第9話 選ばれた人間
文字数 5,205文字
『ハンターの脇に抱えられている、白い包帯を巻いたツチノコの子、ツッチー。ハンターに捕まってしまったのだ。まだ子供で毒は弱いらしく、これならば連れて帰れると、生け捕りにされていた。やめて、逃がして、と懇願する三人の少年少女。しかしハンターは、邪魔するなら撃ち殺す、という姿勢を崩さなかった』
繰り返すが、このハンター役は俺がやることになっている。嫌な役だなあ。
『どうしようもない絶望感が我々を支配していた。しかしその時、なにか、ゴゴゴゴゴという不気味な地響きがあたりを覆い始めた』
むっ! 一体何が起こるんだ!
『異様な雰囲気に、きょろきょろと周りを見渡すハンター。次の瞬間、どこから集まったのか、数千匹のツチノコがそのハンターに襲いかかった!』
数千匹のツチノコって……。
『「ぎゃあああああぁぁーー」……断末魔の悲鳴を上げながら、ツチノコ立ちに噛みつかれ、そのまま藪の中に運ばれてしまうハンター。数十秒後、辺りには三人の部員と、包帯を巻いた小さなツチノコ、そして静寂だけが残った」
これが……クライマックスシーン?
「凄いでしょ! 予想を覆す、壮大なラストだわ!」
呆れて物も言えない。
「凄いですぅ、優衣先輩! こんな大胆な発想ができるなんて、先輩は天才ですぅ」
美玖は素で褒めている。そういや彼女も天然だった。
それに対して、雅人は厳しい表情をしている。ほっ、彼は良識派だ。
「ストーリーはいいとして、数千匹ものツチノコをどうやって表現するかが問題ですね」
え、それが問題なの? ストーリーはいいのか?
「大丈夫だよぉ。元になる一つのツチノコの造形と動きがあれば、それをコピーで増やして、それをまたコピーで増やしていけば、映像としてそれなりにできあがりますぅ」
できるんだ!
「さすがミクちゃん、これで問題ないわね。この後の展開はまだきちんとは考えてないけど、まあ、普通にこの大自然を守れて良かった、みたいな感じにしようと思うわ」
連れて行かれたハンターはほったらかし? 警察に届けたりしないのか? ついでに、ケガをして置いてけぼりの俺の事もほったらかし?
「こんな感じだけど、いいかな? 翔太、何か意見、ある?」
いや、ありすぎて、逆に面倒くさいからもうこれでいいや。
「大体いいんじゃないかな、あとは撮影現場で臨機応変に対処すればいいと思うよ」
文句を言われると思っていたのか、優衣は身構えていたが、俺が予想外にあっさりと引き下がったのを見て破顔一笑、
「じゃあ、この週末から撮影開始しまーす! みんな、準備よろしくねー」
とご機嫌で締めくくった。
俺の役どころは大いに不満だったが、もうどうでも良くなっていた。
(優衣とキスした……)
しかも、彼女の方から。
今日の事は一生の記念になるんだろうな。
金曜日、翌日以降の具体的な撮影手順を決めるため、この日も放課後、部室である視聴覚室に、優衣と二人で入っていく。
「おっはよー! ……あれ?」
いつも通り、雅人と美玖が仲よさそうに談笑している……と思いきや、長椅子に三メートルほどのスペースを空け、離れて座っている。しかも、お互いそっぽを向いた状態だ。
二人とも、表情が険しい。
「「おはようございます……」」
ハモって挨拶を返してくるが、元気がないところまで一緒だ。
「どうしたの、二人とも? ……ははあ、ケンカでもしたかな?」
優衣がわざと明るく切り出す。
「だって、まーくんがすっごく怒ってるから……」
「怒ってるわけじゃないよ。叱ってるだけだ」
「やだ……やっぱり怒ってるぅ」
美玖は今にも泣き出しそうな声だ。まあ、確かに雅人の口調は今までになく厳しい。
「うーん……本当に本気のケンカならこの程度の距離開けただけじゃ済まないわね。恋人同士の痴話ゲンカってところかしら。こういうときは、双方の言い分を聞くのがスジね」
優衣が場を仕切っている。こういうのは彼女に任せた方がよさそうだ。
