第11話 寂寥

文字数 1,214文字

 入院してから六日が経過した。その日、病室をナースステーションから離れた奥の四人部屋に移された。他の三人の患者はすでに点滴をしていなかった。みんなリラックスした様子で医師の許可を得て外出する者もいた。退院するまでは、この病室で過ごすのだろうと新田は思った。

 新田は、見晴らしのいい窓際のベッドをあてがわれた。この病棟は九諧にある。病室の窓からは駿河台の街並みが一望出来た。街を行きかう人びとが、けし粒のように見える。黄色い総武線の車両はまるでNゲージの模型のようだ。明大通りがちょうど眼下にあった。

 若い頃、新田はこの明大通りをよく歩いたものであった。会社の通勤で渡ったお茶の水橋。書籍を買いに行った三省堂書店。スキーシーズンになるたびに用具を買いに行ったビクトリア。ビル群が林立するこの界隈は、ビジネス街へと変貌しつつあった。

 今日は点滴を外す予定になっている。やっと食事が出来るのである。点滴をしていた期間、食事をしていなかったにもかかわらず、ほとんど体重が変わらなかったことで、現代医学の凄さに新田は感心した。食事は、はじめはお(かゆ)半量で徐々に量を増やしていった。点滴を外すと身軽になって解放された気分になる。シャワーを浴びることが出来るようになる。自分の寝間着の洗濯も出来るようになるのである。

 会社からは福山部長だけが見舞いに来ていた。入院する前、癌であることを同僚には伝えないようにと上役達にお願いしていたため、見舞いに来る同僚はひとりもいなかった。

「部下を引き連れて大挙して行くから」と豪語(ごうご)していた加猛(かもう)局長はついには来なかった。

 姉が一度だけ見舞いに来たが、それは入院費が足りないと困るので、五万円だけ貸してくれるように母親にお願いしていたためであった。本来であれば、母親を連れて姉が来るはずなのだが、来たのは姉だけだった。その理由は退院後に判明するのだが、その時の新田は、母親にお願いした次の日に、姉がひとりだけで来たのがとても不審でならなかった。

 病室の他の患者には入れ代わり立ち代わり見舞人が訪れていた。隣の患者は今、友人と株の儲け話をしているようだ。向かいの患者は商店の店主らしく、商店街の店主らと世間話をしている。斜め向かいの患者には、娘さんが毎日面会に来ていて、一日中患者の世話をしていた。それにもかかわらず、新田にだけ見舞いに来る者がいないことに、心寂しく感じていた。

 点滴を外してからは同じことを繰り返す日々が続いた。訪問者のいない病室の一日は極めて単調である。病室の起床は午前六時で消灯が午後の九時。定められているのは、三度の食事と看護師による食事前の検査、医師による午前と午後の回診、その他の時間はすべて自由である。リハビリも強制されることがなく自己管理に任されている。

 テレビ、読書、洗濯、風呂などに時間を費やしても、時間はありあまるばかりだ。やはり見舞人の存在は入院患者にとっては貴重である。
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