南部大地③『幼馴染三人組は健在か?』

文字数 6,685文字

 昨夜の海上で、太陽がクルーザーに助けられたことを確認したあと、大地はTSゲームカンパニーの本社に向かった。
 誰にも見つからないように、本社ビルに忍び込み、隠し部屋に入った。設計図上にさえ載っていない、大地だけが知っている部屋だ。
 なぜ、そんなものが存在するのか、社員の大地にさえ知る由もない。
 建築家の遊び心か、それとも いたずら心としか思えない。
 広い資料室の奥にもうひとつ隠しドアがあることを発見したのは、大地が10歳のときだった。
 他の社員にそれとなく聞いてみたが、なんのことを言っているのか、ピンとくる社員は誰もいなかった。
 隠し部屋に気づいたとき、大地はワクワクしたものだ。
 誰にもわからないように、天井に届きそうなほど大きな本棚と書籍でドアを隠し、いつでも逃げ込めるように準備した。この部屋からなら、 どのセクションのコンピューターにでもアクセスできるようになっている。少なくとも、数ヶ月間は誰にも気づかれない自信がある。
 昨夜から今日にかけての出来事も、この部屋で知ることができた。
 緑が社長室に監禁されていることも、昨夜太陽を助けたのが高橋美津子の執事であることも、サンがTSゲームカンパニーの陰謀を警察に報告したことも全てだ。
 大地は決して機械音痴なのではない。そう装ってきたのは、 今日の日のためだった。
 藤堂を油断させる必要があったからだ。
 いよいよ、全てを終わらせるときがきた。
 大地はコンピューター 01号室へ行き、MCハンマーに、日向が流しているネット上の映像を守ってくれるように頼んだ。
 あとは緑を助けだすだけだ。
 大地は階段で地下室まで降り、 太陽たちとは別の廊下を走っていた。
 目的地まであと10mに迫ったとき、第3倉庫から誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。
「まだわからないの? これはゲームじゃないのよ」
 その後、ガタガタとなにかが倒れるような音が聞こえ、不安になった大地は、第三倉庫に飛び込んだ。
 そこで感じたものは、異様な雰囲気だった。
 床に倒れたまま、緑が藤堂を睨みつけている。
 一方、藤堂はイラついているようだった。
 大地に気づいた藤堂が、
「早くこの女を黙らせろ」
 と怒りを露わにした。
 しかし、今の大地には藤堂の姿さえ眼中になく、慌てて緑に駆け寄り、抱き起こす。
「緑、唇に血が……」
 と、思わずハンカチを差しだしたものの、余計なお世話かと持て余す。
 一方、少し躊躇ったあと、緑が、
「ありがとう」
 と素直に受け取ってくれたから、逆に大地は驚いてしまう。
 ハンカチを受け取った緑がお礼のつもりなのか、久しぶりに本気の笑顔を返してくれた。
 大地もやっと笑顔になる。半分はまだ作り笑いだが。
 事情を飲み込めない藤堂は、焦っているようだ。
「大地、なにをやっているんだ? 俺に逆らうつもりか? どうなるか、わかっているんだろうな。テログループに差し出してやる。誰か、誰か」
 とヒステリックに叫ぶ。
 廊下からいくつもの足音が聞こえてきたと思うと、ドアが開き、数人の黒服の男たちが入ってきた。
「この裏切り者を連れて行け」
 ボスである藤堂の命令で、黒服の男たちが大地を殴る。
 鈍い音と同時に、重い痛みが走り、思わず悲鳴に似た短い音を発してしまった。
 緑が心配するじゃないか、と反省する。
 いくら体育会系とはいえ、大地もまだ中学生である。しかも、相手は鍛えられたプロの護衛だ。叶うわけがない。
 それは大地自身もわかっていることだった。それでも男には勝負しなければならないときがあるのだ。大事なものを守るためなら、自分はどうなろうと構わない。ただ緑だけは守りたい。その一心で殴られようが蹴られようが、緑の前から動くわけにはいかないのだ。少なくとも、太陽が来るまでは……と思い、自分でも驚く。
 結局、俺も太陽に期待しているということか。だが、仕方ない。
 増えていく傷と痛みの分、 覚悟は強くなる気がした。
「やめて!」
 緑も必死で止めようとするが、とても敵う相手ではない。
 ついに、大地の体力にも限界が迫っている。このままでは、緑も巻き添えになってしまう。
「緑、一人で逃げろ、早く」
 と、大地が必死で訴える。
 これ以上、守ってやれない自分が不甲斐ないが、今はそんなことも言っていられない。
 だが、 大地自身嫌というほどわかっている。 緑が自分を放って一人だけ逃げ出すことなどできるはずはないと。
 黒服の男たちに体当たり していく緑の姿が目に入った。
「大地を離して」
 結局、緑は黒服に押さえつけられた。
「やめろ。緑に手を出すな」
 大地が最後の力を振り絞り、黒服たちを押しのけ、緑の前に立ちはだかる。
 なんとしても緑だけは助けたい。
「太陽、お前だってそうだろ。だったら、早く来い」
 大地が胸中で叫んだとき、 突然、第3倉庫に多くの男たちが突入してきた。
 一見して、ざっと20人はいるだろう。この上、黒服の仲間かと血の気の引く思いでよく見ると、青いジャンパー? 
