本編13_2019.2.16

文字数 12,661文字

ゼロ戦の男との会談
2019.02.16_(083)(013)(7=11,7,7)

視点#長谷川

コード《2018_JP_TKY_1429》
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W/N(選定中)

・補遺_2019.1.20_調査レポート
曳舟周辺の大岡家にて起きた記憶障害に関する調査をここにまとめる。
事件現場は墨田区の旧しょう油問屋で起きた事件の被害者3名の調査レポートである。
以下生存者をA、B、Cと呼称する。

Aは72歳、男性。母の葬儀の喪主として現場にて怪異に遭遇。認識障害を発症する。
症状は、スポット的な記憶喪失で、具体的には10~15歳と30歳前半の記憶が完全に欠如しており、特筆すべき点は曖昧な健忘ではなく完全な消失状態。その当時のことは仮に事実を伝えても、その当時のみで出会った人物の再会によっても、記憶の回復は一切ありませんでした。
そして当人はその状態について異常であると認識しておらず記憶がないのを普通であると誤認しています。

Bは40歳、男性。Aの経営する会社の社員であり、この葬儀の手伝いとして大岡家に宿直していたところをAと同様に怪異と遭遇し認識障害を発症する。
症状は右腕、右足、右目の自発的な機能困難。
ただし瞳孔の動きや危険時の反射動作をすることはでき、脳の運動野にも異常はない。肉体的な問題ではなく、意識下でのコントロールができなくなった精神性疾患と考えられる。

Cは70歳、女性。Aとは夫婦の関係であり、Bと同様の経緯で怪異に遭遇して発症。
症状は識字能力の消失であり、これは日本語の平仮名、片仮名、漢字の全てであり、自身の名前すら書くことも読むこともできないほどの消失にあります。一方で発話される単語の意味は有しているので、会話は何の問題もない。

以上の症状から、全員が何らかの認識汚染による影響で精神的欠損もしくは障害を発症しており、またBを除きその自覚症状はない。他にも身体的な運動野の検査では異常は見られない。
年齢、性別、性格、遺伝的特性に至るまで3者に共通点はありませんでした。遭遇時の状況もそれぞれ認識した上での避難中、無自覚での接触、睡眠中と異なり、怪異の性質に繋がっていない。結局のところサンプル数も3件とこの方面からの捜索は困難である。
よって、何らかの異常現象に遭遇や暴露もしくは事象の発動によって副次的な認識障害と思われる。
また特質すべき点としては、同地点にて、人型Ⅰ類に属する権能者がいたことがあげられる。しかし、財団にて収容された対象の能力にミーム汚染につながる根拠はない。その能力を隠し持っている可能性を現段階で限りなく低く、別の現象による影響を考慮する必要がある。【これはこの人型Ⅰ類のオブジェクトの影響がないと断言するものではない。】
実験発生から1ヶ月を経過し、再教育という手段で欠損した認識の補填が可能であることから、Bを除く全員を一般病練に移すことと、財団の管理からの除外を決定。
よって彼らA、B、Cの調査は終了しました。

@@@

私の手元には、曳舟で起きた認識障害事件の調査レポートがある。今回のよゐちゃんの件で野山博士から借り受けたものだ。よゐちゃんとの会談を終え、1人デスクでそのレポートを眺めていたよ。よゐちゃんについて実際に会った印象は嘘を付くタイプではない。駆け引きとか、彼女の言う伝道師には不要なことなのだろう。
しかし精神疾患を患う怪異との遭遇・・誇大妄想の域は出ない。・・やはり裏付けは必要か。
私は、それを東京防衛に依頼することにした。ヨシトモ君の能力なら直接確認できるし、関わらせておいて情報の共有を図った方がいいだろうと思案していたからだ。
時計は夜の11時を過ぎた。デスクには私しか居らず他の明かりもない。1人では時計の針の刻む音は大きく聞こえる。

