第11話 はじめてのお客様

文字数 3,829文字

女が家に来る。
大家のようなとうがたった女ではなく、妙齢の女性が。
聞けばまだ大学生だという。現役女子大生がこの部屋にやって来るのだ。

私は年甲斐もなくそわそわしてしまい、とりあえず部屋の掃除を始めた。出しっぱなしの服はしまい、部屋の隅に積もった埃を取り払う。
乱雑に積み上げた本は収納し、テーブルの染みを拭く。

まったくたかが小娘一人の来客に、何をここまで張り切っているのか。
自分の中に居る冷静な自分が、浮き足だった私に突っ込むようで恥ずかしい。

猫共はせかせかと掃除する私に、冷たい視線を向けていた。呆れたように白けた表情を浮かべ、あくびをする。

そうだ。来客には茶を出さなければ。
紅茶でいいか。いや、コーヒーの方が好きなのか?
お茶請けにお菓子も買わなくてはいけない。
女子大生の好む茶菓子はなんだ。
間違ってもすあまではないだろう。待て、ティーカップはあったか?
気の利いた食器一つも無いようでは、いかにも来客の少ない生活をしていると思われてしまう。

出版社で偶然出会った、あの「根津ちゃん」とかいう女子とどういうわけか約束をしてしまったばかりに、今の私は右往左往する情けない男だ。いや、取り乱す事はない。

相手は若いとはいえ、決して美人とはいえない平凡な少女だ。
その上年が離れすぎている。第一彼女が興味を持っているのは、私ではなく猫だ。
猫さえ見れば、満足するのだ。
慌てることはない。

むしろ猫共を見て気に入ったのを、持っていってくれないだろうか。新入りの銀次郎は見てくれがいいから、若い女は気に入るかもしれない。
最悪一匹でもいいので、猫を引き取ってくれれば万々歳だ。これで厄介払いができる。

私は邪な思いを胸に、「根津ちゃん」が来る日を待ち構えるのだった。

そして、約束の土曜日。「根津ちゃん」は電車で来るというので、駅まで迎えに行った。
私の家は駅から近いので、徒歩で迎える。
「根津ちゃん」はこの前会った時よりも少しおめかしして、駅前に佇んでいた。

「ああ、どうも」

私は上ずった声で「根津ちゃん」に話しかけた。
そもそも私は彼女をなんと呼べばいいのか。
ここは普通に根津さんと呼んでおけばいいか。

「行きましょうか。根津さん」

「はい!」

私は「根津ちゃん」改め根津さんを連れ、我が家へ向かった。
しかし若い女というのは、こうもチンタラ歩くものか。
何度も置いてけぼりにしそうだったので、その都度立ち止まり、歩く速度を合わせなければならなかった。
お陰でいつもの我が家へ辿り着くまで、普段よりずっと時間がかかってしまった。

根津さんは喜んで我が家のボロアパートに飛び込んだ。入るや否や、

「猫ちゃんはどこですか?」

と聞いてくるあたり、余程猫を見たいのだろう。
そうだ。この娘は私ではなく、猫に会いたくて来たのだ。そこを勘違いしてはいけない。

「多分その辺に居ると思うけど」

こんな時に限って、猫共は姿を消している。
私は猫共の名前を呼び続けたが、一向に姿を現さなかった。

「餌で釣れば出てくるかもな」

猫は食い意地がはっている。
いつもの器へ餌をよそう素振りを見せたところ、見事意地汚い猫共は姿を見せた。

「これが先生の猫ちゃんですか?」

根津さんは足元に並ぶ猫共を眺めていた。
それはとても喜んでるとは言えない、怪訝な顔であった。

「……この猫ちゃんたち、なんて種類ですか?」

「種類?」

「ほら、ノルウェージャンフォレストキャットとか、スコティッシュフォールドとか」

「なんだそのジャーマンスープレックスとかいうのは」

「買った時に種類聞かなかったんですか?」

「買う?そいつらは野良だ。種類もただの雑種だよ」

そう伝えると、根津さんは明らかに落胆した、期待はずれのような顔を見せた。
どうやら彼女は、猫と言えばその、ジャーマンスープレックスみたいな名前の猫を想像していたらしい。
しかしうちの猫共は、そんな大層な血筋の猫ではない。
その辺に落ちていた、ただのつまらない野良猫なのだから。
根津さんは

「そうかあ……」

とか

「ふーん」

とか、急に全てがどうでもよくなったような独り言を呟きだした。
もうすっかり、我が家の猫などどうでもいいという態度である。
かといってこのまま放置するわけにもいかないので、とりあえず根津さんを座らせ、お茶とお菓子でもてなした。

根津さんは我が家のどうでもいい猫から興味が薄れたのか、思い出したように私の小説を話題に出した。

「そういえば先生の新作、私の好きな絵師さんが表紙なんです!水無瀬ウミ先生!」

「そうか」

適当に返事をしたが、なんせ私は絵師の名前すら初耳である。
いや、どこかで聞いたかもしれないが、そんなもの忘れていた。

「先生は水無瀬先生に会ったことあるんですか?」

「いや、別に」

「そうなんだあ」

根津さんの興味は再び薄れてしまったらしい。
しかし、根津さんは私の小説に絵を提供するイラストレーターのファンらしく、しばらくの間その絵師についてを語っていた。
正直、私にはどうでもいい話題だった。

