第5話 ストーカー
文字数 6,382文字
「優衣、あの先生に、前に何か相談した事あったのか?」
「ううん、初めてだった。でも優しくて、いろんな事ずばずば当てて、想像以上に凄かったね。ちょっと間違ったけど、それを間違いと認めるところなんて、すごく尊敬できるわ。人気があるのも分かるね。なかなか予約、取れないのよ」
ちょっとではなく、致命的な間違いだったんだけど。あと、香炉売りつけられようとしていた事、忘れているな。
「そういや、どうやって予約するんだ? 相談内容、だいたい把握してたみたいだし。俺たちの事もある程度知っていたよな?」
「今はネットで予約出来るの。そこに書いていたのよ。私の名前も相談内容も、翔太が一緒に行くことも」
「そうなのか。俺のこと、何て書いたんだ?」
「翔太のこと? 仲の良い友達って書いたけど」
それだ。
ああいう占いの館に男女で訪れる場合、付き合っているのならば「彼氏」とか「恋人」とか書くし、内容も恋愛っぽいものが普通なのだ。
瞳先生、残念ながら僕の中では、あなたは口と商売が上手な半インチキ霊媒師です……。
とりあえず、これで精神的には一安心? した俺と優衣。
あの生首に関しては、まだモヤモヤとしているが、警察が本気で捜査してくれないし、そもそも一瞬映った映像だけでは手掛かりが少なすぎる。
それに霊媒師――たとえインチキでも――が大きな心配はない、と言ってくれている以上、もう気にしていても仕方がない。
月曜日は普段通り登校した。
何事もなく一日が過ぎ、帰ろうとした放課後。
別のクラスの優衣が、俺の教室までやってきた。
心なしか、表情が冴えない。
「翔太、今日一緒に帰ろうよ。……怖いの」
「怖い? あの生首、まだ気にしているのか?」
「うん、それもあるけど……何か、誰かに見られているような気がするの。変な声も聞こえるし」
「……見られているっていうのはともかく、変な声って、どんな声?」
「何か、私だけに聞こえるみたい。小さな子供の声で、『見られてるよ』とか、『気をつけて』とか。周りに誰もいないときでも聞こえるし、逆に誰かいるときには、私にしか聞こえていないみたいなの」
「ふーん……やっぱり、昨日の占いのせいじゃないのか? 霊感あるとか言われていたし、それで周りの状況に過敏になってるとか」
「そうかもしれないけど……お願い、一緒に帰ろうよ」
「そりゃ、まあ、構わないけど……」
何人か残っている同級生たちの好奇の視線を感じながら、教室を後にする。
「ひょっとして見られているって、今みたいな感じ?」
「ううん、そうじゃないわ。何て言うか……もっとずっと遠くから、私の方を見ているような感じ」
「なんでそう思うんだ?」
「うーん……例えば、急に振り返ると廊下の影に一瞬人影が見えたり、昼休みだとパンを買って教室に戻ろうとすると、こちらに来る集団の一人と目が合ったり」
「……それだけじゃあ、見られているとは限らないと思うけどなあ。ちなみに、それは男子生徒?」
「うん、そう」
それはちょっとまずい。
まず一つ目の心配が、悪質なストーカーだったら優衣がどこかで乱暴される可能性があること。二つ目が、優衣がその男子生徒を好きになってしまう心配。そして三つ目が、全て優衣の幻覚、幻聴である心配。
一つ目は結構深刻な問題だ。この手の話、優衣は過去にトラウマがあるので、過剰に怖がってしまう可能性もある。それでもまあ、登下校をなるべく俺が一緒にいてやれば、大丈夫だろう。
二つ目は……うーん、どうしようか。これはもう、優衣を信じるしかない。
そして三つ目。これも困るなあ。「幻覚」だけなら、まだ「見間違い」や「勘違い」の可能性もあるけど、「幻聴」の方はかなりやばい。そのうち治まるなら良いんだけど。
そんな事を考えながら、一緒に校門を出たとき、
「えっ……」
優衣が呟いて、ぱっと後ろを向く。
「いた!」
彼女の言葉に、俺も思わず振り返る。しかし、校門から校舎までは結構距離があるため、下校時間と言うこともあり、数十人の姿が見える。
「えーと……どれがそうなんだ?」
「ううん、今は見えていない。さっき振り向いたとき、一瞬玄関の扉のウラに隠れたわ」
「なるほど、そりゃ確かに挙動不審だな。よし、今から戻って……」
「いくらなんでも、今から向かったら、さすがに別の場所に移動するでしょ」
「そうか……なら、気付いていないふりをして、このまま帰ろうかな。で、適当な箇所で待ち伏せする」
「……まあ、古典的だけど、いいかな。でもそれより、さっきまた私、声を聞いたの。『玄関から見つめられているよ』って」
「そうなのか? 俺には聞こえなかったけどなあ……」
これはいよいよ、優衣がおかしくなったのか?
