#29 虫の牙

文字数 5,768文字

 ディナ先輩は、一息ついてから再び話し始めた。

「その愚かな母さまは、ボクを連れて、厳重な警備のキカイーの屋敷から逃げ出そうとしたんだ……できると思うかい? 警備兵の中には魔術師だって居るんだ。警備兵たちもボクらを追い込みながら半笑いだった。同じところをぐるぐると走らされた。ボクは母さまの愚かさに泣きたくなった……そのとき急に、母さまはボクを抱きしめた。ボクらはここで、警備兵の持っているあの槍に貫かれて死ぬのかなと思ったよ。でも、貫かれるのが一回だけで解放されるのならば、それでもいいとボクは目を閉じた」

 黙って聞けと言われたけれど、内容が壮絶過ぎて、相槌を差し挟めるような話じゃない。

「突然、浮遊感を覚えて、ボクは目を開いた。その時に見たのがあの母さまだ」

 さっきの綺麗な女の人の表情を思いだす。
 つらそうな、でもそれだけじゃない、表情を。

「ボクは浮いていた。母さまが魔法を使ったところなんて見たことがない。だから素人の……凄まじい量の寿命を消費して使った魔法なんだろう。ボクはすごい速度で天へと昇っていった。雲を突き破り、星々が輝く夜空をあまりにも近くに感じながら、自分の身に起きていることを理解しようとした。でもね、思考が動き出すよりも早く、ボクの体が動き出した。今度は雲の上を滑るように、知らない方向へ……しばらく雲の上を飛んで、再び雲の中を突き抜け、やがてボクは見知らぬ大樹のそばへと静かに着地した。そこは母さまの故郷、アールヴの隠れ里への入り口だった」

 そうか……悲しい表情の中に混ざっていたのは、愛おしさだ。
 もう二度と会えなくなることを覚悟したときの表情なんだ、あれはきっと。

「アールヴの里は、ボクにとって救いの場所ではなかったよ。事情を話したボクは、自分たちの仲間が死ぬ原因になった浅ましい獣種の血が混ざっていると罵られ、虐げられたんだ。味方はたった一人だけ……ボクの母さまの母さま……おばあさまだ。おばあさまは、ボクにアールヴの魔法をいくつか教えてくれた。ボクはおばあさまに隠れて独り魔法の技を磨いた。アールヴの魔法はね、獣種の魔法のように作り上げるものじゃないんだ。魔法精霊というのを見つけ出してね、契約するのさ。使うのに魔法代償を消費するのは変わらないけどね……とにかくたくさんの魔法を契約した。すべては復讐のために……そしてボクは隠れ里を出た。もう二度と戻らないと決めて」

 膝に妙な温かさを感じて目を開く。
 ディナ先輩の握りしめた拳から血が滴っていた。
 俺はその手を取り、恐る恐る指を開くと……ディナ先輩があまりにも強く拳を握り込み過ぎたために、爪が手のひらへ食い込んでいた。
 怒られるかもしれないと思いつつも、『生命回復』を使って傷を癒やす。
 ディナ先輩は、治療を受け入れてくれた。

「……ボクは、魔法精霊たちの力を借りて、キカイーの屋敷へと忍び込むことに成功した。欲に溺れた脂肪の塊から醜く汚れた魂を切り離すのは驚くほどあっけなかった。今思えば、ボクが使った魔法がアールヴの魔法だったのが幸いしたんだ。屋敷で雇われていた獣種の魔術師達が施していた魔法封印なり感知なりの防備は、あくまでも獣種の使う魔法に対するものばかりだったから……とにかく簡単過ぎたんだ。だからボクは動揺した。白爵ともあろう者が、こんな簡単に侵入者の手にかかるものなのだろうか、と。もしかしたら、これは影武者で、本物は別の場所に居るのかもしれない、と。だからボクは逃げ出さず、屋敷の中を探索し始めたんだ……」

 ディナ先輩の手を治療したあと、ずっと握ったままだった俺の手が、今度はディナ先輩に握り返される……痛い……けど我慢だ。

「そこで見つけたんだ……母さまの、死に人形を」

 死に人形?
 手の痛みが飛ぶほどのインパクト。
 話の流れから想像すると反吐が出そうな響き。
 絶対にろくでもないものだという予測はつくけれど、具体的にどんなものなのかは内容的にも状況的にも、とてもじゃないけど聞けないし聞きたくもない。

「そんなものを目の当たりにして、冷静でいられると思うか? 隙を突かれたボクは、背中に大きな傷を負った。キカイーの骸やあいつの趣味の部屋に火を付けていなかったら、屋敷から逃げ出すことも出来ず、ボクはあそこで力尽きていただろう」

 ディナ先輩が俺の手を放す……そしてこちらに背中を向けると、突然シャツを脱いだ。
 薄暗さの中に真っ白い背中がぼんやりと浮かび上がる……そこに、黒っぽい大きなムカデが這いずっていた。