 以前どこかで目にした制服のような……と考えて、大地はやっと思い出した。
 ほっとした大地は大きなため息を吐く。
 気がつくと、青ざめた藤堂が 狼狽えていた。
「お、お前たちは何者だ?」
 青ジャンパーは警官隊の第2の制服である。
 それも思い出せないほど、藤堂は動転しているのだろう。
 警官隊によって助け起こされた大地は、藤堂に向かい、フンと鼻先で笑った。
「太陽の行動はネットで流れている。あんたの悪行のすべても公表済みだ。もちろん、プレイヤーは全員キャンセルしてきた」
「貴様ぁぁぁ!」
 額の血管を膨らませた藤堂が大地に掴みかかるが、警官隊に取り押されられた。
「クソ! 放せ、放せ」
 大地にとって、藤堂と刺し違えるなら大満足だった。
「もうゲームオーバーなんだよ。あんたも俺も……」
 そこへ、足を引きずる日向に肩を貸しながら、太陽が入ってきた。間に合って良かった、と大地は安堵する。
 キャラクターの監視員を集めた大地が、みんなの力で太陽を救い出して欲しいと熱弁を振るったのだ。
 もちろん、大地もそう簡単にいかないことは覚悟していた。 黒服たちも見て見ぬふりをしてはくれないだろう。力づくで阻止しようとするはずだ。
 監視員たちは一般事務員のようなものだから、 黒服の男たちに比べれば非力で、 多くの負傷者が出るかもしれない。
 だが、 子どもたちを見守ってきた彼らなら、情を感じているはずだ。 心のどこかで、なんとかしてやりたいと思っているに違いない。
 監視員は千人以上いるから、多勢に無勢でなんとかなるだろう。
 それに、相手はただの仕事。こっちは正義の本気だ。やっつけられても、やっつけられても、次から次に押し寄せてくれば、いくら黒服でも気持ちが先に諦めるだろう。
 結局、黒服たちは悲鳴を上げながら逃げ出すに違いない。
 そうなるように、大地が監視員たちを励まし、その気にさせたのだった。
「みんなの手で、太陽と緑を助けだそう。それが子どもたち全員を救うことになる。結局、俺たち自身のためにもなるはずだ」と。
 今、太陽が入ってきたということは、成功したことになる。 それは黒服に対することだけではない。重い防犯扉も同じだろう。多くの人間が集まれば、なんとかなるものだ。人間には力だけではなく、知恵もあるのだから。
 一方、入ってきた太陽は唖然としている。
 青ジャンパーと黒服が殴り合っているからだろう。それでもすぐに、青ジャンパーの警官隊が黒服たちを制圧した。
 青ジャンパーに連行されていく藤堂が、太陽と日向の前を通りかかった。
 そこで初めて、藤堂が日向のキャップについている超小型のビデオカメラの意味に気づいたようだ。
「お前か!」
 歯ぎしりが聞こえてきそうなほど、藤堂は悔しがっている。
「気がつくのが遅かったようだな」
 日向がニッと笑った。
 藤堂と違い、こんなかっこよくニッが似合う人もいるのかと、今更ながらに感心した。
 ここまできて、まだ情けない藤堂は、日向に殴りかかろうとする。が、警官隊に取り押さえられ、 結局惨めな体勢で連行されていった。
 次は自分の番だ、と大地は覚悟を決めた。
 警官隊に両脇を抱えられるようにして歩き出す。
 一瞬だけ、太陽と視線が合い、急いで逸らした。
 太陽の瞳は、突然の不意打ちを食らったように驚いていた。
 大地はもう、太陽に視線を向けるつもりはない。じっと前を見据えたまま、連行されていこうとした。そのときだった。
「大地……」
 我慢できなくなったのだろう。太陽の方から声をかけてきた。
 大地は止まるつもりなどない。太陽を無視し、自ら歩いていこうとする。
「ごめんごめんごめん……」
 太陽は相変わらず、次の言葉が出てこない。
 やっぱりな、と大地は思う。 最後まで考えてから声をかけろよ、と言いたいが、我慢する。 止まるわけにはいかないからだ。