とりあえず、俺もそのストーカーの姿を見つけることができれば彼女の言動を信じられるんだが……。
(信じてあげて……)
え? なんだ、今の。
「優衣、いま何か言ったか?」
「私? ううん、何も言ってないよ」
「そうだよな。もっと子供っぽい声だった」
「私にずっと聞こえているの、小さな女の子の声よ」
……。
えええええええぇーーーーーー!
聞こえた、確かに聞こえた、『信じてあげて』って!
しかも、その言葉に関しては優衣には聞こえず、俺だけに聞こえているみたいだ。
「聞こえたのね? 私の言ってること、ウソじゃないでしょ?」
「ああ、これで百パーセント信じた。何かある。とりあえずさっきの作戦通り、どこかで待ち伏せしてみるか」
「うん、そうしよ!」
なぜか優衣の表情は明るく、生き生きとしている。そうか、俺が彼女と同じ不思議体験をしたからか。
よく考えたら、この手の超常現象は彼女の得意分野、というか大好きなジャンルじゃないか。これはあるいは、「優衣空間」に引きずり込まれたのかもしれない。
とりあえず優衣の機嫌が良くなったので、いつも通り世間話しながら家の方角へと歩いて行く。うん、特に警戒している様には見えないはずだ。
そして近道である、細い路地に入る曲がり角を折れたところで、コンクリート製の塀の脇に身を隠す。
幸い、この路地は車が通れないぐらいに狭いので、カーブミラーはない。
ゆえに、ストーカーは自分もこの路地に体を出さないと、俺たちの様子が見えないのだ。
探偵物や刑事物のドラマとか大好きな俺にとっては、リアルにストーカー?を待ち伏せするなんて、ちょっとハラハラする展開だ。
そのままの体勢で、息を凝らして二分ほど待つ。が、何の反応もない。
本当にストーカーはついて来ているのだろうか。
じれた俺は、直角に曲がる塀の、本当にすぐ側まで来た。
そして向こう側を確認するため慎重に、恐る恐る、顔を半分だけ、塀から出してみた。
その瞬間、俺の視界を遮るように、別の顔が半分だけぬっと目の前に現れた。
「どわあああぁぁぁ!」
「あわあああぁぁぁ!」
同時に悲鳴をあげ、その場に尻餅をつく二人の男子高校生。
どうやら、全く同じタイミングで同じように顔を出して、お互いに向こう側の様子を確認しようとしたらしい。
一瞬唖然としたが、相手の方が一瞬早く状況を理解し、すぐに尻餅から土下座の体勢になった。
「すみません、僕が犯人です!」
……どうやら、事件は解決に向かいそうだった。
十五分後、俺たち三人は、彼――柳田雅人、綾樫高校一年生――の部屋に来ていた。
彼は実家がかなり離れているということで、1ルームのアパートを借り、一人暮らしをしていた。
その部屋に入り、俺と優衣は驚きを隠せなかった。
アニメに出てくるロボットの模型や、古めかしい怪獣の人形、ギリシャ神話に出てくるメデューサの首など、カッコイイ物からおどろおどろしいものまで、様々な造形物が展示されていたのだ。
しかも驚くべき事に、全て自分の手で作成したという。
そして彼が押し入れの(ここはさらに混沌としていた)中から、一つのオブジェを持ってきた。
「……それか!」
俺は叫んだ。
そう、それはまさしく、あやかし山でツチノコの罠に入っていた、優衣そっくりの生首だった。
「本当にすみません、あんなに大騒ぎになるとは思わなかったので……」
雅人は改めて謝罪する。
端正な顔立ちながらかなり童顔で、子供っぽい彼にそう謝られると、あまり怒る気になれない。ただ、どうしてあんな事をしたのかは聞き出す必要がある。
「……僕、小城先輩に憧れていたんです」
うお、なかなかストレートだな。告白された優衣も、ちょっと目を丸くしている。
