#16 異物

文字数 5,708文字

 俺はこの声の主を知っている。
 現実の声じゃあない。
 俺の頭の中に響く声。
 まさか、こっちの世界に来てまで聞くことになるなんて。
 呪縛のような、俺の姉さんの声。
 解除することができるだけ、こちらの呪詛の方がまだマシだ。

 完璧主義者だった姉さんは、自分に厳しく、他人にも厳しかった。
 特に身内には。
 よくさ、厳しさは愛情の裏返しだとか、浮かれたこと言う奴いるよね。
 姉さんはそんなおめでたい人じゃない。
 あの人はただ才能があって、そして才能のない人の気持ちがわからないだけなんだ。
 俺をたきつけて発奮させようだなんて微塵も考えていない。
 ただ、完璧な自分の家族の中に、完璧とは程遠い俺がいることが許せないだけ。

 きっと姉さんがこの世界に来たら、俺なんかよりもっとずっと早く多くの魔法を……。

「リテル、準備はいいか?」

 カエルレウム師匠の声に助けられる。
 俺はまだ、元の世界とつながっているんだな……このことも、この世界に馴染めていない要因の一つなのかも。



 狼の王の背に乗って、ストウ村の門の前に着いたのは、それから半ホーラも経たないうちのこと。
 カエルレウム師匠が声をかけると、門の内側に建てられた見張り台からマクミラ師匠の声が返ってきた。

 ほどなくして、門が軋みながら開かれる。
 門の向こうでは篝火が焚かれ、村長や監理官を始めとして村の大人たちの半数以上が集まっていた。
 リテルの両親やビンスン兄ちゃん、テニール兄貴、ケティまで居る。
 その中から一人、マクミラ師匠が俺の方へ近づいてきた。

「マクミラ師匠……」

「心配したぞ」

「すみませんでした」

「いや、無事ならいい」

 今のすみません、には、それだけじゃない意味が混ざっていた。
 カエルレウム師匠に弟子入りしたこと。
 狩人になりたいとマクミラ師匠に弟子入りしたのはリテル(おれ)なのに、勝手に別の人に利照(おれ)が弟子入りをしてしまったこと。
 気まずい沈黙の間、マクミラ師匠はずっと俺の目を見つめている。

「……あの……森の中で、魔物と遭遇しました。アルティバティラエというやつです」

 アルティバティラエの姿や行動、カエルレウム師匠から聞いた性質、それからまだ森の中をうろついていることを伝える。

「よく報告してくれた。ありがとう。だけどリテル……何か報告したいことが他にもあるんだろう?」

「……魔法を」

 言うつもりなのに、言葉が喉につかえて出てこない。
 怒られるだろうか。がっかりされるだろうか。無責任とか根性なしとか……いや。マクミラ師匠はそういう人じゃない。
 俺の知る限り、ここいらで一番の紳士だから。
 俺はマクミラ師匠の目をまっすぐに見返した。

「習いました」

 魔法のことを、マクミラ師匠に隠したり嘘をついたりしたら、マクミラ師匠がいつも俺に言っていた言葉に反することになる。
 紳士たれ。
 俺が紳士であることを手放してしまったら、それこそマクミラ師匠の教えを手放すことになってしまう。

「寄らずの森に住む魔女、カエルレウム師匠に、魔法の修行をつけていただきました。カエルレウム師匠は俺の魔法の師匠になりました」

「そうか……リテル」

「はい」

「魔法の道でも紳士たれ」

「はいっ」

 胸の奥からこみ上げてくるものが、目からこぼれ落ちないよう必死にこらえる。
 それでもやっぱり堪えきれなくなって、俺は深々と頭を下げた。

 優しい足音が遠ざかる。
 入れ替わりで近づいてくる足音。
 目元を指先で軽く拭って頭を起こすと、すぐ目の前にケティが居た。

「リテル、なんだかいい匂いするね」

 それがケティの第一声。
 森の中で魔物と対峙したときとはまた別の、妙な緊張感が俺の皮膚をヒリつかせる。

「そ、そうかな……あ、森の中でさ、魔物と戦ったんだよ。それで返り血とかついてさ、カエルレウム師匠……寄らずの魔女様の家で、あ、正確には家の外でだけど、汚れたところを軽く洗わせてもらったんだよ。高級品の石鹸を貸してもらえてさ……この香り、さすが魔女だよね」

 俺、何でこんなに早口なんだろう……しかも必死で。
 変に疑われたくもなかったし、本当のことを伝えた……つもりだった。

「へぇ。じゃあなんで腰紐だけ新しいモノになっているんだろうね」

 な、なんでそういうとこ気付くわけ?
 まさかパイアに殺されかけた話とか、心配かけちゃうような、恥ずかしくて話せないような。

「えっと、これは……」

 なんて説明したらいいんだろうか。

「言えないことがあって、その言い訳を今考えているってことね。ふーん」

 なんか一方的に責められていない?
 そもそもは昼間、俺が怒ってたはずなのに、なんでこんな俺が怒られてる側になっちゃってんの?