 しかし、太陽の言葉に、警官隊が止まってしまった。仕方なく、大地も天井を見上げて苦笑するしかない。
「これで、少しはまともな人間になれるかな?」
 見えなくても、大地にはわかってしまう。
 太陽の頬から涙がポタポタ流れているに違いない、と。
 それでは視線を逸らす意味がないだろ、と大地は自虐する。
「ぼく、待ってるから」
 太陽の泣きそうな声が聞こえた。
 大地は尚も天井から視線を逸らせるつもりはない。
「俺はお前を裏切ったんだ。いい加減わかれと言っただろ」
「でもでもでも……」
「 だから、その“でも”はやめろって言ってるだろ、“でも”は……」
 と怒鳴りながら、つい癖で、太陽の顔を見てしまった。それがいけなかった。予想通り、太陽はガキみたいな顔で泣きじゃくっている。
 まったくよ、と大地は思う。
 誰もが皆、この顔には弱いんだよな、と。
 結局、大地は仕方ないな、といつもの呆れ顔になるしかない。
「俺は、お前のその“でも”に弱いんだからさ」
 太陽の濡れた瞳が、じっと見つめてくる。
「待ってるから。絶対待ってるから……」
「あたしも待ってる」
 その声に、大地は振り向かなかった。よく聞こえなかったわけではない。嫌というほど、誰かもわかっている。だからこそ、 振り向けないのだ。
 仕方なかったんだ、と大地は思う。
 あのときの自分は、まだ3歳。ゲーム会社の社員になる以外道はなかった。
 藤堂のやり方は非道で、まず逃げ場を塞ぐ。
 プレイヤーに選ばれなかった子どもたちは、1年間テログループで自爆テロ要因として恐怖の教育を受けさせられた。子どもとか大人とか関係ない、地獄の日々だった。
 ゲームランドに戻った子どもたちは、裏切ればテログループに帰すと脅され、無理やり洗脳された。大人の社員でさえ、口答えひとつもできないのに、子どもの自分に太刀打ちできるはずがない。
 本当に、どうしようもなかったんだ。
 大地はそう思おうとした。自分に言い聞かせようとした。
 それでも、自分の気持ちは裏切ることができない。太陽が大好きだから、 緑を愛しているからこそ、 どんな理由があれ、二人を苦しめたことに対し、仕方ないで済ませられるはずがないのだ。
 どうしても、 自分を許せないと苦しんできた。そして、心のどこかで、いつかこんな日がきてほしいと望んでいたに違いない。
 これで全てが終わるのだ。太陽と緑が憎み恨み、見捨ててくれたら、自分はもう何も期待しなくて済むんだ。
「勝手にしろ」
 大地は二人に背を向け歩き出す。心に最強の(よろい)をまとって。
「まて!」
 大地を止めたのは、太陽でも、緑でもなく、思いもよらない人物だった。
「このまま行かせるわけにはいかない」
 脇の下で支えてくれる太陽の肩を避けた日向が、片足を引きずりながら、大地に向かう。
 あ、と気づいた太陽が再び肩を貸そうとするが、日向は手と目つきで辞退する。
 大地は自分の体がギュッと緊張するのがわかった。
 高橋美津子が太陽の祖母であると知ったときから、覚悟はしていた。いつか、孫を苦しめた敵として当然復讐されるだろうと。
 その実行者が日向なのだ。
 もちろん当然だと、大地自身も認めている。
 それが、今なのだろう。
 ついに、きた、と大地は思った。
 長身の日向が大地の顔を抱きしめてくる。つまり、そうと見せかけて、首の大動脈を締めるつもりなのだろう。
 大地も日向が殺し屋だとは思っていない。その逆だ。海上で初めて日向を見ただけで、 警察とか自衛隊とか、守る側の経験があると思った 。しかも、特上の技術を持っているはずだと。
 大事な人を守るためには、敵を殺さなければならないこともある。大地は抵抗するつもりなどない。一気に殺して欲しいとさえ思っていた。
 しかし、日向の腕が自分の首の大動脈にかかっているとは思えない。まさか、本当に俺の顔を抱きしめているだけなのか?  そんな、馬鹿な!
