加藤緑③『人質』

文字数 3,216文字

 藤堂慎一がニヤニヤと楽しんでいる。
 死んだはずの両親を目の前にしたまま、緑は立ち尽くすしかない。それは辛い現実を受け入れざるを得ないときがきたことを物語っている、と再び直感した。
 緑は両親を、いや、元両親役の二人を複雑な視線で見てしまう。今まで本当の親だと思っていたのに、よりによってゲームの役だったとは。
 それでも、緑は大きくひと息吐いたあと、呟いた。
「生きていて、よかった……」
 嫌味ではない。緑は心から安堵した。
 確かに、 圧倒的な虚偽の世界だけに、まだなにも信じられないでいる。
 しかし、それはそれ、これはこれだ。ずっと親だと思っていた二人が生きていたことは、正直ホッとする。
 一方、両親の表情は嬉しそうとも、バツが悪そうとも(うかが)える。多分、両方だろう。例え、ゲームのための親であっても情は移るものかもしれない。いや、そうあってほしいと今でも思ってしまう。
 また、藤堂慎一が鼻先で笑った。三文芝居だとバカにするように。
「実は、あるプレイヤーが自分のキャラクターの嫁に君を見初めてね。その息子と婚約すればゲームランドに戻れるんだよ」
「勝手なことを言わないで!」
 と思わず叫んだ。
 緑にしては珍しいことだが、15歳で、誰かもわからない男子と婚約なんて考えられるはずがない。
 元父が藤堂の表情を窺っている。
 そうか、と緑は気づいた。両親役の二人は自分を説得するために呼ばれたのだろう。
 元父はどう切り出していいのか、迷っているようにみえる。できれば、話さずに済めばいいと期待しているのかもしれない。
 しかし、藤堂にそんな人間らしさを望むのは間違っているようだ。視線が早く言えと迫っているのが、緑にもわかった。
 観念したのだろう。元父の視線が緑の方に移動する。
「もちろん、すぐってわけじゃない。とりあえず、婚約だけして、あとは……」
「やめて」
 緑が話を遮った。
 確かに育ててもらったが、ここまでくると話は別だ。第一、彼はもう親でもなんでもないのだから。そのことを一番わかっているのが彼だからこそ、ばつが悪く俯くしかないようだ。
 一方、元母は少し違う。
「 緑、あなたのためなのよ。ゲームランドに戻れる方法はそれしかないの。戻りたいんでしょ? 太陽ちゃんがいる、あのゲームランドに……」
 偽りのゲームであっても、元母の気持ちは嘘ではないと思いたい。が、母親でない以上母性愛とは違うはず。では、なんの気持ち? と考えてしまう。
 結局、答が出ないまま、元母に対する 緑の信頼が大きく揺れる。
「太陽を裏切れっていうの」
 唇を噛み締めた緑は、(かつ)て母と呼んだ女を睨みつけた。
 しかし、元母の辛そうな表情が訴えている。
 自分たちのしたことは取り返しのつかないことだとわかっている。憎まれて当然だし、親と名乗る資格なんてないこともわかっている。だけど、お願い。緑、聞いて、と。
「この世界はあなたが思っているほど甘くないのよ。あなただけじゃないの。あの優しい太陽ちゃんが傷つくの、見たくないでしょう。わたしたちは、あなたも太陽ちゃんも守りたい。ただそれだけなの。嘘じゃないわ。本当よ。だから、お願い、わかって…… 」
 彼女の頬を流れる涙が、演技だとは思えない。自分の境遇や太陽への心配もあるけれども、 嘗て母と呼んだ女の、いや、ママの心配が伝わってきたから。憎めたらまだ楽なのに、15年の思い出が多すぎる。 三つ子とその3組の親たち。大切な思い出が今でもキラキラ輝いている。
 緑はそんなことを考えていた。
「よく聞いた方がいい。その二人も外の世界でゴミのように抹殺されそうなところを、私が拾ってやったんだ」
 ゲームの親とはいえ、娘の前で辱めを受けている二人を見ていられなくなった緑は、
「パパとママを物みたいに言わないで」
 と言ってしまう。
「緑……」
 元両親の表情が一気に色づいたように見えたが、それも一瞬だった。
「フン」
 またまた、藤堂が鼻先で笑った。
 その場の雰囲気が緊張一色に変わったのがわかる。
「まだ、家族ごっこを続けるつもりか? ま、いいだろう。内戦が続く中、 ゲームランドが平和な島と呼ばれるのはなぜか、考えたことがあるか? テログループと手を組んでいるからだ。つまり、我が社がテログループに出資し、彼らはゲームランドを守ってくれるという契約だ。そして、TSゲームカンパニーの社員のうち、 裏切り者や不必要になった者はテログループに渡すことになる。自爆テロ要員としてな。つまり、その契約でゲームランドは守られているということだ。婚約を断れば、君もそうなる」
「そんな」
 最も驚いたのは、元両親役の二人だった。そこまでは教えられていなかったのだろう。
 二人の気持ちなど無視し、藤堂が話し続ける。
「君だけじゃない。羽賀太陽も同じだ。ま、あいつを生かすも殺すも君次第だというわけだ」
 緑にとっては、太陽を人質に取られたも同然である。
 藤堂は、これで一件落、と自信に満ちたように断言した。

