第17話 猫雑誌、そして……。

文字数 3,516文字

銀次郎に引っかかれた傷は思ったより深かった。
なんせ首元、急所を狙ってきたのである。ザックリとした引っかき傷からは血がとめどなく流れていた。

「先生、病院行った方がいいです!猫ちゃんの引っかき傷は危険ですよ!ばい菌が入って大怪我になるかも……」

小尾さんの顔が不安で歪んでいる。

「僕、車出しましょうか?近くの病院どこかわかります?」

足立さんが親切に車を出してくれるというが、流石にそこまで世話になるのは申し訳ない。

「いいえ、大丈夫です。ただの引っかき傷ですから。適当にガーゼを当てておけば血なんて止まるでしょう」

「駄目です!すぐ治療を受けてください!先生の身に何かあったら……何かあったら……」

小尾さんは涙目になりながら私の身を心配してくれた。
なんと心の優しい女性なのだろう。今日初めて会ったばかりだというのに。
どうせ結婚するなら、このように思いやりがある女性がいいものだ。
状況もわきまえず、思わずこんな想像をしてしまうのは独身男の悲しい性か。

「猫ちゃんの傷が原因で大怪我をしたら、猫ちゃんたちが悪者にされてしまうんですよ!?猫ちゃんの名誉を守るためにもすぐに治療しましょう!」

……成程、結局は猫の為というわけだ。
このままではインタビューが続けられないとのことで、本日の取材は中止。
車で送るという足立さんの提案を丁重にお断りして、近くの病院へ向かった。
幸い酷い怪我ではなかったが、消毒止血をして貰い抗生物質も頂いた。
お陰で無駄な治療費が我が財布から飛んでいった。

取材班の二人には迷惑をかけてしまったので、帰宅後すぐに謝罪と無事を知らせる連絡を入れた。
撮影とインタビューは後日行うという。
そして一週間後、傷もすっかり良くなり始めた頃取材は再開した。

「天音先生、ご無事で何よりです!これ、よろしければどうぞ」

小尾さんから小さな菓子の箱が渡される。

「クッキーです。弊社と人気スイーツ店のコラボ商品なんですよ!お見舞いというわけではありませんが……美味しいので是非召し上がってくださいね」

「ありがとうございます。なんだか気を使わせてしまってすみません」

中には三日月形のクッキーが並んでいた。

「これ猫の爪をモチーフにしたクッキーなんです。可愛いでしょ?」

この状況で猫の爪をモチーフにしたクッキーを差し入れする、その根性に脱帽である。
もはや高度な嫌がらせを疑うレベルなのだが。
少なくとも小尾さんも足立さんも屈託のない笑顔を浮かべているので、純粋な猫バカからの素直な好意と受け止めておこう。

前回の失敗を繰り返さないよう、今回はインタビューから行われた。

「それでは質問させていただきますね。まず好きな食べ物はなんですか?」

「ラーメンと、明太子ですかね」

「いえ、猫ちゃんのです……」

すっかりその気で答えてしまったが、これは猫雑誌の企画であった。
私の趣味などどうでもいいのである。思わぬ赤っ恥をかいてしまったではないか。

「ええと、茹でた鶏のささ身とか……です」

「それは毎日食べているんですか?」

「いえ、毎日ではなく時々あげる程度です」

自分のことではないので、いまいち気の利いた受け答えができない。
その時、パシャリというシャッター音とともにカメラのフラッシュが光った。

「あ、お気になさらず。インタビューしている様子を何枚か撮らせていただきますね」

「そうですか」

足立さんは何度かシャッターを切ると、いつの間にか姿を消した。

「では次に、猫ちゃんとの出会いを教えてください」

「出会い……。ええと、どんなだったかな」

私は記憶の限り、猫共との出会いを話した。
雨の夜にやってきた黒兵衛、道端で死にかけていた斑丸、捨て猫だった銀次郎。
小尾さんはウンウンと真剣な表情で聞き入っている。

「それでは、天音先生の猫ちゃんは全員保護猫ちゃんなんですね」

「まあ、そんなところです」

「素晴らしいです。保護猫ちゃんを飼うということは、不幸な猫ちゃんが世界から減るということですから」

「いえいえ、そんな立派なものではないですよ。どちらかと言えばあいつらが勝手に住み着いたようなものですし」

「ふふふ、でも天音先生。本当に猫がお好きなんですね?」

「へ?」

思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

「だって、猫ちゃんたちのお話をされている時とても楽しそうでしたもん。いつもより饒舌ですし……あ、すみません。変な意味ではないんです」

「饒舌……饒舌でしたか?」

「はい!猫ちゃんたちとの出会いが目に浮かぶように、すごく具体的にお話していただけてよかったです」

なんてこった。冷静に話したつもりだったが、どうやら私はあいつらの話を具体的に、活き活きと語っていたらしい。
まるでそこらの猫好きのように。
ああ恥ずかしい、みっともない。