@@@#ヨシトモ

ゼロ戦の亡霊の観察が普段の主な仕事だったのだが、ある依頼のために久慈さんと合流していた。
それは、長谷川博士からよゐちゃんという財団が収容していた怪異が大きく関わっていることが分かったからだ。正直行き詰まっていた所で、これ以上ないほどの進展だ。
しかもよゐちゃんという神レベルのオブジェクトの協力を取り付けている。実は長谷川博士ってめちゃくちゃ優秀?!
ともかく僕たちはよゐちゃんの証言の裏付けを取るために協力を申し込まれて(多分だけど、情報を共有するために)僕とゆう子隊員と久慈さんで倉持 辰巳の住んでいた民家に、僕の能力『サイコメトリー』で直接確認していくこととなった。

そこはどこにでもある一軒家だった。周りの家々と同じように閑静な空間を作り出している。家の前には、警察ドラマで見かける立ち入り禁止のテープが入り口をふさぐ。そのままどこにも人の気配はない。
久慈さんは鍵で玄関を開ける。鍵は財団で管理していたのかと僕は見ていた。久慈さんはニヤリと笑みを浮かべ、そうだよと、言わんばかりの態度でドシドシ進む。土足で行く。それを見て僕らも倣う。
辰巳の家は3階立ての築20年と言ったところか。白い外装はよくある民家だ。特別不思議なところは何もない。
家族向けの民家。そこに老人1人と幼女が2人。3人で住むには少々広すぎだろう。ほとんどは空き部屋だったのか、特に2階は埃が浅く積もって暗い。基本的に辰巳とあやめが1階にいて、屋根裏部屋の3階にはよゐちゃんの部屋しかない。言うなれば平凡な平成の東京都内の一軒家だ。
ただ変わっているのは1階のリビングの、物の種類だ。子供向けのおもちゃ箱があるものの、それ以外に若い雰囲気はない。新聞だとかコーヒー用のクリープだとか、年配の、それもガサツな雰囲気が支配的だ。

久慈:「ここに住んでいたのは、倉持 辰巳という80過ぎのジイさんと、その孫のあやめだ」
ゆう子:「それなら納得ね。ここにはまるで働いている人間のものが何もないもの。お爺ちゃんと孫の2人なら、この独特な雰囲気も理解できるわ」
ヨシトモ:「もう1人、いたはずだけど?確か・・よゐって言ったよね?」
久慈:「行くかい?3階にその部屋があるが、色々あったらしいが、ほとんどは回収されたらしいぞ」
ヨシトモ:「そっちはいいや。ここにあるもので・・メモとか、書き置きとかの類があればと思ってね」
久慈:「?」
ゆう子:「あの日・・よゐとあやめは、大岡邸を脱出した時、普通真っ先に家に帰るでしょ?でも彼女たちはここから20キロも離れた浅草寺周辺のスーパーで保護された。つまりここには何かがいたかして近づけなかった、もしくは居られなくなった」
久慈:「!言われればそうだ・・。だが、そのヒントはあるのか?」
ゆう子:「さあね。でもその理由を探すのは、きっと何かあると思う。だから久慈さんも手伝ってね」
久慈:「手伝うって言ったって何を探せばいいんだか・・」

僕はこの生活感に溢れた居間で何かを探す。何をだって?とにかく気になるものだ。具体的な例なんか、思いつきもしない。何か意味のある『モノ』を探す。
よゐちゃんクラスがここを避けたのは、やっぱり何かがいたんだと思う(あやめがいたからだろうけど)。ではその存在がここに何をしに来たのか?少なくともそれが本当に存在していたのなら、『モノ』に痕跡を残さずにいるのは不可能。それは僕なら見つけ出すことが出来る。問題はその痕跡が何かなんだが・・。

