚悟と殺される覚悟はしておけ、ってことだよね。
……人を殺すこと、への覚悟。
元の世界ではする必要がなかった覚悟。
そしてこの世界では……少なくとも、ルブルムやケティを守るためにはしておかなければならない覚悟。
……俺にそんなこと、できるんだろうか。
「少し練習してみようかね」
れ、練習?
そんなことできるの?
「いいね、君らのどうすんのさって顔。まぁそんなに難しいことじゃない……練習だよ。まずは手を見つめてみようか。右手でも左手でもいいから自分の手をね」
メリアンの言う通りに右手を見つめてみる。
「その手が、手首から外れて逃げ出したところを想像してみよう」
え?
手首から……外れる?
……なんだかよく分からないけれど、想像してみる……だけどこれ、人を殺す覚悟とどうつながってくるんだろう。
なんとかファミリーっていう映画で観たような気がするし……血生臭いってよりはコメディっぽいよね。
「逃げ出した手が君等の周囲をちょこちょこ逃げ回っているところを思い浮かべて……そしてふと自分の手を見る」
「手は逃げてないです!」
マドハトが元気よく答える。
「そうだね、マドハト。君らの手は戻った。でも……逃げ回っている手はまだそのへんをうろちょろしている」
「手の形をした虫……みたいな感じですかね」
「いいね、リテル。そんな感じだ。それを、手持ちの武器でしとめるところを想像してごらん。例えばケティ、その手の形の虫が、リテルの肩に居たら? ハンマーで殴ったらリテルも一緒に怪我をするだろうねぇ?」
「その場合は……ハンマーの頭で押し出すように突いて……うーん。ハンマーじゃない方がいいのかな」
「今はそうやって考えるだけでいい。いざとなってから考えるんじゃなく、普段からこうした方がいいか、ああした方がいいかってね。でね、ここまでは練習の練習。本当の練習は、手じゃなくて首だ。防具で覆われていない確率も、攻撃が成功したときの致命傷っぷりも、首が一番よいだろうな。首の形をした虫がうろちょろしていると想像して、それをうまく仕留めるんだ」
首の形の虫ってのがまた難しいな……バウムクーヘンでも想像してみるか。
俺のメイン武器は弓と手斧。
一応短剣も持っているけれど、それは倒した獲物を捌いたりするのに使うのがメインで、基本は距離を取って戦うことを考えていた。
斧は振りかぶった方が威力も出るし……でもこういう超近距離戦も想定した戦い方もちゃんと考えなきゃだな。
バウムクーヘン虫がケティの肩に止まったなら、短剣を抜いて刺す……短剣を握っているイメージで右手をケティの肩へ突き出そうとしたら、メリアンはケティの両肩をつかんでぐいっと動かした……俺の短剣の先がケティの喉元に来るように。
「虫は力が強い。人を動かすくらいの力があると思っておいた方がいい」
「はい!」
そうだよな。
今、完全に虫で考えていたけれど、実際には人の首の部分なんだから、その上下に頭や体が付いてくる。
「……虫って考えると確かに抵抗は減りましたけど……最終的にはちゃんと人に向き合わないと、動きについていけないものですね」
「最初はみんなそんなもんさ。ある一点に集中すれば、良くも悪くもその一点の周囲が見えづらくなる。人に対峙したとき、その相手の背景を考えずに済みやすくなる反面、意識の外側の範囲が広くなって……例えば奇襲に弱くなる」
ウェスさんが教えてくれたことを思い出す。
そうだな。
直線的な動きだけじゃ駄目なんだ……どこかで気を引いて、その隙に刺す……だとしたら、短剣を見せてから相手からは死角になるような……人質の陰から蹴り……頭の中でイメージしても、それが実際にできるかどうかは別問題だな。
それにさっきみたいに人質の首が手前に突き出されたら、その動きに俺は合わせられるのか?
人質自体が突き飛ばされたなら、それを支えられるのか?
