第2話 いきかた

文字数 1,301文字

 高校を卒業し、一浪して、皇族の通う大学を選んだのは、当時の社会情勢の影響もあった。どの大学も、学生運動たけなわで、暴力的な活発さは、わたしには馴染めそうになかった。ヘルメットを被り、ゲバ棒をかついでいる学生のいない、「お坊ちゃん学校」。わたしの家は板橋だったので、池袋で乗り換え、一駅で行ける近さも魅力だった。
 だが、平穏に見えた大学にも、暴力的なものは潜んでいた。新入生を迎えるサークルの勧誘が、あちこちで行われているキャンパス内で、わたしは柔道部にみごとに引っかかった。体育会系と思えないほど紳士的な、やせぎすの勧誘員で、全く強引なところがなかった。
「雰囲気だけでも見て下さい」という甘言と、物見心に、わたしはついて行った。確かに「見学」はした。だが、そのあとの「ちょっとやってみる」流れに逆らえなかった。紳士的な男はまた勧誘に行ったのだろう、いなくなって、体躯の良い男たちにわたしは囲まれていた。用意された柔道着に着替え、「一日の流れ」を「お試し」することになった。

 終わった後、わたしはまともに歩けなかった。身体をひきずって帰ると、母が驚いた。翌日、どうかすみません、間違えて入ってしまいましたが、どうか退部させて下さい、と頼み込みに行った。屈強な男たちの前で、さぞ怖かったろう。土下座したそうだった。わたしはその日、身体中の痛みで寝込んでいた。
「そりゃ怖かったわよ、こーんな、おっきな人が出てきて…」と、後年、母は笑って言った。「でもあの時だけだねえ、お前が手間をかけたのは」

 わたしが大学に合格した頃には、家の中も落ち着いていた。時の流れに、人間はとことん無力だ。ふっと、兄のいない現実が、いた過去の間隙を縫うように、茶の間に埋まるときもあった。だが、それだけだった。それ以上も、以下もなかった。ただ、あのときのように、今もその時間が流れている、それだけなんだということを、わたしはみとめた。

 シャーロック・ホームズが好きで、元々読書は好きだったが、その頃から明治の文学や、近世の哲学書を読むようになった。人間の一生は、一度だけれど、本を読むと一生が、二生にも十生にもなるようだった。
 あるがままを受け入れること。存在する、あらゆるもののの中で、自分もそのままであること。そんな姿勢を、文学と哲学に見た。
 それは、わたしにフィットする姿勢だった。生来自分にあった容器に、入るものを充実させ、わたしの性質を強化していくこと。読書は、わたしになくてはならぬ、人生の伴侶になった。

 わたしが老後に憧れはじめたのも、その頃だった。元々、老人の要素があったのだ。盆栽でもいじって、縁側で日向ぼっこをして、コーヒーでも煎れて、本を読んで悠々自適に暮らす、そのために、わたしは歳を取ろうと思った。
 憧れの年金生活! そのためには、時間をやり過ごさなければならない。わたしは、公務員になろうと思った。堅実を求められる長男にもなった。快くも不快(まず)くもなく、自分の運命を受け入れ、受け入れた自分をも受け入れて生きていく。
 飲み込むこと。わたしにできるのは、いつもそれだけだった。あとは、時間が自然に消化する──
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