久慈:「ほとんどめぼしい物は、回収していったからな・・特におかしなものなんてどこにも・・」
ゆう子:「この冷蔵庫とか、中はどうなっているの?」
久慈:「財団が回収した後に、警察も入っているから、衛生上問題があるものはもう何もないはずだが」
ゆう子:「そう・・もう一度回収されたもののリストを見せてもらってもいい?」
久慈:「ああ・・しかし特別変なものは何もないし、さっきも見ていただろう?」
ゆう子:「・・やっぱりそういうことね。見つけたわ。ヨシトモ隊員!ちょっとこっちに来て」
ヨシトモ:「何?何かあった?」
ゆう子:「うん。来て玄関・・ここにある革靴、この家でこのサイズのものってなると、辰巳さんのじゃない?」
久慈:「そりゃ、あるだろ?ここは彼の家だ」
ゆう子:「それはそうだけど、こういう靴って普段用じゃないでしょう?葬儀に出かけたのなら、これを履いて行ったと思うの。それがここにあるっていうのは・・おかしいよ。辰巳さんはここに戻っていないから。それとも男の人は、何足か革靴を持っているの?」
久慈:「辰巳の遺体は回収済みだ。礼服もある。リストには・・本当だ、靴がないな。じゃあ、誰がこれを?」
ヨシトモ:「それは簡単だ。この『モノ』に聞けばいい」

僕は手袋を脱いで生指を当てる。瞬間、映像と強烈な何かの印象が駆け巡る。怪異と遭遇したモノの記憶というのは、いつも焼き付いた脈絡のない衝撃だ。疲れるなんてものじゃない。『サイコメトリー』、もはや脳への痛みだ。

@@@

夕闇。ビルとビルの間の上空、空を飛ぶ鳥のような視点で、刹那的な映像がザッピングされたみたいに流れる。天と地もなく、逆さまだったり、ブランコみたいな浮遊感が続くと、ついに辰巳の家にたどり着く。それは扉にたたきつけられた。何度か扉をガチャガチャとやると、それはどうやったか次の映像にはこの家の今いる玄関になる。靴はそこに捨てられて地面から見上げるような映像になり、僕はついにその正体を目撃した。黒い影みたいな人になりかけの、存在がそこに映し出されていた。長谷川博士がよゐちゃんから聞いた証言通りの内容で、噂通りの外見だった。それは奥へと行く。
映像は終わる。だが僕はその黒い影の正体を知っている。聞いていた通りのものだったから。
『矢野 豊(やの ゆたか)』だ。
長谷川博士から聞いていた、辰巳の旧友である人物だ。話を聞いて調べた古い写真のその人物だった。

@@@

久慈:「どうだ?何かわかったか?」
ヨシトモ:「ああ。よゐは正しかった。本当にいたよ」
ゆう子:「いた?」
ヨシトモ:「矢野だった。長谷川博士が言っていた通りだ。それがこの靴をここまで持って来たんだ」
久慈:「それは何かしていたのか?」
ヨシトモ:「いや?映像はここに靴を捨てて家に上がっていくのは見えたが、そこで終わったから、どうなったのかは分からない」
ゆう子:「とにかく・・よゐの発言の裏付けは取れたのね?」
ヨシトモ:「ああ。それは間違いない」

どこで何が役に立つかなんてわからない。僕の能力がこれほどまでに活躍したことはこれまでになかった。けど、その時の僕は事件の中心で楽しかったってことを覚えている。恐怖もあった。それよりも確かに前進し正体に迫っていくこの過程が楽しかった。きっと久慈さんもゆう子隊員もそうだったと思う。
命がけの戦いに、僕らは酔狂と言える心持ちで特に覚悟なんてなく、命を賭ける。いずれ覚めた時に本当の恐怖がくるってことはまだ知らなかった。その時はもう近い、冬は間もなく終わる。

@@@#久慈

今日は本当に暖かいな。俺はジャケットを脱いでコーヒーを飲む。味の違いなんてものは俺には分からないが、香りを楽しむのは好きだ。同じテーブルにゆう子とヨシトモも。ヨシトモはケータイで上司のナヴに、よゐの証言の確証について話している。
今俺たちは辰巳の家を後にして、近くのホテルのラウンジでコーヒーブレイクだ。ホテルなら人通りが多く、会話をしても目立ちにくい。周りの目もある程度見渡せるし、衆人環境も絞れるからホームレスみたいな金を掴ませて様子を見させることもない。出入り口に目が届くこの席なら、危険も少ない。もし話が機密に迫るものならそのままホテルの部屋に行けばいい。
なら始めから部屋に行けって?それはできない。ルームサービスのコーヒーでは香りが落ちる。

