加藤緑⑧『梓の思い』

文字数 3,007文字

 森からの帰り道を歩きながら、加藤緑は秘密基地で、羽賀太陽と交わした会話を思い出していた。
「他人のことは気にしなくていいの。身から出たサビなんだから。太陽は自分のことだけ心配して」
  緑は思わず大きな声を出してしまった。
 大地がどんなひどいことをされて社員にさせられたか、自分がどう脅迫されて婚約を承諾したか、身に染みてわかっている緑は、せめて太陽だけは守りたいと切に思ったからだ。
「じゃ、緑も大地を友達だと思っていないわけ?」
 思わぬ太陽の質問に、え? と、緑は息を飲んだ。
 もう自分の未来は諦めているからいいとして、太陽を苦しめようとしてる大地が許せない、と思っているのは事実だ。と同時に、心のどこかで、大地を信じたい気持ちがあるのも確かだった。
 ただ、自分に大地を止めるだけの力があるのか、今の緑には正直自信がない。
 でも、太陽は島民全員を守りたいと言った。
 あのとき、緑は目から鱗が落ちた気分だった。
 ここ数日間で起きた辛い経験のせいで、緑はすっかり自分を見失っていた。
 でも、太陽のお陰で大事な気持ちを思い出すことができた。
 確かに、何も知らなかった頃の自分なら、自身を信じ、できることをやろうとしたに違いない。太陽だけではなく、大地も皆も大好きでいたいから。
 その気持ちを思い出させてくれたのが、他の誰でもない。太陽だということが、緑には特に嬉しかった。
 それでも、現実的な問題は山積みだ。第一、自分に何ができるのかさえ、見当がつかない。