「じゃあ、とりあえずレディファーストで、美玖ちゃんの話から聞いてみようか。何があったか、話してみて」
優しく語りかける彼女の言葉に、美玖はぽつり、ぽつりと口を開き始めた。
「実は、まーくんの事好きな女の人が、もう一人いたんです。二年生なんですけど……その人が、私とまー君が最近いつも一緒にいるのを見て、私に嫌がらせをしてきたんですぅ」
「嫌がらせ?」
俺は思わず優衣と顔を見合わせた。
「はい……廊下で私一人になったタイミングで、その人の同級生二人と一緒に、私を取り囲んで、『あんた雅人君の何なの?』とか、『誰に断っていつも一緒にいるのよ』とか、私を責め立てるんですぅ」
それはひどい。美玖がおとなしそうなのを知って、いじめているに違いない。
それにしても、雅人ってこんなにモテたんだな。確かにアイドルっぽい顔立ちだし。
「それで私、凄く悔しくて……だから、ちょっと私も、嫌がらせを仕返したんですぅ」
おお、美玖、反撃したのか。勇気がいっただろうな。
「でも、それをまー君に見られちゃって……まー君が怒ってるんですぅ、その上級生に謝りに行けって」
なるほど、そういうことか。確かに彼女の話を聞くだけならば、その上級生にも非があるようだし、ちょっとかわいそうに思える。
「その仕返しの方法に問題があるんです!」
めずらしく雅人が語気を強める。
「まあまあ、まだ美玖ちゃんが話の途中だから。他に言いたいことは?」
「いえ、それだけです……」
しょげた声で小さく応える。なんとけなげな少女だろうか。これは雅人、分が悪いぞ。
「そうなの? 遠慮することないのに……じゃあ、次は雅人君の番」
「あ、はい……美玖のその仕返しなんですけど……例の指向性スピーカーを使って、その上級生を追い込んでいたんです。『呪ってやる』とか『祟ってやる』とか、そんな言葉ばっかりを彼女にだけ聞こえるように浴びせ続けて。もちろん、自分の存在は隠したままで」
げっ……それは怖い。
「それだけじゃなく、彼女の家を突き止めて、夜中にカーテンに向かって小型プロジェクターで幽霊の影を映していたんです。あの不気味な声と合わせ技で。そのせいで、彼女、精神的に追い込まれて、今日学校を休んでるんです」
ひええぇ……そんなの、正体が分かっていなかったら、男の俺でも発狂ものだ。
「だって……まともにケンカしたら、勝てないもん……」
また美玖がいじけてしまう。こうなると、雅人はそれ以上何もしゃべる事ができない。
うーん、なんていうか、思っていたよりやっかいそうだな。
しかし優衣が、「しょうがないわねぇ……」とだけ呟くと、そっと美玖の隣に座った。おお、何かいいアドバイスがあるのか。
「いいこと、美玖ちゃん。私たちは他の人には存在しない、特殊な能力を持っているわ。それを使えば、今回のように普通の人を追い込むことは簡単にできる。でも、それは安易に使うべき力じゃないの。私たちは、いわば選ばれた人間。その事を自覚しなくちゃいけないわ。私たちの力は、どうしようもない本当の危機に追い込まれたときとか、誰かの命を助けるためとか、極悪人を捉えるときとか……そういうときにしか使っちゃダメ。今回のような普通の問題は、普通の力で解決しなきゃならないの」
……おまえらはミュータントか!
美玖は優衣の説得に、目を見開き、何かを悟ったような表情で二、三秒固まった後、涙を浮かべて頷いた。
「つらかったでしょう。今後は私に相談してくれればいいのよ。……雅人君、美玖ちゃんはもう大丈夫。その上級生に対して、今までみたいな反撃をすることはないわ。だから、許してあげてね」
なんかむちゃくちゃな説得だが、雅人も一応納得したみたいで、こっくりと頷いた。
美玖は「ごめんなさいぃ」と、雅人に向かって謝った。
彼も、「僕も言い過ぎた」と謝り返して、どちらからともなく近づいて並んで座り、やっと揃って笑顔を見せた。
ふう、これで一件落着……じゃないぞ!