「うーわっ」

 思わず声を出してしまった。

「アールヴに独自の魔法があるように、異世界……地界(クリープタ)天界(カエルム)に棲むそれぞれの種族の中にも、独自の魔法を持つ奴らが居る。魔法を使うだけじゃなく魔法品を作ることもあるし……その魔法品がこちらの世界へ持ち込まれることもある。ボクに傷を付けた警備兵が持っていたのも、そういう異世界の魔法武器の一つだ。こちらの世界では『虫の牙』と呼ばれている。物理的な傷ではなく、呪詛のような傷をつけることができる。その傷は、光のもとでは見えないが、ある一定の暗さになると姿を現し、蠢き始める。そして姿を隠していようが見せていようが、魔法を使おうとすれば咬んで激痛を与える……下品で陰湿な呪詛だよ。カエルレウム様の持っていた書物の中に、異世界よりもたらされた武器をまとめたものがあってね。それでわかったんだ」

「……ということは、その異世界の種族の魔法を知らないと、呪詛を解除できないということですか?」

「ああ、そうだ。だがね、一つだけ方法があるらしい。書物には、『虫の牙』と契約した持ち主が死なない限り癒やすことのできない傷を与える、とあった」

 よく見ると、それはムカデではなく、本当に傷だった。
 虫のようにゾワゾワと蠢く傷……でもやっぱり傷ムカデとでも呼んだほうがよさげな動き。
 『虫の牙』という武器を持っている奴が死ぬまで消えない呪詛。

「あの……その警備兵の顔、さっきの魔法で見せてもらうことって可能ですか?」

「後ろから不意打ちされたから、ボクも見ていない。異世界の魔法品など滅多なことじゃ流通などしないから、ただの警備兵じゃなく、それなりの腕を持つ雇われ兵かもしれない。トシテルごとき簡単に返り討ちに合うだろう。余計なことは考えるな」

 なぜだか「はい」とは答えたくない。

「それよりもトシテルはもっと気をつけなければならない奴がいる。そいつは今、このラトウィヂ王国へ潜入しているという情報があるからだ」

 ディナ先輩は振り返り、俺の額に手を添える。
 慌てて目を閉じたけれど……突然こっち向いたりするから、少しだけ見えてしまった。
 たった今、酷いことをされた話を聞いたばかりなのに、ディナ先輩の体に女性を感じてしまう自分が、どうにも腹立たしいし申し訳ない。

「モトレージ領は急峻な山々に囲まれた盆地でね、領地から外へ出るには二箇所しかない関所のどちらかを通らないといけない。入る時はね……父親が死んだために昔別れた母親を尋ねる孤独な少女ってのを演じて、泣き落とした商人の身内として関所を通り抜けた。しかし出る時まで同じ手は使えない。しかも『虫の牙』の傷で満足に魔法が使えない状況で、モトレージ領どころか、キカイーの屋敷があったスリナの町から抜けることさえもできずにいた」

 ディナ先輩が魔法代償を集中するのを感じる。

「そんな時、ボクを助けてくれたのが、そのスリナの町へ連れてきてくれた人の良い商人だった。母を探したけれどとっくの昔にこの街を出ていってしまっていた、とボクが嘆いてみたら、その商人は信じてくれたよ。とりあえず一緒に連れていってくれると約束してくれた。ただね、キカイーが死んだことで関所が封鎖されてしまったんだ。その時はわからなかったが、『虫の牙』の所有者が生きているってことは……その傷がつけられた犯人を探すつもりだったんだろう」

 映像が、再び見え始める。
 今度のは太った男。
 頭は禿げ上がり、親切そうな笑顔を浮かべてはいるけれど、口の両端からけっこう大きめの牙が飛び出している。
 サーベルタイガーのような、不自然にでかい牙。

「この男、名をウォルラースという。モトレージ領をどうしても脱出したかった商人が探してきた、自称なんでも屋だ。商人はな、隣の領地でかなり大口取引の約束があり、ここでそんなに足止めされるわけにはいかなかったらしい。もちろん、関所を封鎖している側は、封鎖によって商人が大損したところで、一銅貨(エクス)ですら補償はしてくれない。焦り、困り果てていた商人は、この見るからにうさん臭いなんでも屋と称する男を頼ったのだ」

 ウォルラース。
 牙以外は普通の人の顔ということは、半返りだろうか。
 虎種、みたいなのがあるのかな。
 リテルの記憶には、猫種(バステトッ)以外に猫っぽい獣種の名前は見つからない。

「ウォルラースは、関所にコネがあり、商人が次の取引で得る儲けの半分をよこすならば脱出させてやると言ったらしい。無茶な条件だったが、大損するより儲けが半分も残るのなら、と商人はその条件を呑んじまった。実際、ウォルラースは、商人とボクとをモトレージ領から出してはくれたんだ……しかしね、すぐに本性を現したよ。喉が乾いたから休憩しようと言い出した。近くに美味しい清水が湧く場所があると言い、街道を外れて山道へと誘導する。その清水とやらの場所まで行くと、案の定、ウォルラースの仲間が四人も合流してきやがった。ボクはもちろん、隙をついて逃げようとしたよ。しかし強烈な腹痛に襲われてね、逃げ出し損ねてしまった。そんなボクの首に、ウォルラースは首輪のようなモノをはめたんだ」