その後も小尾さんのインタビューは続いた。
猫の性格、猫の趣味、猫の個性。猫、猫、猫!
もうこれ以上語りようがないというほど、猫共の話題は言い尽くした。

「それでは、そろそろ撮影にしましょうか!」

忘れていた。そういえば写真の撮影もあるのだった。
先日着用した一張羅は、あの日の出血により血の染みで台無しになっていた。
わざわざ一回の撮影に向けて服を新調するのも馬鹿馬鹿しいので、仕方がないが二番目に上等な服を着ていた。

「足立さん、撮影いいですか?」

声をかけられると、足立さんは何やらニタっとした笑みを浮かべこちらへ近づいてきた。

「小尾さん、天音先生。これ見てください」

そこには黒兵衛、斑丸、銀次郎の姿が写っていた。

「あら~素敵!こんないい写真いつ撮ったんですか?」

「インタビュー中暇だったんで、勝手ですが撮らせていただきました」

成程流石はプロである。そこにはいつもの猫共とは違う、どこか余所行きの表情をした凛々しい猫がいた。
あの黒兵衛ですら、普段は漆黒の顔面に埋もれている鼻筋や口元がばっちりと写っていた。

「ほら、だんだんカメラに興味持ってくれたんですよ」

確かに足立さんが言う通り、最初は緊張した面持ちだった猫たちもだんだんとリラックスした表情を見せるようになっていた。
カメラに顔を近づけて匂いをかいでいる姿や、レンズに触れようと手を伸ばしている姿が写っている。

「ね?よく撮れてるでしょう?」

足立さんは所謂どや顔の表情で、本日の収穫を見せびらかしてくれた。

「凄くいいですね!それじゃあ、もう撮影は無しでいいですね」

「え?あの、私の写真は?」

「天音先生のは、さっきのインタビュー中に何枚か撮ったので大丈夫です」

何枚か……。しかもインタビュー中に撮られていたもの。
私の写真はその程度の扱いなのか。
少々腑に落ちないので、みっともないながら食い下がってみた。

「猫を抱いた写真とかは必要ないですか?」

「……あー、はい。大丈夫です。うん」

小尾さんはきっと先日の惨劇を思い出したのだろう。
コイツに猫を抱かせては駄目だと感じているのだ。
あからさまに猫を抱いた写真は撮りたくないと言わんばかりの態度だ。

「わかりました……」

微妙な空気を察したのか、足立さんが気を利かせて

「せっかくなので一枚撮っときましょうか!」

と提案してくれた。

「ぶにゃ~」

「ほら、斑丸ちゃんが一緒に撮りたいって!」

ちょうどタイミングよく、斑丸の奴が鳴きながらすり寄ってきた。
ううむ、よりによって一番不細工な斑丸か。まあいいか。

「はーい、先生も斑丸ちゃんも笑ってー!」

私は赤子のように斑丸を抱き、されるがままに写真を撮られた。

「本日はありがとうございました。雑誌ができたら送りますね!」

「はい。ありがとうございました」

こうして小尾さんと足立さんは去っていった。
私のインタビュー中に散々写真を撮られていた猫共は、疲れたのかぐっすりと眠っていた。

それからしばらくして、ついに完成した例の雑誌が届いた。
冒頭は著名な大御所作家。見開きでのインタビューと素晴らしく美しい猫の写真が並んでいた。
次のページ、次のページとめくっても私のインタビューは掲載されていない。
ようやくたどり着いたそのページは、六分割されておりそこに六名の作家が並んでいた。
私の掲載は一番下段。

インタビュー中に撮られた無防備に口を半開きにした写真。
その横には、カメラに愛嬌を振りまく三匹の猫たちが並んでいた。
あれだけ長いインタビューのうち、ほんの三問程度しかない質問と回答が掲載されていた。
私の経歴やプロフィールはごく簡素なもので、猫たちのプロフィールはそれぞれにしっかりと掲載されていた。

「僕たち保護猫!先生のお仕事を手伝うニャン」

と編集部が勝手にアテレコした、絶対に猫が思ってもいないようなセリフも書かれていた。
なんだか一気に馬鹿らしくなり、私はそっと雑誌を本棚の奥にしまい込んだのだった。


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