はじめに

文字数 1,152文字

 わたしには、とりたてて何の能もない。ただ生まれ、死んでゆく間に、なるべく充実した時間を、と願う者だ。人から、幸せをもらおうとは思わない。自分が、人を幸せにできるとも思わない。ただ自分のできることだけをして、結果、人が喜んだり、自分が喜ばされたりして、その「きっかけ」を互いに植える。そこに水や肥料を与え、花を咲かせる作業はひとりでするものだ。
 幸せは、自分がつくって、感じ、観ずるもの。この世のあらゆる関係は、きっかけにすぎない。

 マルクスは、読んだことないが、こんなことを云ってはいなかったか、「いずれ楽園になる世が来る」と。それが人間、人類の最終到達点だと。
 わたしには、人間がわからない。人類も知らない。ただ、ひとりひとりがそれを目指すことで、そうなるだろう世は想像できる。べつに、まわりはどうでもよい。

が、そうなるだけでいいのだ。

 ところが、あまりにも逆の方向へ行っている世であるようだ。立場は偉くても、内実は何の徳もなく、ただ物質と金銭だけを目的に、借りてきた衣装を身にまとい、おのれの徳への関心を放ったらかしにしている流れの川に、あっぷあっぷしている人が多く見受けられる。
 わたしもその一人で、新幹線は、その線路の震動で近隣住民に多大な迷惑を掛ける。だから、もうリニヤだとか、飛行機の過剰な増便とか、反対する。が、わたしは仕事で、生活のために名古屋から東京へ、新幹線を利用している。

「矛盾しているではないか」と言う人がいる。「反対しているなら、新幹線など使うな」と言う。「原発に反対しているなら、電気を使うな」と言う人もいる。
 だが、それは違う。大切なのは気持ちであって、生活そのものではない。生活は、やむなく、するものだが、気持ちはやむないものではない。だからもし新幹線が廃線になり、わたしが失職したとしても、わたしは快く受け入れる。生活が成り立たなくなっても、わたしの気持ちは成り立ち続ける。結果、死しても、自分の信念のためであるから、何の不満も不平もない。

 わたしは、軽薄な人間だ。言葉は、冗談がいちばんいいと思っている。小難しいことをあれこれ言うよりも、人を笑わせて、自分も笑い、笑い合うことを何より尊ぶ人間だ。くだらぬ哲学などを弁じるよりも、冗談を言って笑い合う方が、どれほど楽しいか分からない。
 そう、これは単なる、妙齢になったひとりの人間の、どうやって生きてきたのかの、よくある個人史。もし人間が社会的動物であるとするなら、ひとりの人間の取るに足らない生活記録も、ひっそりと社会参加の役を果たすだろう。結果がどうあろうが、それは読者の黄金権。
 わたしは、わたし以上のものになろうとしない。わたしに生来、備わっていたもので、満足し、笑えること。それ以上に、何を欲しがろう?
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