「本当に一目惚れでした。だからこっそりと写真を撮影して、こんな物まで作ったんです。でも、小城先輩には、伊達先輩っていうちゃんとした彼氏がいました。僕ではとうていかなわないぐらいカッコイイし、すごく仲が良いし、どうしていいか分からなくなって……。それであの日、ついイタズラ心で、小城先輩の顔の造形をあの罠の中に入れておいたんです。あんな事件があって未解決のままだったし、ただ単に、すごくびっくりするんじゃないかと思って……でも、お二人ならすぐに作り物だと気づくと思って」
いや、あの状況であんなの、創った本人しか分からないって。
「そして、少しでも小城先輩に、『誰が自分に似せてこんな物作ったのだろう』って興味を持ってもらえたら……お二人なら、いつか僕にたどり着くだろうと思って。そうなったら素直に謝罪して、自分の気持ちを打ち明けるつもりでした。なのに、警察まで来る大騒ぎになっちゃって……『僕がイタズラで置きました』って、言い出しにくくなってしまったんです」
「なるほど、そういうことだったのか。人騒がせだなあ」
「本当にごめんなさい……」
「まあまあ、こうやって謝っているんだし、もう良いんじゃないの? それに、私に憧れていたなんて言ってもらえたら、ちょっと嬉しいし」
へ? そうなのか? まあ、この男子生徒はかわいい顔つきだし、まんざらでもないのか。
「それにしても、この造形の腕はすごいわね。自分一人で勉強して作ったの?」
「は、はい、そうです。先輩に褒めてもらえるなんて、凄く嬉しいです!」
柳川雅人は、さっきまでしょげていたのに、急に生き生きとしだした。
「……ねえ、雅人君、私たちと一緒に部活、作らない? 私たち、ビデオ使って……そう、『冒険映像部』みたいなものを作ろうと考えているの」
「えっ……小城先輩がいる部活に、僕が入ってもいいんですか?」
「ええ、もちろん。正確には、三人の部員がいないと部活動と認められないから、雅人君が加わって初めて申請に行けるんだけど。この造形技術は凄いわ。冒険映像にこういうの、絶対必要だもの」
「……すごく、嬉しいです! 小城先輩と一緒に部活なんて!」
「そう? 喜んでもらえると私も嬉しいわ」
なんだ、この展開は? 三人って、俺も入っているのか?
っていうか、優衣、なんでそんなに嬉しそうなんだ? それも、ちょっと赤くなって……。
いや待て、「いつか正体が突き止められたならば、そのときには素直に謝って、そして告白するつもりだった」ってことは……つまりまさに今、こいつの思い通りの展開になったって事じゃないか!
「だめだ!」
俺は立ち上がって叫んだ。
驚いてこちらを見る、優衣と雅人。
「優衣、何勝手に決めてるんだ! ついさっきまで、ストーカーだとか、怖いとか言ってたじゃないか。それなのに、もう勧誘するのか?」
「やだ、翔太、そんなに怒ることなの? 別に私、ストーカーだとは言ってないけど……ひょっとして妬いてる?」
その言葉に、さらに俺は切れた。
「ああ、そうだよ! 妬いてるよ! 優衣、俺の気持ち知ってて、そんな事言ってるのか? 俺はずっとお前の事を大事に、何年も、おまえの事だけを考えてたのに……それなのに、ついさっき会ったばかりのこいつと……ストーカーのこいつと、付き合おうって考えてるのか?」
怒りの感情にまかせて、一気にまくし立てる俺。
その剣幕に、優衣はしばらく呆然としていたが、やがて涙を浮かべ、下を向いて泣き出してしまった。
「……悪い、きつく言い過ぎたか? でも、本当に……」
そこから先は、声にならなかった。
「ううん、違うの。嬉しくて……」
へ?