ゆう子:「乃木さんは元気?」
久慈:「ああ、今は財団の一般協力者向けの宿泊施設にいる。会うには特別な手続きはいるが・・」
ゆう子:「元気にしているんだ。でも財団の研究部にいるとなると、おいそれと会えないんじゃ?」
久慈:「・・長谷川博士は、あれでいて強かだ。どうやったのか知らないが、管轄は東京ゲンガー事件の関係にしていて、主担当を俺ってことなっている。つまり乃木の件では俺に逐一情報が入るし、長谷川博士の一言で自由に開放可能というわけだ」
ゆう子:「あれ?そうなると、久慈さんは今、怪異の調査室じゃなくて、長谷川さんの元にいるの?」
久慈:「いや、所属は調査課にあるがそっちの仕事はない状況だな。現状言う通り、長谷川博士の直轄で東京ゲンガーを追いかけているよ」
ゆう子:「お疲れ様。大変だね。にしても長谷川博士ってもしかしてすごい人だったの?」
久慈:「・・今回の件、長谷川博士は完全に越権行為で動いている。財団の人間というのは変わり者だらけだから、そこはあまり注視されないが・・にしても東京ゲンガーに対しての固執っぷりは異常だ。俺には何か別の理由がある気がするな」
ゆう子:「完全に信用できないってこと?」
久慈:「はは、財団の人間を信じられるか?俺は信じられないね」
ヨシトモ:「お待たせ。何の話?」
ゆう子:「財団の会社説明をしてもらっていたのよ」
ヨシトモ:「何?財団への転職?止めたほうがいいよ」
久慈:「俺の前で言うな。まあ冗談はこの辺で、話は終わったか?」
ヨシトモ:「ああ。ナヴさんには説明終えたよ。僕の証言だけじゃなくて、物的証拠(革靴)もあるから、説得材料としては十分だろうって」
ゆう子:「とりあえず、今日の仕事は終わりってところか」
久慈:「今日はな・・これで忙しくなるな」
ゆう子:「矢野 豊という正体の追跡なら財団も利用できるし、ここからは時間との闘いでもあるからね。あてにしているよ」
久慈:「勝手にあてにしないでくれ。だが・・まあそうなるな。当面の目的は矢野という人物と東京ゲンガーのつながりだ。これが分かればもしかしたら解決。最悪は何らかの封じ込めくらいはできるだろう」
ヨシトモ:「もう1つ。ゼロ戦の亡霊もだ」
ゆう子:「そうだね―――」

ドシャリと音を立て、ゆう子は崩れ落ちた。俺には一瞬何が起きたかなんてわからない。そういった前振りなんて何もなく、会話の最中に伏せてしまう。
毒か?!呪術か?!
とにかく俺は突拍子のない事態に席を立ちあがることもできずにヨシトモを見た。それは正解だった。

ヨシトモ:「騒がないで。久慈さん。ゆう子隊員は大丈夫です。今のところは」
久慈:「何があった?」
ヨシトモ:「これは彼女の能力による影響です」
久慈:「能力?」
ヨシトモ:「僕らはゆう子隊員のこの能力を『炭鉱のカナリア』と呼んでいる」
久慈:「『炭鉱のカナリア』・・物騒だな。何か大きな危険が迫っているってことか?」
ヨシトモ:「うん。その通り。ゆう子隊員の霊感知の感度は敏感で、巨大な心霊現象が近くにいるとこうなる。ゆう子本人はそれからの自己防衛として、意識をシャットダウンするんだ。対心霊相手なら、意識の有無は重要だから」
久慈:「つまり、今ここに、強力な怪異がいるってことか?何も感じないが・・」
ヨシトモ:「僕もだが、でも間違いない。この中の誰か、どこかにいる」
久慈:「人のフリをしているのか?」
ゆう子:「ああ、それもゆう子隊員の能力から言える。怪異が人のフリをしているから、その強烈な違和感を感じ取っているんだと」
久慈:「ああ、なるほど分かった。かなり危険な状況ということだな?」
ヨシトモ:「そうだ、だから静かに。このまま何とか気付いていないフリをしてやり過ごすのが・・・何している?」
久慈:「いや。違うな?こうして事前に危険が分かったなら、先制攻撃だ。運がいいぞ、ヨシトモ。俺がそばにいたんだからな」