「マクミラさんも可哀想だよねぇ。大人だから笑って許してたけど、普通、弟子入り頼んで途中で投げ出すってありえないよね?」

「な、投げ出してはないよ」

 そう答えつつも、実はちょっとだけ、リテルに対して申し訳なく思っている利照(おれ)もいる。

「本当はさ、森の魔女様に会いたくて、そのためにマクミラさんに弟子入りしたフリしてたんじゃないの?」

 ケティがさっきから酷いことばかり言う。
 それも、ケティのためにリテルが頑張っていたことを足蹴にするようなことばかり。
 利照(おれ)に対して何か言うんならともかく、リテルが悪いわけじゃないのに。
 だから俺もつい言ってしまった。

「ケティは俺のこと全然信じてくれないよね。それじゃ俺もケティのこと信じられなくても仕方ないよね。ラビツと、本当にキスだけだったの?」

 勢いにまかせて言ってしまったことを後悔したときにはもう、ケティは俺に背中を向けていた。
 村の中へ走り去るケティを見つめながら、自分の中に最初に浮かんだのは……俺って全然、紳士じゃないよな……そんな気持ち。
 ケティは確かにリテルの努力を無視するような酷いことを言った。
 でも、リテルだったら言い返さなかっただろう。
 リテルなら腹は立てても、黙ってケティの嫌味を受け入れるくらいの我慢強さは持っている。
 きっとその後黙って頑張って、実力でケティに自分を認めさせようと、そう考えるだろう。
 耐えられなかったのは利照(おれ)の方だ。
 どうしてこの世界に転生したのか、どうしてこんな呪詛にかかったのか、どうしてそこまで責められなきゃいけないのか。
 いつも姉さんに言われ続けている出来損ないの利照(おれ)が、我慢できずに、安易に反論っていう逃げに走ったんだ。

 結局俺は元の世界でも、この世界でも、異物のままなんだな。
 なんで、マンガやゲームの中の人達は簡単に気持ちを切り替えられるんだろう。
 主観がもし利照(おれ)からリテルに戻ったら、利照(おれ)はどうなってしまうんだろう。
 消えちゃうのかな。
 リテルの中で、時々思い出してもらえる小さな記憶みたいになるのかな。
 でもさ、利照(おれ)は、この世界のアレコレに触れてリテルの記憶を思いだすけれど、リテルがこの世界で利照(おれ)を思いだすことができるトリガーなんて一つもないんだ。
 自分がどうしてここに居るのか、理由がわからないから、いつまでここに居られるのかもわからない。

 そんな孤独感とか不安とか恐怖とかから溜め込んだストレスを、俺は八つ当たりでケティへと吐き出したんだ。

「リテル、カエルレウム様が呼んでいる」

 ルブルムに呼ばれ、俺はカエルレウム師匠の元へと戻る。

「ということで監理官、ラビツ一行は、私の弟子たちが追跡して連れ戻す。通行手形を発行してもらいたい」

「リテル君が、魔術師の弟子にねぇ」

 王監さんであるアレッグさんが、目を細めて俺を見つめている。
 その横に立つ領監さんであるザンダさんも同じような表情。

 王監さんと領監さん……二人はそれぞれ、王直属と領主直属の監理官だ。
 彼らは国や領主から一年任期で派遣された役人のようなもの。
 村の人口帳の作成に、狩猟日や漁日の監理、作物の生育状況や獲った獲物、水車利用による税金計算、魔物や大型動物の監視と討伐許可、通行手形の発行など、いろんな仕事をこなしている。
 王監さんは秋に交代、領監さんは春に交代だけど、何年かすると同じ人がやってくることもある。
 アレッグさんは二回目、ザンダさんは四回目になるから、リテルの小さい頃を知っている。
 こんな親戚の子どもが進学したのを眺めるような表情をしているのは、彼らにとってリテルが他人ではないから、なのかも。

 ……俺はこの世界にとって異物同然だけど、リテルはこの世界で生まれて育ってきた。
 今、リテルの体を借りている以上、利照(おれ)にはそれなりの責任があるんだ。
 しっかりしないと。

「寄らずの森の魔女殿。クスフォード虹爵(イーリス・クラティア)は既にお休みになられております。私の独自権限ではフォーリーまでの手形しか発行できませぬゆえ、フォーリーに到着後、クスフォード虹爵へお目通り願えるよう手配しておきます」