「今まで、ひょっとして翔太は、私のこと、単なる幼なじみとしてしか考えてないんじゃないかと思ってたから……そんな風に言ってくれるの、凄く嬉しい……」
「優衣……」
彼女は、涙で濡れた顔を上げた。
そしてオロオロしている雅人の方を向き、優しく笑いかけた。
「雅人君、さっき私に『憧れてる』って言ってくれたの、本当に嬉しかったよ。でも、それはたぶん、恋愛感情とかじゃないと思う」
「先輩……」
「私もね、中学生のとき、担任の先生に憧れていた時期があったの。大人っぽくて、頼りがいがあって、かっこよくて。もちろん、中学校の先生と生徒だから、私は自分の気持ちを伝えることもできず、その先生が別の学校に赴任していってそれで終わりだった。でも、よく考えると、憧れと恋愛は別だなって、後から分かったの。本当に好きな人は、『側にいるだけで嬉しい人』、そして『ずっと、いつでも側にいて欲しい』って思える人。多分、あなたが私に抱いている感情は、そうじゃ無いと思う。そして私には、いつも一緒に居たいって想う人が居るの」
そう言って、俺の方を見つめる。それって……俺?
そして優衣は、視線を雅人に戻し、話を続けた。
「そしてあなたにも、いつかそう思える人が出来るわ。そしてそう割り切れるなら……それでもいいなら、一緒に部活に入って、活動して欲しい」
なんだ、結局部活に誘うのか。
でもまあ、優衣にしてはまともな説得かな。遠回しながら、雅人と恋人として付き合うことは否定しているようだし。
「……私、翔太があのときの約束ずっと守って、何年もあんなに頑張ってきたの見てきたし、他の人の事、絶対に好きになったりしないから……それなら、雅人君を部活に誘ってもいいよね?」
「……まあ、それならいいけどな」
なんか意外な展開だけど、優衣に涙目でそう言われたら、断れない。
「はい、僕はそれで十分です」
雅人は少し寂しそうな表情ながら、それでも笑っていた。
結局、俺が優衣に告白して、彼女もそれを受け入れた形になったのかな。
結果的には良かったのかもしれない。
「あと、それと……小城先輩に、相談したい事があったんです」
「何? なんでも聞いて」
優衣はもうすっかり先輩……いや、姉のような気分かもしれない。
「実は僕、幽霊に取り憑かれているみたいなんです……変な声が聞こえたり、近くに居るはずのない人の気配を感じたりするです」
その言葉に、俺たちが聞いたあの不思議な声の存在を思い出し、部屋の空気が、別の意味で緊迫したものになっていった。
優衣はカバンからボールペンとノートを取り出し、彼の話を詳しく記録し始めた。
「他にも、夜中、奇妙な物音で目が覚めるときがあります。タン、タンという何かを叩くような音や、ミシ、ミシという床がきしむような音とか。そうなると、緊張して体も動かなくなってしまうんです」
「なるほど……音の方は典型的なラップ音ね。心霊現象の一種よ。ポルターガイスト現象も併発してるわね。あと、体が動かなくなるのは金縛り。これは心霊現象とは限らないけど、その可能性は高いわ。側に人がいるような気配がするんじゃない?」
「あ、はい、近くに誰か居るように感じます」
やばいなあ、この話の流れ。
優衣がすっかり得意になっているじゃないか。まるであの半インチキ霊媒師、瞳先生のようだ。
「うーん……やっぱりこれは、専門の霊能力者に鑑定してもらった上で、除霊してもらった方が良いわね。私、とっておきの人を知っているの」
ほら、きた。今想像した人を、頼るつもりだ。
「ううん、初めてだった。でも優しくて、いろんな事ずばずば当てて、想像以上に凄かったね。ちょっと間違ったけど、それを間違いと認めるところなんて、すごく尊敬できるわ。人気があるのも分かるね。なかなか予約、取れないのよ」
ちょっとではなく、致命的な間違いだったんだけど。あと、香炉売りつけられようとしていた事、忘れているな。
「そういや、どうやって予約するんだ? 相談内容、だいたい把握してたみたいだし。俺たちの事もある程度知っていたよな?」
