第15話 猫雑誌

文字数 2,842文字

さて、寅本との打ち合わせだが、こちらが拍子抜けするほどあっさりとした反応だった。
まずはこの前の企画を断った件について謝罪しようと思ったのだが

「ああ!あの企画でしたら別の作家さんが引き受けてくれたので大丈夫ですよ!」

と、偉く軽い返事をされてしまった。
つまり、代わりはいくらでもいるというわけである。
どういうわけか、一度蹴った企画なのにあっさり他人の手に渡ると悔しい。
かといってプライドを捨てあの企画を受けるのも、それはそれで納得できないのだが。
悶々とした感情で唸っていると、何も気にしていない寅本からさっさと次の話題を吹っ掛けられた。

「確かに天音先生向けの企画じゃなかったですもんね。それで、今回先生向けの企画を用意したんですが見ていただけますか?」

「ふうん、どんな?」

「猫雑誌の特集なんですよ!」

「猫……雑誌?」

テーブルにはでかでかと猫の写真が載せられた一冊の雑誌が置かれた。

「先生も知ってるかもですね。『ニャンコの気持ち』です」

「いや、知らない。あんな畜生の気持ちなんか理解するためにわざわざ金を払って本を買おうとは思わない」

「少し先の特集で『作家と猫』を取り扱うとの事なので、是非天音先生宅の猫ちゃん達も出してみませんか?」

寅本によると、この雑誌は定期的に特集記事を組んでいるらしい。
芸能人と猫、店先の猫、刑務所の猫……。
そして今度組まれる作家と猫特集に、私とあの猫共も出ないかと言うわけだ。

「今回で二回目なんですけどね、これは前回の特集ページです。参考に読んでいただけませんか?」

開かれたそのページには、見覚えのある厳格な顔の男性と凛とした顔立ちの美しい猫が写っていた。

「白川清秀……」

白川清秀とは語るまでもない大御所作家である。
数々の賞を受賞しており、その作品は国内外でも評価が高い。
今年こそはノーベル文学賞を受賞するだろうとファンに期待されては、毎回受賞を逃している事でもお馴染みだ。
いや、そんなのでお馴染みになってどうするという話だが。
年齢を重ねてもなお第一線で活躍を続けている、密かに憧れを持つ作家の一人だ。

「どれ……」

その特集記事は四ページに渡り白川清秀と彼の愛猫について綴られていた。
ちょっと読んでみよう……。

「私は今鎌倉の一軒家で暮らしている。生涯の伴侶とも言える、素晴らしき愛猫と共に。彼女の名はシャミセン。我が人生において何よりも大切な、気高く美しい愛しき三毛猫だ。」

成る程白川清秀の愛猫はシャミセンというのか。
センスがあるんだかないんだか。

「シャミセンと出会ったのは十年前。気晴らしに鎌倉の街を散歩していた時だ。六月の雨上がり、紫陽花の花が咲く小路から、幼子が母親を呼ぶように尊い声が聞こえた。それが、まだほんの子猫だったシャミセンとの出会いである。」

紫陽花の咲く鎌倉の小路で出会うとは、その時点で文学的ではないか。
そこら辺に落ちていた我が家の駄猫共とは偉く違う。

「私は一目見てこの猫を好きになった。白地に点々と模様の入った上品な三毛柄。丸くキョロキョロと動く愛らしい瞳。すんなりと伸びたそれは立派な尻尾。どこをどう見てもすこぶる美猫!彼女を見て美しいと思わぬものは、この世に一人として居ないだろう!」

おいおい、少し雲行きが怪しくなってきたぞ。

「シャミセンは実に賢く、私が目を覚ますより先に起きては枕元でニャアと鳴き、朝飯を催促する。毎朝決まった時間に!彼女は時間を理解しているのだ。時計の見方もわからない生き物だというのに。それだけではない。シャミセンは家の中で一番暖かい場所を知っている。日当たりのいい縁側は彼女の特等席だ。誰が教えたわけでもないのに、自ら一番心地のいい場所を見つけ出す。これまでに出会ったどんな生き物(それは人間も含め)よりシャミセンが利口で博識な生き物というのは、誰であっても理解できるだろう。」

いや、申し訳ないが私には到底理解できない。
ただ本能のままに生きているだけだろう。

「この誰よりも美しく賢い我が恋人は、私の創作活動にもただならぬ影響を与えた。何を隠そう拙作『妖しのファム・ファタール』シリーズのヒロインは、愛しのシャミセンがモデルなのだ。」

なんと……。『妖しのファム・ファタール』シリーズとは、白川清秀が晩年に手掛けた連載小説である。
妖艶かつ狡猾な悪女がヒロインなのだが、なんとも男心をくすぐる小悪魔的描写には唸るものがあった……。
あのヒロインは、飼い猫がモデルだと言うのだ。

「私がこれまでに手掛けたどんな女性像よりも、美しく素晴らしいヒロインが生み出せた。当然である。そのモデルは我が生涯の恋人、世界一愛おしいシャミセンなのだから。永遠の恋人シャミセン。お前との生活こそが我が幸福だ。それ以上望むものなどない」

コラムはこう締められていた。

「……」

「どうです天音先生。面白いでしょう?」

これが白川清秀の作品だとわかったうえで読んでいてよかった。
もし作者を知らずに読んでいたら、ただの頭のおかしなジジイの戯れ言としか思えなかった。

「なんというか、猫バ……」

「バ?」

「猫、ばかり考えているのは伝わった」

「ね、この企画が好評だったんですって!」

「……これと同じ真似をしろと?」

もしそうしろと言われたら、即座にこの企画は断ろう。

「いえ、次回はインタビュー形式らしいので、天音先生が執筆する必要はありません。インタビュアーの質問に答えていただいて、あとはそうですね。猫ちゃんとの写真を撮影すれば!」

「撮影……」

先日の苦い経験を思い出す。我が家の猫は写真と相性が悪いのだ。

「その撮影ってのは、猫をどこかに連れ出すのか?」

「恐らく、先生のご自宅で撮るかと。猫ちゃんってほら、知らない場所に行くのが苦手でしょう?」

いつだったか、あの女性アルバイトが来た日のようになるのだろうか。
あの出来事も十分苦々しい思い出なのだが。

「まあ……考えてみてもいいかな」

恥ずかしながら、今の私に仕事を選り好みする資格はない。
たとえあんな猫共に頼るとしても、今は一つでも多くの仕事を引き受けなければいけないのだ。

それに、よくよく考えたらいい宣伝になるではないか。
あんなつまらない雑種の猫でも、プロが撮影すればそれなりに写るだろう。
それを見た読者がついでに私の作品を手に取り、ファンになってくれれば万々歳である。

という訳で情けないが、今回の取材は承諾した。
今この瞬間、私は猫を利用して知名度を上げようとする三流作家に成り下がったのである。
我が家のヒエラルキーは人よりも猫が上となった。

「ありがとうございます!では、詳しい打ち合わせはまた後日……」

やれやれ、とうとう小説の仕事ですらなくなってしまった。
まあ、普段はただ飯食いの居候なのだから、たまには猫共にも思い切り働いて貰おう。

そうだ。取材を受ければそれなりに報酬も貰えるだろう。
前祝いだが、今日は奴らにささ身でも買っていってやろう。
私はスーパーに立ち寄り、自分の夕食よりも先に猫共へのささ身を手に取るのだった。


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