 映像が消えた。
 けど、ウォルラースの顔はしっかりと覚えた。

「二人は商人を、もう二人はボクを押さえつけた状態で、ウォルラースは商人に尋ねた。次の取引についての詳細を。あの商人も愚かだったよ。始めは頑なに拒んでいたのにさ、ボクの顔に剣先を突きつけられた途端、全部しゃべっちゃったんだよ。これから商品にしようとしている女の顔に傷をつけるはずなんてないのにね。全部話してしまったから、用済みになった。ウォルラースともう一人が商人の死体を片付けに居なくなると、残りの三人はボクの検品を始めたんだ……体の内側までね」





● 主な登場者

利照(トシテル)/リテル
 利照として日本で生き、十五歳の誕生日に熱が出て意識を失うまでの記憶を、同様に十五歳の誕生日に熱を出して寝込んでいたリテルとして取り戻す。ただ、この世界は十二進数なのでリテルの年齢は十七歳ということになる。
 リテルの記憶は意識を集中させれば思い出すことができる。
 ケティとの初体験チャンスに戸惑っているときに、頭痛と共に不能となった。
 魔女の家に来る途中で瀕死のゴブリンをうっかり拾い、そのままうっかり魔法講義を聞き、さらにはうっかり魔物にさらわれた。
 不能は呪詛によるものと判明。カエルレウムに弟子入りした。魔術特異症。猿種(マンッ)
 フォーリーの街に来てから嫌な思い出が多いが、修行として受け止めている。
 異世界から来たことをとうとう打ち明けた。

・カエルレウム師匠
 寄らずの森に二百年ほど住んでいる、青い長髪の魔女。猿種(マンッ)
 肉体の成長を止めているため、見た目は若い美人で、家では無防備な格好をしている。
 お出かけ用の服や装備は鮮やかな青で揃えている。
 寄らずの森のゴブリンが増えすぎないよう、繁殖を制限する呪詛をかけた張本人。
 リテルの魔法の師匠。

・ルブルム
 魔女の弟子。赤髪で無表情の美少女。リテルと同い年くらい。猿種(マンッ)のホムンクルス。
 かつて好奇心から尋ねたことで、アルブムを泣かせてしまったことをずっと気にしている。
 カエルレウムの弟子を、リテルのことも含め「家族」だと考えている。質問好き

・ディナ先輩
 フォーリーに住むカエルレウムの弟子にしてルブルムの先輩。
 男全般に対する嫌悪が凄まじいが、リテルのことは弟弟子と認めてくれた様子。
 アールヴと猿種(マンッ)のハーフ。深夜に壮絶な過去を語り始めた。

・ウェス
 ディナ先輩の部下。肌が浅黒い女性で、男嫌いっぽい。
 兎よりもちょっと短い耳をしている蝙蝠種(カマソッソッ)

・ディナ先輩の母さま
 周囲の反対を押し切って、自分の命を救ってくれた猿種(マンッ)の元へ嫁いアールヴ。
 しかし、領主キカイーの謀略により夫を失い、妾にされ、ディナを脱出させるために大量の寿命を消費した。
 その後、死に人形にされた。

・キカイー
 モトレージ領を治める白爵(レウコン・クラティア)
 ディナ先輩とその母を欲望のままに追い込み、我がモノとした。
 その後、ディナに復讐され絶命。

・警備兵?
 『虫の牙』と呼ばれる呪詛の傷を与える異世界の魔法の武器を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。

・商人
 ディナがキカイーの住むモトレージ領、スリナの街への出入りする際に利用した、人を信じやすい商人。
 ウォルラースにより殺された。

・ウォルラース
 キカイーの死によって封鎖されたスリナの街から、ディナと商人とを脱出させたなんでも屋。
 金のためならば平気で人を殺す。

・ウォルラースの仲間たち
 ディナを嬲り始めた。

・アールヴ
 天界(カエルム)から来てこの世界に棲み着いた種族の一つ。
 保守的で閉鎖的でよそ者を嫌う。
 魔法精霊と契約するという、獣種とは異なる独自の魔法体系を持つ。


● この世界の単位
・ディエス
 魔法を使うために消費する魔法代償(寿命)の最小単位。
 魔術師が集中する一ディエスは一日分の寿命に相当するが、魔法代償を集中する訓練を積まない素人は一ディエス分を集中するのに何年分もの寿命を費やしてしまう恐れがある。

・ホーラ
 一日を二十四に区切った時間の単位(十二進数的には「二十に区切って」いる)。
 元の世界のほぼ一時間に相当する。

・ディヴ
 一時間(ホーラ)の十二分の一となる時間の単位(十二進数的には「十に区切って」いる)。
 元の世界のほぼ五分に相当する。

・アブス
 長さの単位。
 元の世界における三メートルくらいに相当する。

・プロクル
 長さの単位
 一プロクル=百アブス。
 この世界は十二進数のため、実際は(3m×12×12=)432mほど。

・通貨
 銅貨(エクス)銀貨(スアー)
 十銅貨(エクス)(十二進数なので十二枚)=一銀貨(スアー)
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