第8話 マタタビ・フィーバー・ナイト

文字数 3,040文字

「打ち切り……?」

それは寅本といつもの打ち合わせ、のはずだった。

「はい、大変申し訳ないのですが編集会議で決まりまして」

寅本はモゴモゴと煮え切らない態度で、必死におべっかを言う。

「いえ、決して不人気だったという訳ではないんですよ。ファンレターも月に一、二通あったような……なかったような」

要するに、私のただ流行だけを意識した薄く、無味無臭な恋愛小説を、これ以上世に出す価値はないという結論だ。

「それで、残りの連載は?」

「……一話です」

「……」

「一話でまとめてください」

編集者というのは仮にも読み物に触れているくせに、何故このように無茶な要望をしてくれるのか。

「無茶言うなあ」

「本当に申し訳ないです。どうにか次回で畳めるようにストーリーをまとめましょう。それで思ったんですけど」

寅本は困惑する私の為に、ここぞとばかりのアイデアを持ってきてくれたようだ。

「ヒロイン、殺しましょう!」

「はあ?」

寅本は熱心な口調でまくし立てる。

「ヒロインが、病気とか事故で死ぬんですよ!それで最後に、主人公がどれだけヒロインを愛していたかをモノローグで語って終わり。これ感動的じゃないですか?」

「寅本」

私の胸にはあらゆる感情が渦巻き、どの言葉から発するべきか非常に悩んだ。
が、ようやく一言口から放たれた。

「本気で言ってる?」

「……」

「……」

「えっとですね、今回は打ち切りだとしても、書籍化で人気が出る場合もあるんですよ。それで、人気が出ると言えば泣ける系じゃないですか。ヒロインが死ねば感動するじゃないですか。だからね、ヒロイン殺しましょう!」

寅本よ。何故お前はそんな真っ直ぐな瞳で、そのような提案ができるのだ。

「とりあえず打ち切りの件は理解したので、あとは帰ってから考える」

私は寅本の提案をどうにか受け流し、ぼうっとした足取りで帰路に就いた。
こういう時酒に逃げるのはどうしようもない気がするが、それでも飲まずにいられなかった。

私はスーパーで安酒とつまみを買った。
ふとペットコーナーに立ち寄ると、そこにはマタタビなるものが売られていた。
そういえば猫はマタタビが好きだ。
自分だけ酔うのもなんだ。あいつらにも買っていってやるか。

帰宅し、打ち切り小説の続きを考える気にもなれず、つまみをあてに安酒を飲み干した。

このなんとも言い難い、虚しい思いはなんだろうか。
あの安っぽい青春恋愛小説は、私にとって何の思い入れもない商品だった。作品と商品は違う。

作品とは作者が想いを込め、魂を削り作り上げる、いわば作家の命の化身である。
対して商品とは、いかにして売れるかに重点を置いた、金儲けの道具である。
私の小説は間違いなく商品であった。

読者受けを狙い、人気を意識し、魂などこもっていない、ただのコンテンツ。
それでもあれは打ち切りになった。
最早金儲けのコンテンツにもなれない、駄作の烙印を押された出来損ない。

私ははじめから乗り気ではなかった。
人気を取りに行くだけの大衆向け小説など、書きたくなかった。
それなのに、どうしてこうも悔しいのだろう。

言われるがままに書かされた商品に思い入れなどないはずなのに、打ち切りという世間から見放された事実に、酷く落ち込んでいる。

それでも私は書かなくてはならない。
あの商品を終わらせる為には、あの無毒な模範的ヒロインに美しい死を与え、テンプレート通りの「お涙頂戴」エピソードに仕上げなくてはならないのだ。

慣れない酒を数杯飲み干した頃だろうか。足首にガブリと噛み付く痛みが走る。
テーブルの下では黒兵衛と斑丸が腹を空かせて、酷く立腹していた。
そういえば帰宅してから奴等に餌を与えていない。