「優衣、その上級生の事はどうするんだ? かなり精神的にまいっているんだろう? 放っておくのはまずいんじゃないのか?」
「うん、まあ、そうね……でも、大丈夫。瞳先生に連絡しておくわ。多分うまく解決してくれるはずよ」
なるほど、いい考えだ。これで瞳先生は新たな客(信者)を得ることになるし、その子も霊能力者が解決してくれたなら、安心して学校に来ることができるだろう。もう不気味な心霊現象は起きないわけだし。
問題は、どうやって瞳先生とその上級生が接触するかと、美玖が再びいじめられない方向にうまく持っていってくれるかどうかだけど……そのあたりの段取り(策略)は、瞳先生の方が俺たちより遙かに上だ。優衣も、そこはちゃんと把握しているはず。
うーん、おそるべし優衣。ついに瞳先生までうまく使うようになってきたか。っていうか、だんだん優衣、瞳先生と似てきたような気が……。
とにかく、これで一つ、問題解決。
こういうちょっとしたドラマがあるのも、部活をやっていることの醍醐味なのかもしれない。ただ、その内容がかなりアレなんだけど。
土曜日。良く晴れていて、絶好の撮影日和だ。
ストーリーの設定上、早朝に罠の状態を確認に来るということにしていたし、なるべく長時間の撮影を行いたいということもあって、俺たちは朝六時半にあやかし山登山道の入り口に集合していた。さすがに眠い。
「すっごく爽やかな朝ね! さあ、張り切って撮影しましょう!」
なんで優衣はこんなにハイテンションでいられるのか、不思議だ。
美玖は大きなあくびをしているし、雅人も眠そう。しかしこの二人、ぴったりと寄り添うように一緒に行動している。これはちょっとうらやましい。
そしていよいよ、各々撮影機材を詰め込んだ重いバックパックを背負って、あやかし山を登り始めようとしたその時だった。
上の方から降りてくる、一つの人影。
リュックを背負い、コンパクトカメラを首に掛けている、一人の女性。
一瞬こちらを見て、数秒立ち止まったものの、そのまま歩みを進めるその姿に、全員が息をのんだ。
一見すると、長袖、長ズボンの普通のハイキング姿だ。
しかし、濃い色のサングラスをかけ、そして異様なほど顔の色が白い。
その割に口紅が異常に赤く、そして塗られている範囲も広い。
中太りで、女性としてはやや背が高く、丸顔だ。
また、黒色の髪の毛が腰のあたりまで伸びており、それもあまり手入れをしていないのか、若干汚らしい印象すら受ける。
白い革製の手袋をしており、服も、所々、黒く汚れている。
なにより、その弱々しくふらついた歩みには、精気がほとんど感じられず……そう、ただただ不気味な印象しか受けなかった。
「あの人……怖い……」
美玖が小さく、思ったことを口にする。
不意に、優衣が俺の腕に抱きついてきた。
怪しげな女を見つめ、青い顔をして、震えていた。
やがてその長髪の女は、よろよろと、俺たちから十メートルほど離れた場所を、目を合わせようともせず歩き去った。
比較的冷静だった俺ですら、挨拶することもできなかった。
その女が路地の角を曲がり、見えなくなっても、俺たちの緊張は解けない。
まるであやかし山全体が不気味な妖気で覆われたかのように感じられ、重苦しい沈黙がしばらく続いた。
「なんだったんでしょうか、あの人……」
最初につぶやいたのは、美玖と手を繋いでいた雅人だった。
「顔が真っ白だった……それにサングラスなんかかけて……。あの感じだと、ファンデーションって訳じゃなくて、たぶん、日焼け止めクリームを厚く塗ってるんだと思うけど……」
これは優衣の言葉。
「なるほど、日焼け止め、か。サングラスも紫外線対策、かな。そう考えれば、日差しのきつい日中を避けてこの朝早い時間帯に散歩って言うのは理解出来るけど……なんであんなリュックを背負ってたんだろうか」
「翔太、本当にそういうの、目ざといね。昔っから、探偵ごっことか好きだったもんね。でも、山登りするんだから、リュックとか背負ってて普通なんじゃないの?」
「こんな低い山で? 俺たちみたいに撮影機材とか背負っているなら別だけど……」
「趣味で、一眼レフカメラ持ってたとか?」
「いや……あのリュック、重さが感じられなかったんだ」
「どういうこと?」
「普通、重い物を背負っていたなら、体は前傾姿勢になるはずなんだ。でも、なんか普通に、でもフラフラと歩いてた」
「……そういえば、重そうにはしていなかったですね」
雅人が自分の記憶を確認するようにつぶやいた。
「だとしたら、タオルとか、着替えとかしか入っていなかったか……いや、それにしては大きなリュックだった……まあ、そのサイズしか持っていないのかもしれないけど」
「……怪しい」
ようやく本来の表情に戻りつつあった優衣が、考え込み始めた。
繰り返すが、このハンター役は俺がやることになっている。嫌な役だなあ。
『どうしようもない絶望感が我々を支配していた。しかしその時、なにか、ゴゴゴゴゴという不気味な地響きがあたりを覆い始めた』
むっ! 一体何が起こるんだ!