色使いがどうだとかキャラクターがどうだとか、文字書きの私に熱弁されても困るのだ。
その間、彼女の口からは私の小説に関する話題が出ない。
恐らく、彼女は私の小説などどうでもいいのだろう。
ふと、寅本が言っていた

「今の読者は表紙で買う」

という言葉が脳裏をよぎった。

なるほど。こういう読者が中身より絵を見るタイプの人間なのか。
あの絵師さんが表紙を描くなんて凄い!というのは、彼女なりの褒め言葉なのかもなれない。
しかし私にとっては、まったくの他人が描いたイラストばかり目の前で褒められても、なんの価値もないのだ。

不愉快で退屈な時間だけが過ぎていった。

「ニャア」

退屈な空気を割るように黒兵衛が鳴く。
珍しい来客に興味があるのか、根津さんの膝元をフンフンと嗅ぎ出した。

「猫ちゃん写真撮ってもいいですか?」

「いいよ」

根津さんは鞄から謎の棒を取り出すと、先端にスマホを取り付けた。
黒兵衛は突然出てきた棒でぶん殴られるとでも思ったのか、テーブルの下に潜ってしまった。

「逃げちゃ駄目」

根津さんは隠れる黒兵衛を引きずり出した。
ううむ、人の家の猫なのだから、もう少し丁寧に扱ってはくれないだろうか。
黒兵衛はヒョイと持ち上げられ、まるでぬいぐるみのように抱えられた。
そのまま片手に持った棒で写真を撮る。
最近の若い娘というのは、こうも異様な写真の撮り方をするのだろうか。

最早近くに居る私など完全に忘れたように、パシャパシャと写真を撮る。
黒兵衛は見知らぬ女に抱えられ、訳がわからぬという表情を浮かべている。
ようやく撮り終えたと思ったら、今度は写真を確認し始めた。

「うーん、写りがいまいちだなあ……」

あれだけ何枚も撮ったのに、お気に召す写真は無いらしい。

「別の猫ちゃんも撮っていいですか?」

黒兵衛よ。貴様はモデル失格らしい。
最も飼い主の私ですら、黒猫を上手に撮るのは至難の技だったが。

「写真ならこっちの猫がいいんじゃないか」

私は我が家で一番見てくれのいい、銀次郎を連れてきた。

「あ、この子の方が可愛い」

そう言うと、再び根津さんは銀次郎を抱えて一人撮影会を始めた。

なんなのだろうこの空間は。
薄汚れた小説家の部屋で、若い女が猫を抱えて写真を連写している。
その脇で、うだつの上がらない中年男がじっと眺めている。

シュールだ。

日本シュルレアリズム選手権があれば、入賞くらいはできる勢いだ。
根津さんはその後も、銀次郎を抱えたまま写真を撮り続けた。
微妙に顔の角度を変えたり、スマホの位置をずらしたりしながら、ひたすらに撮りまくった。

流石の銀次郎もしびれをきらしたのか、我慢できず腕の中でもがきはじめた。
根津さんは銀次郎を放り出して、写真のチェックを始める。
どうもお気に召さないようで、不満げな顔のままスマホを見つめていた。

「ちょっと、あんまり可愛く撮れなかったみたいですー」

悪気のない表情でそう呟いた。
なあ根津さんよ。
恐らく可愛く撮れないのは、うちの猫ではなくお前の問題ではないか?
言わせて貰うが、お前の顔じゃどの角度から写したとしても、それなりの写真にしかならないぞ。
私は明らかに苛立ってた。

我が家の猫は、そりゃあ飛び抜けた美形ではないが、だからと言って可愛く撮れないなどと言われる筋合いはない。
写りが悪いのは猫のせいではなく、あんたの顔にある問題だ。

「うちの猫はモデルやタレントじゃないんでね」

思わず不機嫌さを全開にして、嫌味たらたらの返答をしてしまう。
こう言われて、根津さんも気まずさを感じたのだろう。

「えっと、私もう帰ります」

と言い残し、早々と出ていってしまった。
ここは気を利かせて駅まで送るべきだったろうが、苛立ちに支配された私にそのような余裕などなかった。
嵐のような根津さんが去り、猫共は散々おもちゃにされたのを抗議するように、私を睨み付けた。
そういえば斑丸は最後まで出てこなかった。余程来客に愛想を振り撒きたくなかったのだろう。

申し訳なかったので、猫の大好物である液状おやつを与えご機嫌取りをする。
おやつをたいらげ、猫共はようやく元通りになった我が家でくつろぎ始めた。
私は代わる代わる猫共の顔を見る。

黒兵衛、斑丸、銀次郎。

どこに不満があるというのか。
どいつもそれなりにまともな顔をしているではないか。
私は猫共の頭をそれぞれに撫でた。

「俺は見てくれなんかで評価しないからな」

程なくして、根津さんが出版社のバイトを辞めたと聞いた。
それから二度と彼女に会うことはなかった。
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