そうだ。奴等の為にとマタタビを買ったのだ。
折角だしくれてやるか。
私は黒兵衛と斑丸の器にマタタビの粉を振りかけた。

二匹はフンフンと鼻息を鳴らすと、やがてマタタビの粉を夢中で舐め始めた。
それはもう無我夢中に、いやちょっとそれは、あまりにも中毒的ではないだろうか。

器に食らいつくかの如く、二匹は我を忘れてマタタビを舐め続けた。
粉はとうに無くなっているのに、それでもまだマタタビの残り香が漂う器を舐めまくっている。

次の瞬間、黒兵衛はその場にバタリと倒れこんだ。

「黒兵衛!?」

思わず声をあげた。
その姿はまるで、薬物中毒者やアルコール中毒者のそれと同じだったからだ。

黒兵衛は横たわったまま、スリスリと床に身を擦り付けた。
どうやら倒れたのではなく、猫特有の体を擦り付けるあの動作をしているようだ。
一方斑丸はと言うと、べちゃべちゃと音をたてて空の器を舐め続けていた。

猫にマタタビ。この美酒がいかに猫を夢中にさせるかは、二匹の姿を見れば明らかだった。

「ほら、もう終わりだ薬中猫ども」

空になった器を持ち上げる。
猫どもはしきりに抗議するよう、ワンワンと大声で鳴いてみせた。

斑丸は機嫌を損ねたのか、黒兵衛の額をぺチンと叩き付けた。
普段ならじゃれつくはずの黒兵衛だが、この日は違った。
黒兵衛は耳を倒し、鋭い眼光で斑丸を睨み付けた。
戦闘体勢に入った黒兵衛に触発され、斑丸もまた背を丸め、威嚇の体勢になった。

「オウオウオウオウ……」

黒兵衛の低いうなり声が響く。

「オラオラオラオラ……」

斑丸も負けじとうなり返す。

「オウオウオウオウオウオウ」

「オラオラオラオラオラオラ」

二匹は間合いを取るように、お互い背を丸め、決して視線を反らさずメンチを切っている。
それはまるで、チンピラヤクザがガンを飛ばし合っている姿そのものだ。

「オウオウオウオウオウオウ!」

「オラオラオラオラオラオラ!」

「いい加減にしろ!」

私は二匹を遮るように、手のひらを差し出した。

「フギャーーッ!」

「ぎゃ!」

私は情けなくも悲鳴をあげてしまった。
黒兵衛と斑丸が、二匹同時に噛みついてきたからだ。

「血が!」

負傷する私など気にもとめず、黒兵衛と斑丸は激しい追いかけっこを始めた。
狭い部屋を二匹の疾風が駆け抜ける。

黒兵衛はテーブルに置かれた原稿用紙や筆記用具を蹴散らすと、そのまま勢いよくエアコンの上まで飛び上がった。

続いて斑丸が追い掛け、エアコンに飛び乗る。
しかし勢いが足りず、斑丸はそのまま床に落ちて尻餅をついた。

「だ、大丈夫か?斑丸」

私の心配を余所に、斑丸は再び私の手に食らい付いてきた。

「同じ場所を!」

作家にとって利き手は魂である。
その魂を猫どもは噛んだり引っ掻いたり……。

一方エアコンの上に逃げて勝利を感じたのか、黒兵衛は誇らしげに遠吠えをしてみせた。

「オオーン!オオーン!」

とても子猫の口から絞り出したとは思えない、低い声が響き渡る。
挑発的な勝利の雄叫びに触発されたのか、斑丸は華麗な大ジャンプでエアコンに飛び乗る。

斑丸の猫パンチが、黒兵衛の顔面に直撃する。

「オウオウオウオウ!」

「オラオラオラオラ!」

二匹は激しくもつれ合いながら、台風の如く部屋中を駆けずり回った。

「もうやめてくれーっ!」

どれほどの時間二匹の台風が暴れただろうか。
夜も更ける頃、ようやくマタタビが抜けた猫たちはグッタリと眠りこけていた。

先程までの騒ぎはどこへやら、安らかな寝顔を浮かべ床に転がっていた。

残されたのは、猫どもに踏まれてビリビリに破れた原稿用紙。散らばるペン。床に転がる缶ビールと飛び散る酒。

呆然と立ち尽くす私。

これから部屋を片付け、原稿を仕上げなければならない。

今日はもう寝よう。全ては夜が明けてからだ。

そして二度と猫にマタタビを与えるのはやめよう。

そう心に誓い、私はヨロヨロと床に就くのであった。
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