ハンマー⑦『広がる波紋』

文字数 3,980文字

 もしかして、ここが高橋美津子の家なのか? 
 だが、でも、しかし……。
 ハンマーは否定形ばかりが頭に浮かぶ。
 どうしてプレイヤーの高橋美津子の家が映っているのだ?
 確かに、ゲームランドの中では多くの場所に隠しカメラが設定され、キャラクターの生活振りを撮影している。
 しかし、プレイヤーを監視するなんてありえない。これでは、まるで盗撮だ。そんな非常識なことができる人間なんて、とそこまで考えて、ハンマーは思い当たった。
 いる 。ひとりだけ。しかし、何の意味があるのだ?
 それに、この高橋美津子という老婆も不思議なことだらけだ。彼女のファイルには氏名と年齢と資産額しか書かれていない。しかも、プレイヤーでありながら、太陽の育て方には一切口を出さず、自由に育ててほしいと頼むばかり。
 それでは、巨額の資金を出してまでプレイヤーになる必要がどこにある? 
 第一、そんな勝手なプレーヤーを、あの藤堂が許すはずがない。
 やはり、彼女には何か裏がある。そう感じたハンマーは、もう少し高橋美津子の様子を覗き続けることにした。
 パソコンの前に座った高橋美津子は、慣れた手つきで起動し、意識をディスプレイに集中する。そこには、ハンマーがさっきまで観ていた映像が流れている。海の中で顔を洗う太陽の姿だ。
「太陽……」
 と、辛そうに呟く高橋美津子の唇は、かすかに震えている。
 ティッシュで目頭を抑えたあと、受話器を手にした高橋美津子が、今時骨董品のダイヤルを回す。
 一体誰に……?
「もしもし、高橋美津子です。羽賀太陽君と加藤緑さんを婚約させてください……無理は承知しています。でも……」
 もしかしてん、と閃いたハンマーは、素早く行動に出る。
 まず、他の監視員たちの意識が、各自のパソコンのディスプレイに集中していることを確認する。
 次に、自分の机の両サイドに分厚い書類ファイルを積み立てて壁を作る。
 更に、ディスプレイを2分割する。
 つまり、左半分は高橋美津子の部屋のままで、右半分はCEO室だ。
 既に創立記念の行事は終了しているから、CEO室の防犯カメラの映像を観ることは禁止されている。もしバレたら、クビだけでは済まされないだろう。
 それでも、秘密めいた高橋美津子の行動は、ハンマーの好奇心を駆り立てるのに十分だった。
 予想どおり、CEO室では 藤堂が受話器を耳に当てていた。
「いくらプレイヤーでも、今更そんな勝手が許されるはずないだろ」
 怒鳴り捨てた藤堂は、乱暴に受話器を置いた。
 いくらCEOとはいえ、相手は顧客だ。そんな言い方はありえない。
 やはり、二人の間には何か因縁めいたものを感じる、とハンマー の疑念は深まる。
 ディスプレイの左半分では、プープーと寂しく鳴り続ける受話器を耳に当てたまま、高橋美津子が画面の中の太陽を、じっと観つめている。
 その瞳は辛そうだった。

 一方、右半分の画面の中で、 今度は藤堂が電話をかける。
 相手はすぐに出たようだ。
「何をグズグズしているんだ。 近藤梓にもっと積極的にアプローチさせろ」
 また、ピンときたハンマーが、 現在高橋美津子の部屋を映している左半分の画面だけを切り替える。
 そこには、受話器を耳に当てて話している大地の姿が映っていた。背後には梓の姿も立っている。
「必ず、太陽をメロメロにさせてみせます」
 相変わらず、大地は自信満々だ。
 太陽と緑を取り巻く環境が目まぐるしく変化し、ハンマーの頭もついていけないでいる。
 他人である自分がそうなのだから、当人の太陽と緑は尚更だろう。

 最近、ハンマーはつくづく思う。
 毎日何時間もパソコンで、太陽の様子を観続けるうちに、本当にこの子の担当で良かったと。
 太陽は呆れるほど優柔不断だが、お人好しで素直な少年だ。
 流石に本気で息子と言うにはおこがましいが、甥くらには思ってしまう。それが情というものなのか。生まれて初めて触れた感情だった。
 太陽の笑顔を観ていると癒される。
 大地からいじめられ、緑から叱られる太陽を観ながら、バカと呟きながらも、いつしか笑顔になっている自分に気づく。
 恐らく自分が他の監視員から羨ましがられるのは、そのことも大いに関係しているに違いない。

 太陽は秘密基地で、みんなを守りたいと口にした。太陽が言う守りたい皆とは、親友である緑や大地、両親である和雄や美子は当然として、じゃ、と ハンマーは考えてしまう。
 その中に俺も入っているのだろうか? 
 直ぐに心の中で、バカバカしいと切り捨てる。映像で観ているのは、一方的に俺の方だけだ。太陽は俺という人間の存在さえ知らないというのに、そんなはずないだろうと。
 そのとき、ハンマーは心の中に吹く隙間風のようなものを感じた。空虚な風の音が聞こえたような気もする。
 心が乾燥してザラザラしている、そう思った。
 もしかして、これが寂しいという気持ちなのか?
 初めて味わった感情だった。