ヨシトモ:「先制攻撃って、まさか・・!!」
久慈:「そのまさかだよ。これを付けて伏せていろ」

俺は特に不自然のないようにバックから耳栓と、サングラスを取り出す。ヨシトモは前に共闘していたから、俺のやり方っていうのが無茶苦茶ってことは重々承知なのだろう。ヨシトモは慌てて耳栓を付けると、俺の取り出すものを凝視する。
俺の作戦はシンプルだ。ここにいる人間は全部で10数人くらい。この中で怪異を見つけ出せばいい。妖気を隠せるほどの怪異なら、人間との違う点を探せばいい。俺が取り出すのは閃光弾。それのピンに指をかけ、そのまま両腕で上に掲げて、そして立ち上がる。その不自然な行為に平和ボケした日本人は訳も分からないという面持ちで見上げた。そして引き抜く。
一瞬のことだ。強烈な音と光で人間の感覚を襲う。視覚と聴覚を持つ生き物がこれを受ければ取るべき体制は本能に従った防御姿勢だ。悲鳴もなく、耳を抑えてうずくまる。怪異は肉体を持っていても生者とは異なる。一番の違いは五感だ。これだけは完全に融合でもしていない限り、理解できない。それはどういうことかって?単純な作戦って言ったのは俺の攻撃対象は人間だ。そうすると、人間じゃないそいつだけはあぶりだせる。

俺はこの中で他と異なる動きをしている奴を探す。それは探すまでもなかった。この中で俺たちを除いてただ1人、意味も分からずに突っ立っている奴がいた。入り口そばのテーブルの側の柱に寄りかかっている。そいつが怪異だ。
俺は一切ためらわない。このような事態で平然としていれば、それが何者だろうが俺にしてみれば引き金を引く根拠としては十分だ。ここにいる人間からしたら多少は不幸だが、しようがないことだ。閃光弾の耳鳴り音が鳴りやまぬうちに銃声が2、3発放たれる。
そして止まっていた時間は動き出すようにあたりには悲鳴が轟くのだが、それはもう少し経ってからだった。

@@@

誰もが人質にでもされたようにテーブルやカウンターの下とかに動けずにいる。俺は確かな手応えを持っていたが、・・それはすぐに勘違いだと気付いたよ。撃たれたそれは確かに仰向けに倒れこんでいる。格好はどこで手に入れたのか浅草寺で有名なフーテン者の格好だ。それが大正ロマンと言えばいいのか、とにかくその古めかしさがよく似合っているので浮世離れ感はあまりしない。
俺は握った引き金とその倒れている怪異への意識を離せずにいた。血が一滴も出ていない、それと引き換えに傷穴から漏れるように妖気のようなオーラが俺のいる位置まで立ち込める。ヨシトモも同じだ。ゆう子を背負いなおすと、俺に無言で状況を尋ねる。俺も理解できていないので、その視線の勢いで応えたので、2人して凝視する。そうすると死んだフリが無駄だと観念したのかもぞもぞと動き出す。

フーテン風の男:「痛いなー!!なぜわかった?完ぺきだっただろ?」
久慈:「・・何者だ?」
ヨシトモ:「ゼロ戦の亡霊・・」
フーテン風の男:「おっ正解だ。さすがに俺をずっと監視していた奴は違うな」
ヨシトモ:「な!気付いていたのか?」
フーテン風の男(ゼロ戦の男):「お前たちが探っている時には俺も探っていた」
久慈:「それで?噂の東京ゲンガーが俺たちに何の用だ?」
ゼロ戦の男:「東京ゲンガー?そうそれだ!!俺が知りたいのはそれだ!そいつは今どこにいる?」
ヨシトモ:「?どういうことだ?」
ゼロ戦の男:「何だ?まだ分からないのか?俺はここに会談に来た。お前が俺を探ったのは理由があり、俺もお前達から知りたいことがある。だから話し合いだ。酒も手に入れたんだ。これを酌み交わそうじゃねえか!?」