『異様な雰囲気に、きょろきょろと周りを見渡すハンター。次の瞬間、どこから集まったのか、数千匹のツチノコがそのハンターに襲いかかった!』
数千匹のツチノコって……。
『「ぎゃあああああぁぁーー」……断末魔の悲鳴を上げながら、ツチノコ立ちに噛みつかれ、そのまま藪の中に運ばれてしまうハンター。数十秒後、辺りには三人の部員と、包帯を巻いた小さなツチノコ、そして静寂だけが残った」
これが……クライマックスシーン?
「凄いでしょ! 予想を覆す、壮大なラストだわ!」
呆れて物も言えない。
「凄いですぅ、優衣先輩! こんな大胆な発想ができるなんて、先輩は天才ですぅ」
美玖は素で褒めている。そういや彼女も天然だった。
それに対して、雅人は厳しい表情をしている。ほっ、彼は良識派だ。
「ストーリーはいいとして、数千匹ものツチノコをどうやって表現するかが問題ですね」
え、それが問題なの? ストーリーはいいのか?
「大丈夫だよぉ。元になる一つのツチノコの造形と動きがあれば、それをコピーで増やして、それをまたコピーで増やしていけば、映像としてそれなりにできあがりますぅ」
できるんだ!
「さすがミクちゃん、これで問題ないわね。この後の展開はまだきちんとは考えてないけど、まあ、普通にこの大自然を守れて良かった、みたいな感じにしようと思うわ」
連れて行かれたハンターはほったらかし? 警察に届けたりしないのか? ついでに、ケガをして置いてけぼりの俺の事もほったらかし?
「こんな感じだけど、いいかな? 翔太、何か意見、ある?」
いや、ありすぎて、逆に面倒くさいからもうこれでいいや。
「大体いいんじゃないかな、あとは撮影現場で臨機応変に対処すればいいと思うよ」
文句を言われると思っていたのか、優衣は身構えていたが、俺が予想外にあっさりと引き下がったのを見て破顔一笑、
「じゃあ、この週末から撮影開始しまーす! みんな、準備よろしくねー」
とご機嫌で締めくくった。
俺の役どころは大いに不満だったが、もうどうでも良くなっていた。
(優衣とキスした……)
しかも、彼女の方から。
今日の事は一生の記念になるんだろうな。
金曜日、翌日以降の具体的な撮影手順を決めるため、この日も放課後、部室である視聴覚室に、優衣と二人で入っていく。
「おっはよー! ……あれ?」
いつも通り、雅人と美玖が仲よさそうに談笑している……と思いきや、長椅子に三メートルほどのスペースを空け、離れて座っている。しかも、お互いそっぽを向いた状態だ。
二人とも、表情が険しい。
「「おはようございます……」」
ハモって挨拶を返してくるが、元気がないところまで一緒だ。
「どうしたの、二人とも? ……ははあ、ケンカでもしたかな?」
優衣がわざと明るく切り出す。
「だって、まーくんがすっごく怒ってるから……」
「怒ってるわけじゃないよ。叱ってるだけだ」
「やだ……やっぱり怒ってるぅ」
美玖は今にも泣き出しそうな声だ。まあ、確かに雅人の口調は今までになく厳しい。
「うーん……本当に本気のケンカならこの程度の距離開けただけじゃ済まないわね。恋人同士の痴話ゲンカってところかしら。こういうときは、双方の言い分を聞くのがスジね」
優衣が場を仕切っている。こういうのは彼女に任せた方がよさそうだ。
「じゃあ、とりあえずレディファーストで、美玖ちゃんの話から聞いてみようか。何があったか、話してみて」
優しく語りかける彼女の言葉に、美玖はぽつり、ぽつりと口を開き始めた。
「実は、まーくんの事好きな女の人が、もう一人いたんです。二年生なんですけど……その人が、私とまー君が最近いつも一緒にいるのを見て、私に嫌がらせをしてきたんですぅ」
