第5話 家族 

文字数 1,564文字

 わたしは妻に、家事を任せてきた。台所に立って、わたしは料理をしたことがない。弁解するつもりはないが、わたしは酒も煙草もギャンブルも不得手で、職場の飲み会もほとんど断ってきた。仕事に出掛け、家に帰る、わたしは電車のように、家と職場を定刻通りに発着し続けた。
 わたしは、この日常を愛していた。妻も、納得の上で、この日常を営んでいるものと思っていた。
 育児については、毎晩、わたしが子どもをお風呂に入れた。体を洗い、一緒に湯船に浸かり、あがる時は「お願いしまーす」と呼び、居間でおむつやタオルの準備をしていた妻が「はーい」と応え、迎えに来る。
 子どもが成長し、学校に行き始めれば、風呂に入れるしごとも終わり、もっぱら居間で同じ時間を過ごした。
 わたしは、妻に対しても、子に対しても、同じように接した。こちらから特に話し掛けず、何か言ってきたら、答える。話す時間が長くなると、冗談を交える。まじめな時は、まじめに応じる。

 長女は、少し気難しい面があり、すごいことを平気で言う。「お父さん、お母さんにリコンされちゃうわよ。」どうして、と聞けば、「お母さん、お父さんから愛されてるって感じていない。お母さん、いつも不満をもっている。ちゃんと愛してあげてるの?」
 中学に上がった時、すでにそんなことを言っていた。
 執念深いところもあって、わたしが部屋で、回転椅子に幼児だった長女をのせ、ぐるぐる回転させて遊んでいた時、落ちて頭をしたたか打った。「私がバカになったのは、あの時のせいだ」と、三十路をすぎた今でも信じている。「小学校で、表彰状を受け取りに行った檀上から落ちた時も頭を打っていたが…」とわたしが抗議しても、納得しない。

 長男は、正反対で、牛のようにのんびりしている。ニコニコして、愛嬌がある。物事に頓着しないように見えるから、まわりからもあまり執着されない。目と、眉毛の間隔が離れているせいかもしれない。一緒に将棋を指していても、ひとりでニヤニヤしているので、こちらもニヤニヤして指すことになる。長男の、このつかみどころのなさは、わたしも一目置いている。

 わたしの母は、晩年認知症になった。孫を見ても孫と思わず、わたしを見れば「日野屋さん」(近所にある酒屋)と呼んだ。まじめな会社員生活を生涯続けた父を、「浮気ばっかりして!」と責めた。父は耳が遠かったので、母の罵詈雑言にも、柳に風だった。
 老人ホームに入れることはしなかった。妻の進言もあり、多少は考えたが、老いるというのはこういうことだと思った。
 一度だけ、夜中に外を徘徊し、警察の世話になった。連絡を受けて署に行くと、母はしょんぼり、椅子に座っていた。
 わたしが定年退職する、ちょうど5年前から、母はそんな情態になった。父は、補聴器をつけても難聴であったから、認知症になっていたのかどうか、定かでなかった。毎日新聞を読み、庭仕事をし、菊の鉢植えを育てて大輪を咲かせ、喜んでいた。
 風呂が好きで、ある日、一時間以上出てこなかったので、大丈夫ですか、とのぞくと、湯船から手を上げて「大丈夫」を示した。

 三階に、子どもたちの部屋。二階にわたしと妻の部屋とダイニング。一階に、老父母の生活があった。だるま落としのように、父も母も他界し、今はわたしが一階に住むことになっている。妻とは、ほとんど家庭内別居で、元気でいるのかどうか、しばらく顔を合わせていない。
 子どもたちはそれぞれ就職し、結婚した。長女は近所に住んでいるが、長男は九州に住んでいる。
 わたしは、憧れの年金生活に突入したが、唯一の誤算といえば、30年連れ添ってきた妻の反乱だった。わたしは、妻という人間を理解していたつもりだ。妻も、わたしという人間を理解し、納得した上で、今まで生活をともにしてきた、と思っていたのだが。
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