第4話 ものの弾み論 

文字数 1,333文字

 わたしは、わたし自身の人生を、傍観者として見ようとし、実際に見、それを習慣化させた。その立ち位置の土台に、手づから埋め立てたのは、「ものの弾み論」というものだ。この論は、わたしにとって、この世の様々な事象、起こる事件、日常のいちいちの出来事に対する思考方法だった。わたしは大真面目に、この「ものの弾み論」を唱えてきた。
 生まれてきたのも、ものの弾みだし、この世界はものの弾みで成り立っている。ひとつひとつの存在がそうだし、その存在が生む出来事も、ものの弾みによってできている。

 偶然・必然は瞬間的なもので、「弾む」という運動によって、そのとき形になってこの世に落とされたものにすぎない。時間も運動を続けている。ブロック塀も赤レンガも、電柱もポストも人間も、この弾む運動から落ちてきたものだ。
 この運動は止むことがない。弾み続ける。「ものは考えよう」というけれど、その思考も、弾むことを止めない。落下上昇を繰り返し、やがてあまねくそれぞれに終末を迎える。

 わたしは、一度、死にかけたことがある。国道沿いの、歩道を歩いていた時、運転操作を誤ったらしい車が、一台、ごろごろ転がってきて、わたしの身をかすめたのだ。数cmの差だった。もう一歩、歩を進めていたら、下敷きになっていただろう。どうしてそうなったのかも知らずに、わたしは死んでいただろう。「どうしてそうなったのかもわからずに。」それが、この世のあらゆる存在、事象の正体なのだ。
 弾むものは、止められない。

のように、それは弾み続ける。つく者は、不在だ。弾み自体が、自身の運動で、弾んでいるのだ。何のためでも、誰のせいでもなく、弾みは弾みを弾み続ける──

 わたしにとっての真実、わたしを立たせる土台、人生に対する態度は、論理によって強化される。わたしにとっての言葉、人との間に落とす言葉は、冗談であり具体性のみに重きを置くが、それ以外の言葉はわたしを生かすために使われる。
 人間は、論理で物事を考えている。不合理・不条理を頭が抱えた時、納得できず、考え込むのはそのためだ。だが、この世に起こる事象は不合理でも何でもなく、ただそこに弾んでいるだけなのだ。

 真実はひとつでない。それを知ったのは、職場で交流した、人間一人一人が真実を持っていたからだ。だが、そのほとんどが論理化されていない真実の持ち主だった。そこから、様々な問題が派生した。多くの者が、言葉を、他人に対してのみ発し、肝心な自分へ向けてこなかったのだ。
 彼らは自分を納得させる術を持たず、動物的な単純さで、感情的な悪意に満ちて同僚を苛む者や、憂鬱症になる者も現れた。
 わたしは自分の人生に「ものの弾み論」を土台にしたから、多少傷つくことはあっても、致命傷になることはなく、問題を起こす人物や事柄に対して、自分に対する態度と同じように対した。もちろん、わたしだって、言う時は言う。それも相手をみとめ、みとめた自分を飲み込んだ上で。

 ものの弾み論の提唱者、実践者として、生まれ来る長男には、「(はずむ)」という名をつけようとしたものだ。これしかない、決まったな、という名前だった。だが、赤ちゃんに付ける、名前事典を読んだ妻が、「画数が良くない」と判断し、却下された。
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