突然の提案。ゼロ戦の怪異は痛がる素振りをしているが、そこには何か余裕がある。悔しいが。
俺とヨシトモはアイコンタクトだ。今日何回目だっていうくらい、驚いてばっかりだ。

@@@

ゼロ戦の男は、深津という。『小野寺リポート』という最初に遭遇した部隊が命と引き換えに獲得した情報に記載があった。つまり俺もヨシトモたちも当然知っている。(それらは闇の世界で、高値で取引されたおかげで今や東京中から霊能力者は退避している理由だが、今はどうでもいい。)
そうしてこの男のことは、知れ渡っている。没年も死亡時期も性格も能力についてもだ。だがこうして対面してしまうのは、ヨシトモの正気度以外に悪い点はない。
俺たちはこのホテルで卓を囲み、借りたグラスに日本酒を注ぐ。この不思議な宴が始まることになったとき、すでにホテルは騒然とした後のもぬけの殻だ。

深津:「クウ~、酒が美味え!」
久慈とヨシトモ「・・・」
深津:「どうした?酒の席だぞ。無礼講だ。ジャンジャン飲めよ」
久慈:「何が狙いだ?」
ヨシトモ:「分からない。だが、危険は感じないが・・」
深津:「まだ敵じゃないからさ。それはこれから決まる。この交渉の結果次第でな?!」
久慈:「ここは外交の場ってことか?」
深津:「好きに考えていいぞ。もしかしたら縁談の祝いになるかもしれないし、決別の最後の宴になるかもしれない。どっちにしてもこの酒は格別だ」
ヨシトモ:「よし分かった。話し合いは願ってもないことだし、正直突然のことで混乱しているが受けよう」
深津:「よっしゃ!えーと・・」
ヨシトモ:「ヨシトモだ」
久慈:「久慈だ。俺も乗った。だが、悪いが・・この交渉の場は録音させてもらうぞ?いいな?」
深津:「構わない。何なら上司と直接連絡してもいいぜ」

俺たちは盃を交わす。注がれた一杯を一斉に飲み干した。酒はどこにでもある清酒。それをうまそうに深津は飲む。そして何が面白いのか高笑いで席についた。改めて見る。
全体的には、昭和初期の出立なのだが、・・靴はブーツ状なのに安全靴のように先端には鉄板。胸部には防弾チョッキ。意外にもセンス以外はハイテクだ。戦中の人間だから、俺は化石人間を想像したが、どうやら違う。こいつは根っからの軍人だ。闘うための効率化をアップデートしている。認識を改める。深津が言う、交渉とは決して大袈裟じゃない。俺はそう覚悟した。