「嫌がらせ?」
俺は思わず優衣と顔を見合わせた。
「はい……廊下で私一人になったタイミングで、その人の同級生二人と一緒に、私を取り囲んで、『あんた雅人君の何なの?』とか、『誰に断っていつも一緒にいるのよ』とか、私を責め立てるんですぅ」
それはひどい。美玖がおとなしそうなのを知って、いじめているに違いない。
それにしても、雅人ってこんなにモテたんだな。確かにアイドルっぽい顔立ちだし。
「それで私、凄く悔しくて……だから、ちょっと私も、嫌がらせを仕返したんですぅ」
おお、美玖、反撃したのか。勇気がいっただろうな。
「でも、それをまー君に見られちゃって……まー君が怒ってるんですぅ、その上級生に謝りに行けって」
なるほど、そういうことか。確かに彼女の話を聞くだけならば、その上級生にも非があるようだし、ちょっとかわいそうに思える。
「その仕返しの方法に問題があるんです!」
めずらしく雅人が語気を強める。
「まあまあ、まだ美玖ちゃんが話の途中だから。他に言いたいことは?」
「いえ、それだけです……」
しょげた声で小さく応える。なんとけなげな少女だろうか。これは雅人、分が悪いぞ。
「そうなの? 遠慮することないのに……じゃあ、次は雅人君の番」
「あ、はい……美玖のその仕返しなんですけど……例の指向性スピーカーを使って、その上級生を追い込んでいたんです。『呪ってやる』とか『祟ってやる』とか、そんな言葉ばっかりを彼女にだけ聞こえるように浴びせ続けて。もちろん、自分の存在は隠したままで」
げっ……それは怖い。
「それだけじゃなく、彼女の家を突き止めて、夜中にカーテンに向かって小型プロジェクターで幽霊の影を映していたんです。あの不気味な声と合わせ技で。そのせいで、彼女、精神的に追い込まれて、今日学校を休んでるんです」
ひええぇ……そんなの、正体が分かっていなかったら、男の俺でも発狂ものだ。
「だって……まともにケンカしたら、勝てないもん……」
また美玖がいじけてしまう。こうなると、雅人はそれ以上何もしゃべる事ができない。
うーん、なんていうか、思っていたよりやっかいそうだな。
しかし優衣が、「しょうがないわねぇ……」とだけ呟くと、そっと美玖の隣に座った。おお、何かいいアドバイスがあるのか。
「いいこと、美玖ちゃん。私たちは他の人には存在しない、特殊な能力を持っているわ。それを使えば、今回のように普通の人を追い込むことは簡単にできる。でも、それは安易に使うべき力じゃないの。私たちは、いわば選ばれた人間。その事を自覚しなくちゃいけないわ。私たちの力は、どうしようもない本当の危機に追い込まれたときとか、誰かの命を助けるためとか、極悪人を捉えるときとか……そういうときにしか使っちゃダメ。今回のような普通の問題は、普通の力で解決しなきゃならないの」
……おまえらはミュータントか!
美玖は優衣の説得に、目を見開き、何かを悟ったような表情で二、三秒固まった後、涙を浮かべて頷いた。
「つらかったでしょう。今後は私に相談してくれればいいのよ。……雅人君、美玖ちゃんはもう大丈夫。その上級生に対して、今までみたいな反撃をすることはないわ。だから、許してあげてね」
なんかむちゃくちゃな説得だが、雅人も一応納得したみたいで、こっくりと頷いた。
美玖は「ごめんなさいぃ」と、雅人に向かって謝った。
彼も、「僕も言い過ぎた」と謝り返して、どちらからともなく近づいて並んで座り、やっと揃って笑顔を見せた。
ふう、これで一件落着……じゃないぞ!