 幼い頃から親に虐待され、テログループに入ってからは、兵士として何度も死を覚悟した。
 TSゲームカンパニーに入社してからは、機械のように働かされた。
 社員には大人も子どももいたが、全員がライバルで、友達や仲間と思ったことはない。
 嫌なことや辛いことばかりだったが、それでも寂しいと思った瞬間さえない。
 寂しいと思うのは、そうでないときを経験した奴の気持ちだ。孤独から抜け出したいと期待している人間の考え方だ。
 つまり、寂しいと思えるのは、まだまだ幸せな方なのだと、ハンマーはずっと思って生きてきた。
 全てを諦めたはずなのに、今更寂しい? どうかしている。
 所詮、俺もTSゲームカンパニーの社員だ。太陽からすると、裏切り者にすぎない。憎まれて当然だ。
「今更、どんな顔でそんな身勝手なことを考えられるんだ。お前こそ、いい加減にしろ」
 ハンマーは心の中で自分に怒鳴った。

 皆を守りたいという太陽の気持ちを知ったら、和雄と美子は喜ぶだろうか?
 嬉しいに決まっているよな。 だが、その分、自分たちが太陽にしてきた仕打ちを思い出し、自責の念に駆られることだろう。
 大地に至っては、最初から全てを諦めているに違いない。
「太陽、お前の優しさは罪作りだ」
 そんな台詞を吐いてみたが、 言葉は虚しく空回りするだけだった。

 秘密基地から出てきた太陽と緑を観送ったあと、ハンマーは監視カメラを大地の部屋に切り替えた。
 最初に目に入ってきたのは、 血相を変えて立ち尽くしている梓と大地の姿だった。
「結婚式の打ち合わせ? そんな話聞いてないわよ。もしかしたら、太陽と会っているのかも…… 」
 視線を逸らす大地の表情を見て、梓も察したようだ。
「大地、知っていたんじゃないの?」
 大地は何も答えるつもりはないらしい。
「なんとか言って」
 梓の瞳が燃えている。
 緑が帰ってきたら、梓からどんな目に遭わされるか、修羅場しか想像できず、 思わず身震いがでた。 

 もしかしたら、羽賀宅でも気づいているかもしれない。
 そう思ったハンマーが、慌てて羽賀宅のリビングを映し出すと、和雄はソファーに座り、新聞を読んでいた。
 まだ気づいていないな、と胸をなでおろした直後だった。
 突然、「キャー」 と、美子の悲鳴がサイレンのように響いた。
 血相を変えた和雄が、慌ててリビングを飛び出していく。
 美子はどこにいるんだ?
 ハンマー も画面を変えていくと、3部屋目で発見した。
 美子は太陽の部屋の中でただひとり、唖然と座り込んでいる。
 そこへ、飛び込んできた和雄が、
「どうしたんだ?」と美子に駆け寄る。
「太陽が……太陽 が……」
 美子が震える指先で、机を指す。
 机上には、『ちょっと出かけてきます』と、太陽の字で書かれたメモが置いてあった。
 両親が出かけているならまだしも、二人とも家にいるのに、わざわざメモを残して出かけるとは……。
 太陽の行き先に検討がつかないだけに、和雄と美子は恐怖に慄いた。
 これは大変なことになった。
 ハンマーが心配していると、案の定、映像の中で携帯電話の呼び出し音が響いた。
 恐る恐る和雄が携帯を耳に当てた途端、誰かの怒鳴り声が、ハンマーの鼓膜にも体当たりしてきた。
「お前らは何をやっていたんだ!」
 その声の主はすぐにわかった。藤堂真一だ。
 ハンマーは頭に桐を突き刺されたような痛みが走った。
 社員は全員、脅迫と洗脳によって、藤堂の恐ろしさを植えつけられている。あの時の恐怖が甦り、思わず体が反応したに違いない。
 和雄が受話器を耳に当てたまま青ざめている。
「もし、太陽が戻ってこなければ、お前たちはどうなるか、 わかってるな」
 藤堂の脅しが本気だと確信しているからこそ、和雄の表情が震え上がった。
「テロ組織を裏切り、殺されそうになったお前たちを助けたのは誰だ?」
 質問したくせに、藤堂は答えを待つつもりはないようだ。
「会社はお前たちのために、毎年組織に巨額の金を支払っている。そのおかげで、お前たちは殺されずに済んでいるわけだ。そのお前たちが、我が社をクビになり、もう金が入らないと知ったら、組織はどうするかな?」
 答えを待たずに、藤堂は冷たく電話を切った。聞くまでもない、と自信満々だ。
 美子も恐怖に慄いている。
「わたしたち、これからどうなるの?」
「……」
 和雄に答えられるはずもない。
 それでも美子は、
「あれから15年も経っているんだから、組織もなくなっているかもね」
 希望を探そうとする。だが……。
「組織は今でもある。しかも、 TSゲームカンパニーの援助でもっと大きくなっているらしい」
 和雄の回答は、美子の細やかな希望さえ、粉々に粉砕してしまった。
 ハンマー も思わずひとりごちる。
「俺まで冷や汗が湧いてきたじゃないか」と。
 
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