第13話 猫ブログ

文字数 2,651文字

寅本との打ち合わせは難航していた。
打ち合わせの内容ではない。打ち合わせそのものが行われないのだ。

私がやんわりと促しても

「詳しい日程が決まり次第折り返し連絡いたします」

という返事しか来ない。
私の経験上、この連絡から読み取れるのは「新作中止」である。
この後ろ向きな勘が当たらないことを祈る。

という訳で、今の私は暇をもて余している。
猫達の餌代も稼がなくてはならないので、アルバイトの数を増やした。
ここのところ、外出の多い私である。

アルバイトへ向かい部屋を出ると、そこには2階に住む少女が佇んでいた。
少女は私を見るなり、

「ニャンニャンのおじさん!」

と言いはなった。
今だかつて、このように不名誉な二つ名で呼ばれた経験はあっただろうか。
曲がりなりにも「先生」と呼ばれるこの私が、幼女の前ではニャンニャンのおじさんである。

「みーちゃん!先に降りちゃ駄目でしょ」

2階から母親が降りてきた。
この親子、たしか名前は渕崎さんだっただろうか。

「あ、こんにちは」

母親が挨拶する。

「どうも」

普段これといって接点のない相手だが、向こうからはすっかり「猫好きのおじさん」と思われているようだった。

「ニャンニャン、げんき?」

少女が不躾に訊ねる。

「こら、みーちゃん。すみません突然……」

「いえいえ、みーちゃんは猫が好きなのかな?」

「ニャンニャンすき!」

少女は無邪気に答える。
ならばどうぞうちの猫を連れていってくれ。と言いたいが、そうもいくまい。

「すみません。お出かけのお邪魔ですよね。みーちゃん、行こう」

「バイバイ、ニャンニャンのおじさん」

親子は手を繋いでどこかへ出掛けていった。
私もアルバイトへ行かなければならない。

しかし、他人の飼い猫などいちいち気になるものだろうか。
そういえば猫を飼い始めてから、アパートの住人との会話が増えた気がする。

たとえば2階の老夫婦。名を三池さんという。
顔を会わせれば挨拶をする程度だが、時折私に、「猫ちゃんに食べさせて」と差し入れをくれる。

それは鶏のつくねや魚の煮付けなどの素朴な家庭料理だが、無論猫にそのようなものは与えられない。
断ると角が立つので、私は猫ちゃん宛に贈られた惣菜を頂くたび胃袋へ納めているのである。
これがなかなか美味いもので、一人暮らしの中年男には助かるのである。
普段は邪魔な猫どもも、こんな時は役に立ってくれる。

世の人間は、想像以上に他人の猫に関心があるのかもしれない。

とある提案が浮かんだ。
アルバイトを終え、帰宅する。
猫に餌をやり水を取り替え、トイレの糞を掃除する。
ひととおりのルーティンを終えたところで、パソコンを起動する。

「ええと、無料ブログ……」

私の提案とは、猫ブログを立ち上げることである。
どうやら世間の人々は他人の猫を見たいらしい。
ならば見せてやろう。
安直な思いから、適当な無料ブログサービスに登録し、猫ブログを開設した。

本音を言うと、昨今たかだか猫の写真を載せた程度のブログであっても、やたらうけて写真集やらエッセイやらを出版しているのを知っているのだ。
私の心には、どこか猫ブログがうければ、知名度も上がるかもしれないという邪な思いがあった。

さて、ブログを開設したからには、猫達の写真も載せなければならない。
以前スマホで撮影した写真を数枚載せ、記事を投稿する。
少々不細工に写っているが、猫好きはそんなものも気にしないだろう。
奴らは猫さえ写っていれば満足するのだから。

「黒兵衛、斑丸、銀次郎、喜べ。お前ら世界デビューだぞ」

こうして初のブログ記事を投稿した。
明日になればどれくらいの閲覧者がいるか、わかるだろう。

翌朝、ブログの閲覧者数をチェックした。

訪問者、31。

私のブログには、せいぜい小学校のクラス一つ分程度の読者しかいなかった。

急激にやる気が下がっていくのが感じられた。
いや、まだ開設したばかりではないか。
読者を増やすには、何よりコンテンツの充実が求められる。

コンスタントにブログを投稿すれば、読者も増えるに違いない。
その為には、まず猫の写真を掲載せねばならぬ。

スマホを覗いてみたが、カメラロールにはほとんどまともな写真がなかった。
これは、ブログを書くよりも先に写真を撮るところから始める必要がある。

以前私は黒兵衛の撮影を試みたが、全身が黒い動物を愛らしく撮るのは困難であった。

しかし、今は斑丸に銀次郎もいる。
 まずモデルにすべきは銀次郎だ。
彼は特別ハンサムである。
銀色に輝く毛並みとしなやかな身体。
逆三角の小顔にはアーモンド型の瞳とツンと高い鼻が、上品に配置されている。

「銀次郎よ、ちょっとこっちを見てみろ」

銀次郎はカメラのレンズに興味津々なのか、首をかしげてこちらを見上げている。
うん。なかなかいい表情だ。

「いいぞ銀次郎。お前にはモデルの才能がある」

「ニャア」

私が銀次郎ばかり構うせいだろうか。
普段素知らぬ顔をしている黒兵衛と斑丸が、図々しくカメラの前に割り込んできた。

「こら、お前たちはいいんだ。あっちへ行け」

黒兵衛と斑丸は「俺たちも撮れ」と言わんばかりに、銀次郎の姿を遮る。

「わかったわかった。お前たちにはこれをやるから」

猫の気を逸らすにはおやつが一番である。
猫の大好きな液状おやつを与え、二匹を銀次郎から離す。
するとどうだろう。今度は銀次郎が「何故俺にはおやつをよこさないのか」と催促し始める。

仕方がないので三匹におやつを与える。
こうして並んでいる姿もなかなかユニークかもしれない。
とりあえず猫がかっ食らっている姿も撮っておこう。

さておやつタイムも終わり、黒兵衛と斑丸はすっかり気が逸れたようである。
再び銀次郎に向かって何度もシャッターを切った。
時折瞳の色をクルクルと変え、行儀よくお座りしたり横たわったりポーズを変える。

彼は今一流のモデルだ。
私はカメラマン。
彼の魅力を最大限に引き出すため、無我夢中で撮り続ける。

「いいぞ。最高だ」

これは素晴らしい作品ができた。
早速仕上がりを確認すると、私は落胆した。

愛らしい表情でポーズを決める銀次郎。
その後ろには散らかった本。食べ追えたコンビニ弁当の残骸。脱ぎ捨てた靴下。
一目で生活水準の低い男が住んでいるとわかる光景だ。
これはハンサムな猫と一緒に写るには、あんまりな背景である。

「……まずは部屋の掃除から始めるか」

銀次郎の素晴らしきグラビアはお蔵入りとなった。
唯一アップで写したので、背景のない一枚だけをブログにアップした。
猫の免許証のように面白味のない写真だが仕方ない。

翌日の閲覧数には、22の数字が刻まれていた。 
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