 南部宅に辿り着いた緑は、 外からそっと玄関のドアを開けてみる。
 中に誰もいないことを確認し、ほっと一息つく。
 それでも、慎重に廊下を歩き、自分の部屋のドアを開けた途端、思わず、「あっ」と声を漏らした。
 部屋の中で、梓が待ち伏せしていたからである。
「おかえり。泥棒猫さん」
「梓、何してるの? ここはあたしの部屋よ」
「あんたの部屋? 笑わせないでよ。いつまでヒロイン役をやってるつもり? アンタもあたしと同じ社員のくせに。ここは全て会社のもの。あんたのものなんて何ひとつないのよ」
 そこまで言われては身も蓋もない、とみどりも納得せざるを得ない。
「今日、結婚式の打ち合わせがあったんだって? あたし、何も聞いていないんだけど。結婚式関係は全て、あたしが同行することになっていたはずよね」
「急に連絡があったものだから……」
「式場に訊いたら、そんな話はないって。どういうことなのかしら?」
 緑には言い訳の妙案が浮かばなかった。というより、梓が相手ではどうしようもない。
「あんた、まさか太陽と会っていたんじゃないでしょうね」
 緑はひとつため息をつき、今更嘘をついても仕方がないと諦めた。
「だとしたら、どうだっていうの?」
「まだ、わからないの? 会社に楯突いたら、あんたも太陽も生きていられないのよ」
「あたしたちを殺すとでも言うの?」
 梓は、ふん、と鼻先で笑った。大地の癖に似ていると思ったが、同時に藤堂CEOにも似ていることになる。
 それは、そうか、と緑は納得する。TSゲームカンパニーの社員たちは全員、藤堂CEOに教育されてきたのだから当然である。いや、弱みを握られ、暴力で脅されてきたと言った方が真実に近いだろう。
「もっとひどいことよ」
 梓が断言した。
「それでも、あたしは太陽を信じる」
「ま、いいわ。すぐにわかるから。会社に報告したらね」
 梓は冷笑の印象を残したまま、部屋を出ていこうとする。
 ちょうどそのとき、梓の行き先を防ぐように、大地が入ってきた。
 廊下で二人の会話を立ち聞きしていたのだろう。
「待て」
 大地が出ていこうとする梓の腕を握りしめた。
 一方、違和感を露わにした梓は、自分の耳を疑うというジェスチャーをしてみせた。
 どうして大地が止めるのよ、と言いたいのだろう。
「ECOに報告しなかったら、あなたがどんな目に合うかわからないのよ。なのに、どうしてこんな女を庇うの?」
「庇ってるわけじゃない。ただ、これからどうなるか、見てみたいだけだ」
 梓は明らかに不信感の塊のような視線を、大地に向けた。
「嘘! あなたは緑が好きなのよ。だから、聡のプレイヤーに許嫁として緑を推薦したんでしょう」
 え? と、あまりにも予想外の成り行きに戸惑った緑は、思わず大地を問い詰めてしまう。
「本当なの?」
「何をバカなことを言ってるんだ」
 大地は飽くまでもしらを切り通すつもりらしいが、梓が許さない。
「本当よ。あんた、聡の許嫁に選ばれなかったら、今頃ぼろ雑巾のように捨てられて、テロ グループに渡されていたんだから。自爆テロ要因としてね。何も知らなかったでしょ」
 今度は大地が梓に向かって、
「口がすぎるぞ」
 と責めた。
 リーダーである大地の命令では、梓も黙るしかないのだろう。
 それでも、決して納得したわけではないようだ。悔しそうに唇を噛んでいる。
 大地は威圧的に緑を睨みつけ、
「とにかく、今回のことは大目に見てやる。但し、これから勝手な真似は許さない。いいな」
 それだけ言い残すと部屋を出ていった。
 二人だけになっても尚、梓は悔しそうに睨んでくる。その鋭い視線の意味を感じ取った緑の気持ちが、怒りから悲しみに変わっていく。
 初めて共感できたというか、同じ女子中学生として、梓の感情がやっと理解できたからだ。
「梓、 あなた、大地が好きなのね」
「あたしが彼を……?」
 梓はバカにしたように笑い捨てた。彼女自身の運命を笑い飛ばそうとしているように、緑には思えてならない。
「あたしたちに誰かを好きになるなんて許されないの。緑、あんたもね」
 緑から指摘された今となっては、梓も気づいているに違いない。自分の瞳が沁みる理由を。
 それでも言いたい。どうしても吐き出さずにはいられないのだろう。
「大地はこの島のリーダーよ。そのために、物心がつく前から厳しく育てられてきた。見ているあたしたちの方が辛かった。7歳の時、CEOは泣き叫ぶ大地の両腕を後ろに回し、押し倒した。 そして、うつ伏せに倒れた大地の腰を足で踏みつけて、背中に……」
 そのときの感触を思い出したように、梓の体が小刻みに震えている。
「ジュって音が聞こえたわ。大地はCEOの足の下で泣き叫んだ。それでもCEOは冷たい表情で言った。泣くな。そんな軟弱で、この島のリーダーになれるかって。あたしは泣くこともできず、痙攣して気を失った。 それでも遠くでCEOの笑い声が聞こえていた」
「そんな、ひどい……」
 梓の本心を知った以上、緑は頬を流れる涙を止められないでいる。
「それが現実よ。だから、あたしたちには誰かを好きになるなんて許されないのよ」
「そんなことない。人を好きになるって自然なことよ。誰にも止められない。自分自身にもね」
「ぬくぬく育ったあんたなんかに、あたしのなにがわかるっていうのよ。どんな手をつかっても太陽を奪ってみせるわ。覚悟しておくことね」
 梓はもう一度、緑を睨みつけ、部屋を出ていった。運命を恨むように、力いっぱいドアを閉めて。
「大地と梓をそんな目に遭わせるなんて、絶対許せない」
 そう呟いたあと、緑の心に太陽の願いが甦った。
「皆を守りたい」
 そうよ、と緑は悟る。
 大地や梓が悪いんじゃない。両親や島の人たちは敵じゃない。
「太陽と一緒に、みんなを守りたい」
 まるで宣言するように、緑は独り言を呟いた。
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