そんなに至近距離ってことは、町の中での状況を考えるべきだし、となると選択肢に安易に魔法を加えるわけにはいかない。
技術、経験、俺にはまだまだ足りないものが多すぎる。
覚悟や思考による下準備があったとしても、体がそれについていけるように……実戦組手みたいなこともしてもらいたいな。
「その実際に動きたくて落ち着かない感じ、いいねぇ」
メリアンの笑いに周囲を見回すと、ケティもルブルムもマドハトも見えない武器を構えたり振り回したりしていた。
俺もつられて笑うと、皆も一緒になって笑う……その中で、ルブルムが小さくあくびを噛み殺したのに気付く。
「マドハト、ルブルム、ちょっと仮眠を取ったらどうだろう?」
「私は、大丈夫だ」
「うん。大丈夫なうちに交代で休憩を取ろう」
「……そうか……わかった」
藁袋クッションをルブルムとマドハトへ多めに渡すと、二人はおとなしく横になる。
「へぇ……信頼関係できてるんだねー?」
ケティがからんでくる……でもそれは……ストウ村を出る前の俺がケティへとった態度を考えたら、おかしなことじゃない。
だってケティは多分、リテルともう恋人同士だと思っている。
リテルじゃない
いつかケティにもちゃんと言わないといけない。
リテルのフリをして騙したことを。
「ケティ……理由は後でちゃんと説明する……けれどこの任務が終わるまで、俺が村を出る前にケティに言ったこと、いったん全部忘れてくれないか」
ケティの表情が険しくなる。
「……それって……そこで寝ている子に関係あったりする?」
「ないよ」
「どうだか」
ケティの機嫌があからさまに悪くなる。
「私も、ちょっと仮眠取るから」
俺に背を向けて横たわるケティへ、メリアンは藁袋クッションをいくつか渡す。
ごめんな、ケティ。
ケティは悪くない。
怒る権利がある。
悪いのは……俺がリテルじゃなく
リテルの古くからの知り合いと一緒に居ると、自分がこの世界に紛れ込んだ異物であることを何度でも思い知らされる。
でも、今の俺は覚悟を、もうしたんだ。
ケティもルブルムも、守り抜く覚悟を。
いつかリテルへこの体を返すことを。
紳士として、この覚悟を守り抜く……そのためには、もっと強くならないと。
馬車の揺れる音だけが響く中で一人、様々なシチュエーションを思い浮かべては脳内模擬戦を繰り返す。
メリアンは馬車の外へと注意を向けている。
街を出てどのくらい経っただろう……さすがに集中力も途切れかけてきた。
三人の誰かが起きたら、今度は俺が仮眠を……そんなことを考えていた矢先、馬車が急にスピードを落とした。
● 主な登場者
・
利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。
フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めている。
異世界から来たことをとうとう打ち明け、そして新たな呪詛をその身に宿した。
ゴーレムを作ることができる
ルブルムのことが気になりはじめているし、ケティの合流に動揺もしている。
・ルブルム
寄らずの森の魔女カエルレウムの弟子。赤髪の美少女。リテルと同い年くらい。
かつて好奇心がゆえにアルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。
質問好きで、知的好奇心旺盛。驚くほど無防備。
ディナの屋敷でトシテルとの距離がぐっと近づいた。
・ウェス
ディナ先輩の部下。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。
兎よりもちょっと短い耳をしている
何につけてもプロフェッショナル。
・マドハト
赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。
今は本来の体を取り戻しているが、その体はあんまり丈夫ではない。
ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。
リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。
フォーリーの街中で魔法を使ってしまい、三年分の魔法代償徴収刑を受けた。
・ケティ
リテルの幼馴染。一歳年上の女子。
旅の傭兵に唇を奪われ呪詛に伝染。
リテルがずっと抱えていた想いを伝えた際に、呪詛をリテルへ伝染させた。
カエルレウムが呪詛解除のために村人へ協力要請した際、志願した。
リテルとの関係はちょっとギクシャクしていたのだが、再会したときにはなんかふっきれていた。
・メリアン
ディナ先輩が手配したっぽい護衛。
リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。
ものすごい筋肉と、角と副乳を持つ
● この世界の単位
・ディエス
魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。
・ホーラ
一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
元の世界のほぼ一時間に相当する。
・ディヴ
一
元の世界のほぼ五分に相当する。
・アブス
長さの単位。
元の世界における三メートルくらいに相当する。
・プロクル
長さの単位
一プロクル=百アブス。
この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。
・通貨
十