南部大地①『どうせなら真実で苦しみたい』

文字数 3,607文字

 南部大地は全てを諦めていた。期待しなければ傷つかなくて済むと思っているからだ。
 緑から好かれたいとか、感謝されたいとか、一度も思ったことがない。
 嫌われるのも怖くない。 いや、緑から憎まれたいとさえ思った。
 期待しないことが一番の強みだと、大地は自分に言い聞かせて生きてきた。
 だから、ひとつだけ太陽に負けない絶対的な自信がある。それが大地の唯一の生きる支えにもなっている。
 緑の部屋から自室に戻った大地は、 自分の気持ちと対峙する。
 緑の心が太陽に向いているのは誰が見ても明らかだ。
 だから、なんだ! と大地は心中で言い捨てる。
「緑の運命を守れるのは俺だけだ」
 唯一の心の支えを呟く。

 大地は気分転換するつもりで、ランダムに画面を切り替えたつもりだったが、偶然にも最も観たくない場面に遭遇し、つくづく思う。
 皮肉を通り越して、運命を感じるよ、全く、と。
 画面に映っているのは、羽賀宅のリビングだった。

 家族団らんか、と大地は鼻先で笑う。
 ちょうど、親子三人でアルバムを開いたところだ。恐らく、和雄と美子が提案したに違いない。太陽が緑から全てを聞いたと察した二人は、家族アルバムを見ながら、親子の絆を深めるつもりなのだろう。
 だが、と大地は仲間である和雄と美子にさえ、 心中で毒づく。
 そんな単純な方法で、太陽が緑の言うことを否定するとでも思っているのか、と。
「あ、この写真……」
 と、太陽が指さしたのは、5歳児の自分の写真だった。少し赤く腫れている左頬に涙のあとを残したまま、ピースポーズで笑っている。
 “泣いたカラスがなんとやら”を連想させた。
「父さんから初めて殴られたときの写真だ」
 懐かしそうに太陽が微笑む。和雄も思いだしたのだろう。バツが悪そうに、そうだったかな? と(とぼ)けるしかないか。
「そうだよ。あのとき、ぼくは緑と喧嘩して、カッとなって殴ってしまったんだ。その上、あとから父さんに怒られて、思わず緑のせいにした。本当はぼくが悪かったのに。きっと父さん、本当のことをわかっていたんだね。だから、いきなり殴った。そんな卑怯な真似するなって。あのときの父さん、真っ赤な顔をして目に涙を溜ていた。そんな情けない人間になったら悔しいじゃないかって言われてるようで、ぼく、急に自分が許せなくなって、ワンワン声をあげて泣いたんだ」
 和雄も懐かしそうに苦笑する。
「そうしたら、母さんが言ってくれた。お父さんはあなたが悪い子だって怒っているんじゃないのよ。太陽はいい子よ。わたしたちの自慢の子よ。でもね、 いい子でも、大人でも、失敗したり、間違ったりすることはあるのよ。問題はそのあと、どうするかが重要なの。お父さんはそのことに怒ってるの。あなたには自分から逃げない強い子になってほしいから。本当は太陽が一番わかっているでしょ」
 美子は涙ぐんでいる。  
「ぼく、父さんと母さんの子どもで良かった。本当にそう思っているんだ」
 それは太陽の正直な気持ちだろう。これからどうなるかわからないにしろ、この気持ちはずっと変わらないと、両親に伝えたいに違いない。
 全てを知った今でも、太陽にとって和雄と美子は敵ではない。大事な両親なのか。
 家族の大切さを教えるつもりの和雄と美子だったが、どうやら逆に太陽から教えられる羽目になったようだ。
「太陽、確かに努力は認めてやる。だが、お前は甘すぎるんだ」
 と大地は言い捨てる。
 和雄と美子にとって、ミイラ取りがミイラになるには、まだまだ壁が高すぎる。藤堂から受けた辛い記憶があまりにも鮮明に残っているからだ。
 太陽、お前にはどうすることができないんだよ、と大地が独りごちた。
 そのときだった。図ったように、大地の部屋に電話の呼び出し音が鳴り響く。
 明らかに、いつもより大音量だ。 送信者の意図を察し、速やかに受話器を取る。が、大地が名乗る前に、藤堂の険しい 声が問い詰める。というより、脅してきた。
「羽賀太陽に不穏な行動が見られるらしいが、どうなっているんだ?」
「太陽の行動は全て把握しています。あいつに勝手なことはさせません。絶対に。全てお任せください」
「もし、失敗したらどうなるか、わかっているな」
「はい」
 自信満々に答えた大地は受話器を置き、パソコンのディスプレイを睨みつける。
 画面には尚も和雄と美子に囲まれた、幸せそうな太陽が映っている。
 大地は画面の中の太陽に向かって、再び、“ひとつだけの絶対的な自信”を呟く。