「今はネットで予約出来るの。そこに書いていたのよ。私の名前も相談内容も、翔太が一緒に行くことも」
「そうなのか。俺のこと、何て書いたんだ?」
「翔太のこと? 仲の良い友達って書いたけど」
それだ。
ああいう占いの館に男女で訪れる場合、付き合っているのならば「彼氏」とか「恋人」とか書くし、内容も恋愛っぽいものが普通なのだ。
瞳先生、残念ながら僕の中では、あなたは口と商売が上手な半インチキ霊媒師です……。
とりあえず、これで精神的には一安心? した俺と優衣。
あの生首に関しては、まだモヤモヤとしているが、警察が本気で捜査してくれないし、そもそも一瞬映った映像だけでは手掛かりが少なすぎる。
それに霊媒師――たとえインチキでも――が大きな心配はない、と言ってくれている以上、もう気にしていても仕方がない。
月曜日は普段通り登校した。
何事もなく一日が過ぎ、帰ろうとした放課後。
別のクラスの優衣が、俺の教室までやってきた。
心なしか、表情が冴えない。
「翔太、今日一緒に帰ろうよ。……怖いの」
「怖い? あの生首、まだ気にしているのか?」
「うん、それもあるけど……何か、誰かに見られているような気がするの。変な声も聞こえるし」
「……見られているっていうのはともかく、変な声って、どんな声?」
「何か、私だけに聞こえるみたい。小さな子供の声で、『見られてるよ』とか、『気をつけて』とか。周りに誰もいないときでも聞こえるし、逆に誰かいるときには、私にしか聞こえていないみたいなの」
「ふーん……やっぱり、昨日の占いのせいじゃないのか? 霊感あるとか言われていたし、それで周りの状況に過敏になってるとか」
「そうかもしれないけど……お願い、一緒に帰ろうよ」
「そりゃ、まあ、構わないけど……」
何人か残っている同級生たちの好奇の視線を感じながら、教室を後にする。
「ひょっとして見られているって、今みたいな感じ?」
「ううん、そうじゃないわ。何て言うか……もっとずっと遠くから、私の方を見ているような感じ」
「なんでそう思うんだ?」
「うーん……例えば、急に振り返ると廊下の影に一瞬人影が見えたり、昼休みだとパンを買って教室に戻ろうとすると、こちらに来る集団の一人と目が合ったり」
「……それだけじゃあ、見られているとは限らないと思うけどなあ。ちなみに、それは男子生徒?」
「うん、そう」
それはちょっとまずい。
まず一つ目の心配が、悪質なストーカーだったら優衣がどこかで乱暴される可能性があること。二つ目が、優衣がその男子生徒を好きになってしまう心配。そして三つ目が、全て優衣の幻覚、幻聴である心配。
一つ目は結構深刻な問題だ。この手の話、優衣は過去にトラウマがあるので、過剰に怖がってしまう可能性もある。それでもまあ、登下校をなるべく俺が一緒にいてやれば、大丈夫だろう。
二つ目は……うーん、どうしようか。これはもう、優衣を信じるしかない。
そして三つ目。これも困るなあ。「幻覚」だけなら、まだ「見間違い」や「勘違い」の可能性もあるけど、「幻聴」の方はかなりやばい。そのうち治まるなら良いんだけど。
そんな事を考えながら、一緒に校門を出たとき、
「えっ……」
優衣が呟いて、ぱっと後ろを向く。
「いた!」
彼女の言葉に、俺も思わず振り返る。しかし、校門から校舎までは結構距離があるため、下校時間と言うこともあり、数十人の姿が見える。
「えーと……どれがそうなんだ?」
「ううん、今は見えていない。さっき振り向いたとき、一瞬玄関の扉のウラに隠れたわ」
「なるほど、そりゃ確かに挙動不審だな。よし、今から戻って……」
「いくらなんでも、今から向かったら、さすがに別の場所に移動するでしょ」
「そうか……なら、気付いていないふりをして、このまま帰ろうかな。で、適当な箇所で待ち伏せする」
「……まあ、古典的だけど、いいかな。でもそれより、さっきまた私、声を聞いたの。『玄関から見つめられているよ』って」
「そうなのか? 俺には聞こえなかったけどなあ……」
これはいよいよ、優衣がおかしくなったのか?
