第1話 ことの始まり
文字数 1,452文字
サロン=ド=プロヴァンス町
1566年1月10日、夜11時頃
最近宮殿から声はかけられなくなり、老人はものすごく落ち込んでいた。
リウマチと痛風を患い、特に冬の寒い夜では病状が更に酷くなり、一晩中も眠れないことはしばしばであったほど。
近々、近所に住んでいる知人の公証人を呼んで、自分の遺言書作成をせねばと常に考えていた。
「春か夏になってから、色々と済ませて、休みたい」
老人は独り言をつぶやいた。
この悲しき老人は有名人だった。少なくとも王室と貴族の間では、崇める人が多くいたのは事実。
最近めっきり、利き手のリウマチの影響で物が書かなくなり、頭で何を浮かべても、文書化にできなかった。それはまた老人が落ち込む原因の一つでもあった。
今夜は何か違っていた、老人は暗くなり始めた頃、頭にあるイメージ映像が浮かんできた。
そのイメージは赤い目が光る黒い影の男だった。直感で感じたのは、あの影の男**が**自分を訪れたら、今の苦しみはもしかすると終わりを告げる。はっきりとしたものではなかったため、可能性としてこの直感は外れるとも思った。
地中海の冬は比較的暖かったが、病を患っている老人からしたら、耐え難い寒さだった。
1階の自分の部屋、堅いベットで横になっていた老人は窓を見た。厚い冬用のカーテンの隙間から月光が漏れていた。
その時だった、老人は窓ガラスを叩く音を聞いた。
「偉大なる師よ、窓を開けよ。」
頭の中に声が響いた。
老人は暗くなる前に頭の中に浮かんだイメージは予知であったと理解した。そして黒い影の男は自分を探しに来たと察知した。それは意味するのは【死】かと一瞬思った。
「偉大なる師よ、窓を開けよ。」
再度声が響いた。
夜に訪れてくる闇の生き物について、老人は知識を持っていた。入る許可を求める存在について、更に詳しく知っていた。病による痛みは耐え難いものだった。もし闇の生き物の糧として、人生が終わるのならば、それはそれでいいと思った。苦しみから解放されたかった。
ゆっくりとベットから立ち上がり、力を振り絞って、部屋の窓を開けながら一言を放った。
「入ってよい。」
冷たい冬の風が一気に吹いて、一瞬老人は目をつぶった。
ゆっくりと目を開けて、家の外を見たら、庭や道路に誰もいなかった。
「夢だったか。」
と残念そうにつぶやいた。
後ろ、部屋の中から声は聞こえた。
「師よ。余に入る許可をくださり、感謝する。」
老人は窓を閉めた後、ゆっくり振り向いた。
身長は170センチぐらいで30代に見える、フードを被った中東系な顔立ちをしている若い男性が立っていた。男の目は赤く光っていた。
「あなた様は何者でしょうか。」
老人は慎重に声をかけた。
「余は不可触民(パリヤ)、忌み嫌われる者である。」
男は答えた。
「あなた様は死ぬ運命を待つ私を迎えに来たのか。」
老人は問いかけた。
「違う。余は偉大なる師であるあなたに頼みたいことがある。」
「こんな満足にもう体を動かせない老体では何もできない。」
老人は断った。
「医者、そして錬金術師として、余は師にお願いしたい。」
「医者ではあるが、錬金術は遥か昔にやめている。」
老人はまた断った。
「やめていても、錬金術を忘れてはないと余はみている。」
男は老人に言った。
「部屋に入る許可を求める闇の生き物であるあなた様は、先の短い私に何を頼みたい?あなた様は永遠の命、永遠の若さを保ち、老いることなく過ごせるのに。」
老人は更に言った。
「師よ。余は死にたいのだ。それができるのは師しかいない。」
男は切実な顔で老人に伝えた。