 その夜のこと、緑は本社内の最上階にあるコンピュータZ室に忍び込んだ。そこは予備室で、今は誰もいないから自由に使用できる、と元両親から教えてもらったからだ。 
 緑としては、元両親役の二人を許すことはできない。よりによって、彼らを大好きな太陽を騙し、裏切ったことが、どうしても頭から切り離せないからだ。
 ただし、娘としての恨みや憎しみは大分薄らいでいた。CEO室を出たあと、三人で話す機会を持てたからだ。
 パソコンを立ち上げた緑は、 TSゲームカンパニーのサイトから、太陽の部屋の映像を開く。
 一目でいいから太陽の様子を見たいという思いからである。
 ディスプレイに映っている太陽は、泣き腫らした顔で、必死に笑う練習をしていた。
 緑は気づく。
「変わらないでね」という自分との約束を守るために違いない。
 そう思うと、心が締めつけられる。自分はその太陽を裏切るかどうか、という究極の選択を迫られているのだ。
 『裏切り者』という言葉が頭に浮かんだ。
 辛くなった緑は、電源スイッチに手を伸ばす。大事な人だからこそ、観ていられない。
 緑の指が、電源のオフスイッチに届く直前だった。
 突然、
「どうして?」
 と緑は驚いた。
 パソコンのスピーカーから聞こえてきた回答は……。
「TSゲームカンパニーのサイトに忍び込んだのさ」
 画面に映っているのはサンだった。
「そんなことして大丈夫?」
「なぁに、心配するなって。それより、緑、事情を聞いた。俺がリアル子育てゲームの証拠を見つけて、警察に送ってやるからさ 」
「きっと、セキュリティプログラムが働いているわ。危険よ」
「大丈夫だって。それまで我慢して待っているんだぞ。どんなときも、緑には俺がついているんだからさ。忘れるなよ」
 サンは笑顔でウインクした。
 思わず、緑は涙ぐむ。
 急にとんでもない真実を知らされ、不安でたまらないのに、逃げるわけにもいかない。
 そんな状況の中、サンとの再会はホッとできる出来事だった。
「サン、いつも元気づけてくれて、ありがとう」
「いやぁ、照れるじゃないか。 じゃぁ、安心して待ってな」
 サンは笑顔を残し、ディスプレイから消えた。
「気をつけてね」
 祈るように独り言を呟いた緑はふと、ディスプレイの隅に表示されている文字に気づき、思わず口をついた。
「プレイヤー……?」
 これもサンの仕業かと思った緑が、恐る恐る文字をタッチすると、 『誰のプレイヤーを探しますか? 』の文字が表れた。
 打ち込むローマ字入力は当然、『hagataiyou』➡変換➡『羽賀太陽』➡決定➡検索

 ディスプレイに映し出されたのは、老婆の写真だった。名前は高橋美津子。年齢70歳と表示されている。
 一応、リアル子育てゲームの件は聞いたものの、まだ頭の中を整理できていない緑は(しばら)くの間、その写真を不思議そうに視ていた。


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