「太陽、緑を守れるのはお前じゃない」
 最後の言葉、「俺だけだ」と、ドアをノックする音が重なった。
「大地、ちょっといい?」
 ドアの向こうから緑の声がする。
 珍しく取り乱した大地は、太陽が映ってるパソコンをどうしようか迷った挙げ句、力いっぱい閉じた。
「ちょっとって、なんだ?」
 わざと威圧的に怒鳴ると、緑が入ってきた。
「聞いてほしいことがあって……」
「フン、恨み事か?」
 大地は鼻先で笑ったつもりだが、自分でもいつもより威圧感が薄く感じた。
 こんなことではいけない、と唇を噛み、目を鋭く細める。
 一方、緑は微笑みかけてくる。演技ではないはず。だから、危ない。
 そう察した大地は、これから緑の口から出てくるだろう言葉に身構える。
「大地、ありがとう」
 危ないと予想していたにも関わらず、大地の心は狼狽してしまう。
 本気で、緑から憎まれているだろうと覚悟していたからだ。 恨んで欲しいとさえ願っていたからだ。
 自分にしてやれることがない以上、せめて憎まれている方が楽だ、という現実もある。
 なのに、ありがとう、だと?
「どういうことだ?」
「あたしがこの島に戻れたのだって、大地のお陰だし」
「それは仕事だ。お前に礼など言われる筋合いはない」
 大地は怒鳴るつもりが、喉が萎縮してしまった。
「しっかりしろ。もっと怒鳴り散らせ」と心中で自分に発破をかける。
 お前は最後まで悪ぶり続けるしかないのだ、と。
「うん、わかってる。大地にはそうでも、あたしにとっては大事なことなのよ。だから、どうしても一度ちゃんとお礼を言っておきたかったの」
 大地は何か話さなければ、と思いながらも、慣れていない優しい雰囲気に戸惑ってしまう。
 もちろん、緑の言葉は嬉しい。緑が嫌味でこんな大事なことを口にできる人間でないと、大地が一番知っている。つまり、緑の本心である。だからこそ、緑の優しさが辛かった。
 緑から愛されることなど期待してはいけないし、許されるはずもない。
 もし、自分の本心を知ったら、優しい緑のことだ。もっと苦しむことになるだろう。
 だからこそ、憎まれ役を演じてきたのだ。
 一刻も早く、この雰囲気を変えるために、自分が悪人だと思わせるような話題を考えなければならない。頭の中で焦れば焦るほど、真っ白になっていく。
「大地、覚えてる?」
 遂に、緑が話し始めた。
 嫌な予感が走り、鳥肌が立つ。
「8歳のとき、あたしが海で溺れそうになったこと。あたしを助けようとした太陽も溺れてさ、大地が慌てて泳いで助けに来てくれたよね。でも、同じ
8歳の子どもが二人とも助けられるわけないじゃない。本当に無茶するんだから……。結局、あたしと太陽は助かったけど、大地が意識不明になって病院に運ばれた。病院の待合室で、あたしも太陽もずっと泣いていた」
 大地は緑を睨みつけたまま、必死で奥歯を食いしばる。気づいてしまったからだ。自分の目が痛いのは、充血だけでなく、濡れているからだと。
「太陽とあたしはずっとあなたが好きだった。これからもずっと大好きよ。この気持ちだけはゲームにしたくないの」
 緑は涙ぐみながらも微笑んだ。
「こんなことを言ったら、大地を苦しめることになるかもしれないと思ったりもした。でも、どうせ辛いなら、嘘じゃなくて真実で苦しみたいじゃない。だから、あたしたちの気持ちはずっと一緒よ。それだけ言っておきたかったの」
 最後に、ごめんなさい、と言い残し、緑は部屋を出ていった。
 暫くの間、大地は閉まったままのドアを睨みつけていた。 が突然、「うわぁぁぁ」と叫び、飛び出す勢いでドアを開けた。
 ところが、ドアの向こう側に、梓が立っていた。
「どこに行くつもり?」
 梓の声はいつものように冷たいが、その表情は悲しそうにも映る。
「お前には関係ないだろ」
「大地、リーダーになるためにどんな目にあったか、もう忘れたの? あなたはいつかCEOになって、あたしたちを救ってくれるんでしょ。みんな、あなたを信じてついてきたのよ。そんな仲間を裏切る気? 緑はあなたにとって時限爆弾よ。どうして、それがわからないの? 」
 大地は梓を睨みつけ、梓も睨み返す。梓の視線の方が少しだけ強かったのか、それとも潤んだ瞳に負けたのか、大地自身、よくわからない。
 結局、大地は部屋に戻り、思いっきり壁を殴るしかなかった。
 
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