 突然、大地は日向の腕の中から逃げ出そうと、手足をバタバタさせる。
 殺されるのはいいが、抱きしめられるのは嫌だ。それだけは絶対嫌だ。
「う~、う~」
 大地は唸りながら、逃げようともがく。
 更に日向の腕に力が増し、大地の体はびくともしなくなった。それでも、大地には意地があった。大好きな太陽を、愛する緑を、守るために必死で(うそぶ)いてきた。悪ぶってきた。弱気になってしまうこともあったが、そんな時は自分を責め、罵倒した。それでも、誰にも頼らない、甘えたりしない、と決意していた。
 悪魔に徹してやると思った。例え事情が変化したとしても、今更信念は変えられない。なぜそこまで(こだわ)らなければならないのか、今になってやっと、大地にもわかった。
 きっと期待することが怖かったのだ。
 太陽や緑が許してくれたとしても、いや、きっと許すだろう。その分、自分自身が許せなくなる。どんな理由があったとしても、どんな辛いことがあったとしても、 太陽を恨み、緑を傷つけた自分を許すことはありえない。
 だから、このまま太陽と緑の前から姿を消し、二度と会ってはいけない。それでいい。それしかないのだ。
 そんな決意を持って、大地が日向の腕の中で手足をバタバタさせているときだった。
 決してわざとではない。偶然にも大地の足が日向の怪我した部分を蹴ってしまった。
 まずい、と大地が見上げると、 一瞬日向の表情が、悶絶に耐えるしかめっ(つら)になるが、抱きしめている力は緩めなかった。
 代わりに、日向の唇が動く。声のボリュームはかなり低いが。
「 我々、大人が不甲斐ないために、大地、お前にも辛い思いをさせてしまった。申し訳ない。 だが、全ては終わったんだ。一からやり直しができるんだ」
 恐らく、日向は太陽や緑に聞こえないように、小声で話してくれているのだろう。
「そんなこと、できるはずがない」
 大地も小声になる。意識しているつもりはないが、ついそうなってしまう。太陽や緑に対する罪意識からかもしれない。
「お前はこれから自分のしたいことを考えていいんだ。幼馴染三人組に戻ってもいい。太陽様 も緑様も心からそう願っているし、お前が必要なんだ。全員、まだ子どもだ。三人揃ってやっと一人前なんだから、長女と末っ子だけでは不安に決まっている。長男が必要だ」
「でも……」
「それは太陽様の口癖だ。お前には似合わないだろう」
 日向の表情がほころぶ。
 一方、大地は力いっぱい唇をかみしめた。そうしていないと、涙が溢れだしそうで怖かった。
 そこへ、日向の声が再び聞こえてきた。
「確かに、数日間は事情聴取などで忙しくなるだろう。たが、未成年だし、うちの会長がお前の身元引受人件後見人になってくださったから、すぐ戻ってこられるようにしてみせる。だから、もう本音を言っていい。太陽様や緑様が大好きだと叫んでいいんだ」
 大地は全身から力が抜けてしまった。崩れ落ちそうになる体を、日向の腕が支えてくれる。
 太陽の泣き顔はよく目にしたが、自分がそうなるとは考えたこともなかった。不格好ではあるが、やっと一人の少年に戻れたような気がした。
 大地の体を抱きしめたまま、ゆっくりと日向の体勢が右回りに回転していく。当然、大地の体も一緒に。
 180度ほど回転したところで、二人の体は止まり、大地は背中に太陽と緑を感じた。
 そうか、と大地は今更ながらに気づく。
 きっと、この人は二人だけの秘密にしてくれるつもりなのだろう、と。
 大地の小さな声が震える。
「太陽も緑も好きだ。大好きだ。ずっと一緒にいたい……」

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