とりあえず、俺もそのストーカーの姿を見つけることができれば彼女の言動を信じられるんだが……。
(信じてあげて……)
え? なんだ、今の。
「優衣、いま何か言ったか?」
「私? ううん、何も言ってないよ」
「そうだよな。もっと子供っぽい声だった」
「私にずっと聞こえているの、小さな女の子の声よ」
……。
えええええええぇーーーーーー!
聞こえた、確かに聞こえた、『信じてあげて』って!
しかも、その言葉に関しては優衣には聞こえず、俺だけに聞こえているみたいだ。
「聞こえたのね? 私の言ってること、ウソじゃないでしょ?」
「ああ、これで百パーセント信じた。何かある。とりあえずさっきの作戦通り、どこかで待ち伏せしてみるか」
「うん、そうしよ!」
なぜか優衣の表情は明るく、生き生きとしている。そうか、俺が彼女と同じ不思議体験をしたからか。
よく考えたら、この手の超常現象は彼女の得意分野、というか大好きなジャンルじゃないか。これはあるいは、「優衣空間」に引きずり込まれたのかもしれない。
とりあえず優衣の機嫌が良くなったので、いつも通り世間話しながら家の方角へと歩いて行く。うん、特に警戒している様には見えないはずだ。
そして近道である、細い路地に入る曲がり角を折れたところで、コンクリート製の塀の脇に身を隠す。
幸い、この路地は車が通れないぐらいに狭いので、カーブミラーはない。
ゆえに、ストーカーは自分もこの路地に体を出さないと、俺たちの様子が見えないのだ。
探偵物や刑事物のドラマとか大好きな俺にとっては、リアルにストーカー?を待ち伏せするなんて、ちょっとハラハラする展開だ。
そのままの体勢で、息を凝らして二分ほど待つ。が、何の反応もない。
本当にストーカーはついて来ているのだろうか。
じれた俺は、直角に曲がる塀の、本当にすぐ側まで来た。
そして向こう側を確認するため慎重に、恐る恐る、顔を半分だけ、塀から出してみた。
その瞬間、俺の視界を遮るように、別の顔が半分だけぬっと目の前に現れた。
「どわあああぁぁぁ!」
「あわあああぁぁぁ!」
同時に悲鳴をあげ、その場に尻餅をつく二人の男子高校生。
どうやら、全く同じタイミングで同じように顔を出して、お互いに向こう側の様子を確認しようとしたらしい。
一瞬唖然としたが、相手の方が一瞬早く状況を理解し、すぐに尻餅から土下座の体勢になった。
「すみません、僕が犯人です!」
……どうやら、事件は解決に向かいそうだった。
十五分後、俺たち三人は、彼――柳田雅人、綾樫高校一年生――の部屋に来ていた。
彼は実家がかなり離れているということで、1ルームのアパートを借り、一人暮らしをしていた。
その部屋に入り、俺と優衣は驚きを隠せなかった。
アニメに出てくるロボットの模型や、古めかしい怪獣の人形、ギリシャ神話に出てくるメデューサの首など、カッコイイ物からおどろおどろしいものまで、様々な造形物が展示されていたのだ。
しかも驚くべき事に、全て自分の手で作成したという。
そして彼が押し入れの(ここはさらに混沌としていた)中から、一つのオブジェを持ってきた。
「……それか!」
俺は叫んだ。
そう、それはまさしく、あやかし山でツチノコの罠に入っていた、優衣そっくりの生首だった。
「本当にすみません、あんなに大騒ぎになるとは思わなかったので……」
雅人は改めて謝罪する。
端正な顔立ちながらかなり童顔で、子供っぽい彼にそう謝られると、あまり怒る気になれない。ただ、どうしてあんな事をしたのかは聞き出す必要がある。
「……僕、小城先輩に憧れていたんです」
うお、なかなかストレートだな。告白された優衣も、ちょっと目を丸くしている。