久慈:「さて、交渉だが・・どう進める?」
深津:「互いに1つずつ質問をする。それでどうだ?」
ヨシトモ:「それでいいよ。じゃあ、早速僕からだ。・・えーと、その格好は何?」
久慈:「え?最初にそれ?」
深津:「おかしいか?俺の生きた時代のものだから、多少浮いているかとは思うが・・俺の生きた時代から80年も経過しているんだ。多少は見知った形で落ち着きたいんだ。80年は長いな。空は埋め尽くされて、世界は鉄とガラスになっていた。俺の家も故郷もなかった上に誰も俺を見ることもできない。どこか遠い宇宙の果てにでも来たかと思った。だが、空を飛べばここは、神社仏閣が、山河が、富士山が、俺の守った日本であると思い知らす」
久慈:「ここが日本だと知って、どうしてまだここにいる?お前の護ったものはもうどこにも無いぞ?」
深津:「俺を怒らせるつもりか?だがそれは違う。俺は無学だが、バカじゃない。俺が黄泉返った理由はすぐに理解したよ。この国が滅亡の淵にあるからだ」
ヨシトモ:「滅亡?」
深津:「次の質問は俺の番だ。」
深津:「俺の目的はその脅威の排斥にある。だが、いくら調べてみてもその正体は見つからない。・・俺が生きていた時も悪鬼の類は信じていなかったから、噂にも聞かないのは重々理解できる。今の俺は死霊だろう。それを理解した上で俺に接触を図る。お前たちなら答えられると判断した。あの黒い影の正体はなんだ?」
久慈:「俺たちのことを知っていたのか?」
深津:「ああ、久慈。あの時の品川宿の近くであいつが初めて現れた時、そこにいたよな?覚えているぜ」
深津:「お前もだよ、ヨシトモ。お前たちに関しては、どうやっているのか知らないが、俺が赴く先にいる。俺が黒い影の気配を掴んで行動してもいつも一歩遅い」
深津:「俺が2人を交渉の相手としたのは、それが1番の要因だ。もう分かるだろ?久慈も対峙したあの黒い影・・『東京ゲンガー』が俺の標的だ。知っていることはあるか?」
ヨシトモ:「待った!じゃあ、深津さんは東京ゲンガーじゃないのか?!」
久慈:「・・・」
深津:「断じて違う。ふふ、どうやら俺について重大な勘違いをしていたようだな。あれの排斥こそが俺の存在理由だ」
ヨシトモ:「もしかして、これは―――」
久慈:「いや?それは答えられない」
ヨシトモ:「え!?なんで?」
久慈:「少し黙っていろ。深津よ、次の質問は俺の番だ。お前が東京ゲンガーじゃないって証明できるのか?」
深津:「なるほど・・そうだな、それは難しいな。俺とやつとは何か不思議なものでつながっているからな。完全に別かと言われると・・俺はそれを証明できない」
ヨシトモ:「つながっている?何か思い当たることが?」
深津:「分からない。そう感じるだけだ。俺はあいつがどこで出現するかとか、怒っているとかの感情がまるで自分の体のようにわかる。たぶん奴もそうだ」
深津:「さて、俺からは次が最後の質問だ。お前たちの目的はなんだ?俺と協力できるのか?敵なのか?どっちだ?」
ヨシトモ:「東京ゲンガーを倒すことだ」
深津:「なら、俺と目的が一緒だ。ここは手を組まないか?どうだ?」
久慈:「正確には違う。俺たちの目的はこの国から怪異の危険を排除することだ。そのうちで最重要対象が東京ゲンガーだということだ。つまりだ、俺が言いたいのは、深津という亡霊も人に危害を加えた、討伐対象だ」
深津:「つまり手を組むことはないということか?」
久慈:「そうだ」
ヨシトモ:「・・だが、今はそんな場合じゃないぞ。それに財団がそんな手段を選ぶだなんて!?」
久慈:「俺は確かに目的のためなら手段は選ばない。だがいいか?こいつとは目的は一緒じゃない。それにそういう場合だからこそ手を組むには危険でしかない」
久慈:「なあ、深津。お前は俺たちが東京ゲンガーを倒すための作戦が、お前の意に反するならどうする?」
深津:「単純だ。殴ってでもやめさせる」
ヨシトモ:「な?!」
久慈:「そういうことだ。根本的に協力し合う体制なんてないんだ」
深津:「交渉は決裂か。残念だが、俺としては別になんてことはない。次の段階に進むだけだ」
ヨシトモ:「次の段階?」

深津は残っていた酒を仰ぐと口をグイッと拭うと、席を立つ。その顔は人だった皮は剥げ骨が晒される。俺達は支配された空間で金縛りにされながらも、表に出さないように気丈に振る舞ったんだ。その間にも深津はドンドンと暗くその怨霊の為せるオーラを展開していく。

深津:「次は戦場だ。互いに譲れない物があるなら、それを決する手段はいくつかあるが、時間が限られる今、方法は1つ。力による征服。そうだろ?」
ヨシトモ:「いや、全然。時間がないからこそ問題を棚上げにしてでも協力して、東京ゲンガー対策に時間を注ぐべきだ」
深津:「魅力的な提案だが、ほだされるような人間的な魅了をお前たちからはまだ感じないな。それに・・久慈は俺と同じ意見だろ?」
ヨシトモ:「何を言って―――」
久慈:「チッ。何で分かった?」
ヨシトモ:「え?!」
深津:「経験・・もとい血の匂いだ。戦場じゃあ、よくあることだ」