「優衣、その上級生の事はどうするんだ? かなり精神的にまいっているんだろう? 放っておくのはまずいんじゃないのか?」
「うん、まあ、そうね……でも、大丈夫。瞳先生に連絡しておくわ。多分うまく解決してくれるはずよ」
なるほど、いい考えだ。これで瞳先生は新たな客(信者)を得ることになるし、その子も霊能力者が解決してくれたなら、安心して学校に来ることができるだろう。もう不気味な心霊現象は起きないわけだし。
問題は、どうやって瞳先生とその上級生が接触するかと、美玖が再びいじめられない方向にうまく持っていってくれるかどうかだけど……そのあたりの段取り(策略)は、瞳先生の方が俺たちより遙かに上だ。優衣も、そこはちゃんと把握しているはず。
うーん、おそるべし優衣。ついに瞳先生までうまく使うようになってきたか。っていうか、だんだん優衣、瞳先生と似てきたような気が……。
とにかく、これで一つ、問題解決。
こういうちょっとしたドラマがあるのも、部活をやっていることの醍醐味なのかもしれない。ただ、その内容がかなりアレなんだけど。
土曜日。良く晴れていて、絶好の撮影日和だ。
ストーリーの設定上、早朝に罠の状態を確認に来るということにしていたし、なるべく長時間の撮影を行いたいということもあって、俺たちは朝六時半にあやかし山登山道の入り口に集合していた。さすがに眠い。
「すっごく爽やかな朝ね! さあ、張り切って撮影しましょう!」
なんで優衣はこんなにハイテンションでいられるのか、不思議だ。
美玖は大きなあくびをしているし、雅人も眠そう。しかしこの二人、ぴったりと寄り添うように一緒に行動している。これはちょっとうらやましい。
そしていよいよ、各々撮影機材を詰め込んだ重いバックパックを背負って、あやかし山を登り始めようとしたその時だった。
上の方から降りてくる、一つの人影。
リュックを背負い、コンパクトカメラを首に掛けている、一人の女性。
一瞬こちらを見て、数秒立ち止まったものの、そのまま歩みを進めるその姿に、全員が息をのんだ。
一見すると、長袖、長ズボンの普通のハイキング姿だ。
しかし、濃い色のサングラスをかけ、そして異様なほど顔の色が白い。
その割に口紅が異常に赤く、そして塗られている範囲も広い。
中太りで、女性としてはやや背が高く、丸顔だ。
また、黒色の髪の毛が腰のあたりまで伸びており、それもあまり手入れをしていないのか、若干汚らしい印象すら受ける。
白い革製の手袋をしており、服も、所々、黒く汚れている。
なにより、その弱々しくふらついた歩みには、精気がほとんど感じられず……そう、ただただ不気味な印象しか受けなかった。
「あの人……怖い……」
美玖が小さく、思ったことを口にする。
不意に、優衣が俺の腕に抱きついてきた。
怪しげな女を見つめ、青い顔をして、震えていた。
やがてその長髪の女は、よろよろと、俺たちから十メートルほど離れた場所を、目を合わせようともせず歩き去った。
比較的冷静だった俺ですら、挨拶することもできなかった。
その女が路地の角を曲がり、見えなくなっても、俺たちの緊張は解けない。
まるであやかし山全体が不気味な妖気で覆われたかのように感じられ、重苦しい沈黙がしばらく続いた。
「なんだったんでしょうか、あの人……」
最初につぶやいたのは、美玖と手を繋いでいた雅人だった。
「顔が真っ白だった……それにサングラスなんかかけて……。あの感じだと、ファンデーションって訳じゃなくて、たぶん、日焼け止めクリームを厚く塗ってるんだと思うけど……」
これは優衣の言葉。
「なるほど、日焼け止め、か。サングラスも紫外線対策、かな。そう考えれば、日差しのきつい日中を避けてこの朝早い時間帯に散歩って言うのは理解出来るけど……なんであんなリュックを背負ってたんだろうか」
「翔太、本当にそういうの、目ざといね。昔っから、探偵ごっことか好きだったもんね。でも、山登りするんだから、リュックとか背負ってて普通なんじゃないの?」
「こんな低い山で? 俺たちみたいに撮影機材とか背負っているなら別だけど……」
「趣味で、一眼レフカメラ持ってたとか?」
「いや……あのリュック、重さが感じられなかったんだ」
「どういうこと?」
「普通、重い物を背負っていたなら、体は前傾姿勢になるはずなんだ。でも、なんか普通に、でもフラフラと歩いてた」
「……そういえば、重そうにはしていなかったですね」
雅人が自分の記憶を確認するようにつぶやいた。
「だとしたら、タオルとか、着替えとかしか入っていなかったか……いや、それにしては大きなリュックだった……まあ、そのサイズしか持っていないのかもしれないけど」
「……怪しい」
ようやく本来の表情に戻りつつあった優衣が、考え込み始めた。