「本当に一目惚れでした。だからこっそりと写真を撮影して、こんな物まで作ったんです。でも、小城先輩には、伊達先輩っていうちゃんとした彼氏がいました。僕ではとうていかなわないぐらいカッコイイし、すごく仲が良いし、どうしていいか分からなくなって……。それであの日、ついイタズラ心で、小城先輩の顔の造形をあの罠の中に入れておいたんです。あんな事件があって未解決のままだったし、ただ単に、すごくびっくりするんじゃないかと思って……でも、お二人ならすぐに作り物だと気づくと思って」
いや、あの状況であんなの、創った本人しか分からないって。
「そして、少しでも小城先輩に、『誰が自分に似せてこんな物作ったのだろう』って興味を持ってもらえたら……お二人なら、いつか僕にたどり着くだろうと思って。そうなったら素直に謝罪して、自分の気持ちを打ち明けるつもりでした。なのに、警察まで来る大騒ぎになっちゃって……『僕がイタズラで置きました』って、言い出しにくくなってしまったんです」
「なるほど、そういうことだったのか。人騒がせだなあ」
「本当にごめんなさい……」
「まあまあ、こうやって謝っているんだし、もう良いんじゃないの? それに、私に憧れていたなんて言ってもらえたら、ちょっと嬉しいし」
へ? そうなのか? まあ、この男子生徒はかわいい顔つきだし、まんざらでもないのか。
「それにしても、この造形の腕はすごいわね。自分一人で勉強して作ったの?」
「は、はい、そうです。先輩に褒めてもらえるなんて、凄く嬉しいです!」
柳川雅人は、さっきまでしょげていたのに、急に生き生きとしだした。
「……ねえ、雅人君、私たちと一緒に部活、作らない? 私たち、ビデオ使って……そう、『冒険映像部』みたいなものを作ろうと考えているの」
「えっ……小城先輩がいる部活に、僕が入ってもいいんですか?」
「ええ、もちろん。正確には、三人の部員がいないと部活動と認められないから、雅人君が加わって初めて申請に行けるんだけど。この造形技術は凄いわ。冒険映像にこういうの、絶対必要だもの」
「……すごく、嬉しいです! 小城先輩と一緒に部活なんて!」
「そう? 喜んでもらえると私も嬉しいわ」
なんだ、この展開は? 三人って、俺も入っているのか?
っていうか、優衣、なんでそんなに嬉しそうなんだ? それも、ちょっと赤くなって……。
いや待て、「いつか正体が突き止められたならば、そのときには素直に謝って、そして告白するつもりだった」ってことは……つまりまさに今、こいつの思い通りの展開になったって事じゃないか!
「だめだ!」
俺は立ち上がって叫んだ。
驚いてこちらを見る、優衣と雅人。
「優衣、何勝手に決めてるんだ! ついさっきまで、ストーカーだとか、怖いとか言ってたじゃないか。それなのに、もう勧誘するのか?」
「やだ、翔太、そんなに怒ることなの? 別に私、ストーカーだとは言ってないけど……ひょっとして妬いてる?」
その言葉に、さらに俺は切れた。
「ああ、そうだよ! 妬いてるよ! 優衣、俺の気持ち知ってて、そんな事言ってるのか? 俺はずっとお前の事を大事に、何年も、おまえの事だけを考えてたのに……それなのに、ついさっき会ったばかりのこいつと……ストーカーのこいつと、付き合おうって考えてるのか?」
怒りの感情にまかせて、一気にまくし立てる俺。
その剣幕に、優衣はしばらく呆然としていたが、やがて涙を浮かべ、下を向いて泣き出してしまった。
「……悪い、きつく言い過ぎたか? でも、本当に……」
そこから先は、声にならなかった。
「ううん、違うの。嬉しくて……」
へ?