「よろしく頼む」

「魔女様っ! 運んでまいりましたっ!」

 そこへ勢いよく運ばれてきたのは、板に乗せられた毛むくじゃらの魔物の死体……ラビツ達が倒した魔物だ。
 どうやらカエルレウム師匠の指示で運んできたらしい。

「やはりこいつか。こいつはカリカンジャロスという魔物でな。種族的にはゴブリンに近いが、知性も危険度も高くはない。ゴブリン同様に悪戯好きだが、こいつが出てきたら小石をいくつかまいて、数えてみろと言えばいい。カリカンジャロスは三つ以上は数えられないから延々数え続けるだろう。陽の光を嫌う性質でな。陽向に出ると飛び上がって森の中へ駆け込んでゆく」

「……じゃあ、討伐まではする必要がなかったということでしょうか?」

 アレッグさんが心配そうにカエルレウム師匠の顔を覗き込んだ。

「夜のうちに畑の作物を全部抜かれたりするのが我慢できれば、だがね」

 アレッグさんもザンダさんも村長も、ホッと胸をなで下ろしている。
 魔術師が住む森においては、森に出る魔物を討伐する第一権利は、魔術師にあるからだ。
 特定の魔物をあえて野放しにすることで、別の魔物の出現が抑えられることもあるとかいう話は、リテルも耳にしたことがあった。

「そうか……傭兵たちがどうしてわざわざゴブリンを殲滅したのか理由を探していたが……ああ、そうか」

 カエルレウム師匠は静かに微笑んだ。





● 主な登場者

利照(トシテル)/リテル
 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。
 リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
 不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種(マンッ)
 ケティへひどいことを言ってしまっている自覚はある。

・ケティ
 リテルの幼馴染の女子。十六歳。猿種(マンッ)
 村に戻ってきたとき、妙にリテルへの当たりが強かった。

・マクミラ師匠
 リテルにとって狩人の師匠。猿種(マンッ)

・アレッグ
 ストウ村に滞在する王直属監理官。村人からは親しみをこめて王監さんと呼ばれる。

・ザンダ
 ストウ村に滞在する領主直属監理官。村人からは親しみをこめての領監さんと呼ばれる。

・マドハト
 赤ん坊のときに取り換え子の被害に遭い、ゴブリン魔術師として育った。犬種(アヌビスッ)の先祖返り。
 今は本来の体を取り戻している。
 ゴブリンの時に瀕死状態だった自分を助けてくれたリテルに懐き、やたら顔を舐めたがる。
 リテルにくっついてきたおかげでちゃっかりカエルレウムの魔法講義を一緒に受けている。

・カエルレウム師匠
 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種(マンッ)
 肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。
 お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。
 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。
 リテルの魔法の師匠。

・ルブルム
 魔女の使いの赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種(マンッ)のホムンクルス。
 痴女だと思われるほど知的好奇心が大きい。

・ラビツ一行
 兎種(ハクトッ)のラビツをリーダーに、猿種(マンッ)が二人と先祖返りの猫種(バステトッ)が一人の四人組の傭兵。
 そのラビツが、リテルのファーストキスよりも前にケティの唇を奪った。
 北の国境付近を目指す途中、ストウ村に立ち寄った。
 村長の依頼で村の近くに出た魔物を退治したあと、昨晩はお楽しみで、今朝、既に旅立っている。
 ゴブリン魔術師によって変異してしまったカエルレウムの呪詛をストウ村の人々に伝染させた。

・姉さん
 元の世界における利照の実姉。
 才能に恵まれた完璧主義者だが、才能がない者の気持ちはわからない。

・パイア
 猪の皮を被った魔物。中身は獣種の女性に似ていて、繁殖のために獣種の男を誑かして交尾する。
 交尾が済むと、子の栄養のため、攫った男も周囲の生命も喰らい尽くす。
 可哀想な被害者は交尾を免れたとしても、パイアの毒で死んでしまう。

・アルティバティラエ
 這いつくばる獣種のように擬態し、近寄ってきた者を奇襲して殺して喰らう獣。

・カリカンジャロス
 ゴブリンの近親種の魔物。毛むくじゃらで、悪戯好き。三つ以上は数えられない。

・狼の王
 森に棲む神々しい狼。友好的。
 獣種の言葉を理解しているし、彼の伝えたいことをカエルレウムも理解できるらしい。
 鹿の王同様に、カエルレウム+αを背中に乗せて運んでくれる。




● この世界の単位
・ディエス
 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。

・ホーラ
 一日を二十四に区切った時間の単位。
 元の世界のほぼ一時間に相当する。

・ディヴ
 一時間(ホーラ)の十二分の一となる時間の単位。
 元の世界のほぼ五分に相当する。

・アブス
 長さの単位。
 元の世界における三メートルくらいに相当する。
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