俺はテーブルの上で堅く握られた両手をそのままに携帯電話を見つめる。深津の言う通り、俺はすでに宣戦布告と言える行為をしていた。攻撃準備が整うまでの時間稼ぎをしていた。
深津は俺を追求することはしない。戦場に生きた男の矜恃。それが普通になる程度には地獄を見てきたのだろう。
ヨシトモも気づいたのだろう。あたりから遠ざかっていく生活音を。財団が人を遠ざけてここいらは完全に警戒態勢の中に封じられた。

慌てふためきだすヨシトモを尻目に深津の態度は相変わらずに落ち着いていた、その理由はすぐに分かる。それは突然具体化する。
飛び込んできたような格好のゼロ戦が急停止し、深津の前でその制動でギシギシと機体を揺らした。それは俺たちが一番見知った形であるゼロ戦と亡霊のセットだ。一心同体と言わんばかりに似合っている。そしてやっと俺たちは深津のその余裕の正体を知ったんだ。あいつは遠隔でどこにでも具体化できるゼロ戦を所持している。いくらここを物理的に封じてもどうってことはないのだ。いくらでも抜け出ることはできる。だがその時は、宣戦布告をした。それはこの後の行動を決定的にする。
深津は振り向かない。機体に乗り込み、エンジンを回してそのまま壁の中へと滑走路を走り抜けるように消えてった。あとには微塵も残らない。俺たちだけだ。俺はその格好のまま、ついに動くことはなかった。

@@@
―突入から少し前―

このホテルでの騒動を止めるために俺は財団を利用した。当然だと思う。平穏な日常の中で突然に閃光弾と発砲による攻撃、こんなものはテロリズム・・好意的にみても反社会的な行為だ。これを隠蔽できるだけの力に心当たりは財団以外にないと思う。しかもここにきて深津からの交渉。俺に選択肢なんてあっただろうか?

久慈:「――という訳で、悪いんですが処理お願いします」
寝屋川:「ああ、それは構わないよ。だが、ずいぶんとしでかすな~、君は。完全な記憶操作は難しいよ、当事者全員が他人同士なら認識操作だけで済むけど、2人以上の知人で同じ記憶を持っちゃうと大変なんだよ~」
久慈:「知っていますが、あの場ではこれが限界でしょ」
寝屋川:「まあいい。人払いはこっちで済ましておくから、存分に話し合ってよ」
久慈:「ありがとうございます」
寝屋川:「それと、1つ指令だ」
久慈:「なんですか?突然?」
寝屋川:「簡単だ。私たちが突撃を駆けるからそれまで時間を稼いでおいてよ」
久慈:「!?何言っているんですか?交渉だって・・」
寝屋川:「そこだよ。君たちは交渉を選択して私は敵対的拘束を選択しただけだ。何も間違っていない」
久慈:「交渉の相手はゼロ室が用意した霊能力者を1度に相手できるカテゴリーB’相当以上の危険個体って認識のはずだ。それにそんな強硬論で矢面に立てば・・俺に死ねって言うのか?」
寝屋川:「相手は交渉を望んでいるんだから、たとえ、疑心的主張をしても直ぐに引き金を引くとは考えにくいが・・だが、もう遅いよ。逃げようとしてもそこはすでに包囲されているからね」
久慈:「言いたいことはわかりました。やるだけやりますが、約束はできないですから」
寝屋川:「うん、それでいいよ。生きて帰ったら今後のことを話そう。きっと有意義なものでしょうから」

俺は電話を切った。交渉のためにテーブルに向かう。生きて帰る・・か。ずいぶんと忘れていた言葉だ。俺たちは使い捨ての駒だ。だから俺はあまり自分の生き死にに執着しないが、この時は違った。
この時の俺の心境は何だったんだろうな?多分それは解かれようとする事件の渦中だったからかな。死ぬにはもう少し答えに近づきたかった。あの時の俺はその想いで一杯だった。
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