「今まで、ひょっとして翔太は、私のこと、単なる幼なじみとしてしか考えてないんじゃないかと思ってたから……そんな風に言ってくれるの、凄く嬉しい……」
「優衣……」
彼女は、涙で濡れた顔を上げた。
そしてオロオロしている雅人の方を向き、優しく笑いかけた。
「雅人君、さっき私に『憧れてる』って言ってくれたの、本当に嬉しかったよ。でも、それはたぶん、恋愛感情とかじゃないと思う」
「先輩……」
「私もね、中学生のとき、担任の先生に憧れていた時期があったの。大人っぽくて、頼りがいがあって、かっこよくて。もちろん、中学校の先生と生徒だから、私は自分の気持ちを伝えることもできず、その先生が別の学校に赴任していってそれで終わりだった。でも、よく考えると、憧れと恋愛は別だなって、後から分かったの。本当に好きな人は、『側にいるだけで嬉しい人』、そして『ずっと、いつでも側にいて欲しい』って思える人。多分、あなたが私に抱いている感情は、そうじゃ無いと思う。そして私には、いつも一緒に居たいって想う人が居るの」
そう言って、俺の方を見つめる。それって……俺?
そして優衣は、視線を雅人に戻し、話を続けた。
「そしてあなたにも、いつかそう思える人が出来るわ。そしてそう割り切れるなら……それでもいいなら、一緒に部活に入って、活動して欲しい」
なんだ、結局部活に誘うのか。
でもまあ、優衣にしてはまともな説得かな。遠回しながら、雅人と恋人として付き合うことは否定しているようだし。
「……私、翔太があのときの約束ずっと守って、何年もあんなに頑張ってきたの見てきたし、他の人の事、絶対に好きになったりしないから……それなら、雅人君を部活に誘ってもいいよね?」
「……まあ、それならいいけどな」
なんか意外な展開だけど、優衣に涙目でそう言われたら、断れない。
「はい、僕はそれで十分です」
雅人は少し寂しそうな表情ながら、それでも笑っていた。
結局、俺が優衣に告白して、彼女もそれを受け入れた形になったのかな。
結果的には良かったのかもしれない。
「あと、それと……小城先輩に、相談したい事があったんです」
「何? なんでも聞いて」
優衣はもうすっかり先輩……いや、姉のような気分かもしれない。
「実は僕、幽霊に取り憑かれているみたいなんです……変な声が聞こえたり、近くに居るはずのない人の気配を感じたりするです」
その言葉に、俺たちが聞いたあの不思議な声の存在を思い出し、部屋の空気が、別の意味で緊迫したものになっていった。
優衣はカバンからボールペンとノートを取り出し、彼の話を詳しく記録し始めた。
「他にも、夜中、奇妙な物音で目が覚めるときがあります。タン、タンという何かを叩くような音や、ミシ、ミシという床がきしむような音とか。そうなると、緊張して体も動かなくなってしまうんです」
「なるほど……音の方は典型的なラップ音ね。心霊現象の一種よ。ポルターガイスト現象も併発してるわね。あと、体が動かなくなるのは金縛り。これは心霊現象とは限らないけど、その可能性は高いわ。側に人がいるような気配がするんじゃない?」
「あ、はい、近くに誰か居るように感じます」
やばいなあ、この話の流れ。
優衣がすっかり得意になっているじゃないか。まるであの半インチキ霊媒師、瞳先生のようだ。
「うーん……やっぱりこれは、専門の霊能力者に鑑定してもらった上で、除霊してもらった方が良いわね。私、とっておきの人を知っているの」
ほら、きた。今想像した人を、頼るつもりだ。